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第33話 兵糧攻め
「そうか……君は、母親だったね。すまない、僕が浅はかだった。君の『子供への愛情あふれる想い』を無視して……」
「分かってくれればいいのよ。それに、クライドは私に夢中だもの。彼をうまく操って、あなたの身の安全は私が必ず守るわ。だから、もう少しだけ……この秘密の愛を楽しみましょう?」
イザベラはギルバートの唇を人差し指で塞ぎ、妖艶に微笑んだ。
「君がそういうなら……」
ギルバートは完全に毒牙にかけられ、頷くしかなかった。
二人の間に生じた決定的な温度差。ギルバートは命懸けの逃避行を夢見ており、イザベラは今の地位を維持したまま火遊びを続けたいだけ。
彼らが愛と呼ぶものは、ただの醜い依存と自己愛のぶつかり合いでしかなかった。
「――実に滑稽だな。愛さえあれば、と嘯きながら、その女の頭の中は計算高く保身に走っている。男の方は、自分が逃げたいだけの臆病者だ」
アークライト公爵邸の、防音設備が施された執務室。机の上にはブローチが置かれている。
クライド義兄様は、イザベラのドレスの裏に密かに仕掛けられた盗聴の魔道具から流れてくる会話を聞き終えると、呆れたように鼻で笑った。
私も、義兄様の向かいのソファに座り、紅茶を飲みながらその滑稽な三文芝居を聞いていた。
「お姉様も、うまく誤魔化したつもりなのでしょうね。『あの子(レオ)を置いて逃げられない』だなんて、よく口が裂けずに言えたものです」
私の声には、隠しきれない軽蔑が滲んでいた。
(レオがどれほど寂しい思いをしているかを知りもしないくせに)
涙に濡れたレオの表情を、思い出さずにはいられない。
「所詮はあの程度の覚悟だ。自分の手を汚す気も、地位を捨てる気もない」
義兄様は万年筆を指先で回しながら、氷のように冷たい瞳で虚空を見つめた。
「だが、ギルバートの方は追い詰められている。このまま恐怖を与え続ければ、イザベラの制止を振り切って、強引に彼女を連れ出そうとするやもしれん。……それはそれで面倒だ」
「強引に……『駆け落ち』ですか。もし実行されたら、アークライト家の名誉に関わりますわね」
「ああ。それに、逃がしてやる義理などない。彼らには、この王都で、すべての地位と名誉を失い、泥水をすする絶望を味わってもらわねばならないからな」
義兄様はそう言うと、静かに立ち上がり執務室の扉を開けた。
そこには、長年アークライト家に仕える老執事エドガーが控えていた。
「エドガー。手はずは整っているか?」
「はい、閣下。すでに王都の一流宝石商と、御用達のドレスメーカーを手配しております」
「よし。ただちにイザベラの部屋へ向かえ。……『兵糧攻め』の開始だ」
義兄様の口元に、残忍な笑みが浮かんだ。私はその言葉の意味を理解し、背筋に心地よい悪寒を感じた。
その日の午後。
イザベラが密会から上機嫌で屋敷に戻ると、彼女の私室の前には数人のメイドと、仰々しい身なりをした商人たちが並んでいた。
「な、何事? 私の部屋の前で」
イザベラが扇で顔を隠しながら尋ねると、エドガーが深々と一礼した。
「お帰りなさいませ、奥様。本日は、旦那様(クライド)からの特別なご指示により、奥様のクローゼットと宝石箱の『特別メンテナンス』を行わせていただきます」
「メンテナンス? どういうこと?」
「奥様が最も美しく輝けるよう、すべての宝石の研磨と台座の点検、そしてドレスのほつれ直しや最新の流行を取り入れたお直しを、旦那様が職人たちに命じられたのです」
その言葉を聞いて、イザベラの顔がパッと明るくなった。
「分かってくれればいいのよ。それに、クライドは私に夢中だもの。彼をうまく操って、あなたの身の安全は私が必ず守るわ。だから、もう少しだけ……この秘密の愛を楽しみましょう?」
イザベラはギルバートの唇を人差し指で塞ぎ、妖艶に微笑んだ。
「君がそういうなら……」
ギルバートは完全に毒牙にかけられ、頷くしかなかった。
二人の間に生じた決定的な温度差。ギルバートは命懸けの逃避行を夢見ており、イザベラは今の地位を維持したまま火遊びを続けたいだけ。
彼らが愛と呼ぶものは、ただの醜い依存と自己愛のぶつかり合いでしかなかった。
「――実に滑稽だな。愛さえあれば、と嘯きながら、その女の頭の中は計算高く保身に走っている。男の方は、自分が逃げたいだけの臆病者だ」
アークライト公爵邸の、防音設備が施された執務室。机の上にはブローチが置かれている。
クライド義兄様は、イザベラのドレスの裏に密かに仕掛けられた盗聴の魔道具から流れてくる会話を聞き終えると、呆れたように鼻で笑った。
私も、義兄様の向かいのソファに座り、紅茶を飲みながらその滑稽な三文芝居を聞いていた。
「お姉様も、うまく誤魔化したつもりなのでしょうね。『あの子(レオ)を置いて逃げられない』だなんて、よく口が裂けずに言えたものです」
私の声には、隠しきれない軽蔑が滲んでいた。
(レオがどれほど寂しい思いをしているかを知りもしないくせに)
涙に濡れたレオの表情を、思い出さずにはいられない。
「所詮はあの程度の覚悟だ。自分の手を汚す気も、地位を捨てる気もない」
義兄様は万年筆を指先で回しながら、氷のように冷たい瞳で虚空を見つめた。
「だが、ギルバートの方は追い詰められている。このまま恐怖を与え続ければ、イザベラの制止を振り切って、強引に彼女を連れ出そうとするやもしれん。……それはそれで面倒だ」
「強引に……『駆け落ち』ですか。もし実行されたら、アークライト家の名誉に関わりますわね」
「ああ。それに、逃がしてやる義理などない。彼らには、この王都で、すべての地位と名誉を失い、泥水をすする絶望を味わってもらわねばならないからな」
義兄様はそう言うと、静かに立ち上がり執務室の扉を開けた。
そこには、長年アークライト家に仕える老執事エドガーが控えていた。
「エドガー。手はずは整っているか?」
「はい、閣下。すでに王都の一流宝石商と、御用達のドレスメーカーを手配しております」
「よし。ただちにイザベラの部屋へ向かえ。……『兵糧攻め』の開始だ」
義兄様の口元に、残忍な笑みが浮かんだ。私はその言葉の意味を理解し、背筋に心地よい悪寒を感じた。
その日の午後。
イザベラが密会から上機嫌で屋敷に戻ると、彼女の私室の前には数人のメイドと、仰々しい身なりをした商人たちが並んでいた。
「な、何事? 私の部屋の前で」
イザベラが扇で顔を隠しながら尋ねると、エドガーが深々と一礼した。
「お帰りなさいませ、奥様。本日は、旦那様(クライド)からの特別なご指示により、奥様のクローゼットと宝石箱の『特別メンテナンス』を行わせていただきます」
「メンテナンス? どういうこと?」
「奥様が最も美しく輝けるよう、すべての宝石の研磨と台座の点検、そしてドレスのほつれ直しや最新の流行を取り入れたお直しを、旦那様が職人たちに命じられたのです」
その言葉を聞いて、イザベラの顔がパッと明るくなった。
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