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第97話 命を差し出す
「……一人で来たか。その勇気だけは認めてやる」
ふいに、苔に覆われた旧校舎の壁の陰から、ぬらりとした影が這い出してきた。現れたのは、先輩のキースとジュリアに自分の取り巻きたちだった。
しかし、そこに以前のような貴族の気品は微塵もない。何日も洗っていないであろう油でベタついた髪に、擦り切れて悪臭を放つ粗末な平民の服。
全員が落ちくぼんだ目をしていて、理性ではなく飢えた獣のような憎悪だけがギラギラと光っていた。
「キース先輩……それに、ジュリア先輩も……お久しぶりですね」
ララが震えながらかすれた声で名前を呼ぶと、元子爵令嬢のジュリアがひきつった顔で歩み寄ってきた。
「久しぶり? よくそんな気楽な挨拶ができるわね! 私たちはね、泥水をすすって、残飯を漁って、毎日野犬みたいに生きてるのよ! それなのに、アンタは! 自分だけ制服を着て、のうのうと貴族のふりをして!」
ジュリアが激情のまま叫び、ララの肩を激しく突き飛ばした。ララは抵抗することなく、乾いた土の上に無様に倒れ込んだ。制服のスカートが汚れ、掌から血が滲んで彼女は痛みで顔をしかめた。
「お前のせいだ、ララ!」
キースが唾を飛ばしながら、ララを見下ろして怒鳴りつけた。さらに、取り巻きたちも鬱積した苛立ちを露わにしてララへ矛先を向けた。
「お前が俺たちを巻き込んだんだ!」
「イザベラやギルバートに媚びを売ればいい思いができるって言うから、お前に従ったんだ!」
「お前の言うとおりにした結果がこれだ! 俺たちは家を追い出され、平民以下のゴミクズになった!」
「ねぇ、私たちの人生、この先どうしてくれるの!」
「そうよ! アンタのせいで私たちの人生は狂ったのよ! どうやって責任を取るつもり!?」
次々と浴びせられる罵詈雑言。憎悪に満ちた言葉の刃が、ララの心を容赦なく切り刻んでいく。
彼らの論理は破綻している。アリーナを虐めたのも、公爵家に喧嘩を売ったのも、最終的には彼ら自身の選択だ。
しかし、すべてを失った彼らには論理など必要なかった。ただ、自分たちの不幸を押し付けるサンドバッグが欲しかったのだ。
そしてララもまた、彼らのその理不尽な怒りを否定するつもりはなかった。
「……ええ。あなたたちの言う通りよ」
ララは、土にまみれた姿のまま彼らに向かって跪いた。誰に対しても顎を上げていた傲慢な令嬢が、神に祈る修道女のように深く頭を垂れたのだ。その姿に同級生たちの何人かは目を見開いていた。
「私のせいよ。私が愚かだった。私があなたたちを巻き込んでしまった。本当に……本当に、ごめんなさい」
贖罪の言葉が、木漏れ日さえ届かない薄暗い裏庭に響いた。
「謝って済む問題じゃねえんだよ!!」
取り巻きだった少年が激昂し、跪くララの腹部を手加減なく蹴り上げた。
「ぐっ……!」
鈍い音が響き、ララは苦悶の声を漏らしてうずくまった。だが、彼女は逃げようとはしない。這いつくばりながらも再び彼らの前にひれ伏した。
「許してほしいなんて、言わないわ」
ララは口の端から血を流しながら、真っ直ぐに彼らを見上げた。その瞳には恐れの影はなく、澄んだ諦念と覚悟が宿っていた。
「私には、あなたたちの失ったものを償う力はない。だから……もし、これであなたたちの気が晴れるのなら。私の命で、あなたたちの怒りが少しでも収まるのなら……ご自由にしてください」
それは、究極の自己犠牲だった。救われた命を自らの罪の清算のために差し出す。それが、彼女が自分の頭で考え抜いた末にたどり着いた不器用で悲しい答えだった。
ふいに、苔に覆われた旧校舎の壁の陰から、ぬらりとした影が這い出してきた。現れたのは、先輩のキースとジュリアに自分の取り巻きたちだった。
しかし、そこに以前のような貴族の気品は微塵もない。何日も洗っていないであろう油でベタついた髪に、擦り切れて悪臭を放つ粗末な平民の服。
全員が落ちくぼんだ目をしていて、理性ではなく飢えた獣のような憎悪だけがギラギラと光っていた。
「キース先輩……それに、ジュリア先輩も……お久しぶりですね」
ララが震えながらかすれた声で名前を呼ぶと、元子爵令嬢のジュリアがひきつった顔で歩み寄ってきた。
「久しぶり? よくそんな気楽な挨拶ができるわね! 私たちはね、泥水をすすって、残飯を漁って、毎日野犬みたいに生きてるのよ! それなのに、アンタは! 自分だけ制服を着て、のうのうと貴族のふりをして!」
ジュリアが激情のまま叫び、ララの肩を激しく突き飛ばした。ララは抵抗することなく、乾いた土の上に無様に倒れ込んだ。制服のスカートが汚れ、掌から血が滲んで彼女は痛みで顔をしかめた。
「お前のせいだ、ララ!」
キースが唾を飛ばしながら、ララを見下ろして怒鳴りつけた。さらに、取り巻きたちも鬱積した苛立ちを露わにしてララへ矛先を向けた。
「お前が俺たちを巻き込んだんだ!」
「イザベラやギルバートに媚びを売ればいい思いができるって言うから、お前に従ったんだ!」
「お前の言うとおりにした結果がこれだ! 俺たちは家を追い出され、平民以下のゴミクズになった!」
「ねぇ、私たちの人生、この先どうしてくれるの!」
「そうよ! アンタのせいで私たちの人生は狂ったのよ! どうやって責任を取るつもり!?」
次々と浴びせられる罵詈雑言。憎悪に満ちた言葉の刃が、ララの心を容赦なく切り刻んでいく。
彼らの論理は破綻している。アリーナを虐めたのも、公爵家に喧嘩を売ったのも、最終的には彼ら自身の選択だ。
しかし、すべてを失った彼らには論理など必要なかった。ただ、自分たちの不幸を押し付けるサンドバッグが欲しかったのだ。
そしてララもまた、彼らのその理不尽な怒りを否定するつもりはなかった。
「……ええ。あなたたちの言う通りよ」
ララは、土にまみれた姿のまま彼らに向かって跪いた。誰に対しても顎を上げていた傲慢な令嬢が、神に祈る修道女のように深く頭を垂れたのだ。その姿に同級生たちの何人かは目を見開いていた。
「私のせいよ。私が愚かだった。私があなたたちを巻き込んでしまった。本当に……本当に、ごめんなさい」
贖罪の言葉が、木漏れ日さえ届かない薄暗い裏庭に響いた。
「謝って済む問題じゃねえんだよ!!」
取り巻きだった少年が激昂し、跪くララの腹部を手加減なく蹴り上げた。
「ぐっ……!」
鈍い音が響き、ララは苦悶の声を漏らしてうずくまった。だが、彼女は逃げようとはしない。這いつくばりながらも再び彼らの前にひれ伏した。
「許してほしいなんて、言わないわ」
ララは口の端から血を流しながら、真っ直ぐに彼らを見上げた。その瞳には恐れの影はなく、澄んだ諦念と覚悟が宿っていた。
「私には、あなたたちの失ったものを償う力はない。だから……もし、これであなたたちの気が晴れるのなら。私の命で、あなたたちの怒りが少しでも収まるのなら……ご自由にしてください」
それは、究極の自己犠牲だった。救われた命を自らの罪の清算のために差し出す。それが、彼女が自分の頭で考え抜いた末にたどり着いた不器用で悲しい答えだった。
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