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第4話 壊された贈り物
「なにそれ! かっこいい!」
カイルがいきなり手を伸ばす。ノアは反射的に身を引き、ポケットを押さえた。
「だ、だめだよ。これは……」
「見せろよ! 貸して!」
「だめだ! これは、おじい様の大事な……!」
それは、私の父である先代公爵が生前、ノアに贈ってくれた懐中時計だった。
『ノア、時間は誰にでも平等だが、使い方はその人の品格を決める』
そう言って、膝に乗せた孫に手渡してくれた世界に一つだけの特注品。ノアは毎朝それを布で磨いて、父のいない寂しさを埋めるように話しかけていたのだ。
「ノア、友達が見たいと言っているんだから、貸してやればいいだろう? ケチな男は嫌われるぞ」
私が声を上げるより早く、オスカーが口を挟んだ。しかし、その言葉は予想を裏切るものだった。
「でも……お父様、これは……」
「貸してやるだけだ。減るものじゃない」
父の言葉に、ノアが絶望的な顔で私を見る。私が「いけません」と言おうとした瞬間、カイルがノアの手から強引に時計をひったくった。
「やったー! すっげー! キラキラしてる!」
カイルは勝利の雄叫びを上げ、時計を振り回しながら芝生の上を走り出した。鎖を持ってブンブンと振り回す。遠心力で時計が唸りを上げる。
「やめて! 返して!」
普段は大人しいノアが、悲鳴のような声を上げて追いかける。しかし、体格の良いカイルの方が足が速い。
「返してほしかったら捕まえてみろー! バーカ!」
カイルは嘲笑いながら、庭園にある噴水の縁に飛び乗った。石造りの噴水で水面が太陽を反射して輝いている。
カイルは追いついてきたノアを見てニヤリと笑い、わざと手を離したのだ。
「あっ」
スローモーションのように、金色の時計が宙を舞う。
――ガシャンッ。
硬い音が響き渡った。水面ではなく、噴水の硬い石の縁に時計は勢いよく叩きつけられた。繊細なガラスの風防が砕け散り、中の歯車が弾け飛ぶ音が残酷なほど鮮明に私の耳に届いた。
時計は無惨な姿で石畳の上に転がり、二度と時を刻むことのない静寂だけが残った。
「あ……あぁ……」
ノアが膝から崩れ落ちる。震える手で、バラバラになった部品を拾い集めようとする。小さな指先がガラスの破片で切れ、赤い血が滲んだ。
「ノア!」
私は椅子を蹴倒して駆け寄った。ノアを抱きしめてハンカチを取り出して応急手当てをする。
「あーあ、壊れちゃった。脆いなぁ」
カイルは噴水の上からそれを見下ろし、悪びれもせずに言った。
「……マリア様。これはどういうことかしら?」
私は震える声で、激情を必死に抑えて尋ねた。 マリアは口元を手で覆い、わざとらしい悲鳴を上げた。
「やだぁ! カイルったらドジねぇ。でもぉ、エリザ様? そんなに怒らないであげて。子供の遊びじゃないですかぁ」
「遊び? 人の大切なものを壊して、遊び?」
「だから、カイルはわざとじゃないんですぅ。それに、物はいつか壊れるものでしょ?」
開き直りとも取れる言葉に、私の頭の中で血管が数本切れた気がした。しかし、それ以上の衝撃が背後から降ってきた。
「まあ待て、エリザ」
オスカーだった。彼はカイルを叱るでもなく、困ったような顔で私とノアを見ていた。
「マリアの言う通りだ。子供同士のじゃれ合いだろう。カイルに悪気はなかったんだ」
「悪気がなければ、何をしても許されると?」
「そうは言っていない。だが、たかが時計一つで目くじらを立てるな。ノア、お前もだ。いつまでもメソメソするんじゃない。男なら、壊れた物くらい笑って許してやる度量を持て」
度量。この男は今、被害者である息子に向かって、加害者を許せと説教しているのか。
ノアの手の中で、おじい様の時計は見る影もない。オスカーは溜息をつき、懐から財布を取り出した。
カイルがいきなり手を伸ばす。ノアは反射的に身を引き、ポケットを押さえた。
「だ、だめだよ。これは……」
「見せろよ! 貸して!」
「だめだ! これは、おじい様の大事な……!」
それは、私の父である先代公爵が生前、ノアに贈ってくれた懐中時計だった。
『ノア、時間は誰にでも平等だが、使い方はその人の品格を決める』
そう言って、膝に乗せた孫に手渡してくれた世界に一つだけの特注品。ノアは毎朝それを布で磨いて、父のいない寂しさを埋めるように話しかけていたのだ。
「ノア、友達が見たいと言っているんだから、貸してやればいいだろう? ケチな男は嫌われるぞ」
私が声を上げるより早く、オスカーが口を挟んだ。しかし、その言葉は予想を裏切るものだった。
「でも……お父様、これは……」
「貸してやるだけだ。減るものじゃない」
父の言葉に、ノアが絶望的な顔で私を見る。私が「いけません」と言おうとした瞬間、カイルがノアの手から強引に時計をひったくった。
「やったー! すっげー! キラキラしてる!」
カイルは勝利の雄叫びを上げ、時計を振り回しながら芝生の上を走り出した。鎖を持ってブンブンと振り回す。遠心力で時計が唸りを上げる。
「やめて! 返して!」
普段は大人しいノアが、悲鳴のような声を上げて追いかける。しかし、体格の良いカイルの方が足が速い。
「返してほしかったら捕まえてみろー! バーカ!」
カイルは嘲笑いながら、庭園にある噴水の縁に飛び乗った。石造りの噴水で水面が太陽を反射して輝いている。
カイルは追いついてきたノアを見てニヤリと笑い、わざと手を離したのだ。
「あっ」
スローモーションのように、金色の時計が宙を舞う。
――ガシャンッ。
硬い音が響き渡った。水面ではなく、噴水の硬い石の縁に時計は勢いよく叩きつけられた。繊細なガラスの風防が砕け散り、中の歯車が弾け飛ぶ音が残酷なほど鮮明に私の耳に届いた。
時計は無惨な姿で石畳の上に転がり、二度と時を刻むことのない静寂だけが残った。
「あ……あぁ……」
ノアが膝から崩れ落ちる。震える手で、バラバラになった部品を拾い集めようとする。小さな指先がガラスの破片で切れ、赤い血が滲んだ。
「ノア!」
私は椅子を蹴倒して駆け寄った。ノアを抱きしめてハンカチを取り出して応急手当てをする。
「あーあ、壊れちゃった。脆いなぁ」
カイルは噴水の上からそれを見下ろし、悪びれもせずに言った。
「……マリア様。これはどういうことかしら?」
私は震える声で、激情を必死に抑えて尋ねた。 マリアは口元を手で覆い、わざとらしい悲鳴を上げた。
「やだぁ! カイルったらドジねぇ。でもぉ、エリザ様? そんなに怒らないであげて。子供の遊びじゃないですかぁ」
「遊び? 人の大切なものを壊して、遊び?」
「だから、カイルはわざとじゃないんですぅ。それに、物はいつか壊れるものでしょ?」
開き直りとも取れる言葉に、私の頭の中で血管が数本切れた気がした。しかし、それ以上の衝撃が背後から降ってきた。
「まあ待て、エリザ」
オスカーだった。彼はカイルを叱るでもなく、困ったような顔で私とノアを見ていた。
「マリアの言う通りだ。子供同士のじゃれ合いだろう。カイルに悪気はなかったんだ」
「悪気がなければ、何をしても許されると?」
「そうは言っていない。だが、たかが時計一つで目くじらを立てるな。ノア、お前もだ。いつまでもメソメソするんじゃない。男なら、壊れた物くらい笑って許してやる度量を持て」
度量。この男は今、被害者である息子に向かって、加害者を許せと説教しているのか。
ノアの手の中で、おじい様の時計は見る影もない。オスカーは溜息をつき、懐から財布を取り出した。
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