45 / 104
第44話 非常事態が発生
それは、何十年も使われていない古井戸の蓋だった。
「え……?」
マリアの体が宙に浮く。重力が消えて次の瞬間、暗闇へと吸い込まれる。
「きゃあぁぁぁっ、助けてぇぇ!」
「うわあっ!?」
さらに不運なことに、勢いよく彼女を追いかけていたノアも止まることができなかった。
崩れ落ちる足元。小さな体もまた、マリアと共に闇の中へと落下していった。
ドサッ、ガシャガシャ……ドスン!
鈍い音が響き、やがて静寂が戻った――
「いっ……たぁ……」
どれくらいの時間が経っただろうか。マリアは激痛で意識を取り戻した。
底には枯れ葉と泥が積もっていてクッション代わりになったようだが、着地の衝撃で右足首が奇妙な方向に曲がっていた。
「あ、足が……足がぁ……」
激痛に脂汗が滲む。見上げると、遥か頭上に小さく空が見えた。深さは五メートルほどだろうか。
壁は苔で覆われた滑りやすい石積みで、怪我をした彼女が登れるようなものではなかった。
「うっ……うう……ママ、助けて……」
その時、近くで小さなすすり泣きが聞こえた。目が慣れてくると、少し離れた場所にノアがうずくまっているのが見えた。
彼は奇跡的に大きな怪我はなさそうだが、普段は大人のような振る舞いを見せながらも、やはりまだ七歳の子供らしく恐怖で震えている。
「あんた……大丈夫……」
「……こわい……暗いよぉ……」
マリアは舌打ちした。
(最悪だわ)
泥棒に入ってノアに見つかって、追いかけっこをして二人して穴に落ちる。なんという悲劇だ。
手の中には、まだルビーのネックレスが握られている。こんな暗闇の中で、宝石は何の役にも立たなかった。
光ることすらなく、ただ冷たい石塊としてそこにあるだけだ。
「誰か……誰か助けて……」
マリアは掠れた声で叫んだが、声は井戸の中で反響するだけで、地上には届きそうになかった。
夕刻。離れの玄関は、さきほどの静寂とは打って変わり、緊迫した空気に包まれていた。
外出から戻ったエリザとレオナルドを出迎えたのは、青ざめた執事だった。
「も、申し訳ございません! ノア様のお姿が……!」
「いない? 部屋にもいないのですか!?」
エリザの顔から血の気が引く。ノアのために選んだプレゼントが床に落ちた。
「はい、家庭教師が来る時間になっても部屋におらず……屋敷中を探しましたが、どこにも……」
「そんな……ノア……!」
「誘拐か? いや、門衛は『誰も通していない』と言っていたな」
レオナルドの目が、戦いの場で見せるような冷徹なものに変わった。鋭く冷静に状況を分析する目だ。
「エリザ、落ち着いて。私が必ず見つけ出す」
「レオナルド様……!」
「使用人を総動員しろ! 庭、倉庫、全て探せ! 本館の方もだ!」
レオナルドの号令の下、屋敷中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
松明やランタンが次々と灯され、人々の叫ぶ声が飛び交う。
一方、その騒ぎを本館から聞きつけた男がいた。オスカーである。
「なんだ? やけに騒がしいな」
彼は腹をさすりながら部屋を出た。そういえば、昼からマリアの姿が見えない。カイルはお腹を空かせて泣きつかれて寝てしまった。
マリアがいないと、彼は食事の用意もできないのだ。
「え……?」
マリアの体が宙に浮く。重力が消えて次の瞬間、暗闇へと吸い込まれる。
「きゃあぁぁぁっ、助けてぇぇ!」
「うわあっ!?」
さらに不運なことに、勢いよく彼女を追いかけていたノアも止まることができなかった。
崩れ落ちる足元。小さな体もまた、マリアと共に闇の中へと落下していった。
ドサッ、ガシャガシャ……ドスン!
鈍い音が響き、やがて静寂が戻った――
「いっ……たぁ……」
どれくらいの時間が経っただろうか。マリアは激痛で意識を取り戻した。
底には枯れ葉と泥が積もっていてクッション代わりになったようだが、着地の衝撃で右足首が奇妙な方向に曲がっていた。
「あ、足が……足がぁ……」
激痛に脂汗が滲む。見上げると、遥か頭上に小さく空が見えた。深さは五メートルほどだろうか。
壁は苔で覆われた滑りやすい石積みで、怪我をした彼女が登れるようなものではなかった。
「うっ……うう……ママ、助けて……」
その時、近くで小さなすすり泣きが聞こえた。目が慣れてくると、少し離れた場所にノアがうずくまっているのが見えた。
彼は奇跡的に大きな怪我はなさそうだが、普段は大人のような振る舞いを見せながらも、やはりまだ七歳の子供らしく恐怖で震えている。
「あんた……大丈夫……」
「……こわい……暗いよぉ……」
マリアは舌打ちした。
(最悪だわ)
泥棒に入ってノアに見つかって、追いかけっこをして二人して穴に落ちる。なんという悲劇だ。
手の中には、まだルビーのネックレスが握られている。こんな暗闇の中で、宝石は何の役にも立たなかった。
光ることすらなく、ただ冷たい石塊としてそこにあるだけだ。
「誰か……誰か助けて……」
マリアは掠れた声で叫んだが、声は井戸の中で反響するだけで、地上には届きそうになかった。
夕刻。離れの玄関は、さきほどの静寂とは打って変わり、緊迫した空気に包まれていた。
外出から戻ったエリザとレオナルドを出迎えたのは、青ざめた執事だった。
「も、申し訳ございません! ノア様のお姿が……!」
「いない? 部屋にもいないのですか!?」
エリザの顔から血の気が引く。ノアのために選んだプレゼントが床に落ちた。
「はい、家庭教師が来る時間になっても部屋におらず……屋敷中を探しましたが、どこにも……」
「そんな……ノア……!」
「誘拐か? いや、門衛は『誰も通していない』と言っていたな」
レオナルドの目が、戦いの場で見せるような冷徹なものに変わった。鋭く冷静に状況を分析する目だ。
「エリザ、落ち着いて。私が必ず見つけ出す」
「レオナルド様……!」
「使用人を総動員しろ! 庭、倉庫、全て探せ! 本館の方もだ!」
レオナルドの号令の下、屋敷中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
松明やランタンが次々と灯され、人々の叫ぶ声が飛び交う。
一方、その騒ぎを本館から聞きつけた男がいた。オスカーである。
「なんだ? やけに騒がしいな」
彼は腹をさすりながら部屋を出た。そういえば、昼からマリアの姿が見えない。カイルはお腹を空かせて泣きつかれて寝てしまった。
マリアがいないと、彼は食事の用意もできないのだ。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
この結婚は王命ですから。初夜で拒絶された花嫁です、それでは自由にやらせていただきます!
夏目みや
恋愛
「どうせ、形式だけの結婚だ。だから俺に期待するな。あんたは好きに生きればいい」
北部に嫁いできたシャルロットは夫となるイザークに、初夜で冷たく拒絶されてしまう。
南部の富豪、セバスティア侯爵家シャルロットと北部のイザーク・カロン侯爵。
北部と南部を結ぶ要となるこの結婚は、すなわち王命。
王命の重さ、理解してらっしゃいますか?
――まあ、いいか。そっちがその気なら、好きにやらせていただきます!
領地改革始めましょう。南部から持ってきた食料を市井にふるまい、お金だってジャンジャン使って景気よく!
好き勝手に過ごしていると、なぜか近づいてくる旦那様。
好きにしろと言ったのはそっちでしょう? なのに今さら距離を詰めてくるのはどうして?
この結婚の本当の目的を、彼はまだ知らない――。
真実の愛の裏側
藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。
男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――?
※ 他サイトにも投稿しています。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。
あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。
宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。
対極のような二人は姉妹。母親の違う。
お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。
そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。
天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。
生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。
両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。
だが……。運命とは残酷である。
ルビアの元に死神から知らせが届く。
十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。
美しい愛しているルビア。
失いたくない。殺されてなるものか。
それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。
生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。
これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。