49 / 104
第48話 母は息子を心配する
「でも大丈夫だ! パパは違うぞ! パパだけはお前を一番に愛している! 間男と遊んでた冷たいママとはパパは違うんだ!」
オスカーは井戸のある方向へ近づき、足音を忍ばせて地面に向かって囁くように声を落とした。
「……聞こえてるか、ノア。ママはお前を捨ててデートに行ってたんだぞ。お前を助けてくれるのは私だけだ。……早く『あの男よりパパのほうがいい』と言え」
そして、また顔を上げて大声で叫ぶ。
「ノアー! 返事をしてくれー! パパは心配で胸が張り裂けそうだー!」
その声は夜空に虚しく響く。実際には、張り裂けそうなのは胸ではなく、笑いをこらえる腹の皮だった。
この悲劇の主人公である自分と、全てをコントロールしている全能感に彼は完全に酔っていた。
だがその行動が、決して取り返しのつかない決定的な断絶を生んでいることを彼は知らない。
穴の底で聞く父親の声は救いの声ではなく、地獄の底から響くような恐怖の声であり、その声は子供の心に消えることなく深く刻まれていた。
夜は深まり、レインバーグ侯爵邸の庭園は冷たい静寂に包まれていた。
松明の火が風に煽られて揺れるたび、エリザの心もまた不安という嵐の中で翻弄されていた。
「ノアが見つからない……どこにも……」
エリザはその場に崩れ落ちそうになっていた。レオナルドが彼女の肩を支える。
「諦めてはいけない。必ず見つかる。私が、命に代えても」
その二人の姿を遠くから見ながら、オスカーは木陰で冷たい笑みを浮かべていた。
(もう少しだ。もう少し絶望させて、ノアの腹が減り、心が折れた頃合いを見計らって、私が奇跡の発見をしてやる! さあ、長い夜の始まりだ。たっぷりと反省してもらうよ、私の愛する家族たち)
オスカーはポケットから、厨房からこっそり持ち出したパンを取り出し、それを餌に息子を手懐ける瞬間を思い描いていた。
「ノア……ノア……っ」
エリザの声は枯れ、足取りはおぼつかない。ドレスの裾は泥に汚れ、美しく結い上げられていた髪も乱れているが、彼女はそれを気にする様子もなかった。
ただひたすらに、愛する息子の名前を呼び続けていた。
「もう深夜だ。気温が下がっている。……あの子、寒がりなのに」
エリザはその場にへたり込んだ。暗闇の中で一人、震えて泣いている息子の姿を想像してしまうのだ。
それが自分のせいだと思ってしまい、胸が押しつぶされそうだった。
「エリザ、少し休むんだ。顔色が悪い」
レオナルドが駆け寄り、自分の上着を彼女の肩にかけた。
自分が幸せを感じていた数時間前。その時間にノアは消えてしまったのだから、その温もりが今のエリザには痛かった。
「……触るな!」
鋭い怒号が飛んだ。闇の中からオスカーが現れ、レオナルドの手を乱暴に振り払った。
「貴様のその汚らわしい手が、私の妻を、そして家族を壊したんだ!」
「オスカー殿下、今はそんな言い争いをしている場合では……」
「黙れ間男! よくもぬけぬけと!」
オスカーはエリザの前に立ちはだかり、レオナルドを睨みつけた。その目は異様なほどぎらついていた。
オスカーは井戸のある方向へ近づき、足音を忍ばせて地面に向かって囁くように声を落とした。
「……聞こえてるか、ノア。ママはお前を捨ててデートに行ってたんだぞ。お前を助けてくれるのは私だけだ。……早く『あの男よりパパのほうがいい』と言え」
そして、また顔を上げて大声で叫ぶ。
「ノアー! 返事をしてくれー! パパは心配で胸が張り裂けそうだー!」
その声は夜空に虚しく響く。実際には、張り裂けそうなのは胸ではなく、笑いをこらえる腹の皮だった。
この悲劇の主人公である自分と、全てをコントロールしている全能感に彼は完全に酔っていた。
だがその行動が、決して取り返しのつかない決定的な断絶を生んでいることを彼は知らない。
穴の底で聞く父親の声は救いの声ではなく、地獄の底から響くような恐怖の声であり、その声は子供の心に消えることなく深く刻まれていた。
夜は深まり、レインバーグ侯爵邸の庭園は冷たい静寂に包まれていた。
松明の火が風に煽られて揺れるたび、エリザの心もまた不安という嵐の中で翻弄されていた。
「ノアが見つからない……どこにも……」
エリザはその場に崩れ落ちそうになっていた。レオナルドが彼女の肩を支える。
「諦めてはいけない。必ず見つかる。私が、命に代えても」
その二人の姿を遠くから見ながら、オスカーは木陰で冷たい笑みを浮かべていた。
(もう少しだ。もう少し絶望させて、ノアの腹が減り、心が折れた頃合いを見計らって、私が奇跡の発見をしてやる! さあ、長い夜の始まりだ。たっぷりと反省してもらうよ、私の愛する家族たち)
オスカーはポケットから、厨房からこっそり持ち出したパンを取り出し、それを餌に息子を手懐ける瞬間を思い描いていた。
「ノア……ノア……っ」
エリザの声は枯れ、足取りはおぼつかない。ドレスの裾は泥に汚れ、美しく結い上げられていた髪も乱れているが、彼女はそれを気にする様子もなかった。
ただひたすらに、愛する息子の名前を呼び続けていた。
「もう深夜だ。気温が下がっている。……あの子、寒がりなのに」
エリザはその場にへたり込んだ。暗闇の中で一人、震えて泣いている息子の姿を想像してしまうのだ。
それが自分のせいだと思ってしまい、胸が押しつぶされそうだった。
「エリザ、少し休むんだ。顔色が悪い」
レオナルドが駆け寄り、自分の上着を彼女の肩にかけた。
自分が幸せを感じていた数時間前。その時間にノアは消えてしまったのだから、その温もりが今のエリザには痛かった。
「……触るな!」
鋭い怒号が飛んだ。闇の中からオスカーが現れ、レオナルドの手を乱暴に振り払った。
「貴様のその汚らわしい手が、私の妻を、そして家族を壊したんだ!」
「オスカー殿下、今はそんな言い争いをしている場合では……」
「黙れ間男! よくもぬけぬけと!」
オスカーはエリザの前に立ちはだかり、レオナルドを睨みつけた。その目は異様なほどぎらついていた。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
真実の愛の裏側
藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。
男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――?
※ 他サイトにも投稿しています。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
この結婚は王命ですから。初夜で拒絶された花嫁です、それでは自由にやらせていただきます!
夏目みや
恋愛
「どうせ、形式だけの結婚だ。だから俺に期待するな。あんたは好きに生きればいい」
北部に嫁いできたシャルロットは夫となるイザークに、初夜で冷たく拒絶されてしまう。
南部の富豪、セバスティア侯爵家シャルロットと北部のイザーク・カロン侯爵。
北部と南部を結ぶ要となるこの結婚は、すなわち王命。
王命の重さ、理解してらっしゃいますか?
――まあ、いいか。そっちがその気なら、好きにやらせていただきます!
領地改革始めましょう。南部から持ってきた食料を市井にふるまい、お金だってジャンジャン使って景気よく!
好き勝手に過ごしていると、なぜか近づいてくる旦那様。
好きにしろと言ったのはそっちでしょう? なのに今さら距離を詰めてくるのはどうして?
この結婚の本当の目的を、彼はまだ知らない――。