50 / 104
第49話 息子は母を想う
「エリザ、見たか。これが『不貞の報い』だ。神が罰を下されたんだ」
オスカーはエリザの心の最も傷つきやすい部分を、あえて暴露するかのように突き刺してきた。
「君が母親としての自覚を捨て、この男と浮かれてデートなどしているから……ノアがいなくなったんだ! 君が殺したも同然だぞ!」
「っ……!」
エリザの喉から、悲鳴のような嗚咽が漏れた。
反論できない。事実、ノアの「行ってらっしゃい」という笑顔に甘えて自分は外出していた。
「私が……私が悪いの……? 私が、ノアを……」
母親としての愛情が深すぎるがゆえに、自分を責めて正常な判断ができなくなっていた。
「そうだ。だが、まだ間に合うかもしれない。……私が捜してくる。君はそこで、自分の罪を悔い改めて祈っているんだな」
オスカーはそう言い捨てると、ふらりと闇の中へ消えていった。
捜してくると言ったが、その足取りには焦りがなく、どこか確信めいたものが漂っていた。
オスカーは、捜索隊の明かりが届かない雑木林の奥へと進んだ。誰も見ていないことを確認し、足音を忍ばせて例の古井戸へ近づく。
ポケットの中には、ハンカチに包んだパンの塊と水筒が入っている。
彼はしゃがみ込み、カモフラージュしていた枯れ草と板を少しだけずらした。
「……おい。生きているか?」
小声で呼びかけると、底からすぐに反応があった。
「オスカー! やっと来たのね! もう嫌よ、出して! 暗いし、寒いし、足が痛くて死にそうなのよ!」
マリアの金切り声だ。その声を聞いて、オスカーは顔をしかめた。
「静かにしろ、馬鹿女。声が大きい。他の人間に見つかったらどうする」
「どうするも何もないわよ! 早く引き上げなさいよ!」
「ふん、元気そうで何よりだ」
オスカーは隙間からパンの欠片を落とした。ヒラヒラと闇に落ちていくそれは、まるで池の鯉に餌をやるような無造作さだった。
「ほら、食え。水もやる」
水筒の紐を解き、少しだけ下ろしてやる。底では、マリアが必死にパンを拾い集める音が聞こえた。その姿は、ただ生き延びようとする必死さに満ちていた。
「……ノア。お前はどうだ?」
オスカーは、もう一人の人質に声をかけた。
「パパの言うことを聞く気になったか? 『レオナルドなんか嫌いだ、パパがいい』と、ママの前で言う練習はできたか?」
沈黙。しばらくして、底から小さくもはっきりとした声が返ってきた。
「……食べ物なんて、いらない」
拒絶だった。
「なんだと?」
「パパは嘘つきだ。ママをいじめるし、レオナルドおじ様の悪口ばかり言う。……僕は、パパの言いなりにはならない」
七歳の子供とは思えない強固な意志に、オスカーのこめかみに青筋が浮かんだ。
ノアは母を想う心から、飢餓に苦しみながらも父の誘いを拒んだ。
「ママはな、ノアが消えたのに、今もレオナルドと仲良く笑っていたぞ」
「ママの悪口を言うな! あんたなんか嫌いだ!」
「な、なにい!? お、お前こそ……パパの悪口を言うんじゃない!」
息子を前に、大人としての理性をすっかり失った父親の姿は、まるで幼稚な子供のようだった。
「生意気な。相変わらず可愛げのないガキだ。飢え死にしたいのか?」
「パパみたいな大人になるくらいなら、お腹が空いたほうがマシだ!」
その言葉は、オスカーの歪んだプライドを逆撫でした。
「……そうかよ。なら、勝手にしろ」
オスカーが板を戻そうとした時、マリアはその動きに反応して声を上げようとした。
オスカーはエリザの心の最も傷つきやすい部分を、あえて暴露するかのように突き刺してきた。
「君が母親としての自覚を捨て、この男と浮かれてデートなどしているから……ノアがいなくなったんだ! 君が殺したも同然だぞ!」
「っ……!」
エリザの喉から、悲鳴のような嗚咽が漏れた。
反論できない。事実、ノアの「行ってらっしゃい」という笑顔に甘えて自分は外出していた。
「私が……私が悪いの……? 私が、ノアを……」
母親としての愛情が深すぎるがゆえに、自分を責めて正常な判断ができなくなっていた。
「そうだ。だが、まだ間に合うかもしれない。……私が捜してくる。君はそこで、自分の罪を悔い改めて祈っているんだな」
オスカーはそう言い捨てると、ふらりと闇の中へ消えていった。
捜してくると言ったが、その足取りには焦りがなく、どこか確信めいたものが漂っていた。
オスカーは、捜索隊の明かりが届かない雑木林の奥へと進んだ。誰も見ていないことを確認し、足音を忍ばせて例の古井戸へ近づく。
ポケットの中には、ハンカチに包んだパンの塊と水筒が入っている。
彼はしゃがみ込み、カモフラージュしていた枯れ草と板を少しだけずらした。
「……おい。生きているか?」
小声で呼びかけると、底からすぐに反応があった。
「オスカー! やっと来たのね! もう嫌よ、出して! 暗いし、寒いし、足が痛くて死にそうなのよ!」
マリアの金切り声だ。その声を聞いて、オスカーは顔をしかめた。
「静かにしろ、馬鹿女。声が大きい。他の人間に見つかったらどうする」
「どうするも何もないわよ! 早く引き上げなさいよ!」
「ふん、元気そうで何よりだ」
オスカーは隙間からパンの欠片を落とした。ヒラヒラと闇に落ちていくそれは、まるで池の鯉に餌をやるような無造作さだった。
「ほら、食え。水もやる」
水筒の紐を解き、少しだけ下ろしてやる。底では、マリアが必死にパンを拾い集める音が聞こえた。その姿は、ただ生き延びようとする必死さに満ちていた。
「……ノア。お前はどうだ?」
オスカーは、もう一人の人質に声をかけた。
「パパの言うことを聞く気になったか? 『レオナルドなんか嫌いだ、パパがいい』と、ママの前で言う練習はできたか?」
沈黙。しばらくして、底から小さくもはっきりとした声が返ってきた。
「……食べ物なんて、いらない」
拒絶だった。
「なんだと?」
「パパは嘘つきだ。ママをいじめるし、レオナルドおじ様の悪口ばかり言う。……僕は、パパの言いなりにはならない」
七歳の子供とは思えない強固な意志に、オスカーのこめかみに青筋が浮かんだ。
ノアは母を想う心から、飢餓に苦しみながらも父の誘いを拒んだ。
「ママはな、ノアが消えたのに、今もレオナルドと仲良く笑っていたぞ」
「ママの悪口を言うな! あんたなんか嫌いだ!」
「な、なにい!? お、お前こそ……パパの悪口を言うんじゃない!」
息子を前に、大人としての理性をすっかり失った父親の姿は、まるで幼稚な子供のようだった。
「生意気な。相変わらず可愛げのないガキだ。飢え死にしたいのか?」
「パパみたいな大人になるくらいなら、お腹が空いたほうがマシだ!」
その言葉は、オスカーの歪んだプライドを逆撫でした。
「……そうかよ。なら、勝手にしろ」
オスカーが板を戻そうとした時、マリアはその動きに反応して声を上げようとした。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
真実の愛の裏側
藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。
男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――?
※ 他サイトにも投稿しています。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
この結婚は王命ですから。初夜で拒絶された花嫁です、それでは自由にやらせていただきます!
夏目みや
恋愛
「どうせ、形式だけの結婚だ。だから俺に期待するな。あんたは好きに生きればいい」
北部に嫁いできたシャルロットは夫となるイザークに、初夜で冷たく拒絶されてしまう。
南部の富豪、セバスティア侯爵家シャルロットと北部のイザーク・カロン侯爵。
北部と南部を結ぶ要となるこの結婚は、すなわち王命。
王命の重さ、理解してらっしゃいますか?
――まあ、いいか。そっちがその気なら、好きにやらせていただきます!
領地改革始めましょう。南部から持ってきた食料を市井にふるまい、お金だってジャンジャン使って景気よく!
好き勝手に過ごしていると、なぜか近づいてくる旦那様。
好きにしろと言ったのはそっちでしょう? なのに今さら距離を詰めてくるのはどうして?
この結婚の本当の目的を、彼はまだ知らない――。