私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい

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第56話 救出と抱擁

凍てつくような夜風が支配するレインバーグ侯爵邸の庭園に、無数の松明の炎が揺らめいていた。
 
先頭を歩くレオナルドの足取りには、一切の迷いがなかった。彼の鋭い横顔は冷徹な怒りに満ち、その手には太いロープが握られている。
 
その後ろを、エリザが震える足で懸命についていく。彼女の周囲には、ランタンを掲げた大勢の使用人や警備兵たちが、物々しい雰囲気で追随していた。



「レオナルド様……本当に、あの子は……」

「エリザ、信じてくれ。ダークの目に狂いはない」

 
レオナルドの言葉に、エリザは両手を胸の前で強く組み合わせた。


(ノア、お願いだから無事でいて……)


母親の魂からの叫びだった。

 

一行は、長年放置され誰も寄り付かなかった本館と離れの間にある雑木林へと足を踏み入れた。枯れ枝が足元で折れる音が、静寂な夜に不気味に響く。
 
やがてレオナルドが足を止め、松明を高く掲げた。その光が照らし出したのは、不自然に枯れ草や土が盛られた一角だった。



「……ここだ」

 
レオナルドは松明を近くの警備兵に預けると、躊躇なくその盛り土に近づき、覆い被さっていた腐りかけの木板を力任せに蹴り飛ばした。

 
バコンッ!

 
鈍い音と共に板が吹き飛び、ぽっかりと黒い大穴が姿を現した。古井戸だ。
 
長年封じられていた湿った空気と、腐葉土の匂いが立ち昇る。
 
レオナルドが松明を受け取り、その光を穴の底へと向けた。



「ノア!!」

 
底から微かな悲鳴と、息を呑む音が聞こえた。松明の赤い光に照らされた暗闇の底。

そこには泥と落ち葉にまみれ、足を奇妙な方向に曲げてうずくまるマリアと……その少し離れた場所で、膝を抱えて小さく丸まっているノアの姿があった。


「……ノアッ!!」

 
エリザが悲鳴のような歓喜の声を上げ、井戸の縁に駆け寄った。


「ママ……!?」

 
ノアが顔を上げた。泥だらけの顔で、涙の跡が白く筋になっている。

ずっと暗闇の中にいた瞳が、松明の光に眩しそうに細められたが、その奥には確かな安堵の光が灯った。



「ノア! ああ、神様! 今助けるからね! レオナルド様、早く……!」

「ああ。すぐに」

 
レオナルドは迅速にロープの端を近くの太い木に結びつけると、もう一端を警備兵に持たせ、自らスルスルと井戸の中へ降下していった。
 
底に降り立ったレオナルドは、まずノアの元へ歩み寄った。



「レオナルド、おじ様……」

「よく頑張ったな、ノア。もう大丈夫だ。君は本当の騎士だ」

 
レオナルドは泥だらけの小さな体を抱き上げると、しっかりとロープを体に巻き付けた。


「引き上げろ!」

 
レオナルドの合図で、上の警備兵たちが一斉にロープを引き上げる。
 
ゆっくりと闇の底から光の当たる地上へと、小さな体が昇っていく。
 
井戸の縁まで引き上げられた瞬間、エリザがたまらず手を伸ばしてノアを抱き留めた。



「ノア! ごめんなさい、ごめんなさい……! お母様が悪かったわ……!」

「ママぁ……っ!」

 
それまで暗闇と恐怖、そして何より理不尽な父親の命令に耐え続けた小さな騎士の心は、大好きな母親の温もりに触れた瞬間、我慢していた涙が一気に溢れ出した。

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