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第65話 清算のティータイム
冷たい風が吹きすさぶ雑木林を背に、ヴィヴィアンとエリザは足早に歩を進めていた。
「いやだ……いやだよぉ……エリザ……お願い、許して……助けて……」
背後からは、分厚い木板と土の層を通して、オスカーのくぐもった泣き叫ぶ声が微かに聞こえていた。
しかし、その声は二人が本館と離れを繋ぐ渡り廊下に差し掛かる頃には、風の音に完全に掻き消された。
エリザはふと、足を止めて振り返った。視線の先にあるのは、もう何も見えない深い闇だけだ。
かつて愛した男でノアの父親。自分を縛り付けていた絶対的な呪縛。
それらがすべて、あの古井戸の底へ封じ込められたのだという実感が、遅れてゆっくりとエリザの胸に広がっていった。
(さよなら、オスカー……私の中で、もうあなたは消えた。これ以上あなたに傷つけられたくない)
不思議なほど涙は出なかった。代わりに、何年も背負い続けていた重い鉛の鎧が、音を立てて崩れ落ちたような圧倒的な解放感があった。
「……行きましょう、エリザ。これ以上、あの『愚か者』に貴女の時間を一秒たりとも奪わせはしないわ」
ヴィヴィアンが優しくも力強い声で促した。
エリザはこくりと頷き、二度と後ろを振り返ることなく、光の漏れる離れへと足を踏み入れた。
離れの応接室には、赤々と燃える暖炉の火が心地よい温もりを満たしていた。
侍女が淹れた香り高いダージリンティーの湯気が、室内の張り詰めた空気を少しずつ和らげていく。
「はぁ……」
上質なソファにそっと腰を下ろした瞬間、体がふんわりと沈み込むのを感じた。エリザの口から無意識に胸をなでおろすような溜息が漏れた。
その様子を向かいの席から見つめていたヴィヴィアンは、ティーカップをそっとソーサーに置き、再びエリザに向かって真っ直ぐに頭を下げた。
「エリザ。……本当に、よく耐えてくれましたね」
先ほどの井戸のそばで見せた王女としての怒りの表情ではない。それは、一人の女性として、また同じ母性を持つ者としての温かな慈愛と労りに満ちた顔だった。
「ヴィヴィアン様……」
「何も言わなくていいわ。貴女がレインバーグ家に嫁いできてから今日まで、どれほど血の滲むような思いで侯爵夫人としての責務を果たし、あの愚弟を支え、そしてノアを守ってきたか……。王室の人間として、いや、オスカーの姉として、『心からの敬意と感謝』を捧げます」
「もったいないお言葉です。私はただ、ノアのために……」
エリザの瞳から、ようやく一筋の涙がこぼれ落ちた。
オスカーに対する悲しみの涙ではない。自分の苦しみや痛みを、誰よりも理解してくれた人がいたことへの救いの涙だった。
「これからの手続きについてですが」
ヴィヴィアンは懐から王家の紋章が入った封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「現在、貴女の……いえ、レオナルド・ヴェルンシュタイン卿が、王宮の法務院と騎士団の総本部を駆け回っています。あの男、昨日から一睡もせずに、オスカーの蛮行に関する『証拠書類と目撃証言』をまとめ上げ、王族会議に叩きつけて回っているそうよ」
その言葉を聞いて、エリザは驚きのあまり目を大きく見開いた。
「いやだ……いやだよぉ……エリザ……お願い、許して……助けて……」
背後からは、分厚い木板と土の層を通して、オスカーのくぐもった泣き叫ぶ声が微かに聞こえていた。
しかし、その声は二人が本館と離れを繋ぐ渡り廊下に差し掛かる頃には、風の音に完全に掻き消された。
エリザはふと、足を止めて振り返った。視線の先にあるのは、もう何も見えない深い闇だけだ。
かつて愛した男でノアの父親。自分を縛り付けていた絶対的な呪縛。
それらがすべて、あの古井戸の底へ封じ込められたのだという実感が、遅れてゆっくりとエリザの胸に広がっていった。
(さよなら、オスカー……私の中で、もうあなたは消えた。これ以上あなたに傷つけられたくない)
不思議なほど涙は出なかった。代わりに、何年も背負い続けていた重い鉛の鎧が、音を立てて崩れ落ちたような圧倒的な解放感があった。
「……行きましょう、エリザ。これ以上、あの『愚か者』に貴女の時間を一秒たりとも奪わせはしないわ」
ヴィヴィアンが優しくも力強い声で促した。
エリザはこくりと頷き、二度と後ろを振り返ることなく、光の漏れる離れへと足を踏み入れた。
離れの応接室には、赤々と燃える暖炉の火が心地よい温もりを満たしていた。
侍女が淹れた香り高いダージリンティーの湯気が、室内の張り詰めた空気を少しずつ和らげていく。
「はぁ……」
上質なソファにそっと腰を下ろした瞬間、体がふんわりと沈み込むのを感じた。エリザの口から無意識に胸をなでおろすような溜息が漏れた。
その様子を向かいの席から見つめていたヴィヴィアンは、ティーカップをそっとソーサーに置き、再びエリザに向かって真っ直ぐに頭を下げた。
「エリザ。……本当に、よく耐えてくれましたね」
先ほどの井戸のそばで見せた王女としての怒りの表情ではない。それは、一人の女性として、また同じ母性を持つ者としての温かな慈愛と労りに満ちた顔だった。
「ヴィヴィアン様……」
「何も言わなくていいわ。貴女がレインバーグ家に嫁いできてから今日まで、どれほど血の滲むような思いで侯爵夫人としての責務を果たし、あの愚弟を支え、そしてノアを守ってきたか……。王室の人間として、いや、オスカーの姉として、『心からの敬意と感謝』を捧げます」
「もったいないお言葉です。私はただ、ノアのために……」
エリザの瞳から、ようやく一筋の涙がこぼれ落ちた。
オスカーに対する悲しみの涙ではない。自分の苦しみや痛みを、誰よりも理解してくれた人がいたことへの救いの涙だった。
「これからの手続きについてですが」
ヴィヴィアンは懐から王家の紋章が入った封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「現在、貴女の……いえ、レオナルド・ヴェルンシュタイン卿が、王宮の法務院と騎士団の総本部を駆け回っています。あの男、昨日から一睡もせずに、オスカーの蛮行に関する『証拠書類と目撃証言』をまとめ上げ、王族会議に叩きつけて回っているそうよ」
その言葉を聞いて、エリザは驚きのあまり目を大きく見開いた。
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