千姫物語~大坂の陣篇~

翔子

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第四章 密かな恋心

 大坂城には、女性達だけの生活空間・【奥】が設けられている。多くの侍女達がそこで寝起きし、大坂城の主である豊臣秀頼・淀殿に仕え、豊臣家のお世継ぎを守り育てる場所である。

 奥を取り締まるのは、お袋様である淀殿である。しかし淀殿は【表】の政務にて、秀頼の後見としてお役に就いていた為、奥向きの取締は全て淀殿の乳母・大蔵卿局おおくらきょうのつぼねに一任されている。

 すべて豊臣方で大坂城奥向は、徳川方である千姫の乳母・刑部卿局ぎょうぶきょうのつぼねや御小姓・おちょぼ、そして江戸城から連れて来た侍女達にとって、苦労の連続だった。

 「田舎者」と誹られ、着る小袖を盗まれ、挙句には服装に関して「地味だ」と罵られたりなど、散々な目にあった。
 主である千姫に気取られない様に、いじめを受けている事をひた隠しにし、ただ耐え続けた。

 一方で、千姫も慣れないに苦労した。

・着た着物は二度と袖を通さない。
・煮魚や焼き魚は三箸までしか手を付けてはならない。
・起床や身の回りの事などは自身でする事は無く、侍女の手を借りること。

 など、江戸城で自由気ままに過ごして来た頃が嘘の様に、雁字搦めの生活を強いられていたのだった。

───────────────────────

『あれをしたらだめ、これをしてはだめ……もうたくさんじゃ……』

 ある日の夜、千姫はおちょぼに向かって苦しい胸の内を訴えていた。たった七歳の子供にとっては耐え兼ねない縛られた生活に息が詰まり、感情が爆発してしまいそうになっていた。

「お千様、左様なことを軽々しく仰せになられる物ではありませぬ」

 おちょぼが千姫の手を握りながら気を落ち着かせようとした。しかし、千姫はおちょぼの励ましを突っぱねて、同意を求める様に反論した、

『そちだって、他の小姓に攻め寄られておったではないか』

 それは、先刻の事。おちょぼが千姫の夜着を持って廊下を渡っていた所、大坂方の小姓に足を取られ、悪態をつかれていた所を、偶然千姫が見掛けたのだ。かねてからいじめを受けていたおちょぼは、一部始終を見られた事に顔を真っ赤にさせていた。

『刑部に伝えてみてはどうじゃ? わたくしから言ってあげても良いぞ?』

「いいえ、そのような! わたくしの事など、どうでも良いのです。わたくしにはお千様がおります故、わたくしは耐えていられるのでございます!」

 笑顔で言うおちょぼを見て千姫は呟いた、

『おちょぼは、おちょぼらしいのう』

「へ?」

『大坂に移って二月ふたつき経つが、そちはいつも通りのそちのままじゃ。羨ましいくらいじゃ』

 おちょぼは、千姫の前では暗い顔をせず、いつも笑顔を絶やさないでいた。他の小姓からいじめを受けても、やり返す事も言い返そうともせず、ただただ辛抱し続けた。
 それは千姫の【筆頭小姓】という役を刑部卿局から受け、その誇りと千姫の存在が唯一の心の支えであった。

 一方で、刑部卿局は、人が変わった様に更に厳しく接する様になった。宮内卿局や大蔵卿局が口を出さない様に手回しを施し、いずれ北政所となるための教養を自らが教示した。

 学びを得たいと思っていた千姫にとってはありがたい気持ちではあったが、いつも通り子供らしくふざければ怒声が飛び、千姫を怯ませていた。

 明くる朝、千姫はいつも通り、雁字搦めの生活を再び送り、刑部卿からの厳しい教育を受けていた。
 おちょぼに向かって気持ちを吐き出した事が功を奏したのか、少しは心が晴れやかになり、身を挺して稽古に力を入れようとしている様子だった。

「では、姫様、昨日さくじつお教え致しました、五摂家を申し上げませ」

『あ……ええっと……近衛、鷹司、九条、一条、 ───』

「姫様! 三条家は五摂家の一つではありませぬ。それを申すならば、二条家でございます」

『あ……はははは』

「笑ってごまかさない!!」

『っ……はい……』

 ビシビシと刑部卿から鞭で叩かれている所に、千姫の部屋を誰かが訪れた。

「邪魔をするぞ」

「はっ……お殿様!!」

 豊臣秀頼の御成りである。刑部卿局は突然の御成りに驚き、慌てて頭を下げた。

 千姫は、目の前にある文机を脇に移動し、頭を丁寧に下げた。ゆっくりと顔を上げると、秀頼はフッと笑みを見せて、千姫の前に膝を付いた。

「久方ぶりじゃのう、千。元気にしておったか?」

『お久しぶりにございます、秀頼さま。相変わらず元気に過ごさせて頂いておりまする』

「おぉ……」

 千が丁寧な挨拶を述べると、秀頼から霞む様な声が聞こえ、千は訝し気に尋ねた、

『秀頼さま……わたくし、何か失礼なことを……?』

「いや。ただ、会わぬ間に大人らしゅうなったと思うてのう」

『え?』

 千姫は驚いた。自分でも知らない内に、刑部卿から受けた立ち居振る舞いの所作が、身体に沁みついて居たのだ。千姫は恥ずかしそうに頬を紅らめながら口を開いた、

『秀頼さまの妻として、礼儀作法を学びましてございます。今もまだ学びの途中ではありまするが、秀頼さまとこうして再び会える日の御為おんため、修練を欠かさずにおりました』

「殊勝な事じゃ。わしも、いずれ関白となる為にこの日本国ひのもとのくにの事を学んでおる所じゃ。それ故、婚礼の日から二月ふたつきも会わぬ日が続いてしもうた。すまぬ事じゃと思うておる」

『その様な……。お忙しいのに、再びお目にかかれただけで、とても嬉しゅうございます!』

 二人は顔を見合わせて笑った。

 千姫と秀頼はその後も度々会う様になった。頭の片隅で、淀殿の言葉に後ろめたさを感じながらも、秀頼と共に食事を摂ったり、書物を読んだり、時折、庭に出たりなどをして過ごした。

 そして、八年の歳月が流れた。


大坂城・奥御殿・千姫の部屋 ───────

 慶長十六年(1611)七度目の正月が訪れた。公家衆の年賀の登城が相次ぎ、【奥】も【表】も目の回る様な忙しさだった。

 この八年の間、千と秀頼は数える程だが、思いを通わせることが出来た。密かに庭の東屋で夜毎逢瀬を重ね、文を送り合ったりなどをして愛を確かめ合った。

 歳も十四になり、刑部卿から受ける公家の教養や礼儀作法・茶の湯や琴などをそつ無くこなし、今までの無邪気な姫君では無くなっていた。近頃では秀頼の影響で書物を読む事を好む様になり、中でも【大坂史】に熱中した。

 先刻、公家との年賀の挨拶が滞りなく終わり、後は【奥】の女中達勢ぞろいで、能を鑑賞する事となった。

『毎年毎年、お公家さんとの挨拶は飽き飽きしおすなぁ』

 千姫が、新しく誂えられた絞り染めの小袖に腕を通しながら、わざとらしい京言葉で呟いた。

「何を仰せにございます。お歴々と仲を取り持つ為にも大事な御役割にございます」

 刑部卿が千姫の帯を締め上げながら諭すように言った。

「せやけど、若殿さんが二代将軍さんにならはったんやから、もう世は徳川のものとちゃいますかぁ?」

 衣裳櫃から打掛を取り出したお千代保ちょぼが、わざとらしい訛りで刑部卿に顔を近づけた。何年経ってもお千代保は相変わらず千姫を笑わせてくれていた。時々自分もお千代保を真似て乳母を困らせるのが楽しくて仕方がなかったのだった。

「これ、お千代保! 訛っては行かぬとあれほど申しておるに!!」

「せやかて、お千様のお言葉遣いがうつってしまうんやもの」

「姫様のせいにするでない!」

 刑部卿がお千代保を叱りつけながら打掛を受け取ると千姫は笑いながらなだめた、

『ふふふ、私が馬鹿な事をしたのう? すまぬな、お千代保』

 当初は鬱々としていたこの大坂暮らしに、千姫達はようやく腰を落ち着かせる事が出来る様になった。

 ここ八年の間で世の中の流れが少しずつ変わっていた。

 父・徳川秀忠が、六年前の慶長十年(1605)四月に将軍職を家康から譲られ、二代将軍に就任した。これにより、徳川家が政を治めて行く事を世の中へ示され、豊臣家が再び天下を握る事が出来ない事を意味していた。 

 将軍職を譲った家康は隠遁生活に入る訳でも無く、大御所になっても尚、駿府城で政の実権を保持し続けた。

 徳川将軍家は駿府と江戸の二ヵ所で【二頭政治体制】を行った。
 
 更に追い打ちを掛ける様に、その年の七月、摂関家の名門・近衛家の当主・近衛信尹が関白に就任した。これは家康のはかりごとであり、元来の倣いであった【五摂家世襲】へ引き戻す事に成功した。
 豊臣政権と武家関白制を徳川家によって崩壊させられ、豊臣家にとっては大きな痛手を負う事となった。

 父・秀忠の将軍就任によって、千姫達は肩身狭い思いを過ごす事となった。淀殿との関係は更なる悪化の一途へと辿ろうとしており、大坂方の侍女達からも疎んじられる様になった。
 そこへ、秀頼から慰めの文が送られた。手紙の内容には、淀の怒りを抑えるから安心してくれ、と書かれていた。夫からの優しい気遣いに千姫は気持ちを落ち着かせ、父を恨む雑念を静める事が出来た。


大坂城・能舞台 ───────

 能楽の演目は【おきな】が催される事となった。

 【翁】とは、天下泰平・国土安穏こくどあんのんへの祈りをうたいと舞を用いて表現する、祝賀の時節には欠かせない神事的な儀式演目。
豊臣家に栄耀栄華が再び訪れるよう願いを込め、毎年正月に演じられる事となっている恒例演目だ。

 千姫が褥に座ると同時に、淀と秀頼が揃って襖の奥から現れた。千姫が頭を下げると他の侍女達も続いて頭を下げた。
 淀殿は、豪華な打掛を翻しながら千姫に声をかけた、

「千、いささか辻ヶ花は早過ぎではないか? しかもその色はなんじゃ、撫子色なぞ、愚かな」

 挨拶もそこそこに淀殿から鋭い視線を受けながら、服装に対して貶された。豪奢で艶やかな小袖と打掛を着用する事を好む淀にとっては、淡い色の絞り染めなど以ての外だった。

 度々の事だったので慣れてはいたが、毎回聞かされる姑からのは、やはり気持ちのいい物ではない。周りの侍女の目を危惧し反論する事も出来無かった。

 しかし、沈みかけた心を救い出してくれたのは、言うまでもなく隣に座った秀頼だ。秀頼から送られる視線から、慈しみが感じ取れ、つい三日前に逢い引きした事を思い出させ頬を赤く染めた。

 千姫と秀頼の淡い秘密の恋は、脈々と紡がれて行った。

 ところが、それから二カ月の後、二人の関係が危ぶまれる事になろうとは、誰も予想していなかった。

───────────────────────

慶長十六年(1611)三月  ───────

 時の帝・後陽成天皇が第三皇子である後水尾天皇に譲位された。家康は、新天皇に拝謁する為、駿府より上洛した。それに伴い、豊臣秀頼との会見を強く希望した。

 六年前、それはちょうど秀頼が十二歳で右大臣に就任した直後の事。伏見城にいた家康は、秀忠の将軍就任を祝わせる為、秀頼の上洛と京都での会見を強く求めた。
 淀殿が書面にて断固とした拒絶の態度を見せると、家康は致し方なく六男・松平忠輝を大坂城へ派遣し、形だけの挨拶を交わすに留めた。

大坂城・庭・東屋 ───────

『祖父が、会見を求めて来ているのでございますか?』

 ある夜、千姫は秀頼と人目を盗んで会っていた。その折、家康との会見を行う旨の話をされ、目を丸くした。

「そうじゃ、わしは度々に渡る、家康殿の要請を受け入れる事にしたのじゃ」

『何故にございまするか?』

「え?」

『何故、祖父にお会いになるのでございまするか?』

「わしは、世の中を知らなさ過ぎる。多くの書物を読み漁り、日本国中を旅した様な気分でおったが、百聞は一見に如かずと申すであろう。今こそ、世に出なければならぬと思うたまでじゃ」

 この世に生を受けて、十八年。京と大坂しか知らない秀頼にとっては、世の中は未知の世界であった。多くの知識を得て参ったおかげで、諸大名が統治する地を訪れてみたいと願う様になっていた。
 秀頼の強い思いに、共感したいのは山々であったが、千姫は納得が行かなかった。どうして会わねばならないのか。
 祖父・家康の事、手を取り合って「」という訳ではないはずだ。

『されど、祖父は何を考えておるのか分からないのでございますよ? もし、万に一つでも、秀頼様に危害が及ぶような事あれば如何致します? 此度もどうぞ、会見をお留め置きくださりませ……』

 千姫は秀頼を想って忠告した。ところが、秀頼の表情がだんだん翳りを見せていた、

「そちも、母上と同じような事を申すのじゃな……」

『え?』

「そちが言うたように、母上からも止められたのじゃ。「家康と会わずとも良い、六年前の様に断れば良い」などと。されど、わしは太閤殿下秀吉の子じゃ。またも断れば、逃げてるのと同じではないか。もう、母上に守られてばかりおるわしでは無い!」

『秀頼様……』

「そちだけは、わしの気持ちを分かってくれると思うたのじゃがな……」

『秀頼様!!』

 秀頼に突っぱねられ、袖を掴もうとする千姫の手を払い除け、夜の闇に消えて行った。

 千姫は、初めて自身が淀殿の姪である事を恨んだ。

 千姫は知らなかった。秀頼の淀殿に対する引け目を。

 秀頼は、ある日を境に、豊臣家の為に力を尽くしたいと心に決めていた。数多くの書物を読み漁り、生きていくための処世術を身に付け、亡き父太閤殿下の遺志である、寺社復興に心血を注ぎ始めていた。
 しかし、それだけでは世の中を治める事は出来ない事など、当の本人にはすでに分かり切っていた事だった。

───────────────────────

大坂城・奥・千姫の部屋 ───────

 昨夜の一件で、千姫は気落ちしていた。お千代保の笑かしにも、笑う事が出来ず、閉ざされた唇が綻ぶことは無かった。

 刑部卿がそっと傍へ寄り添うと、千姫はそっと呟いた、

『お祖父様はいったい何を考えておいでなのだろうか……。皆目分からぬ……』

「お殿様との会見の事でございますか」

 千姫は目を丸くして刑部卿に向き直った、

『知っておったのか?』

「奥御殿中、その噂で持ち切りでございますれば」

『知らなかったのは私ただ一人……。刑部、お祖父様が何を考えておられるのか、そなたなら分かるのではないのか?』

「私如きに、大御所様のお考えは分かりかねまする」

 刑部卿が顔を背けるのを千姫は見逃さなかった。堅忍質直けんにんしっちょくな人物である刑部卿局が一度ひとたび、顔を背けるのは偽りを申している証拠。彼女の癖だった。

 問い詰める様に、じっと刑部卿を見つめると、とうとう本心を語り出した、

「お殿様を臣下に置かれる為にございましょう」

『なんじゃと?』

「徳川家は今や、征夷大将軍を世襲するお家になられたのでございます。豊臣家が再び天下を治める事が出来ぬという事を、意味しているのでございます」

 千姫はすっくと立ち上がり、刑部卿に向かって大声を上げた、

『その様な事、軽々しく申すでない!!』

 傍に座っていたお千代保は、初めて目の当たりした千姫の強い口調に驚いた。

 突如として沸き上がった怒りに自分でも驚きを隠せなかった。信頼する乳母から、豊臣家に対するそしりにも取れる言動に、我慢が出来なかった。

 千姫はくずおれて、庭の方へと目を移し、刑部卿に詫びを申し入れた、

『すまぬ、刑部。大きい声を出してしもうた……』

 刑部卿は、責める訳でも無く優しく微笑んだ、

「とんでもないことでございます。姫様の、お殿様に対する思いを踏みにじる様な事を申しました。お許しくださいませ」

『許すなど……はぁ、私はまだまだ子供じゃな……』

「姫様は、豊臣家のお方に、なられたのでございますね」

 千姫は刑部卿から思ってもいなかった事を言われ、自分が徳川の人間ではなく豊臣の人間になっていた事に気付かされた。

 秀頼の妻として、豊臣家に対する侮辱は許せなかったのだ。自身の身体の一部が、剥ぎ取られた様な気持ちになる程に、千姫の心は知らず知らずのうちに変わっていた。

 しかし、それから間もなく事、千姫の後ろに新たな影が身を潜めている事にまだ誰も気づかないでいた。
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