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新たな生命
平安時代の出産はとても稀有なものでございました。
医術が発展していなかったが為に、難産は”もののけ”の仕業と考えられ、僧侶や陰陽師を屋敷へ呼び寄せ、妊婦に向けて、加持祈祷が行われた中での出産を迎えるのです。ところが、貴僧高僧でさえも力及ばずに母子共に命を落とす事もそう少なくはありませんでした。
殊に稀有だったのが宮中でのお産です。後宮での出産は”汚れ”とみなされ、お産を控えた妊婦は里へと下がり、御子を産んでしばらく後から参内出来る、という慣わしなのです。御子が皇子、皇女といえどそれは変わりませんでした。
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有子様が倒れた事を聞きつけた帝は急ぎ、梅壺へと参られました。一際御心配遊ばされた御様子で、とても慌てておいででした、
「ようやった……ようやったぞ、梅壺」
帝は有子様の手を愛でる様に取られ、懐妊した事を殊の外喜ばれておいででした。有子様は御上の幼子の様な喜び様にとても愛おしく感じ、優しい笑みを向け、腹に手を当てながら御子を大切に育て上げると誓われたのでした。
それから数日が経ち、懐妊の御祝いとして、公家の方々から様々な献上品が届けられました。生まれ来る御子の菊の御紋が施された遊び道具や西陣織の衣、書物などありとあらゆる国から集められた品々が有子様の御前に並べられておりました。
その後次々と止まる事なく献上品の贈呈は続いて行きました。
「ありがたい事やな…この子の為に…」
後宮に初めて入った頃とは違い、有子様のお顔はすでに母親の面持ちでございました。
愛おしそうに腹を撫でながら、生まれ来る御子にたくさんの事を教えて差し上げたい。帝になる時の為の必要な学問や都の民の暮らしの事などをすべて……。
傍に控えている勾当内侍が公家の方々からの献上品を嬉しそうに眺めながら、有子様に話しました、
「これが、宮中の慣わしにございます、公家の方々からのお祝いの品が多ければ多いほど、貴方様と御子さまのご身分は安泰と相成りましょう」
そうか、と有子様が静かに言うと、一つの不安が有子様の頭をよぎりました、
「そういえば、御匣殿はどの様な様子じゃ?」
別当に就任してから三月、別当としての責任感からか御匣殿の女蔵人達の事を案じ、勾当内侍に尋ねられました。勾当内侍はしばらく黙りましたが、身を正し、有子様に身体ごと向けた後、強い言葉を放たれました、
「御匣殿の事はもうお忘れ遊ばされませ」
「忘れる?なぜそのような事を申すのじゃ?」
思ってもいなかった勾当内侍の言葉でした。そういえばどこか様子がおかしい。目が据わっているようにも、恐れおののいた様にも見えたのです。
「勾当?如何したのじゃ?」
勾当内侍は徐に立ち上がり、有子様の御前に座り直し、緊張した様な面持ちで話をし始めました。
「恐れていた事が起こってしまったのです」
「恐れていた事?どういうことじゃ?」
「実は、貴方様がお倒れ遊ばされた折、清閑寺別当が貴方様を見掛けていたのでございます。されど、清閑寺は貴方様を見捨て、誰も助けを呼ばずにその場から去って行ったのです。その事を、見かけていた女蔵人が私に報告してくれました」
まさかとは思ったが、同時にやはりと確信を持たれた有子様でした。
確かに、霞の様に意識が途絶える前、御匣殿の錠が下ろされた音を聞いたのを思い出されたのです。殿に残っていたのは清閑寺のみだった為、誰かに揺さぶられた背に感じた感触はあの者のした事であったと……。
勾当内侍は背筋を正し、更に話を続けました、
「恐れながら申します。貴方様は何もかも正直なのです。正直過ぎと言っても過言ではありません」
目に涙を浮かべながら勾当内侍は話を続けました、
「私は心配なのです!このままでは、貴方様の命が脅かされる事になるのではないかと……。貴方様が思うより、女官の考えている事は恐ろしいのでございます。誰かを陥れ、上へと登ろうと野心をむき出しにしておるのです……」
勾当内侍が言い終えると、有子様は涙混じりに訴える勾当内侍の手を取り、途絶え途絶えに言葉を発されました、
「そちは……まこと……忠義者や……」
涙を流しながら勾当内侍の並々ならぬ思いに胸が詰まる思いでおられた有子様でした。
「な、何を泣いておいでですか……貴方様の様な御方が女房の前でお泣きになられるのは──」
「そちが言うたであろう……私は正直過ぎると……。そちの前だけに見せる私の本心じゃ……」
「……有子さん……?」
有子様は今まで抱えていた勾当内侍への気持ちを改めて言葉になさいました、
「そなたの事を、初めはとても恐ろしく、冷たい女官だと思っていた。後宮へ上ってから感じたるは、女官達の血の通っていない様な物言い……それに耐えられるか不安であったのじゃ。されど、そなたは藤小路に対し、私の代わりに言い返してくれた……」
「それは……申したはずでございます……貴方様がご反論遊ばされれば、更に女官の反発が起こりうる可能性がおありだと──」
「真の気持ちを述べよ……勾当」
涙で濡らす頬を拭いながら、勾当内侍も初めて本心を有子様に打ち明けられました、
「……私は、貴方様の優しさに感じ入ったのでございます。貴方様の、囚われの御身であられながら、四人の御子女様を心配されるその優しさ、付き従う女房達に対する労い……。
貴方様は貴人であられながら、貴人らしからぬ御方でございます。私どもはその様な貴方様の優しさと素直さが、私どもを心配させ、貴方様に生涯を尽くしたいと思わせたのでございます。ですが、その一方、私ども御付きの女房以外の女官はその優しさに苦しめられるのでございます。従いたいと願う女官が多ければ多いほど、それを嫌う女官らが貴方様を疎んじる様になるのでございます」
有子様はただただ黙って聞いている間、自分の行いが、時に誰かを傷付けてしまっているという事に初めて気付かされたのでした。
「貴方様には幸福になって頂きたいのでございます。生まれ来る御子様を守る為には、その御心を余り表に出されるのは、極力お控え遊ばされませ」
勾当内侍が優しく有子様の温かな手を押し戻し、両手を付いて、再び口を開いた、
「数々の、分も弁えずに申し上げましたる御無礼、お許しくださいませ」
深々と頭を垂れる勾当内侍はまさに忠義の表れ、それ以外に無かったのでございました。
「良い……。私は、そなたを信じておるぞ……」
貴人らしからぬ正直な心の持ち主の更衣様とその優しさに応え、生涯を尽くす事を誓った女房。
決して交じ合う事の無かったお二人が帝の勅命により出会う事となり、今ではようやく心が通じ合うお二人となって行ったのでございました。
── 六カ月後 ──
六カ月程が過ぎ、季節は寒い師走となっておりました。
有子様はお里である呉服問屋「ふよう」へと帰る事はされず、帝からの格別な思し召しにより、勾当内侍の屋敷でお産をする事となりました。
有子様は御子が腹に宿した事を知ったあの日以来、御匣殿へは足を踏み入れる事はありませんでした。御匣殿別当を退任し、更衣の位に戻ったのです。
新しい御匣殿別当は清閑寺様が再任される事となったのでした。清閑寺様は再び大いに女蔵人達に叱責出来ると張り切っていたとの事でした。
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「御上、では、これにて里へ下がらせて頂きまする」
「元気な御子を産むのじゃぞ」
「はい」
有子様は勾当内侍の屋敷へ赴くその日、身重の御身体を考慮し、唐衣と裳を省いた小袿を召して清涼殿にて帝の御前でしばしの別れの挨拶を交わしたのでした。
その後、多くの女房達と警備を引き連れて建礼門、朱雀門を通り、一条通りにある勾当内侍の拝領屋敷へと向かわれたのです。
京・一条通り 勾当内侍の拝領屋敷 ───────
後宮へ出仕する女房や女官達は主に後宮に構えている自室で寝起きするのが慣例でした。それ故、女房への屋敷の拝領は、本来ならば賜る事はありませんでした。ただし、勾当内侍が帝からの勅命により、有子様を参内させた事を見込まれ、屋敷が与えられたのでした。
拝領屋敷は広大な敷地に建てられ、都の粋を集めた寝殿造りでございました。
母屋から臨む庭には池や中島を携え、全方位を埋め尽くす程広い庭園が広がっていました。時に狐や狸なども現れる事もあると、勾当内侍は言います。
勾当内侍は主に後宮にある女房詰所で控えている為、余程の事でない限りこの屋敷で寝起きする事はありませんでした。管理は御所の掃部寮に任せている為、常に殿舎と庭は現状を維持しておりました。
お腹が徐々に目立って来た有子様はもう間もなく御子が産まれるのも時間の問題と医師による見立てがなされていた為、勾当内侍の屋敷にある居室をご産所として使われた。
出産の慣わしとして、産所では全面白色で揃えた調度で統一され、産婦や女房、女官達も袿を白一色で揃えました。それは、”汚れ”を祓うという目的と、”白色”というのが、”もののけ”からは無縁の色として、長らく信じられて来たのでした。
翌日には”もののけ”を調伏する為、二十数名の僧侶と五名の陰陽師を迎える手はずとなっていました。
── 数日後 ──
昼を過ぎたとある刻、有子様は庭を眺めながら歌詠みに興じておりました。すると突然、腹が急に痛み出し、途端に喘ぎ苦しみ出したのです。
お産の始まりと察した勾当内侍らは急ぎ支度をし、有子様は女房の手を借りて産所へと連れられました。
この頃のお産は座る姿勢で出産をしました。天井からは子安縄が吊り下げられ、その縄を握りしめながら息む体勢を取るのです。
久方振りのお産の感覚で有子様は意識が朦朧としてくるのを感じたのでした。
傍では勾当内侍が手を取りながら、しきりに励ますのでした、
「梅壺さん、しっかりなさいまし!!」
「勾当……」
「はい!」
「痛い……痛いぞ……勾当っっ」
有子様は陣痛が激しくなるにつれ、息も絶え絶えになっておりました。
「私がついております……梅壺さん……元気な御子様を御産み遊ばされませ」
四人の子供を産んだ折はこの様に大騒動ではありませんでした。
幸いにも客の中に産婆がおられたので陣痛が来るとすぐさま駆けつけてくれたのでした。藤子様と葉子様とゆう子様の出産の折はとても辛く、時間は昼から翌朝までかかってしまったのです。一方、呉竹様の折は早産でありましたが難なく産む事が出来たのでした。
歳も歳な為、有子様にとって陣痛は身体に大きな負担となっていたのでした。
陣痛が予想よりも遥かに長続きしてしまい、夜が更けて行きました。
これは”もののけ”の仕業だと恐れ、仏間では加持祈祷の祈りが更に強められる様、心配する帝が御所からの使いにより、命じられました。
逐一知らせが届く事になっていた御所でも加持祈祷が行われました。帝も妻と共に有子様の無事を祈っておいででした。
勾当内侍はひたすら有子様の手を握り続けておりました。心配する女房達に代わる事なく励ましの言葉を掛け続けておりました。
「更衣様~!御子様のお顔が見えましたえ~~!!!さぁお息み遊ばせ!!」
産婦の掛け声に有子様は全体力を御子の為に注ぎ、必死に息んだのでした。
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目を覚ますと、見慣れない装飾が施された天井に驚きました。勾当内侍の屋敷を訪れた事を思い出すと御子の事を一番に考えられました。周りを見ると、傍には御子を慈しむ様に抱いた勾当内侍がいました。
「勾当……」
「有子さん……良うございました……お目覚めにならしゃったのですね」
「その子が……」
「立派な皇子様にございますよ……。大変なお産であらしゃいましたが、ご無事に御産み遊ばされて、おめでとう存じます」
有子様が女官の手を借りて起き上がり、産まれた皇子様のお顔を初めて拝した。
とても美しくこの世の宝の様な御子様でございました。帝と共に紡がれたこの大切な宝を心から守りたいとお思いになられたのでございました。
都では皇子の誕生を寿ぐかの様に初雪が降りました。人々の記憶に白く染まる雪は冷たさよりも暖かさを広めて行ったのです。
しかし、その雪が氷の如く、鋭く痛みを及ぼす企てとなって有子様と皇子様に襲い掛かる事になろうとは、まだお二人には知る由もありませんでした。
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