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クリア:梶原 銀之丞(ダンジョン:海と魚 掲示板ネーム:綺麗なサハギン)1

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 くるりと一周。
 顔は見えないが、自らの体が、人のそれであることは疑いようのない事だった。1年もたっていないはずだが、竜のような頭を持つ、鱗だらけの体から戻った形になる人間の体は、どこか頼りなく、それだけで不安さえ湧いてくる。

 酷くだるく、重く感じる。
 頭も、朝目覚めたばかりのような霞みがかったような気分でいた。
 コンバートされたにしろ、頭はそのままかよと少しぼんやりしながらも思う。

(……どこだ、ここは。制圧し、イベントが終わり――どうなった)

 銀之丞は手を開いたり握ったりしながら、ここまでの経緯を思い出そうとした。
 いつの間にやら人をやめることになって、魚人共のボスとして君臨した。プレイヤーと呼んでいる同じ立場で同じ境遇の人間たちも殺してきた。向かってくるものも、そうでないものも。

 そんな中、唐突に開催されたイベント――そう呼ばれたものを、恐らくイベントを用意したものの想定外の速度で制圧して終わらせた。

 そうして、名実ともに魚人たちのトップとして君臨したはずだった。どこか不思議なパワーのようなものを感じていた。向けられる崇拝のような強い感情も、繋がりのようなものも。

 そこまでは覚えている。
 そこから、フレームが飛んだように気が付けばここにいた。

 移動した記憶はなどはない。何かを使った記憶も。
 さぁ、これからどうしようか、そんなことを考えていた矢先の出来事。
 白い白い、何もない場所。

 その空間に、銀之丞はどこかうすら寒さのようなものを覚えた。
 端に達すれば、ばらばら以上の何かにされてしまいそうな――

「……なんだ?」

 唐突に目の前に現れた何かに、鈍く感じる体を無理やり反応させて後ずさる。
 目の前に大きく画面が投影されている。いつも使う端末の投影ビジョンを大きく引き伸ばしたようなものであるようだった。

『こんにちはー。
おつかれさまでーす』

 と、表示されている。
 白い空間に、状況に、思わず唖然としてしまうような不釣り合い。

『初の用意した出口以外で終えた人だから、少し気になってね』
「……運営か」

 表示される文字や現状から察するに、銀之丞はおそらく自分はクリアした状態なのだとここで察した。
 そして、条件もなんとなく察し、それに興味を持たれているらしいことも。

「どういうつもりだ?」
『だから、気になったんだってば。それと、運営ではないよ?』

 言葉に反応するのかどうかはわからなかったが、やってみれば反応はすぐに帰ってきていた。
 どこか、子供じみた風な返答。

「なぜ、体が元に戻っている? ここはどこだ? 運営でないならなんだ? ……これからどうなる」
『あ、意外と鬱陶しい人だったんだね。質問ばかりだなぁ。あなた、優秀で、人に優しい警察官として評判だったんじゃあないのかい? だから話してみようかな? って思ったのになぁ。 猫被ってたのかな? 悲しいなぁ。人の気持ちを考えようよ。いきなりマシンガンみたく質問攻めされるのって気分いいと思う?』
「……」

 元の職業を知られていることは、もしこの状況を目の前の画面の向こうの存在がそうしたのなら不思議ではない。
 不思議ではないが、一方的に知られる苛立ちを感じないのとは別の話だ。
 人の気持ち云々にしても、どの口がいうのだ、そう叫びたい気持ちだった。ぐっとこらえる。

『大体からして、うーん。なぜも何も、終わったからだよ。んで、選択肢はあったほうが納得がいくかなーって』
「終わったとはなんだ? どうしてこんなことをしている? 選択とはどういうことだ」
『鳥頭かな?
だからさぁ……質問が多いんだってばよ。1秒で記憶を失ってでもいるの? 毎秒記憶修復が必要なの? 処理能力が足りなくてコマオチしてる? さっきの言葉は届いていますか? 質問に答えるなんて、言ったっけ?
気になるから来たとしかいってないつもりなんだけど。誰かもいってたかもしれないけど、嫌になるなぁ。こういう、人の話を聞かない人ってさぁ……
はー、やめようかな。興味本位だけだし。あぁ、大丈夫だよ。いなくなっても、この対話っていう例外がなくなるだけだから何の問題もない。今の状況っていうのは、あくまでも気になって話しかけたってだけだから』

 どうやら酷く気分を害したらしい運営ではないと名乗る存在に、銀之丞は少し焦る。
 思いのほか堪え性のない性格だった。何か聞くチャンスかもしれないのに、何も得られないままに去られるのは避けたいことだった。煽って返してくるなり、もしかしたら攻撃するなり、馬鹿なら姿を現して何かしてくるなりを推測していた。そのままするりと本当に去ろうとするのは予測の範囲にはなかったのだ。
 
「……すまなかった。そちらの話を聞こう。何か聞きたくてでてきたのだろう?」
『んー? そう? じゃあもう少しいようかな』

 謝れば、また子供のようにころりと気分を変えたような文字が出力される。
 もしかしたら自分をこんな状況に叩き込んだ奴である存在に謝るのは業腹ではあった。

 が、何もわからないままの状態から一歩でも先に進みたかったのだ。
 体が変わり、考え方が変わってしまって、それを飲み込んでいたらするりと戻って――銀之丞は不安定な足場を少しでも補強したかった。少量でも、納得できる、理解できるような何かが。

『ほら、あなたってさっき言ったとおりに若手の中で正義感が強く、町の人に頼りにされていた存在だったわけじゃないか。ずいぶんと評判が良かったみたいだ。上の人には鬱陶しがる人がいても、おおよそ好感を持たれていた』
「……そうだな。ありがたくも、色々な人に信頼して頂いていたと思う」
『でもって、人間至上主義だったじゃない? あなたはむやみに動物を虐待することはないけれど、極端な話、人間以外の動物10,000匹と人間1人なら、何も悩まずに1人を選ぶ人だった。んで、1人救えるなら10,000匹を自らの手で無惨に殺すこともためらわない人で厭わない人で、救った、救える事実があるならそれ自体に罪悪感を長く抱くこともない人だった。そうでしょ?』

 過去を思う。
 警察官であった銀之丞は、人々のためによく働く人物だった。

 人にやさしくし、自分を厳しく律していた。よく鍛え、よく話を聞き、人の不幸に涙して、人の不幸に伸ばせるだけの手を伸ばすことができる人物であった。

 動物に対して、そんな風に考えたことはなかったが、言われてみるとそうだったかもしれないとも銀之丞は思う。納得がある。そんな場面など想像できないし、実際あるわけもないのだろう。しかし、その選択肢を出されていたなら、日常を過ごしていた自分は間違いなくその選択肢をとることができると確信できる程度に自分を理解していた。元より、銀之丞はペットをなくした人が可哀そうと同情はできても、ペットが無くなったこと自体を悲しむことはできない人間であった。

「そうだな。そうすると思う。だけど、それがなんだ? おかしな話ではないだろ。俺は、聖人になりたかったんじゃない。ルールを守る善良なる市民を、ルールを破る悪意の者たちから守りたかっただけだ。お前が言う通り、人間以外の動物だって、むやみに傷つけてきたつもりなどない。しかし、天秤にかければ人に傾くのは当然だろう? 俺からすれば、同種の命より他種の命に重きを傾けるなぞ狂っているとしかいいようがない。ルールは守っている。動物も、何もなければ優しく対応していたはずだ。大体、善良なる市民1人と悪意の者たち10,000でも躊躇ないなく前者をとる。そういう意味では選択に動物か否かは関係ないともいえる」
『わぁ、長文早口――いろいろ言ってるけど、あなた、悪人1人とそのほかだったら悪人とるんじゃん?』

 文字だけではあるが、笑っている様が想像できるような返しに、ぐっと詰まる。
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