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鬼の首37
しおりを挟む振るわれる。
当たらない。
何度となく繰り返そうが――
「私がしたことが間違いだなんて認めるものか! 誰が間違いなんかにしてやるもんか! 私が、私が!」
叫んだ瞬間、今までとは違う、何か力の集まりのようなものを啓一郎は感じ取った。
それは、今まで生きてきた中で珍しいものだ。
「聞けよ! 答えろ、いや、そうじゃなくてもいいからっ」
それが勘違いではないと証明するように、まるで加速器に乗せられた如くに、刃物は今までとは違う速度で啓一郎に突き出された。
それは銃弾めいたものだ。一直線、避けようのないはずのもの。至近距離で撃たれた弾丸など、避けようがないし、避けれる方がおかしい――常人なら。
「クソ、クソ、クソ! なんなんだ、なんなんだよ、お前っ!」
珍しいが、それだけだった。
早いが、それだけ。
そういえてしまうくらいに、啓一郎の身体能力は外れていたのは、良かったのか悪かったのか。
すっ、と正確に当たらない距離を下がって当たり前のように、今までのように、当たらないという結果だけを残す。
「バケモンが、バケモンが、バケモンのくせに! こんなに、見たことないくらいしっかり見える化け物のくせして、どうしてぇっ!」
再び、今度は踏み込んでより深く。
それを横に移動することで回避すれば――刃が、まるで吸い込まれるように角度を変えた。推測していた風には見えないというのに。
現実が歪んでしまうように、まるで刃物自身が意思を持っているかのように避けたはずのそれが啓一郎に向かってきたのだ。浅井は、啓一郎を追い切れていないはずなのに、だ。
筋力の断裂等、負傷を覚悟して無理やり曲げてもその軌道は不可能であるだろう。
魔技と呼ぶにふさわしい、気持ちの悪いといってしまえるような、速度が落ちるどころか加速するように相手に向かって曲がる、曲がり続ける一撃だった。
今までの行動が布石であるなら大したものだといえるだろう。
そういう一撃で、技で、行動だった。
多少の能力差なら、それでひっくり返せるくらいに、その精神状態からは考えられない程度にはしっかりした。
「ぎっ――」
からん、とその手から刃物が落ちる。
啓一郎が、ただ叩き落しただけだ。
多少なら、ひっくり返せただろう。
致命傷を与えられたのかもしれない。
「あぁ、知ってた。知ってたよちくしょう」
だから、これは多少ですまなかっただけという話なのだろう。
浅井がうつむく。
「……何を、申し訳なさそうな顔をしてやがる……? あぁ!? 可哀そうか? 私が、そんなに、私が、カワイソウに見えるかよ!? 哀れだって!? ふざけんなよ。ふざけんな! ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっと! 上からモノを見てんじゃあねぇぞ! 自分ならなんとかできるとか、おごってんじゃねぇ……!」
だから、これは油断といってよかった。
知らぬ間に、啓一郎は油断し続けていたのだと。
産まれた時から、自然に。
自分の周りには、自分に届かないものしかいないという。
「覚悟したさ。覚悟をした! 誰が認めるか、だから――」
渦。
渦だ。
「待て、なにを――よくわかないが、それはダメだ!」
特大の、理解できないが、悍ましいとだけはわからせられるような。
「おぉおぉ、ようやく顔色が変わったな――でも、待たない。誰がまってやるもんか」
あげられた顔は、なんといっていいのかわからない顔をしていた。
そうして。
ぎし、と世界が鳴いた。
ばきり、と割れるはずのない場所が割れて――底の見えない黒い何かが。そこから、理解してはならない何かが。
その日、その時間。
少しでも勘が働く人間は、一斉にある種の悪寒を共有した。
さらにそれより一歩勘が働くものは、一斉に絶望を共有した。精神が崩れる者がいるほどに。
どちらも、わからないなりに、しかし、わかっている、わからされることがあった。
その方向で、何か――取り返しのつかないことがあったことを。
理解できないのに、『あぁ、時間が削られてしまった』という感覚だけは残る、そんな奇妙な。
「――!!!」
反射であった。
啓一郎自身、己がどうしているのかもわかっていない行動だった。そこには、今までに思っていた感情云々は介在していなかったのだ。
ただ、殺さねばならぬと、自分の中の人間が。
人間なら、一撃で殺しせしめる一撃を全力をもって放たせていた。
浅井に向けて。
すぐに殺す一撃を、すぐに殺さねばならないと思う事すらなく放った。無駄な動作等一切なく。限界を超えて。だから、それは浅井を殺すはずである。今までのやりとりから考えるに、お互いの差は啓一郎が思い悩める余裕があるほどであったのだから。
結果として、死体が一つそこにできあがらねばおかしいのだ。お互いがお互いをどう思っていたにせよ、そんなものは関係なく。
『引き寄せてやったんだ。簡単な話だよ。元から来たがってやがったものなんだから、力なんて少しで良かった。ちょっと引っ張ってこっちだよといってやるようなもんさ』
ぱし、と、軽すぎる音。受け止められたのだ、現存する人間なら全てが受け止められないだろう、身体能力が狂った人間の、更に一時的に引き上げられたようなありえない一撃を。
その手は――ぼこぼこと奇妙に膨れ上がった異形。浅井とは思えないような色と形をしている手。
「っ!? 俺は――」
『ショックを受けたような顔をするなよ。仕方ないさ。だって、滅びを、終わりを早めるようなことをしてやったんだ。そうなるのだって仕方ない。仕方ないから、許すよ。許してやる――』
正気に戻った啓一郎が、己のやったことを理解して青ざめる。それに――むしろ優しく、びきびきと、あるいはぼこぼこと、その姿を変異させている浅井が語り掛けながら――投げ飛ばした。
「ぐっ――」
したたかに地面に打ち付けられて、転がる。これまた頭で考えるよりも勝手に体がすぐに起き上がる。無理な挙動だったのだろう、打ち付けられた場所以外の間接、筋肉その他にも強く痛みが走る。それはまるで、そうしてでも目をそらしてはいけない相手だと、抜けた啓一郎の代わりに本能が体を操作し続けているようでもあった。
『そう。これで加速したのさ! ははは! 知るもんか。知るもんかよ。誰がどれだけ絶望しようが、死のうが私が知るもんか! これで、ますます危機感で代子ちゃんが救世主に近づくだろう、そう、そうならなきゃならない。そうなれば!』
そこに浅井はいなかった。
知っている浅井という人間は、すでに存在していなかった。
そこにいたのは、鬼である。
人とは呼べない、化け物であった。
「お前――」
多少の名残を残していはいる。その顔は、角が生えているし、どこか浅黒い血管だかなんだか走り回っている。骨もいくつか鋭利なものとなって飛び出ている。体は啓一郎よりも大きくなっているし、その肉体も膨れ上がっているが人の筋肉のつき方ではない。
それでも浅井の名残を残してはいる。
それでも、もう人間とは呼べない何かでもあった。
そして、やはり、というか。そうなったからなおさら、というか。
ここにきても、啓一郎自身はあまり見られていないと。
場違いにも、啓一郎には虚しさのようなものが押し寄せてきた。それどころではないとわかっているのに。逃げるか、それともいますぐ殺しにかかるか、と本能はずっと言い続けているのに。
それでも、啓一郎は、穴のような、虚しさを放り投げることができないでいる。
「ずっと、俺が気に食わないんだとばかり思ってた。今までも。今も――こうして、殺そうとするくらいとだとは、思わなかったけれど」
鬼――夜叉と呼ぶべきか、そんな異形めいたものになってしまった浅井を見て、ただぽつりとつぶやいた啓一郎は、寂しさのような、行き場のない寒さを吐き出した。
「違ったんだな。これは、そうじゃないんだな? ――底のところは、俺じゃ」
『やかましい』
吐き出され言葉にか、ようやくというか、その目が啓一郎自身に向いたような気がした。それも一瞬。
その言葉は短く――しかし、粘着質。
まとわりついて、その場所を溶かしてしまいそうな情念のこもった響き。
それとともに、打ち出された拳。無造作らしいように見えたそれは、しかし今までのように回避できない。
腹の筋肉にぞぶりと突き刺さったそれは、内臓を揺らす。
どろりとした粘着質な何かが、啓一郎の喉からせりあがって吐き出された。
『違う。うるさい。お前が悪い。お前が悪い。お前が悪いぃ!
だって! 私は間違ってないんだから! じゃあ、お前だろ。お前が悪いんだろ!? 全部、そうだろ。お前以外だったら、そんなのは』
化け物とよんでいいだろう。
その姿を見れば、誰しもそう呼ぶほかないだろう。
しかし、啓一郎はどうしてもそう呼ぶ気にはなれなかった。本能的な行動に反しても。勝ちようがない相手になってしまっているのだと、どこかで理解していても。怖がる気にもなれなかった。ただ、悲しくて、虚しいばかり。
友達だった。啓一郎にとって、浅井は。他の二人よりも、確かに仲は良くできなかった自覚はあるが、それでも。
相手が、最初から最後までそうは思っていないのだろうと、どこかで感付いてはいても。
確かに楽しい瞬間は会ったのだ。
確かに、そうあれた時間があったのだ。それは、相手もそうだったと信じたかった。
そして、その全てに、啓一郎という存在は感謝をしていたのだ。
(そういうことなのかもしれない。友達というばかりで、思うばかりで――理解しようとしてなかったということか。友達初心者には、厳しいよ、それは)
だから、結局こうなってしまったことが啓一郎は寂しくて――どうしたって、目の前で今も目をそらし続けているそれを、できるできないは無視するとして、自ら殴りつけてやろう等とは思えなかったのだ。
いつか、どこかで。
時間というものが、解決してくれるのではないかと。
お互いが、お互いを思っているのは確かのはずなのだから。
浅井が手をかざすと――啓一郎はぐっと体が勝手に引き寄せられてしまうのがわかった。
意味の分からない力だ。だが、わからないなりにそれに抵抗すれば弱まりはするらしい。が、かき消すことはできないらしい。
体がどうしても浅井によっていく。磁石を前にした砂鉄のように引っ付くのだ。力の差は、ひっくり返っていた。先ほどまで、浅井がどうしようもなかったように、今は、何をしても啓一郎がどうしようもない立場にある。
『……死ね! 死ねば、戻るんだ! 全部……全部!』
ぶつ、という感触。ず、と中に熱いものが入り込む感触。
体験したことのない、刃物が入り込む痛みだ。
使う必要が今の浅井にあるとも思えないが、初志貫徹とでもいうのだろうか。啓一郎の肩に、刃物が生えてしまった。それを見てどこか、笑いのようなものがこみあげてくる。理解しがたい状況にか。殴れば早いだろうに刃物をまた使ったことにか。殺そう、死ね、というのにもかかわらず、実際刺したのは肩だというあたりにか。
「もどらない。無理だろう、それは。こんな風にしてしまえば――お互い、ないことにしたって、お前がそんな」
『うるさい!』
出した言葉は足掻きだったか何だったか。どちらにせよ無意味だった。
鈍い打撃の音。それが連続する。止めどなく続く。
引き寄せられれ、殴り飛ばされ、とどめられ、吹き飛ばされ。
皮膚はやぶれ、血が染み出し、肌の色も赤や青を散らしていく。しかし――いずれも致命傷にはほど遠い。そんな弱弱しい力のわけもないのに。
どこか、なんというか。散ってしまっているというべきか。
結局の所が――理由は定かではないにしても、浅井自身が躊躇っているという証明であった。
啓一郎に、殺意を放ち、そう言い放ち、目の前にしても目を向けない存在である程度であるのに。そう徹しきれないでもいるのだ。
こんな状況で、反撃もできず。それが、どうか友情であってほしいという場違いな感想が啓一郎の頭の中で浮かぶ。どうにも女々しくなったものだ、などという自嘲と同時に。
「……それ、で。全員元に戻るってんなら、それはもう人間じゃないだろ。そうは、ならないだろ? お前は、人形でも欲しかったのか?」
『――違う』
激情が躊躇いを一瞬消したか、それとも加減を間違えただけなのか。刃物が肩から抜かれたまま振られ、よけきれぬほど加速した刃が啓一郎の頬を削り取る。スライスするように皮膚に入り込んだ刃が表面から入り込んで肉を少し削り落とすように通り過ぎていき、小さいながら人の肉が空に踊った。
瞬間の痛みと、熱さ。
とろりとろりと次々流れ出るものと、じんじんとした後からくる痛み。啓一郎からすれば、もう全身が痛いのだ。今更痛い部分が1つ増えたくらいで取り乱しはしない。
しかし、それを見た浅井の顔が、確かに歪んだのを見た。
そんな啓一郎と浅井の、目が合う。
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