246 / 296
鬼の首36
しおりを挟む先日の会話を思い出しながら混乱して数日。
また、少しだけ落ち着いた来た心のタイミングを計ったように次の電話がかかってきた。
どこか、嫌な予感がするままに、啓一郎はそれをとる。
『――話をしようぜ』
電話の主は浅井で、感情のこもらない平坦なそれが、逆に啓一郎には複雑な感情を想起させていた。
試練を与える力なのだ、と思った。
正義の力なのだと、正しい力なのだと、そうあることができる力なのだと思ったのだ。
自分がやっていることは決して×××××なんかじゃないと。
救世主だ。
救世主が必要なのだ。
皆もそういっているし、誰も損をしない。
必要なのだから、探す行為は全体にとって正義であり、創ることは絶対的に正しい。だからそうできる自分は正しく、幸せなのだ。彼女だってそうだ。そうに違いない。周りもそうだ。知られなくていい。結果的にそうなればみんなが幸せになれるのだ。
彼女が救世主なのだ。
そうに違いない。
救世主にするのだ。試練を与え続けて至らせるのだ。
ほかならぬ、自分という存在が。
世界が終わるっていうんだから、そうすることは明らかに正しいことで、誰に咎められようとも、神聖な行為なのだ。
大丈夫。そうなれば、誰だって、それがおかしいなんていうものか。
大丈夫。そうなりさえすれば。
だから。
寒々しさをどこか強制してくるような、神聖さというよりはどこか粘着質めいた空気だと啓一郎は思った。
近くにある少し広い神社。
いるはずの人間も、参拝客も誰もいない。不自然に誰もいない。
鳥の声さえ聞こえない。
その中心でこちらを寝ぼけたような視線で見ている浅井を見た時、啓一郎は泣きたいような気分になった。
本能的な所で、何かはわからないがもう『手遅れ』であると、妙な確信を得てしまったからだ。
「結局」
鳥居の前に啓一郎。
その入り口にいる啓一郎と、少し歩いたところにある社との間に浅井は立っていた。
挨拶をするでもなく、世間話をするでもなく、ぽつりとこぼされた声は、どこかがさがさ這いまわると虫の連なりのような響きに啓一郎は感じた。
ぼうっとしているようで、啓一郎の方をむいてはいるがどこを見ているのか定かではないような、どこか無機質な目が視点を定めていくのがわかる。
「お前がいなくなればいいんじゃないか? という結論になっちゃったわけなんだよ」
「……そりゃ、いきなり酷い話だな」
ぎゅっと、絞るように定められた目には、わかりやすい憎悪のような負の感情が乗っている。
「あぁ! そうだな! アタシもそう思うよ。実際、そう思う。本当さ」
友人に思うような事ではないと思いながら、啓一郎はその目に狂気を覚えた。
時折裏返り、震える声。喋りながら不安定に揺れる。
ぶるぶると時折声と連動するように体を震わしながら、目だけは強く負の光を宿す。
まともではない。
ほとんどの人間は、近寄りたくはないだろう姿。
「いいやつだよなぁ……いいやつだ。はは、お前ってやつは、そうさ。そうなんだろうよ。でも仕方ない。仕方ないんだよ、これも大きなものの為だ? 仕方ないんだよなぁ!」
そのさまは、どうみたっておかしくなっているとしか思えない。
けれど、啓一郎はなぜか――それが、当たり前のようにも感じていた。酷く、それが似合っているかのような。かちっとはまるようなものに近づいててさえいるような。
「人気のないところに呼び出して――って、一昔前の不良漫画なりじゃあるまいし」
「ははっ! 喧嘩大好きのヤンキーとかよりは考えてる。考えてるさ! お前に直接は効かない。どうしたってそうだ。もうそんなことは試したからわかってるっ」
何を言っているのか、正確なことはわからない。
しかし、啓一郎は、知っていた。知っていたのだ。
平気だっただけで、それは、ずっと啓一郎が遠巻きに受け続けていたものの一つでもあったから。
ただ、友達だったのも事実で。啓一郎は、そう思っていたのも事実で。
遊んだりしたことも、笑いあった時だってあったのも。
だから、気付いていようが――それが直接向けられようが、強くなっていくのを把握していてさえ、何をすることもできなかった。
「でも、でもな? こうして場所ごとなら人払い位できる。特別さ、お前みたいなのは、特別なんだ。それが悪いってわけじゃない――悪いってわけじゃないけど、でも、だから」
支離滅裂だ。
話しかけられているのか、ただ呟いているのかさえわからない調子。
それでも、しっかり強く――敵意と、害意だけは、煮詰められたようなそれだけは、しっかりと啓一郎には見え続けているのだ。
初めて会った時から感じ続けているそれ。
見ないふりだったろうか。それとも、信じたかったのだろうか。それとも、それとも。啓一郎の頭の中という水面には、後悔だけはいくつも浮かぶものだった。
「義理堅いよなぁ。代子ちゃんも、そういうところが気に入ったのかもしれない。あぁ、でもダメだ。ダメなんだよ、それじゃ。代子ちゃんをダメにしたのは、お前だ!!! あれじゃあ駄目なんだ! 代子ちゃんはもっと輝かなきゃ、輝かせなきゃ、もっと……!」
ついには当たり前のようにするりと刃物を取り出した。すこん、と白木だろうか、鞘が地面に落ちた。それは、ナイフと呼ぶには少し刃渡りの長い、長脇差めいたもの。そして、それを構え――まっすぐに襲い掛かってくる。
唐突のそれは不意を打つには上等で、不安定な精神のわりに――むしろだからこそなのかもしれないが、しっかりと当たれば深く傷を負うのがわかるほどの突進で。
しかしそれは、それでも簡単に避けられた。
「いい奴のふりすんなよ。こうして刺されそうになってさぁ、戸惑ったような顔を当たり前のようにするなっ。あぁ、そうだ。お前は友達だっていって、それを大切に思うふりをしながら、誰も対等になんか見てりゃしねぇんだ」
「何を」
「そうだろ。そうだろ!? だからこんなクソみたいな呼び出しでもこれたし、今も逃げようともしやしない」
矛盾する台詞を吐きながら、それを訂正することもできない。バックステップでとった距離を潰して踏み込まれた浅井の勢いが、そうすることを許さない。
そうして近距離で横なぎにふられるそれは、本来なら避け難いもののはずだ。
それでも、戸惑いを隠せないままでも、当然のように啓一郎は回避することができた。危うげというものは、そこにはない。
拙すぎるわけでもない。遅いわけでもないのだ。
それでも、むやみやたらに癇癪のように振るわれるそれは、かすりさえしない。
身体能力の差がありありとでている。男女差というには、何かドーピングでもしているかのように浅井は異様な運動能力を発揮している。全ての一撃一撃は、常人なら致命傷か、すでに死んでいてもおかしくないような傷がついていて何の不思議もないものなのだ。だからどちらがおかしいのかといえば、きっと啓一郎の方だろう。
「こねぇよ! 普通はっ。こねぇだろうが、ダチでも! 怪しすぎるんだからなぁ……! それで来たって、遠巻きにするか引き返すだろ! 明らかにおかしなやつと場所なんだから。そうじゃなくとも、私は、代子ちゃんとかよりよっぽど付き合いねぇんだからさぁ……それでも来て、反撃もしねぇで話聞いてんのは余裕だからだ。何とでもできる存在としてしか見てねぇからだ。見下してんだよ、お前は! 私も、それ以外も!」
当たらない刃物の代わりというように、叩きつけるように振るわれる、こればかりは回避できない罵倒。
しかし――怒りはわかない。むしろ、戸惑う。
(どうしてだ?)
ぶつけられている。怒りを感じる。何かどす黒い暗い暗い感情に支配されているようなのは確かなのだ。取り乱しようがどうしてかしっくりくるとはいえ、正常ともいえはしないだろう。
刃物は己に振るわれている。言葉も己に振るわれている。
それはきっと、本人でなく他者が見ても確かだろうはず。
(なのに、こんなにも響いてこない?)
言葉が響かない。
それは、どうでもいい存在だと思っているから――というわけではない。
こんなことをされても、良い悪いはともかく――今だ啓一郎の中で浅井は友達というカテゴリから外せずにいるままだ。
そうではない。啓一郎ではない。
(あまりに、俺に向いてないような……?)
全くではない。
しかし、啓一郎が感じ取るに、それはあまりに薄かった。
あまりに、啓一郎自身という存在を見ていないような。目の前にいるのに、通してその先のものに全ては振るわれているような。どこか、虚しさを覚えてしまうように。目の前にいるのに、無視をされているかのような錯覚さえ覚えるくらいに。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
12
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる