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鬼の首40

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『はぁ!? そん、そんなこと』
「いつだってよかった。こうなる前に、言えばよかった。それで『幻滅したわぁ、糞じゃん』で離れられるほど賢くはないことくらい、お前が一番わかってたんじゃないのか。嫉妬でも何でも、ずっと見ていたお前が一番。そうじゃないのか。
お前の言う通り、付き合いが短い俺から見ても、あいつそういうところ馬鹿なんだから。
そして、続けて言えばよかった。それでも、意味わからないと思うけど、離れたくないくらい好きですって、言えばよかった」

 浅井は、そんなこと、そんなこと、とただ馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。

「相談すればよかった。喧嘩すればよかった。」

 当たり前のような事を言われる。
 何を綺麗事を等と言い返すか、という啓一郎の予想はまるで外れ、ただただその言葉が受け入れられないように、浅井はその崩れ落ちる異形とかした手で耳をふさいだ。
 きっと、自分が言ったとしても、こうはなっていないだろうと、啓一郎は確信する。できてしまう。

「助けてもらったから。嬉しかったから。
でも、羨ましかったから――汚い感情にまみれた自分と比較してしまったから。そういうふうにぐちゃぐちゃですって。彼女だけじゃなくていい、俺でもよかった」

 聞きたくないのだ、受け入れたくないのだ、認めたくないのだ。
 それを言葉にはしない。ただ、全身であらわすように、耳をふさいだまま、とうとううずくまる。

「クソほど腹黒くてさぁ、性格もクズよりなのに、臆病すぎるんだよな、祥子はさ――好きだからとだけ思い込んで、他のものはないってことにしなくて良かったんだよ。俺はともかく、神田町ちゃんだって、君を神聖視なんてしてないんだから。そんなにあの子、馬鹿じゃないんだから。ばれてるよ、全部じゃなくても。あの子を馬鹿にし過ぎてるんだよ、ずっと。そういうところが性格悪いって事なんだけど」

 拒否を察してほしい。それはそういう態度でしかない。そして、そんな体制になろうと聞こえないふりはできても聞こえなくなるわけではないのだ。
 朽ちて言っていようが、間違いなく聞こえている。

 いいや、むしろそうできてもしないかもしれない。
 言われている通りの臆病であるなら、そういうものこそ悪口で傷つく癖に、聞かずにはいられないのだから。

「好きだけで塗り固めなくて良かったんだ。ちょとくらい嫉妬したって、そんなの誰にだってあるんだよ。そんなの、君だけが特別なわけじゃない」

 啓一郎は、まるで鬼退治だ、とふと思った。
 刀で切り捨てていくでもない、徳の高い坊主だかなんだかが、言葉でそれらしく諭すでもない。しかし、鬼退治らしいと。姿かたちだけで思えているかもしれないが、そういう風に感じたのだ。

 馬鹿げているし、綺麗事だし、なにより何他人事のように思っているのだという罪悪感のようなものさえ混じりながら、啓一郎は思ったのだ。
 心の鬼を一方的に攻め立てて認めないことを許さないというような、そんなような鬼退治だと。
 ぼろぼろと崩れていくのは自壊だろうが、まるで言葉で削れて言っているようにすら見えてしまう光景が、なおさらにその考えを認めているようですらある。

「俺だってそうだよ。例えば、」

 嫌々するように首を振る浅井を無視して喋り続ける竹中は、聞いているのだという事を理解しているのだろう。
 態度はずっと変わらない。
 それは、啓一郎に振り向いて苦笑する今も。

「啓一郎に、嫉妬くらいしてたよ。だって強くてかっこいいじゃんこいつ。口悪いけど、優しいし、なんだかんだ、付き合いもいい。臆病なところは祥子に似て、だめだと思うし色々他に欠点とかもあるんだけど……そういうところがあるからさ、フォローしがいもあるんじゃんか。それに、それは神田町ちゃんにも、祥子にもだよ。
でも、友達だから。そういうのより一緒にいて楽しいし、好きだってのが勝つだろ。だから、それでいいんじゃんか。それでよかったんだよ。殺すとか殺さないとか、担ぎ上げるとか、そういう意味わからないことになんてしなくて良かったんだ」

 独演会のように、ただただ竹中がしゃべり続ける。
 一番、この中で簡単に死ぬだろうものが、ただ一方的に。それは、見ようによってはとてもとても奇妙なことで。おあつらえ向きに整えられた不自然さがあるとしても、その2人は自然だから。そうあることに不自然さがないから。
 だから、啓一郎は、竹中が羨ましくなった。

「好きだって、嫌な部分があって当然なんだよ。
聖人じゃないんだから、そんなものにはなれないんだから、あってよかった」

 いや、それは竹中だけではなくて。
 多分、友人ができて、そこから更に大切になりそうな人までできて、世界が広がって。
 啓一郎は、ずっと、それをもっていた他人が羨ましかったのではないかという自覚を。

「人より凄いことができるのは単純に凄い事だけど、中身はただの人間でしかないんだよ。中身まで、超人になったわけじゃないんだ。それがわかるんだよ。俺たち全員、そうなんだ。
不器用だったり、臆病だったり、付き合いよかったり、性格悪かったり、良い奴なんだよ。ほら、この中で自覚無しに一番力の強い啓一郎だって、いまだって、目の前でこんなこといってるのに怒らないし、空気読んで任せてくれるんだよ?
なんかあれば飛び出せるように構えたりもしちゃってさぁ。いつも、そっけないくせに、ちゃんと最後まで付き合ってくれるんだよ。
神田町ちゃんだって、そうだったろ。
わかるだろ?」

 違うのだ。
 とそう言いたくなる。首を振りたくなる。

 空気を読んでいる等のことではないのだと。ただ、関われないだけなのだと。そういいたくなる。言わなかったのは――強がりだろうか。みっともないから、だろうか。啓一郎には、それさえわからない。

 まぶしく思うように、羨ましく思うようにしておきながら――どうして、こんなに心が冷えるのかも。
 どうして、こんなに嫌な予感がするのかも。何も。

 人ならば誰にも勝てるような暴力は、何も答えてはくれないのだ。

「あんまり、特別扱いしてやんなよ。
2人ともさ、わりと寂しがり屋で傷つきやすいんだから」

 そういって笑う。これまでの日常のように、ただ笑う。それは慈愛の笑みでも苦笑でもなくて、ただ、当たり前に、会話の流れで産まれるような珍しくもない笑い。
 ただ、それをどう感じたのか。浅井がばっと、驚くように、何か感じたように顔を上げた。

「力だった。力が欲しかった。こんなものじゃないにしても」

 啓一郎の方を向く。その顔は――やっぱり苦笑になっていく。先ほどまでの笑みではない。それが、どうしてか啓一郎は悲しい。まるで、ずっと謝罪されているようで。申し訳なく思われているのが伝わってくるようで。

「手に入れた。なんか、使いようによってはフォローできるし、言いたいこと言ってやって、うまくいきゃあ俺はちょっとまずいことになるけどなんとか丸くは無理でも治められるかなぁなんて思ってたんだけど……こんな風に、じゃないんだよなぁ、ほんと。どうしてここまで暴走しちゃうんだか……やったことがなんとなくわかっちゃうから、取り返しがつかないってのもわかるんだよなぁ、これ、本当もう……まぁ」

 啓一郎が支える手から、竹中がそっと抜ける。まるで自然な動作で。
 そうして、ぽん、と啓一郎の肩を叩いたのは、いったいどういう感情だったのだろう。少なくとも、啓一郎にはわからない。

 ただ、それが合図だったように、竹中は1人でもうぼろぼろの浅井にまるで躊躇なく歩み寄っていったのだ。
 小さく声を漏らすことも、馬鹿のように手を伸ばすことも、啓一郎にはできなかった。
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