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鬼の首48
しおりを挟むいや、意味はあった。
「や、めろぉぉぉぉぉ! 何をしてんだよっ。お前、お前こんなことをするためにここでやってきたんじゃないだろ!? お前は、お前はそんなんじゃっ……!」
天秤が、それでも追い詰められた状況を打開するためにか、鬼の純度を高くして天秤という人間の要素が削れようと本質は変わらないからなのか、再び人質戦略を取ろうと神田町の顔を目の前に出現させた。
それを――啓一郎が結果的には己の内におさまる事、と。
結局、死にはしないのだから、と。
血を吐くような静止が、己から聞こえたような気がしたのも無視して――むしろそれを隙とみてもろとも砕かんと拳を振り押そうとした時に。
その声は響いたのだ。
一瞬の動きが鈍る。
それは、気持ちがどうとかとかそういう奇跡が起きたから――ではない。
証拠に、拳はそれでも進んだ。少し鈍った程度では変わらない。ただ、その方向はずれているようだった。神田町の差し出された顔面に少しはかすったが砕けることはなく――それて当たった天秤の二の腕あたりが肉片もろとも消し飛ばされるだけの結果に終わる。
『引き寄せと――』
それは、叫んだ浅井による引き寄せと。
『邪魔だ』
今剥がされて無造作に蹴り飛ばされた、横合いから邪魔するように突撃してしがみついていた竹中が起こした結果だった。
『美しい友情だなぁ!?』
『お前は醜いからな。目でも眩んだか?』
互いが煽りながら呼吸を整える。それもどこか、息があった様子で。
「見ろよ……! 何余裕ぶってんだお前……! 今の自分の姿を見ろ、したことを見ろよ……なんのために、なんのために帰ろうとしてんだよ……! お前、私より馬鹿じゃないんだろ!?」
「俺たちが言えることじゃないけど、引き返してくれっ。啓一郎を、自分を切り捨てないでくれよ! そんなことみんな望んでないからとかじゃない、そういうことじゃないんだ。そこに、そこに救いはないんだよ!」
叫んでいるそれらを見て、どうしてか表情が落ちる自らに気付く。
鼻で笑えるはずが、心の底から何かそれに賛同するような気持ちが止められないのだ。同時に『お前らがいうな』という気持ちもあったが。
『お優しいじゃあねぇか。聞いてやったらどうだ、あ?』
『黙れ』
お互いがやり合いすぎた結果か、回復速度も遅くなって特にアイテムの一つも使えない天秤は傷だらけだ。
それを整えるためか時間を伸ばそうとしていることはわかりつつも、啓一郎は攻撃できない。
止める声がある。それは、少しはあるかもしれないがお涙頂戴友情劇だけが起こしたものではない。そんなものだけで止まりはしない。そもそも、それを一方的に捨てた奴らだとも思っているのだ、そこまでの力はない。
無視してはいけないと警鐘を鳴らされているからだ。
揺さぶられている。
これくらいで揺らぐはずのない自身の感情が揺さぶられている。
啓一郎は不信を抱く。
『くく――勘弁していやるよ。うまく弱体化でもしてくれよ……』
『あぁ?』
呟いた天秤を胡乱気に見る過程で、神田町とも目が合った。
苦痛の表情はない。
苦悶の表情はない。
タスケテ、という表情でもない。
ただ、仕方のない人を見るような目で、啓一郎を見ていた神田町と。
『――』
隙間だった。
それは、2人の声とは違う明確に発生した感情による隙間だった。
中の鬼が戸惑うほどの、抑えきれないほどの強い感情の。
「そこ、だっ」
それが、鬼に食われる前にどんどんと増大――いや、底から引っ張り上げられていく。
『浅井ぃぃぃっ、貴様、また邪魔をっ!』
『ざまぁねぇなぁ! 純度削って俺に殺されちまえ!』
感情が引っこ抜かれる。
表層に――つまり、鬼としての啓一郎ではなく、それは人間としての啓一郎の思想。感情。
「後で殺されてやる……! だから、今はその状態でもいっぺん、代子ちゃんを見ろぉ!」
「頼むよ! 俺たちの我儘だけどさ……お前はそんなものにならないでくれよ、知らない誰かじゃなくて、裁かれるのも、怒られるのも、殺されるのもお前じゃなきゃ嫌なんだよ、こっちは!」
言葉に左右されたわけではない。
天秤が純度が落ちてもろもろが下がった隙を狙ってこちらに加速しようと力をためていたから――目を向けた。
もう一度、目が合う。
妻の。家族の。
今度は、表情がはっきりと見えた。削れた傷からまだ血を流す妻の。己がたった今傷つけた『結果的に戻るから良し』とした妻を。
『――』
家族に浮かんでいたのは――怒りでも悲しみでもない。状況に対する怒りや悲しみでも、攻撃された怒りや悲しみでも。
そこに浮かべられていたのは、神田町の『仕方ない人だなぁ』というよく見た顔。
ぱき、と鬼にひびが入る。
餌となる感情の取得ができなくなるどころか、逆巻きの感情が押し寄せたからだ。
申し訳なさと、穏やかさと郷愁のような締め付けられる気持ちでは、今までのような劇的な力の――現在の二匹のような鬼の、餌たりえないらしい。
「こ、こだぁぁぁ!」
竹中の声が響く。
それに合わせるように天秤ががくり、と膝をつく。
それはまるで、急に力が抜かれでもしたようだった。
『て、めぇっ』
そこまでは予想外、という天秤の叫びは耳に入らない。
啓一郎はただ、鬼という情報が一時的に己の中から消えたことに戸惑っていた。それは急速に人に戻ったりするものでなく、放置すればそのまま戻る程度のものでしかなかったが、それでも戸惑った。
戸惑えるほどに、啓一郎が我に返ったのだ。
「制御しろよ! してくれよ! できるだろう!? どうせ力にしなきゃいけないなら、お前のままで――!」
『よくも俺の力を対価になんぞっ――砕けろやゴミがぁっ!』
天秤の一撃によって竹中の頭が砕け散り、辺りに赤黒の肉片のアートを作る。
それを片目に映しながら人間の部分が、啓一郎としての感情が更に引っ張られて保ちやすくなっている――鬼としての肉体を持ちながら、人間の意思を持っているという奇妙な状態。
啓一郎は、ただただぞっとした。先ほどまでの己に。
ある種冷静になったようなものだ。狂った状態から冷静になるというのは、ある意味残酷なことである。
自分の先ほどまでの思考がわかってしまう。全て、酔って記憶をなくすように無くなったりはしていない。そこに、記憶と体験としてしっかりと残っているのだから。
全てないがしろにしてただ粉砕して解決しようとする己。
それこそが正しいのだ――とすら考えないで力を振るう己。
力を得るならその過程などどうでもいいといわんばかりに天秤に利するような発言をしたかと思えば――何より大事にしたかった家族に攻撃する。手に入るのだから過程はどうでもいいとばかりに。
恐ろしい事だった。
力を求めて自分を消し去るという事が。結果だけが全てというのは。
人間の部分が戻ってきて――無力感のようなものは確かに戻ってきた。だが、先ほどから比べればそれのなんと安心できることだろうか。
それでもそれが自分だと、認めねばならない瞬間だった。
(あぁ――そして、これは)
改めて人間である啓一郎を自覚できたからか、己という存在についても理解が深まる結果となった。
(そうか、つまり俺たちのような存在とは)
天秤や己という異常な存在。
なり損ない。完成。
耳にしたり、一部で会ってきたようなオカルト的な事象を起こすような存在。
何故、人間にそのようなものたちが産まれねばならなかったのか。
産まれてきたのか。
(終末、終わり。救世主――あぁ、暴れていたのは)
天秤がここにきてなおむちゃくちゃな言動になっていたこと。
気付いたからだろう。
産まれたらしい完成品とは。
結果的に己や――他のダンジョンにいる者たちは助かったような形のようだが、本来はそうではないのだ、と。
同じ種を、危機から助けるようなものではないのだ。
他の人間を、助けるために力を持って生まれてくるのではないのだ。
何をもって、完成となったのか――何にとって完成なのか。それを、きっと天秤はここに来る過程で実際に見て知ってしまったのだろう。
結局、自分の行動は逃避にすぎず――自らが生きるためには何のためにも本来は繋がっていなかったことを。
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