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第一章 「伝説の勇者の息子」
暗雲
しおりを挟むヨエルの告白に、ジュリアは驚きを隠せなかった。
誰もが羨み、憧れるはずの存在である伝説の勇者の息子でありながら、自らはその勇者という存在を拒むなど、想像もしていなかった。
寧ろ、破戒の剣を手に入れる為に過酷な修行に耐え抜いたのも、或いは父のようになりたいからだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
であれば、何故強くなることを望んだのだろうかという疑問が浮かび上がってくるのだが。
ただ純粋な想いだけで強くなれるわけでもなく、ましてその想いだけでは絶対に耐えられない程の修行であったことをジュリアは知っていた為、当然その疑問を抱くのだが、それはどうしても分からなかった。
「あなただって、お父さんのようになりたくて強くなろうとしたんじゃないの?」
「…さあな。どうして強くなろうとしたかなんて、もう忘れたよ」
一呼吸置いて答えるヨエルだったが、目を逸らして答えるそれは本心ではないように思える。
否、本心ではないはずだが、その真意は頑なに語ろうとはせず、胸の奥底に隠していた。
考えられるのは、幼いヨエルを突き動かし、そして何故手にしたのか分からないままでも破戒の剣を手放そうとしないまでにさせる程の何かがあったであろうということであり、それはヨエルにとって語りたくない、彼自身の中に秘めたままでいたいものなのであろうということであった。
ただ、憂いを秘めたその眼差しから察するに、恐らくそれはヨエルには辛く悲しいものであろうということは、想像に難くない。
「それに、親父は確かに伝説の勇者だったかも知れないけど、俺にとっては勇者でもなければ一人の父親ですらなかった。息子を置いていったような奴のようになんて、なりたいとは思わないね」
「ヨエル、それは違うわ。あなたは誤解してる」
「誤解?どんな理由があっても、俺を置き去りにしたのは事実だろ?誰にだって、置き去りにされた俺の気持ちなんて分かりやしないさ」
レガリアが見捨てたわけではないとジュリアは否定しようとするが、ヨエルは聞く耳を持たなかった。
確かに、どんな理由があろうと、孤独な時間をヨエルが過ごしてきたことには変わりがなく、そしてその時の想いと心の傷がどのようなものであったのかは、ヨエル以外には分かり得ないものだった。
ジュリアにどのような言葉を掛けられても、本人の…父の口から事実を聞かない限りは、きっと誤解だったとしても分かり合えることはないだろう。
そもそも、父の口から真相を聞いたとしても、果たして許すことができるかどうかすら怪しい程に、ヨエルとレガリアの間には深い確執があった。
そんな父が伝説の勇者だと言われても、ヨエルにとっては自分を置き去りにして出て行った男でしかなかった。
だからこそ、父のような男には、勇者にはなりたくなかった。
「俺にとっては、顔も姿も、声すらも覚えちゃいないんだ。名前だけが有名であっても、俺にとってはその程度のちっぽけな存在なんだよ。そんな奴に憧れるなんざ、その方がどうかしてると思うね」
「ヨエル…」
ヨエルの心情を察したジュリアには、それ以上掛ける言葉がなかった。
例えレガリアのことを弁明しようとしても、きっと今のヨエルには何も届かず、響きもしないだろう。
それを理解しているからこそ、何も言えなかった。
「……ごめんなさい。あなたの気持ちを考えないで、軽率だったわね」
「別に、あんたに謝ってほしいわけじゃないよ。俺が勇者を気に食わないってのは、今言ったことが全部なわけじゃないんだし、気にしないでくれ」
勇者という存在が祀られる中でどこか斜に構え、やや冷めて皮肉なように感じられるヨエルの性格の所以は、恐らくここに集約されるのだろう。
伝説の勇者の息子であるにも関わらず、勇者という存在を認めていないというのは、時代に取り残された異端児のようにも思える。
であれば、尚の事勇者を目指すスクールに入所する理由がないということにも頷ける。
「オーウェンが何を企んでるのかは知らないし、どうでもいい。でも、俺が勇者を目指さないってのも、スクールに入所する理由はないってことも理解できただろ?」
「そうね…。残念だけど…」
「そういうこと。まあ、これから先のことは適当に考えるよ。生きてりゃそのうち、何か見付かると思うからさ」
先のことは分からないながらも、スクールに入所する理由がなければ、当然ここにいる理由はなかった。
ヨエルは結局コーヒーに一度も口を付けることなく、その場を後にすべく立て掛けていた破戒の剣を手にしようとする。
その刹那、突如としてヨエルの耳に強烈で不快な耳鳴りが響き渡り、それに続いて頭が割れそうな程の激しい頭痛が襲った。
「ぐっ…!?」
今まで体験したことがない激しい痛みと不快感に耐えつつも、小さな悲鳴を上げたヨエルは、ソファーから崩れ落ちそうになる。
それらの感覚は治まるばかりか、次第に強烈なものへとなっていくばかりで、全身から脂汗が噴き出るのが嫌でも分かった。
(痛え…!!なん…だ……何なんだ、これ…!?)
「ヨエル!?どうしたの、ヨエル!?」
慌てて駆け寄るジュリアだったが、その声はヨエルに届くことはない。
否、そんな余裕などヨエルにありはしなかった。
ジュリアの声も、自分の背中に当てられた手の感覚ですらも、今のヨエルには全く届かず、また受け入れる余裕などなかった。
このまま意識を失うのでは、果ては死すら意識する程の感覚の中で、ふとヨエルの耳の中で劈く耳鳴りは、何か声のようなものへと変わり始めたように感じた。
何を言っているのか、何と受け取るべきなのか分からないが、その声のようなものは次第に大きくなっていく。
瞬間、確かにはっきりと聞こえたのは、予想もしないものだった。
【……ヨエル……】
それは、紛れもなく自分の名前だった。
誰が、何が呼んだのかは分からないが、それでも確かに自分の名前であることに変わりはなく、そしてそれが聞き取れた瞬間、気付けば今までの頭痛と不快感は何事もなかったかのように引いていた。
「……?」
未だ汗が引いていない中で、ヨエルは周囲を見回す。
その傍らには、血相を変えて自身の顔を覗き込むジュリアの姿があるのみで、それ以外に変わったものは特に見当たらない。
だとしたら、あの声の主はジュリアだったのかとも思ったが、そもそもあれは男のものでも女のものでもなかった。
声だと認識できるのにおかしな話だと分かりつつも、しかしそうだと認識せざるを得ないのだから仕方がない。
「大丈夫!?何があったの!?」
「…分からない。急に頭が痛くなって…」
フォーキールに来るまでの道中や過酷な修行を経てきて、全身を強打したり、頭を打ったこともあったが、それが原因でこのような症状に苛まれたことは一度もなかった。
そして、声が聞こえたなどということだって当然あるはずがなかった。
「…もう大丈夫。悪い、心配掛けて…」
「それは良いけど…、本当に大丈夫?」
心配するジュリアに見せつけるように、ヨエルはまるで体力を全て持っていかれたかのような倦怠感と脱力感に苛まれながらも、辛うじて立ち上がる。
どうやら一時的なものだったようで、一時は手放しかけた感覚も徐々に戻りつつあり、それを確かめるかのように手に力を込めて握りしめた。
(本当に、何だったんだ…?確かに、俺の名前を呼ばれたような…)
気が付けば、頭痛と耳鳴りはこの一瞬で嘘のように消え去っている。
当のヨエル本人ですら分からないのに、それをただ傍観するしかなかったジュリアは、もっと何が起きたのか分からずにいた。
二人が顔を見合わせた直後、突如として激しい振動が部屋中を襲う。
二人の身体は大きくよろめき、部屋の中にある置物なども揺れ動く程の揺れは、今までに体感したことがないものだった。
「きゃあっ!!じ、地震!?」
「今度は何だ…!?」
ヨエルは揺れに抗うように、先程まで座っていたソファーに手を掛け、もう片方の手を身動きが取れないジュリアの華奢な身体に回して支える。
頭痛といい、耳鳴りといい、そしてこの地震のような激しい揺れといい、今日はどうして体感したことがないものをこうも経験することになるのか。
そんなことを思ったが、頭痛と耳鳴りとは違い、揺れは一向に止む兆しを見せなかった。
「長いな…。地震じゃないのか…?」
激しい地震に苛まれた者は、例え実際に揺れる時間が短くとも、体感時間としては途轍もなく長く感じると聞くが、この揺れは地震のそれとは違うように感じる。
というのも、激しく揺れたかと思えば小刻みに揺れ、縦にも横にも揺れ動いているなど、地震として考えるにはあまりにも不自然なものであった。
「失礼します!!ご無事ですか、教官!?」
いつまで続くかと思われる中で、一人の少年が部屋のドアをこじ開けて入ってきた。
「ラクティス!!何があったの!?」
眼鏡を掛け、長い黒髪をセンターに分けた髪型の矯正な顔立ちをしたラクティスと呼ばれた少年は、ジュリアを見付けるや否や、緊迫した表情の中に安堵感を含ませたものになる。
だが、それどころではないと思い直したのか、すぐに表情を戻し、細い身体でドアを支えにして揺れに抗いながら言葉を続けた。
「大変です!!フォーキールの郊外上空に、『魔神』が出現した模様!!直ちに教官及び室隊長は会議室に集まられたしとのご報告に上がりました!!」
『魔神』の出現。
その言葉を聞いた二人は、思わず耳を疑った。
「『魔神』ですって…!?しばらく姿を見せなかったのに、何で…!?」
「分かりません…!!しかし、軍から送られてきた情報には、確かに『魔神』の姿が確認できたと…!!」
且つて滅び、そして数年前に再び姿を現した『魔神』。
父とその仲間が一度は倒したはずの異形の存在。
それが今、ヨエルがいるフォーキールの近くに来ていた。
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