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第一章

26. 再会

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『大事な話があるんだ。会えないか?』

 スピーカーの向こうから聞こえたのは、そんな台詞だった。

 言いたいことは、たくさんあった。
 聞きたいことも、たくさんあった。

 でも、それ以上に俺の胸に込み上げたのは別の感情だった。



 待ち合わせの時間よりも早く着いた喫茶店で、一人時間をつぶす。
 とっくに昼食の時間は過ぎていたが、どうしても食べる気にはなれなかった。

 注文したアイスコーヒーのグラスが結露してゆくのを眺めていると、軽やかなドアベルの音が響く。
 振り返れば、そこには待ち侘びていた人物だった。

「父ちゃん……」

 随分と久しぶりに口にした呼び名に、声が掠れた。記憶よりも少し老けた彼は、目を見開き、たじろぐ様に肩を揺らす。
 しかし、それも束の間のことで、次の瞬間には無表情で向かいの席へと腰を下ろした。
「久しぶり……元気だった?」
 用意していた台詞は沢山あった筈なのに、そんな言葉しか出てこなかった。
「あぁ、お前は変わらないな」

 前に会った時のこと覚えてるのー……?

 そんなことは聞けなかった。

 だって俺は、父ちゃんが大好きだったから。

 はやる気持ちを抑えながら、そっと本題に入る。
「なぁ、それよりさ。大事な話って何?」
 そう尋ねれば、父親は顔を顰めて俯いた。
「今更なんだが…………」
 机の上で握りしめた拳は微かに震えている。俺の胸は、緊張で高鳴った。


 "一緒に暮らそう"


 もしかしたら、そう言ってくれる?

 俺の胸に込み上げたのは"期待"だった。
 もうずっと。ずっと昔から、俺はその言葉を待っていた。


 しかしー……


「通帳を返してくれないか」


 紡がれたのは、全く別の台詞だった。
「…………ーえ?」
 乾いた喉から声が零れれば、父親は手にしていた鞄から書類を取り出した。
「もしくは、ここにサインしてくれ」
 節くれだった無骨な指が、トンと書類の一部を指さす。

 そっと視線を下ろせば、そこには『連帯保証人』という欄だった。

「……なに、これ」

 書類から目が離せないまま呟くと、父親は静かに言った。

「金が必要なんだよ」
「だって、じいちゃんの家……」
「あの金は有り難く使わせてもらったさ。でも"幸せ"になるために、もっと金が必要なんだよ。分かるだろ?」

 囁くように告げられれば、その吐息と共に酒の匂いが鼻をついた。

 そうだ。
 この人は、あまり会いにこなかった。

 でも、時々きてくれたじゃないか。
 じいちゃんに、"金"を貰いに。

「育ててもらった恩を忘れたのか?サインできないなら通帳を渡せばいいんだよ」

 ほら!と机を叩かれる。
 その時、アイスコーヒーの氷がカラリ……と軽やかな音を立てた。

 一瞬そちらに意識が向き、視線を動かす。
 すると、父親は俺の手元のグラスを見て言った。


「あぁ、じゃないんだな……」


 何を言われたのかなんて、すぐに理解できる。

 頭の片隅に、あの遠い夏の日が蘇った。
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