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第一章

25. 追憶

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 照りつける太陽が眩しい。

 そっと瞳を開けば、そこは懐かしい縁側だった。
 庭先の木からはひっきりなしに蝉の鳴き声が響き、大きな向日葵が青空の下で気持ちよさそうに風に揺れていた。

 大きな背中に、話しかける。

『ねぇ、じいちゃん。母ちゃんはいつ迎えにきてくれるの?』
 祖父は、振り返らない。
『ねぇ、じいちゃん。父ちゃんはいつ会いにきてくれるの?』
 その腰は次第に曲がり、大きいと思っていた背中は小さくなった。


『ねぇ、じいちゃん。どうしたら、俺は迎えにきてもらえるのかな?』


 祖父は、ようやく振り返った。
 深い皺が刻まれた目元が哀しげに歪む。


『父ちゃんを恨まないでやってくれ。弱い子なんだ。許してやってくれ』


 すまない……
 すまなかった……


 俺の手は、誰にも届かない。
 謝る声は、いつまでも響き続けた。





「じいちゃん……?」





 瞼を上げれば、目の前には見慣れた天井が見えた。
 夜寝付けないままソファーでゴロゴロしている内に、どうやら寝てしまっていたらしい。
 体を起こせば、重い頭には、ぼんやりとした夢の名残が残っていた。
 懐かしい縁側を見た気がしたが、酷く朧げな夢のせいで内容までは思い出せない。
 時計を見れば、時刻は朝九時を回ったところだった。
 今日は、休日だ。
 このまま部屋で二度寝だってできる。

「……とりあえず、なんか飲も」

 呟きと共に、ソファーから立ち上がった。
 そういえば、昨日から碌に食べてない気がする。

 けれど、不思議と腹は空かなかった。

 冷蔵庫からペットボトルを取り出し、飲みながらリビングへと戻る。

 すると、ダイニングテーブルに置きっぱなしになっていたスマホが鳴った。
「……早川さんかな?」
 恐る恐るスマホを覗き込む。

 表示された名前を確認した瞬間、持っていたペットボトルが床に転がった。

 急いで、通話ボタンをタップし出る。


「もしもし……っ!」


 スピーカーから聞こえてきたのは、


『あぁ……、やっぱり蒼大か』


 随分と久しぶりに聞く、父親の声だった。





 電話を切った後、俺は決意した。
 リュックと小さなボストンバッグに自分の荷物をすべて詰め込み、部屋を飛び出す。

 鍵はポストの中へ、仲良くなれなかった綺麗な青色のスマホは、ダイニングテーブルに置いてきた。


「いってらっしゃいませ」


 いつものように挨拶をしてくれるコンシェルジュさんの声にすら、振り返ることなく走り出す。



 早川は見てくれるだろうか。
 スマホの下に隠した小さなメモを。



『今までありがとう さようなら』



 さようならの下に消しゴムをかけて隠した文字の跡には、どうか気づかないでほしい。



 だってー……



『好き』



 そんな言葉、俺達の関係に似合わないから。
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