45 / 91
第一章
番外編⑥ コンシェルジュは見た!
しおりを挟む
今日も洗練された制服に身を包み、首元のスカーフまでぬかりなくきちんと結ぶ。
先輩に鍛えられた笑顔の練習を鏡の前で復習すれば、出勤の時間となる。
「いってらっしゃいませ」
高級マンションのコンシェルジュ。
それが、私の仕事だった。
仕事内容は、なかなかハードだ。
共用施設の予約管理・受付や来客対応だけでなく、入居者様に依頼されればタクシーの手配、宅配便の取り次ぎやクリーニングをお預かりすることだってある。
とにかく! とにかく多忙! な毎日を送っていた。
そんな日々を過ごせば、やはり癒しが欲しくなるものでーー…………
「どこかに癒し、落ちてないかなぁ」
いつものように呟けば、隣にいた先輩に軽快に頭を叩かれる。
「馬鹿なこといってんじゃないわよ。入居者様を癒すのが私達の仕事でしょうが」
まさにコンシェルジュの鏡の様な返答に思わず唸る。でも~……、とぶすくれていれば、入居者様がお帰りになった。
「おかえりなさいませ」
姿勢を正して笑顔を浮かべる。
研修で習った通りのお辞儀をすれば、入居者様がカウンターへやってきた。
「初めて見る顔だね。新人さん?」
鼓膜を揺らす様な甘い声に、はっとして顔を上げる。そして、息を呑んだ。
そこには、一人の男性が立っていた。
綺麗なミルクティー色の髪がさらりと揺れ、その下から覗くグリーンがかった青色の瞳が私を捉える。
固まったまま返事ができずにいると、隣にいた先輩が答えてくれた。
「はい。先月入ったばかりの新人でございます。早川様にお会いするのは初めてですね」
カウンターの下で小突かれ、我に返り慌てて名のり挨拶する。
「そう。がんばってね」
早川様はニッコリ笑い一言だけそう言うと、颯爽とエレベーターホールへ行ってしまった。その後ろ姿を完全に見送った先輩が、ほう……と熱っぽい吐息を吐き出した。そして、その後に続いた説明に驚愕する。
「えっ! あの人がオーナーなんですか!? 超若いじゃないですか」
「業者委託されてるから、ここには入居者様として住んでらっしゃるけどね。はぁ……、久しぶりにお会いできたけど今日も素敵な笑顔だったわ…………」
なんだかすっかり癒やされている先輩を横目に、私はどっと疲れた溜息を吐く。
(私はあの笑顔……、ちょっと怖かったけどな…………)
心の中で、一人呟く。
作り物めいた彼の美しい顔のせいだろうか。完璧な笑顔の筈なのに、まるで他者を拒
むような無言の圧力を感じたのだ。
先輩には悪いけれど、早川様はとても私の癒しにはならない…………
そう思っていた時期が、私にもありました。
「間宮くん、おかえり」
「あれ? 早川さんだ! どしたの?」
「スーパーに寄ってくるって言ってたから。手荷物が大変かなと思って迎えにきちゃった」
「それでわざわざ降りてきてくれたの? 仕事中なのにごめんなぁ……」
「ううん、僕がしたかっただけだから。ほら、貸しな。持ってあげるよ」
「……へへ。ありがとー」
マンションの入り口で繰り広げられる会話を、桃源郷を覗くような気持ちでカウンターから見つめる。あぁ……、なんて眼福。
早川様が見下ろす先にいるのは、最近入居された間宮様。彼と二人でいる時の早川様の笑顔は、全然怖くなかった。
これなら先輩の気持ちも分かる。
早川様が初めて彼を連れて帰ってきたあの夜は、コンシェルジュの間で激震が走ったのは言うまでもない。あれ以来同居を開始したらしい彼らを見守るのが、私達の暗黙の仕事の一つになっていた。
今日はオーバーサイズの黄色いパーカーを着た間宮様は、早川様にエコバッグを差し出しながらニコニコしている。
どうやら、迎えにきてもらえて嬉しかった様だ。心なしかゆっくり歩き出す早川様の背に続くその姿は、さながら小動物の子リスのように愛らしい。
微笑ましく見守っていると、電話で別の入居者様に呼び出された。
今日はスタッフ用のエレベーターは点検中のため、お客様用のエレベーターホールへと向かう。
前方には愛しい彼らがいるが、さすがにこれ以上不躾に踏み込むつもりはない。
一本先のエレベーターで行って貰おうと、少し距離を取って歩いていた時だった。
「お姉さん! 乗る?」
そう呼びかけてきたのは、乗り込んだエレベーターの中にいた間宮様だった。
慌てて首を振る。
「とんでもございません。次のエレベーターで行きますので、どうぞお先に……」
「いいって! 早くおいでよ。一緒に乗ろうぜ」
ニカッと白い歯を見せて屈託なく笑うその御姿に胸を撃ち抜かれる。
「で、では、お言葉に甘えて……」
私は、そう答えることしかできなかった。
ご一緒させてもらった私は、お礼を言ってから階数のボタンを押して背を向ける。
間宮様はいつも気さくに話しかけてくれるが、今日は早川様とご一緒だから遠慮する。
なるべく平常心でいると、背後からは楽しそうな小声が聞こえた。
「今日の調子はどう? 順調?」
「うーん……。順調、かな? でも肝心の名前がまだ決まらなくてね。少し煮詰まってるんだ」
「名前かぁ……、重要だなぁ……」
(名前? ペットでも飼うのかな?)
しかし、思わず聞き耳を立ててしまった自分を恥じ、姿勢を正す。
「もう潔く間宮くんの名前から貰っちゃおうかな。蒼大って」
「な……っ、まんまじゃん! やだよ」
「どうして? 僕、間宮くんの名前……、好きだよ」
何かを噴き出しそうになるのを全力で耐えた私を誰か褒めてくれ。
エレベーターの中に、何とも言えない甘ったるい雰囲気が蔓延する。
しかし、それをあっけらかんと払拭したのは、間宮様だった。
「やだって! じゃあ早川さんの名前にしようぜ」
「僕の名前?」
「悠介だから……。うーん、もじってみるとか? ユウスケ、ユウ、ユウ……」
間宮様が少し考え込む。
そして、明るい声で言った。
「あっ!悠介の悠をとって、ハル!悠って悠とも読むからさ」
「えー……」
早川様は、酷く不満そうだ。
しかし、間宮様はちっとも気にしない。
「悠は、禊清められた、広い心を表す言葉なんだぜ。いい名前じゃんか」
その言葉に、早川様がからかう様に言った。
「ふぅーん。随分と詳しいね。さすが僕のファンって感じ」
そこで、私が降りる階についてしまった。
開くエレベーターから静かに降りた。
振り返ると間宮様が手を振ってくれ、私は深くお辞儀する。
(ドアが閉まってから顔を上げよう)
そう思った時だった。
「うん! 俺、早川さんの名前もすっげぇ好きだもん」
弾かれる様に顔を上げれば、エレベーターが閉じた。静かすぎる沈黙が、私を包む。
次の瞬間、赤面した。
だって、扉が閉まる直前に、首まで真っ赤にした早川様を見てしまったから。
「えっ、えっ……、えーっ!?」
思わず絶叫してしまったのは、どうか許して欲しい。自分の頬を叩いて正気を取り戻し、心の中であらためて叫ぶ。
(名前もって、もってなに!? 他に何が好きなの!? や、や、やっぱり二人はそういう関係だったのーー!!?)
その日、コンシェルジュの引き継ぎ事項で二人の報告も上がったのは言うまでもない。
けれど、この時の私はまだ知らなかった。
この二人が、まだ結ばれていなかったなんてーー…………
「その五! イベントに参加しよう……だ!」
あれから数ヶ月後。
マンションの入り口の前で、高らかに宣言する間宮様の姿があった。
面くらい目を丸くしてしまった私に、「ただいまっす!」と元気に挨拶してくれる。
そんな姿はとびっきり愛らしくて、私は笑顔で応援した。
「がんばってください!」
がんばれ! がんばれ! 間宮様。
お姉さんは、いつでも君の味方だぞ☆
《おしまい》
先輩に鍛えられた笑顔の練習を鏡の前で復習すれば、出勤の時間となる。
「いってらっしゃいませ」
高級マンションのコンシェルジュ。
それが、私の仕事だった。
仕事内容は、なかなかハードだ。
共用施設の予約管理・受付や来客対応だけでなく、入居者様に依頼されればタクシーの手配、宅配便の取り次ぎやクリーニングをお預かりすることだってある。
とにかく! とにかく多忙! な毎日を送っていた。
そんな日々を過ごせば、やはり癒しが欲しくなるものでーー…………
「どこかに癒し、落ちてないかなぁ」
いつものように呟けば、隣にいた先輩に軽快に頭を叩かれる。
「馬鹿なこといってんじゃないわよ。入居者様を癒すのが私達の仕事でしょうが」
まさにコンシェルジュの鏡の様な返答に思わず唸る。でも~……、とぶすくれていれば、入居者様がお帰りになった。
「おかえりなさいませ」
姿勢を正して笑顔を浮かべる。
研修で習った通りのお辞儀をすれば、入居者様がカウンターへやってきた。
「初めて見る顔だね。新人さん?」
鼓膜を揺らす様な甘い声に、はっとして顔を上げる。そして、息を呑んだ。
そこには、一人の男性が立っていた。
綺麗なミルクティー色の髪がさらりと揺れ、その下から覗くグリーンがかった青色の瞳が私を捉える。
固まったまま返事ができずにいると、隣にいた先輩が答えてくれた。
「はい。先月入ったばかりの新人でございます。早川様にお会いするのは初めてですね」
カウンターの下で小突かれ、我に返り慌てて名のり挨拶する。
「そう。がんばってね」
早川様はニッコリ笑い一言だけそう言うと、颯爽とエレベーターホールへ行ってしまった。その後ろ姿を完全に見送った先輩が、ほう……と熱っぽい吐息を吐き出した。そして、その後に続いた説明に驚愕する。
「えっ! あの人がオーナーなんですか!? 超若いじゃないですか」
「業者委託されてるから、ここには入居者様として住んでらっしゃるけどね。はぁ……、久しぶりにお会いできたけど今日も素敵な笑顔だったわ…………」
なんだかすっかり癒やされている先輩を横目に、私はどっと疲れた溜息を吐く。
(私はあの笑顔……、ちょっと怖かったけどな…………)
心の中で、一人呟く。
作り物めいた彼の美しい顔のせいだろうか。完璧な笑顔の筈なのに、まるで他者を拒
むような無言の圧力を感じたのだ。
先輩には悪いけれど、早川様はとても私の癒しにはならない…………
そう思っていた時期が、私にもありました。
「間宮くん、おかえり」
「あれ? 早川さんだ! どしたの?」
「スーパーに寄ってくるって言ってたから。手荷物が大変かなと思って迎えにきちゃった」
「それでわざわざ降りてきてくれたの? 仕事中なのにごめんなぁ……」
「ううん、僕がしたかっただけだから。ほら、貸しな。持ってあげるよ」
「……へへ。ありがとー」
マンションの入り口で繰り広げられる会話を、桃源郷を覗くような気持ちでカウンターから見つめる。あぁ……、なんて眼福。
早川様が見下ろす先にいるのは、最近入居された間宮様。彼と二人でいる時の早川様の笑顔は、全然怖くなかった。
これなら先輩の気持ちも分かる。
早川様が初めて彼を連れて帰ってきたあの夜は、コンシェルジュの間で激震が走ったのは言うまでもない。あれ以来同居を開始したらしい彼らを見守るのが、私達の暗黙の仕事の一つになっていた。
今日はオーバーサイズの黄色いパーカーを着た間宮様は、早川様にエコバッグを差し出しながらニコニコしている。
どうやら、迎えにきてもらえて嬉しかった様だ。心なしかゆっくり歩き出す早川様の背に続くその姿は、さながら小動物の子リスのように愛らしい。
微笑ましく見守っていると、電話で別の入居者様に呼び出された。
今日はスタッフ用のエレベーターは点検中のため、お客様用のエレベーターホールへと向かう。
前方には愛しい彼らがいるが、さすがにこれ以上不躾に踏み込むつもりはない。
一本先のエレベーターで行って貰おうと、少し距離を取って歩いていた時だった。
「お姉さん! 乗る?」
そう呼びかけてきたのは、乗り込んだエレベーターの中にいた間宮様だった。
慌てて首を振る。
「とんでもございません。次のエレベーターで行きますので、どうぞお先に……」
「いいって! 早くおいでよ。一緒に乗ろうぜ」
ニカッと白い歯を見せて屈託なく笑うその御姿に胸を撃ち抜かれる。
「で、では、お言葉に甘えて……」
私は、そう答えることしかできなかった。
ご一緒させてもらった私は、お礼を言ってから階数のボタンを押して背を向ける。
間宮様はいつも気さくに話しかけてくれるが、今日は早川様とご一緒だから遠慮する。
なるべく平常心でいると、背後からは楽しそうな小声が聞こえた。
「今日の調子はどう? 順調?」
「うーん……。順調、かな? でも肝心の名前がまだ決まらなくてね。少し煮詰まってるんだ」
「名前かぁ……、重要だなぁ……」
(名前? ペットでも飼うのかな?)
しかし、思わず聞き耳を立ててしまった自分を恥じ、姿勢を正す。
「もう潔く間宮くんの名前から貰っちゃおうかな。蒼大って」
「な……っ、まんまじゃん! やだよ」
「どうして? 僕、間宮くんの名前……、好きだよ」
何かを噴き出しそうになるのを全力で耐えた私を誰か褒めてくれ。
エレベーターの中に、何とも言えない甘ったるい雰囲気が蔓延する。
しかし、それをあっけらかんと払拭したのは、間宮様だった。
「やだって! じゃあ早川さんの名前にしようぜ」
「僕の名前?」
「悠介だから……。うーん、もじってみるとか? ユウスケ、ユウ、ユウ……」
間宮様が少し考え込む。
そして、明るい声で言った。
「あっ!悠介の悠をとって、ハル!悠って悠とも読むからさ」
「えー……」
早川様は、酷く不満そうだ。
しかし、間宮様はちっとも気にしない。
「悠は、禊清められた、広い心を表す言葉なんだぜ。いい名前じゃんか」
その言葉に、早川様がからかう様に言った。
「ふぅーん。随分と詳しいね。さすが僕のファンって感じ」
そこで、私が降りる階についてしまった。
開くエレベーターから静かに降りた。
振り返ると間宮様が手を振ってくれ、私は深くお辞儀する。
(ドアが閉まってから顔を上げよう)
そう思った時だった。
「うん! 俺、早川さんの名前もすっげぇ好きだもん」
弾かれる様に顔を上げれば、エレベーターが閉じた。静かすぎる沈黙が、私を包む。
次の瞬間、赤面した。
だって、扉が閉まる直前に、首まで真っ赤にした早川様を見てしまったから。
「えっ、えっ……、えーっ!?」
思わず絶叫してしまったのは、どうか許して欲しい。自分の頬を叩いて正気を取り戻し、心の中であらためて叫ぶ。
(名前もって、もってなに!? 他に何が好きなの!? や、や、やっぱり二人はそういう関係だったのーー!!?)
その日、コンシェルジュの引き継ぎ事項で二人の報告も上がったのは言うまでもない。
けれど、この時の私はまだ知らなかった。
この二人が、まだ結ばれていなかったなんてーー…………
「その五! イベントに参加しよう……だ!」
あれから数ヶ月後。
マンションの入り口の前で、高らかに宣言する間宮様の姿があった。
面くらい目を丸くしてしまった私に、「ただいまっす!」と元気に挨拶してくれる。
そんな姿はとびっきり愛らしくて、私は笑顔で応援した。
「がんばってください!」
がんばれ! がんばれ! 間宮様。
お姉さんは、いつでも君の味方だぞ☆
《おしまい》
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
40
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる