3 / 49
【1章】運命なんか、信じない
小さな天使とアルファ1
しおりを挟む
──このまま、死ぬのかな……。
婚約者に捨てられ、社会からも必要とされない、惨めな自分。泣いたら負けだと意地を張っていたけれど、心は限界だった。
「……泣いてるの? どこか痛いの?」
子供の声が聞こえてきて、千歳は薄く目を開いた。誰だろうか。
「何だ……? 物乞いか?」
今度は違う声がした。ぼやける視界の中で声の主を捉える。記憶にない顔だ。外国人のような風貌だが、日本語がとても流暢だった。
「触るな、ユキ。病気を持っているかもしれない。……人の家の前で、はしたないと思わないのか。これだからオメガは」
嫌いなんだ。男は憎しみを込めてそう言い放った。屈辱的な言葉を投げかけられているのに、何故か身体の内側が酷く熱い。
──あなたは誰ですか。
そう問いかける気力すらも、千歳には残っていなかった。最後に天使のような少年が駆け寄ってきたと思ったら、そこで千歳の意識は途切れてしまった。
……────。
初めて言葉を話したり、字が書けるようになると、父親は手放しで息子の成長を喜んだ。千歳のバース性もまだ定まらない頃に、父親は自分を抱き締めながらこう言った。
「さすが俺の息子。きっとアルファだな」と。
父が言うのなら、きっとそうなのだろう。男ながらにして千歳を産んだ母も、喜んでいた。
何もかもが順調だった。千歳も父の期待に応えようと、必死に頑張った。けれど、優秀になりたいと焦れば焦るほど、父の理想からかけ離れていった。
「でも、お前はアルファなのだから」
敬虔な信者のように、父は千歳にそうなるようにと祈っていた。千歳にも母にも優しかった。千歳が学校から、一通の封筒を持って帰るまでは。
苦い記憶がふと蘇り、千歳は飛び上がるようにして起きた。身体が熱く、服が貼り付くほどびっしょりと汗をかいている。発情期かと身構えたが、いつまでもあの忌々しい感触が来ない。恐らくただの風邪だろう。
ふかふかの布団とマットレス。見覚えのない部屋を、千歳はぼんやりと眺めた。素泊まりのネットカフェでは、身体を伸ばして眠ることができなかったため、疲れがこびりついたみたいに取れなかった。深く眠れたのは、何週間ぶりのことだろう。
「あ……」
ベッドの横に千歳の荷物が置いてある。スマホの電源を入れて日付と時刻を確かめた。ほぼ丸一日、自分は眠っていたようだ。
今いる場所もここに来た経緯も頭になくて、どっと不安が押し寄せてくる。随分と長い間眠っていたからか、立つと軽く目眩がする。ふらつきながらも、千歳は扉に辿り着いた。ドアノブを握る前に、目の前の扉が開いて驚く。千歳の掠れた悲鳴を上塗りするように、「わあー」と足元で高い声がした。
──男の子……いや、女の子?
くっきりと二重のついた大きい目に、癖のある巻き毛。尻餅をついた可愛い天使は、千歳の顔を見上げている。
「レグ……」
「何だ……ユキ?」
天使のような見た目の子が、千歳から離れて長い足にきゅっとしがみつく。千歳を映す瞳はヘーゼルグリーンの淡色で、幼いながらも目鼻立ちがはっきりしている。千歳のいる部屋に、暖かな光が差し込んだ。
暗い部屋に慣れていた目を瞬かせると、そこで初めてレグと呼ばれた男を見上げた。天使と同じ色をしているのに、どこか冷たい温度を纏った双眸が千歳を貫く。
宝物を扱うような手つきで、足元で竦んでいる天使を抱き上げた。
「ユキに何もしていないだろうな」
「え……はっ、はい。触ってもいません」
彼の首に顔を埋めているのは、ユキというらしい。男の声に、抜け落ちていたあの夜の記憶が徐々に思い起こされる。外で仰向けになっていた千歳に、心配そうに囁いてくれた子と、保護者のアルファ。
彼は何故だか、とてもオメガのことを嫌悪していた。オメガで、浮浪者になる一歩手前の千歳を、揶揄して言ったのかもしれないが。
「あ、の……助けていただき、ありがとうございます。恥ずかしい話、行く宛がなくて……あそこにいたんです」
千歳はラグの上で、三つ指をついた。丸くなって額を下げると、項に焦げつくような視線を感じる。
アルファなのだと──オメガの本能が告げている。ふん、と頭上で、男が鼻を鳴らした。
「だから何だ? 同情を引いて、ここに住むつもりか? 浅ましいやつだな」
「い……いえっ! そういう訳では」
「そうやってアルファの気を引きたいつもりらしいが。生憎、俺には通用しない」
集まった熱が一気に散っていくのが分かる。千歳自身、オメガを下に見ているアルファやベータに、邪険にされたことは一度や二度ではない。この人は善意で助けようとしてくれたのに、もしかして、意識のないうちに何か失礼をしてしまったのだろうか。五年付き合っていた婚約者に愛想を尽かされ、ここ何日かは精神的に不安定だった。
婚約者に捨てられ、社会からも必要とされない、惨めな自分。泣いたら負けだと意地を張っていたけれど、心は限界だった。
「……泣いてるの? どこか痛いの?」
子供の声が聞こえてきて、千歳は薄く目を開いた。誰だろうか。
「何だ……? 物乞いか?」
今度は違う声がした。ぼやける視界の中で声の主を捉える。記憶にない顔だ。外国人のような風貌だが、日本語がとても流暢だった。
「触るな、ユキ。病気を持っているかもしれない。……人の家の前で、はしたないと思わないのか。これだからオメガは」
嫌いなんだ。男は憎しみを込めてそう言い放った。屈辱的な言葉を投げかけられているのに、何故か身体の内側が酷く熱い。
──あなたは誰ですか。
そう問いかける気力すらも、千歳には残っていなかった。最後に天使のような少年が駆け寄ってきたと思ったら、そこで千歳の意識は途切れてしまった。
……────。
初めて言葉を話したり、字が書けるようになると、父親は手放しで息子の成長を喜んだ。千歳のバース性もまだ定まらない頃に、父親は自分を抱き締めながらこう言った。
「さすが俺の息子。きっとアルファだな」と。
父が言うのなら、きっとそうなのだろう。男ながらにして千歳を産んだ母も、喜んでいた。
何もかもが順調だった。千歳も父の期待に応えようと、必死に頑張った。けれど、優秀になりたいと焦れば焦るほど、父の理想からかけ離れていった。
「でも、お前はアルファなのだから」
敬虔な信者のように、父は千歳にそうなるようにと祈っていた。千歳にも母にも優しかった。千歳が学校から、一通の封筒を持って帰るまでは。
苦い記憶がふと蘇り、千歳は飛び上がるようにして起きた。身体が熱く、服が貼り付くほどびっしょりと汗をかいている。発情期かと身構えたが、いつまでもあの忌々しい感触が来ない。恐らくただの風邪だろう。
ふかふかの布団とマットレス。見覚えのない部屋を、千歳はぼんやりと眺めた。素泊まりのネットカフェでは、身体を伸ばして眠ることができなかったため、疲れがこびりついたみたいに取れなかった。深く眠れたのは、何週間ぶりのことだろう。
「あ……」
ベッドの横に千歳の荷物が置いてある。スマホの電源を入れて日付と時刻を確かめた。ほぼ丸一日、自分は眠っていたようだ。
今いる場所もここに来た経緯も頭になくて、どっと不安が押し寄せてくる。随分と長い間眠っていたからか、立つと軽く目眩がする。ふらつきながらも、千歳は扉に辿り着いた。ドアノブを握る前に、目の前の扉が開いて驚く。千歳の掠れた悲鳴を上塗りするように、「わあー」と足元で高い声がした。
──男の子……いや、女の子?
くっきりと二重のついた大きい目に、癖のある巻き毛。尻餅をついた可愛い天使は、千歳の顔を見上げている。
「レグ……」
「何だ……ユキ?」
天使のような見た目の子が、千歳から離れて長い足にきゅっとしがみつく。千歳を映す瞳はヘーゼルグリーンの淡色で、幼いながらも目鼻立ちがはっきりしている。千歳のいる部屋に、暖かな光が差し込んだ。
暗い部屋に慣れていた目を瞬かせると、そこで初めてレグと呼ばれた男を見上げた。天使と同じ色をしているのに、どこか冷たい温度を纏った双眸が千歳を貫く。
宝物を扱うような手つきで、足元で竦んでいる天使を抱き上げた。
「ユキに何もしていないだろうな」
「え……はっ、はい。触ってもいません」
彼の首に顔を埋めているのは、ユキというらしい。男の声に、抜け落ちていたあの夜の記憶が徐々に思い起こされる。外で仰向けになっていた千歳に、心配そうに囁いてくれた子と、保護者のアルファ。
彼は何故だか、とてもオメガのことを嫌悪していた。オメガで、浮浪者になる一歩手前の千歳を、揶揄して言ったのかもしれないが。
「あ、の……助けていただき、ありがとうございます。恥ずかしい話、行く宛がなくて……あそこにいたんです」
千歳はラグの上で、三つ指をついた。丸くなって額を下げると、項に焦げつくような視線を感じる。
アルファなのだと──オメガの本能が告げている。ふん、と頭上で、男が鼻を鳴らした。
「だから何だ? 同情を引いて、ここに住むつもりか? 浅ましいやつだな」
「い……いえっ! そういう訳では」
「そうやってアルファの気を引きたいつもりらしいが。生憎、俺には通用しない」
集まった熱が一気に散っていくのが分かる。千歳自身、オメガを下に見ているアルファやベータに、邪険にされたことは一度や二度ではない。この人は善意で助けようとしてくれたのに、もしかして、意識のないうちに何か失礼をしてしまったのだろうか。五年付き合っていた婚約者に愛想を尽かされ、ここ何日かは精神的に不安定だった。
102
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました
2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。
様々な形での応援ありがとうございます!
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる