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★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

497:鱗

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   トルテカの町は、思っていたよりも大きな町だった。
   だがそれは、建物が大きいとか、街並みが立派で綺麗だとか、そういう事では決してない。
   想像していたよりも町の敷地が広く、暮らしている紅竜人の数が多い、という事だ。
   町自体はとても質素で、そこかしこから貧しさが滲み出ている。
 その様子は、俺がこれまでに訪れた町の中では、ダントツでワーストワンだった。

   紅竜人の家は、ほとんどが赤岩で出来た小さなもので、道の脇には、さっきまで俺がいた建物とよく似たものが無秩序に並んでいる。
 それらの家の岩壁は、かなり年季が入っているのか、見るからにボロボロで、あちこちにヒビが入っている。
   一応、食べ物を調理する為の焚き火が家の前にあったり、洗濯物であろうボロ切れのような服を干している家もあったりと、町中に生活感はあるのだけれど……
 逆に、その光景があまりに貧しく見えて、廃村一歩手前としか思えない。 

   町の外周は、巨大な赤岩の壁でぐるりと囲われていて、まるで要塞のようだ。
   町への出入り口は二つ、東西の赤岩の壁にそれぞれ設けられた、頑丈そうな鉄門扉だけだ。
   その外側には、国王軍だという鉄の鎧を身につけた紅竜人達が、手に長い槍を持ち、こちらに睨みを効かせながら我が物顔でのし歩いている。
   ……つまりは、この赤岩と砂ばかりのだだっ広い町という名の監獄に、奴隷に身を貶められた沢山の紅竜人達が閉じ込められているのだった。

   町を流れる空気は重く、どんよりとしていて、時折吹く乾いた風にはどこか血生臭さが混じっている。
   紅竜人以外の獣は、ペットも家畜も一匹たりとも見当たらないし、ついでに植物もほとんどない。
   畑も無ければ、自生している雑草すらないのだ。
   完全にここは、枯れた土地らしい。

「みんな……、暗いね」

   目立たぬようにと竹籠に身を潜める俺は、それを背負っているクラボに向かってポツリと呟く。

   周囲には、老若男女問わず沢山の紅竜人達が行き交っている。
 ただ、数は多いけれど、皆一様に表情が暗く、とても憂鬱そうで……、楽しげな雰囲気など微塵もない。
   そんな彼等に共通している事は、頭から体、手足の先に至るまで、全身のいろんな所に沢山の傷跡が残っていて、とても痛々しい姿であるという事だ。
   それはまるで、過去に酷い拷問を受けた事があるような……、そんな風に俺には見えた。
   気になったのは、その半数以上が体の小さな子供である事。
   紅竜人は出生率が高いのか、はたまた平均寿命が短いのか……?
  
「ま、仕方ねぇさ。俺もスレイも、五年前の大火事でここから外に出るまでは、笑った事なんざただの一度もなかったからな。けど、昔に比べりゃ今はまだマシだ。さっき餓鬼が三人いたろ? あいつらも勿論奴隷だが……、俺達が子供の頃と違って、あいつらは少しでも笑える余裕があるんだからな」

   クラボの言葉に俺は、どうやら思っていた以上に事は深刻そうだと理解し、要らぬことを喋らぬようにと口をつぐんだ。

「見えるか? あそこが剥ぎ場だ」

   クラボに言われ、前方を見やると、そこには一際大きな赤岩の建物が現れた。
   一際大きな、といっても、平屋建てで高さはなく、ベターっとした見た目の建物だ。
   他の建物に比べれば中は広いのだろうけど、それでもタイニック号の甲板ほどの広さしかないだろう。
   まだ少し距離があるものの……、俺は気付いていた。
   その入り口から漂ってくる、生々しい血の匂いと、何かが焼ける焦げ臭い匂い。
   そして、誰かが啜り哭く声。
   
「はぎばって……、何をする所なの?」

   恐る恐る尋ねる俺。

   漂ってくる臭いから、何となく想像はできる。
   そこでいったい、何が行われているのか……
   けれど、そうではないと思いたかったから、そうではないと言って欲しかったから、俺はあえて尋ねたんだ。
   でも……

「剥ぎ場はな、俺たち奴隷の体から、鱗を剥がす場所の事だ」

   クラボの色の無い声に、俺は全身に悪寒が走る。

「う、鱗を……、剥がす?」

   ドキドキと、徐々に鼓動が大きくなる俺の心臓。

「ま、見てみりゃ分かるさ」

   そう言って、クラボは真っ直ぐに、剥ぎ場の入り口へと向かっていく。
   
   ま……、ままま、待って!
   そこ、入りたく無いっ!!
   なんかもう、さっきからずっと、嫌な予感しかしてないのぉおっ!!!

   カタカタと前歯を震わせながら、竹籠のへりにしがみつく俺。
   迷う事なく、剥ぎ場へと入って行くクラボ。
   そして、俺が目にした光景は……

「……ひ、……酷過ぎる」

   大勢の子供紅竜人達が、その目から大粒の涙を流しながら、大人紅竜人達の手によって、鉄製のピンセットのようなもので全身の鱗をベリベリと剥がされている姿だった。

   い、いったい……、何をしてるんだ?
   どうして鱗を……??

   剥がされた鱗は血に濡れていて、それを洗い流す為に側にある水桶へと浸される。
   そして、鱗が剥がされて露わになった傷口には、何やら薬のような匂いがする蝋燭に火をつけて、溶けた蝋を垂らして固めて蓋をしていくのだ。
   荒療治にもほどがある。
   傷口に落とされる蝋が熱くないわけがなく、子供達は額に脂汗を浮かばせていた。

   や、やばい……
   思っていたより、相当グロテスク、アンド悲惨……

   身体中から血の気が引いていくのを感じながらも、俺は目の前の光景から目が離せない……、いや、目を逸らしてはいけないと、何処かで感じていた。
   これが、この国の現実、奴隷の現状なのだという事を、俺は知らなくてはならないのだから……

   そして俺は気付いてしまった。
   鱗を剥がれている子供達の中に、先ほどまで一緒にいた三人の姿がある事に……
   三人共、その小さな体を小刻みに震わせて、恐怖に怯えながら、繰り返される苦行に耐えている。

   何なんだよ、これは……?
   奴隷って、畑や鉱山で強制労働させられたり、重い荷物を運ばされたり……、そういうのじゃないの??
   こんな、こんな……
   大人が、子供の体の鱗を剥いでいるなんて……???

   あまりにも衝撃的なこの事実に、俺は呼吸をする事すら忘れて、ただただ絶句していた。

「これが、この国の現状だ……。紅竜人の鱗は、島外では高値で取引されるらしくてな。お前も見たろ? ローレの港町で、紅竜人の鱗を使った装飾品や武具が、数多く売られているのを」

   そ……、そうなの?
   ……あ、いや俺、それ見てないわ。
   港町ローレに繰り出すその前に、俺は拉致されたのだから。
   お前らのせいで、町の中は見てないわ!

「僕……、見てない。船から降りてすぐに、スレイに捕まったから……」

   目の前の光景に若干ショックを受けている俺は、棒読みでそう言った。
   クラボはバツが悪かったのか、数秒沈黙した後、聞こえなかったフリをして話を続けた。

「まぁ……、とにかく鱗は良い交易品なんだ。だがな、見ての通りさ。分厚く硬い鱗を手に入れる為には、古くなって自然と剥がれ落ちた物じゃ駄目なんだとよ。強度が足りないとかなんとか……。だからああやって、健康な鱗をわざわざ剥がして商品にするのさ」

「そんな……。で、でも……、どうして? どうして子供だけなの??」

   そうなのである。
   あくまでも、鱗を剥がされているのは子供だけ。
   大人はみんな剥いでいる側で、誰も剥がれてはいないのだ。

「成長期の子供は再生力が高い。鱗を剥がしても、二、三日で元どおりになる。だが、大人になると話は別だ。再生力が弱まって鱗が生えてこなくなる。ギリギリまで鱗を剥がれ続けた結果が、俺やスレイ、周りの大人達なのさ。再生力を失った体は鱗を生やす事が出来なくなって、深い傷跡が残る」

   そうか、それでスレイもクラボも、ここにいる大人の紅竜人達みんな、身体中が鱗の剥げた傷跡だらけなんだな。

「じゃあ……、ここにいる大人達はみんな、子供の頃、ここで鱗を剥がされて……。今は剥がす側に回ったって事、なの?」

「そういう事さ。けど、この町で大人になれる奴は少ねぇ。子供は再生力こそ高いが、他は弱い。鱗が剥がれた部分から病気になっちまって、半数以上は大人になる前に死んじまう。俺とスレイには十二人の兄弟がいたが、今も生きているのは四人だけだ」

「四人っ!? 半数どころか……、さ、三分の一じゃないか……」

「あぁ……、いや、子供の頃に死んじまったのは六人だ。ほら、昨晩ゼンイに話してたろう? 以前この町は大火事に見舞われてな。その時に逃げ遅れて亡くなった奴が二人いるのさ」

   な、なるほど……
   その二人は、大人になれた後に亡くなったと。

   ……いや、何にしても、兄弟が八人も亡くなっているなんて、並の精神力じゃ乗り越えられない辛さだろう。
   今、俺の三つ子の兄のコッコや弟のトット、双子の妹達、その四人のうち誰か一人でも欠けちゃったらと思うと、怖くて堪らなくなる。
   だけどクラボは、兄弟の死を、顔色一つ変えずに淡々と話している。
   それを見て初めて、このクラボ自身も、既に心が麻痺しているんじゃなかろうか? と俺は思った。

「クラボ、こっちへ来い」

   俺が竹籠の中で顔面蒼白になっていると、クラボが誰かに呼ばれて再び歩き始めた。

   誰に呼ばれて、どこへ行くのかは分からないが……、正直、今すぐにでも俺は帰りたい。
   どこへ帰るのかって?
   決まってるじゃないか、グレコにカービィにギンロ……、みんなの元へだ。
   みんなの所へ戻って、みんなと一緒にいたい。
   でも、ゼンイに協力すると言ってしまった手前、悲惨な現状を目の当たりにして引き返すだなんて、絶対やっちゃいけない事だ。
   むしろ、心を奮い立たせないと……
   でも……、でも……
   やっぱり、なんか……、心が苦しぃい~! ぐはっ…… 

   あまりにも残酷なこの町の有様に、ショックを受け過ぎた俺は、完全にネガティブな思考へと陥っている。
   辺りに漂う血の匂いと、子供達が啜り哭く声に、俺のやわな精神は酷く参っていた。
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