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★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

596:キャウ〜

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「あそこですっ!」

 見張りの紅竜人の後を追って、西側の町の入り口である門まで駆けて行くと、何やら人だかり……、もとい紅竜人だかりが出来ていた。
 その中心から立ち昇る、黒い煙。
 視力の良い俺には、暗闇でもハッキリとそれを見る事が出来る。
 そして鼻に届く、嫌~な焦げ臭い匂い。

 この匂いは……、間違いない! 瘴気だ!!

「みんな離れてっ!」

 ゼンイが声を上げる。
 集まっていた紅竜人達は、サッと道を開けて通してくれた。
 
 そこに倒れているのは、生成色のメイド服を着た紅竜人だ。
 衣服の所々が黒く変色し、腐食していて、その体からはモクモクと、瘴気である黒い煙を発していた。

 ドキドキと煩い、俺の小ちゃなマイハート。
 走ってきたからそうなっているのではない。
 目の前の光景、そこに倒れている者が何なのか、誰なのか……、俺は分かっていたのだ。

 すると、隣を走っていたゼンイが、突然体からムニョムニョとした奇妙な煙を上げ始めたかと思うと、それが彼の身体全体を包み込み、灰色の影の精霊となったゼンイが出来上がったではないか。
 その姿は、王宮で見た影だけの時とは違っていて、どこかムチッとした肉感のある影である。
 影になった、というよりかは、影を纏った、と言った方が正解であろう。
 突然の事に驚いて固まる俺を残し、影のゼンイは一目散に倒れている紅竜人へと向かう。

「おいっ!? しっかりしろっ!!」

 声を掛けながら、影のゼンイは倒れている紅竜人を起こしにかかる。
 ようやく追いついた俺の目が捉えたのは、やはり彼女だった。

「トエト!!!」

 そう、トエトだ、侍女のトエト。
 奈落の泉で別れて以来行方が知れず、王都が陥落し、周りの森も瘴気にやられてしまった事から、生存が絶望視されていたトエトだ。
 その体は瘴気に蝕まれて黒ずみ、目を閉じてグッタリとしている。
 しかし両の腕だけは、胸の前でガッチリと組まれており、何かを大事そうに抱えていた。

「誰か、ロビンズさんを呼んできてくれ! 救護所まで運ぶ!!」

 ゼンイが周りに声を掛けて、トエトを抱き上げようとしたその時だ。
 トエトの目が、カッ!と開いた。

「この子を! この子を助けてっ!!」

 視線を宙に泳がせながら、懇願するように叫ぶトエト。
 その腕に抱いていたものを、震える手で差し出している。
 ゼンイはトエトの身体を支えている為に受け取れず、周りの紅竜人達は瘴気に恐れ慄いて近寄る事すら出来ない。
 即ち……、俺が受け取るしかないっ!?

 プルプルと震えるトエトの手から、そっと何かを受け取る俺。
 俺の腕の中にも収まる小さなそれは、どこかで見た事のある金色の布で覆われている。
 俺がそれを受け取ると、トエトは安心したように微笑んで、フッと意識を失った。

「いけないっ!? しっかりしろっ!! 死ぬなっ!!!」

 ゼンイはトエトを抱き上げて、空中へ浮かび上がり、救護所まで飛んで行く。
 紅竜人達もザワザワと騒めきながら、それに続いた。

 一人ポツンと取り残された俺は、腕のなかにあるそれに視線を向ける。
 モゾモゾと動くそれは、布越しでも温かくて、生き物である事に間違いない。
 これがいったい何者なのか……
 いくら感の悪い俺でも、この時は察しがついた。
 だけど……

 どうしてトエトが?
 モシューラに食べられたはずなのに。
 それに、小さ過ぎないか??
 俺と同じくらいの体の大きさはあったはずなのに。

 ドキドキしながら、金色の布をそっとめくると……

「キャウ~」

 小さなそいつは、赤子のような声を出した。
 全身を覆う黒い鱗、頭部には小さいながらもオレンジ色と緑色のグラデーションが美しい羽毛をはやし、目は他の紅竜人とは比べものにならない程大きくパッチリとしている。
 しかしながら、以前は虹色に輝いていたその瞳が、今は普通の紅竜人と何ら変わりない赤色へと戻っていた。
 そして、影も曇りもない、澄んだ無垢な目付きで真っ直ぐに俺を見つめているのだ。

「や、やっぱり……。チャイロ?」

 戸惑う俺に対し、赤子はニッコリと笑う。

「アキャー!」

 無邪気な笑い声を上げる赤子は、間違いなくチャイロだ。
 似ているなんてもんじゃない、完全に同一人物。
 だけど、俺が知っているチャイロよりも、明らかに小さく幼い。
 まるで、時が戻ってしまったかのように……
 
 すると、小さくなったチャイロは、その小さな手をしきりに伸ばし、何かを俺に渡そうとしているではないか。
 アセアセと抱き方を変えて、片手の自由を確保した俺は、チャイロからそれを受け取る。
 丸い、小さな、金色の玉が、二つ……?

「これってもしかして……、神の瞳? ……はっ!? まさか、モシューラの!!?」

「キャッ! キャキャッ!!」

 言葉が話せなくなってしまったチャイロは、俺のフカフカのほっぺを触りながら、ニコニコと笑うだけだった。

 




「なんとか一命は取り留めた」

 ロビンズはそう言って、額の汗を拭った。
 その隣には、グッタリした様子で椅子に腰掛け、天を仰ぐサンの姿もある。

 救護所に運ばれたトエトは、そこから数時間、生死の境を彷徨っていた。
 無理矢理起こされたロビンズとサンの懸命な処置によって、最悪の事態は免れたらしいが……

「しかし、両目の腐食が激しく、おそらくもう二度と物を見る事は出来ないだろう」

 ロビンズの言葉に、俺は腕の中のチャイロをギュッと強く抱き締める。

 もうすぐ朝がやってくる。
 東の空が白み始めていた。

 





「モッモ!? 起きなさいモッモ!!」

「んぁ? ふぁへ??」

 グレコの声が聞こえて、俺は目を覚ました。
 視界に映るのは、プチ切れ状態のグレコと、締まりの無い顔で笑うカービィ、眉間にシワを寄せるギンロ、そして何故かそこにいるティカ。

「もうっ! どうしてそんなところで寝てるのよっ!?」

 グレコの怒った様子に、俺は辺りを見回す。
 ここは、救護所だ。
 救護所の隅っこにある、薬品の入った箱の上で、俺は座ったまま眠っていたらしい。

「あ……、えと、トエトが……」

 ボンヤリした頭で、なんとか答えようとするも、まだ寝ぼけているのでうまく説明出来ない俺。

「先程、ロビンズ殿より昨晩の出来事を聞いた。トエト殿は無事だ、生きておるぞ」

 ギンロが優しくそう言った。

「そか、良かった……、ふぁ~あ~あぁ~!」

 大きな欠伸をする俺。
 完全に寝不足である。

「おまい、何持ってんだ? なんだそれ??」

 ヘラヘラと笑いながら指差すカービィ。

 何って……、はっ!? そうだっ!!
 チャイロはっ!??

 慌てて腕の中を見る俺。
 金色の布に包まれて、俺に抱き締められたままだったチャイロは、小さな寝息を立てながらスヤスヤと眠っていた。

「モッモ、まさかとは思うが……、その赤子は……?」

 その自身の問い掛けの答えを既に理解しているらしいティカが、驚いた顔で尋ねてきた。
 
「うん、そのまさかだよ。この子はチャイロだ。モシューラに食べられたはずの、ね……」

 俺の言葉に、チャイロがモシューラに食べられたところを俺と共に目撃したカービィは驚いて変顔になり、カービィから聞いていたらしいグレコは眉間にシワを寄せ、何の話なのか全く分からないギンロは小首を傾げている。
 一人ティカだけは、鼻の穴を大きく膨らませて、嬉しそうな顔をしていた。
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