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★ピタラス諸島第五、アーレイク島編★

691:門

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『朝だぁっ! 起きろぉおっ!!』

 ケルベロスの咆哮で目を覚ます俺。
 驚く事もなく、びびる事もなく、スッと身を起こす。
 右隣には、随分と痩せてしまったノリリアと、毛並みがボサボサになってしまっているライラック。
 左隣には、目の下の隈が酷く、ボーッとした様子の、完全金髪のグレコ。
 そして、周りには沢山の裸鼠達……

「朝飯を配るぞ」

 リーダー格である裸鼠が、大きな籠を抱えて建物内へと入ってくる。
 そうして今日も、三粒の葡萄の実が俺達に配られた。
 
 数日前は、食べずに捨てていた葡萄の皮も、今となっては大事な食料だ。
 俺は、葡萄の皮を剥く事はせずに、そのままポンと口へと放り込んだ。

『作業を開始しろぉおっ!!!』

 ケルベロスの吠え声が響き渡る。
 俺達は立ち上がって、他の裸鼠達と共に、掘建て小屋を出て、いつもの作業場へと向かう。

 サクサクと砂を踏みしめて歩き、辿り着いた場所は砂の壁。
 ケルベロスが守る、砂で出来た巨大な地獄の門の、その外周の壁である。
 地面に落ちているコテを手に取り、小さく溜息をつく俺。

 いつまで?
 いつまでこの生活を続けていればいいんだ??
 いったい、いつまで……???

 照りつける太陽の下、灼熱の砂漠のど真ん中で、今日もまた無意味な作業が繰り返される。

 封魔の塔、第六階層の試練の門より繋がった、第六の試練の間。
 広大な砂漠と、巨大な砂の門。
 奴隷のように働く裸鼠達と、それを見張る恐ろしい魔獣ケルベロス。

 ここでの生活は、既に七日目となっていた。






 この場所は、いったい何なのか……?

 俺が倒れたあの日、裸鼠達が教えてくれた。
 ここがどういった場所で、彼らが何をしているのかを。

 ここは、ケルベロスが支配する、地獄への入り口。
 砂で出来た門の先には、想像を絶する苦痛が広がる、地獄の世界が待っていると言う。
 そして、ここで働いている裸鼠達は、皆が罪人であり、裁きを受けるに相応しい者達らしい。
 しかしながら彼らは、誰一人として、自らの罪状を思い出せずにいると言う。
 
 ここで暮らす裸鼠達の数は、およそ二百。
 寝床である掘建て小屋は全部で十棟。
 一つの掘建て小屋には、二十匹ほどの裸鼠が寝泊まりをしているらしく、狭い小屋の中はパンパンだ。
 小屋の近くには、とても小さな泉が一つだけあり、その側に一本の葡萄の木が生えている。
 砂漠のど真ん中にあって枯れない葡萄の木と、その小さな泉だけが、裸鼠達の命を繋いでいた。

 ……さぁ、これからどうしよう?
 
 炎天下の中で、壁に砂を塗り足しながら、俺は考える。

 封魔の塔の第六階層より、金の扉を開いてこの世界に来たのが六日前。
 気付いた時にはもう、手にコテを持って砂を壁に塗りたくっていたのだ。
 それから六日間、俺達は成す術もなく、この世界の理に従ってきたわけだが……、正直、もうウンザリだ。
 意図せず倒れてしまった俺だったが、それでもここからは解放してもらえなかった。
 つまり、何か他の方法で外に出るしか無い、という事だ。
 試練に打ち勝つ事、それが明瞭かつ最善の道ではあるものの……

「そのやり方が分からないってんだよぅ!」

 さすがに苛立ちを隠せない俺は、ザクッとコテを壁に突き立てた。
 その時だった。

 ゴゴゴゴゴゴォーーーーーー!!!

 何処からともなく、不気味な音が鳴り響く。
 地面が小刻みに震えて、目の前の砂の壁から、先程塗り付けたばかりの砂がサラサラと流れ落ちていく。
 
 あぁあっ!?
 せっかく塗ったのにぃっ!!?

 ……じゃなくてっ!
 何が起きてるのっ!?!?

「ポポッ!? あれを見るポッ!!」

 声を上げたノリリアが指差しているのは、地獄の門。
 いつもはピタリと閉じているはずのその砂の門が、ゆっくりと開こうとしているではないか。

「地獄の門が開くぞぉっ!」

「にっ!? 逃げろぉお~!!!」

 コテを放り出し、悲鳴を上げながら、一目散に逃げ出す裸鼠達。
 いつの間にか、晴天だった空には黒くて分厚い雲が広がり、太陽を覆い隠してしまっている。
 辺りが妙な暗さに包まれていく代わりに、地獄の門が光を放ち始める。
 浅黒い、シミの様にジワジワと広がるような、不気味な光だ。

 何っ!?
 何が起きたのっ!!?
 何が起きるのっ!!??

 地獄の門は、地響きと共に、ゆっくりと、ゆっくりと開かれていき……

『審判の時である! ここを去りたい者は、この門をくぐるが良いっ!!』

 なんとっ!?
 ここへ来てから、ずぅーーーっと眠っていたケルベロスの三つ目の頭が起きて、喋っているではないか!!?

「どうかお赦しをっ!」

「我らを赦したまへっ!!」

「ひぃい~~~!!!」

 裸鼠達は、随分と離れたところで口々にそんな事を叫びながら、地面に平伏して、ケルベロスを拝み倒している。
 
「ノリリア……。どうする?」

 グレコが問い掛ける。

「ポポゥ、地獄の門……。地獄へ行くのは気が進まないポが、このままここに留まっていることが正解だとは思えないポよ」

 訝しげな視線を門へと向けて、答えるノリリア。

「私も同感。もう、こんな物を使うのはごめんだわ」

 そう言ってグレコは、手に持っていたコテをポイッと捨てた。

「門の先へと行ってみる他、道は無いポ。モッモちゃん、ライラックも……、いいポね?」

 ノリリアの問い掛けに、俺はゴクリと生唾を飲み込み、頷く。
 ライラックも、無言のままで頷いた。

「あなた達!? まさか、門をくぐるつもりか!!?」

 近くにいた裸鼠が、驚愕の表情で叫ぶ。
 すると、その声を聞いた周りの裸鼠達が、口々に叫び出す。

「そんなっ!? 馬鹿な真似はやめろっ!!」

「その先は地獄だっ! 死にに行くようなものだぞっ!?」

「早まるなっ!!!」

 皆、驚き、恐怖し、震えながら。

「ポポゥ……。皆さん、お世話になり、ありがとうございましたポ。あたち達は、ずっとここにいるわけにはいかないポね。先へ、進みますポッ!」

 裸鼠達に一礼をして、ノリリアは歩き出す。
 見るからに危険な光を放つ、地獄の門へと。
 グレコとライラックが、ノリリアの後へと続く。

 ……うぅ、怖い。
 怖いぞちくしょうめっ!

 俺は、プルプルと全身が震えるのを感じながら、もう一度、裸鼠達の方を見やる。

「あなただけでも残った方がいい! 過去、門の先へと向かった者は、誰一人として帰って来なかった……。思い留まりなさいっ!! あなたまで死ぬ事は無いっ!!!」

 必死の形相で、訴えてくる裸鼠達。
 その様子を見るからに、この門の先にはとんでもなくとんでもない地獄が広がっていると推察出来るが……
 いや、それでも行かなくちゃっ!

 俺は、震える足をパンパンと両手で叩き、裸鼠達に向かってこう言った。

「お水! ありがとうございましたっ!! 行ってきますっ!!!」

 地獄の門の上から、此方を見下ろすケルベロス。
 三つの頭の六つの目が、門をくぐらんとする俺達四人を、ギロリと睨み付けていた。
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