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★ピタラス諸島第一、イゲンザ島編★

240:淫魔サキュバス

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 グレコを縛っていた縄を解き、俺は改めて辺りを見渡す。

 少し離れた場所では、キノタンが、だらしのない顔をしたままの騎士団のみんなに向かって、俺たちにやったように胞子をばらまいている。
 ゲホゲホとむせて、涙目になりながらも、みんなは何とか正気を取り戻したようだ。
 周囲の状況を目にし、驚くやら慌てるやらで、みんなわさわさしている。

 グノンマルはというと、焚き火の前の玉座に突っ伏したまま、ピクリとも動かなくなっていた。
 全身から立ち上っていた黒い煙はいつしか消えて、その体は先ほどまでよりは少し小さくなったように見える。

 で……、一番酷い光景を、俺は説明せねばなるまい……

 カービィとノリリアが魔法で創り出したらしい、土の巨人ゴーレム。
 先ほどまでは、二つの瞳に青い光を灯し、元気よく暴れ回っていたのだが……
 今は、攻撃する対象がいなくなったので、おとなしく地面に座って、瞳の青い光も消え失せている。
 そして、そのゴーレムの周り、四方八方に散らばっているのは、有尾人であった者たちの残骸。
 あれを、どう表現すればいいのか……
 オブラートに包んで言えば、合い挽きミンチ。
 はっきり言ってしまえば、血の海の中に浮かぶ肉と骨……
 千切れた手足と、粉砕した頭蓋骨に、飛び出た目玉と、それからそれから……

「うっ……、おぇえぇ……」

 俺は堪らず、口からキラキラしたものを吐き出してしまった。

「モッモ!? ……大丈夫??」

 グレコが、地面に膝をついて激しく嘔吐している俺の背を、優しく撫でてくれる。
 さすがブラッドエルフ……、血の臭いには慣れているのか?
 けど、あの光景は酷すぎるぜ全く……

「ふ~、すっきりしたぜぇっ!!」

 何やら大変満足そうな表情で、ゴーレムの肩からぴょーんと地面に降りたカービィがこちらにやって来た。
  
 すっきりしたぜって……、あれ見てよくそんな事を言えるね君?
 
「まさか、土で巨人を作ってしまうとは……、あっぱれであるぞ、カービィ」

 魔法剣に残る血を振り払いながら、カービィを褒め称えるギンロ。

 こちらもなかなかに……、返り血を浴びすぎて、毛色が黒く変色してしまっている。
 お願いだから、あんまり近づかないで、血生臭くてまた吐きそう……

「さ、仕上げをするポね~」

 カービィの後ろを歩いてきたノリリアはそう言って、杖をゴーレムに向ける。

 ……まだ、何かなさるおつもりで? もう充分だと思うのですが??

倒壊スパーオ! ゴーレム!!」

 杖の先から青い光が放たれて、ゴーレムの瞳に再度青い光が宿ったかと思うと、ゴゴゴゴ~と大きな音を立てながらゴーレムは立ち上がり、そのままズーンと前のめりに倒れていって……

 ドッシャアァア~ン!!!

 ミンチと化してしまった有尾人達の亡骸は、ゴーレムの巨体の下敷きとなって、そこには小高い土の丘が残った。

 ……酷い。

「はっはっはっ! おいら様に毒を盛った罰だぁっ!!」

 悪代官のような、悪~い顔で高笑いするカービィ。
 なぜだろうな……、被害者だったはずなのに、今はこっちが悪者に見える不思議……

「ポッポッポッ! これに懲りて、あたちに怪我をさせようなんて二度と思わない事ポねっ!!」

 いつもは可愛らしいノリリアも、今は小さな悪魔に見える。
 二度と思わないも何も……、彼らはもう死んでますよ……?

「ノリリア! カービィさんっ!!」

 二人の名前を呼んだのは、北ルートを進んでいたアイビーだ。
 キノタンのおかげで正気に戻ったらしく、縄が解かれ自由になって、申し訳なさそうな顔でこちらに駆けてくる。
 他のみんなも、少し離れた場所で、正気に戻って縄から解放されているようだ。

「アイビー、無事でよかったポ」

 さっきまでの悪女のような表情とは一変して、いつもの可愛らしい笑顔を向けるノリリア。

 ……うん、その切り替えっぷりがまた怖いよ。

「すまない、こんな事になって……。あと少しで神殿に辿り着くという時に、森の中に仕掛けられていた罠にはまってしまって……。奴ら、魔力なんざ蚊ほどもないくせに、魔封じの術だけは長けてたんだ。くそぅ……、僕がついていながら、みんなをこんな目に遭わせるなんて不甲斐ない……」

 アイビーは、イケメンフェイスに似合わない言い訳をしながら、悔しそうに歯を食いしばった。

「私たちも同じよ。オーラスの指示に従って神殿に向かっていたんだけど、木々の間から突然縄網を掛けられて……。なんとか逃れようとしたんだけど、みんな魔法が使えなくなるし、どうしてだかあいつに対して惚けた顔になるしで、逃げようにも逃げられなくて……」

 そう言ってグレコが指さすのは、未だ玉座に倒れ込んだままのグノンマルだ。

「ポポ、仕方がないポね。あいつの名前は邪猿グノンマル。キノタンちゃんの話だと、大陸大分断以前から生きている化け物ポ。しかし……、どうしてああしているポ? 誰か、何かしたのポ??」

 焚き火の方へと視線を移し、動かないグノンマルを見て、首を傾げるノリリア。

「あ、えと……。さっきその、呪いをかけまして……」

 口の中がまだ胃液のようなもので酸っぱい中、なんとか俺はそう言った。

「呪いっ!? モッモちゃん、そんな事までできたポかっ!??」

 驚くノリリア。
 そうか、万呪の枝の事は話していなかったか……

「モッモは、故郷の村の長老様から頂いた、万呪の枝っていう物で呪いをかける事ができるのよ。けどまぁ、どういう原理でそれができるのかは私にもわからないけれど」

 グレコが、チラリと俺を見る。
 どういう原理で、と言った理由はおそらく、俺には魔力がないはずなのに、という事だろう。
 ……うん、ないよ、ないですよ魔力なんてね。
 今は気分が優れないから、あんまり怒る気にもなりませんよ。

「ポポポ、ほんっと~に……、モッモちゃんには驚かされてばかりポね。それで、何の呪いをかけたのポ?」

「あ、えと……。元の姿に戻れっていう呪い……」

「おぉ、そりゃ名案だったなモッモ! じゃああいつは今、きっちり五百年分の年をとった婆さんになっているわけだな? その面拝んでやろうぜっ!!」

 ヘラヘラと笑いながら、グノンマルに向かって歩き出すカービィ、を……

「カービィちゃん、ちょっと待つポ」

 ノリリアが制止した。

「なんだぁ?」

「下手に近付いて、まだ弱ってなかったらどうするポね? まずはみんなの安全をキッチリ確保してからポ」

 ノリリアは、どこまでいっても真面目さんだな。
 さすが、魔法王国フーガの王立ギルド、白薔薇の騎士団の副団長だ!

「くっくっくっく……、なんだい、ばれていたのかい?」

 どこから伴なく、聞いた事のないしわがれ声が聞こえてきて、俺たちはバッと身構える。
 まるで老婆のようなその声は、間違いない……、玉座に突っ伏したままのグノンマルから発せられている。

「ポポ! 全員臨戦態勢!!」

 ノリリアの言葉に、武器は持っていない状態ではあるけれど、一斉にグノンマルに向かって身構える騎士団のみんな。

「あぁ……、まさかこんな事になるなんてねぇ……。これじゃあ、あたしの計画が台無しじゃないかぁ……」

 のっそりとした動きで、グノンマルが立ち上がる。
 やっぱり、思っていた通り、先ほどよりも幾分か体が縮んでいるようだ。
 そして……

「ねぇ、時の神の使者よ……。なぜこの島に来たんだい?」

「なっ!???」

 振り返ったグノンマルの姿に、俺達全員が驚き、息を飲んだ。
 その姿は、もはや有尾人とは懸け離れたものとなっている。
 呪いによって、五百年分の年をとったはず……、元の姿に戻したはず、なのに……

 額に光る、黒い二本の角。
 その目は真っ黒に染まっていて、白目と黒目の境目なんてまるでなし。
 肌は真っ赤な血の色となり、紫色の血管が顔中……、いや、体中に浮き上がっていて見るからに恐ろしい。
 そして、鳥類の羽で作られた民族衣装のようなものをおもむろに脱ぎ捨てたかと思うと、その背には禍々しいトゲトゲでいっぱいの漆黒の翼が姿を現したのだ。

「ま、まさか……、悪魔!?」

 驚き目を見開くグレコが叫ぶ。
 
   ふぁっつ?
 あ……、悪魔だと??

「おや、思ったよりも賢いじゃないか。そうさ、私は悪魔……。淫魔サキュバスさっ!」

 さ、さきゅ……、サキュバス?
 サキュバスって確か……、俺の前世の記憶によると、眠っている間にチョメチョメしちゃう、どエロイ奴だったはず!?

「ポポ!? 魔界の悪魔がなぜこんなところにいるポかっ!??」

 魔界っ!? 何それっ!?? 
 魔界なんてあるのかいっ!???

「くっくっくっく……。クトゥルーの言っていた事は本当だった。間抜けな時の神の使者が世界に放たれたと……。あたしは興味なかったんだがねぇ。たとえそいつと相まみえたとしても、あたしにはどうする事もできない。だけど、あたしの長年の計画を邪魔されたとなっちゃ、黙っているわけにもいかないねぇ……」

 悪魔と化したグノンマルは、バッ! と漆黒の翼を広げて、闇夜の空へと舞い上がる。
 そして、拳を握りしめた両手を頭上へ向けて、ドーン! ドーン! ドーン! と、真っ赤な光の輪を三つ、空へと放った。
 それらは上空で形を変えて、奇妙な魔法陣を描き出した。

「あれはっ!? 悪魔の号令カロ・ディアヴォロス!??」

 カービィが叫ぶ。

 何っ!? 何それっ!??

 すると、悪魔と化したグノンマルは、ゆっくりと地上に降りてきて……

「くっく……、これでいい。あたしの仇は兄弟がとってくれる。せいぜい逃げ回る事だね、時の神の使者よ……。ぐっ、ぐふっ……、がぁあぁぁあぁっ!!!」

 苦しそうに、口から大量のどす黒い液体を吐いたかと思うと、グノンマルの体は黒い炎に包まれて、轟々と燃え上がった。
 何とも言えない焦げ臭い異臭に、俺達全員が鼻を塞ぎ、やがてグノンマルの体は消し炭となって、そこにはあの赤い宝石の耳飾りだけが残った。
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