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2019
女、猫。
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子猫は、私の足元に体を擦り付けて喉を鳴らせていた。とても、純真無垢な、濁りのない瞳をしていた。
「お母さんはいないの?」
話しかけても、その声を聞いても、返事をしないのはわかっていた。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
私は自分が住んでいる自宅に足を向けた。けれど、子猫は鳴きながら追いかけてくる。
「どうしたの?寂しいの?」
労りの心をかけてしまう私。もちろん、返事をしないのはわかっている。
やはり、辺りを見回しても母猫らしき姿は居らず、きっと孤児なのねと一人思う。
周りには家が何件かあったけれど、その一角の家に猫の缶詰が置いてあった。
「あなた、あそこでご飯もらっているのでしょう?あそこに可愛がって貰った方があなたのためよ」
私はそう言って足早に帰ろうとした。が、子猫は着いてくる。鳴きながら。
結局子猫は、私の住むマンションの前まで着いてきてしまった。私は時計を見た。田舎のマンションだから、周りの目はまだ大丈夫だ。
私は困ってしまい、子猫を見つめた。子猫は小さい声で鳴く。喉をごろごろ鳴らしていた。この子は、子猫だからとても小さい。このまま、外に居たら車か何かにぶつかって死んでしまうかもしれない。
私は子猫を抱き上げて、コートの合わせに隠して階段を上った。
部屋の前につき、ドアを開けると、私はせかせかと棚にあった愛猫の事典を取り出した。ページを捲って捲って、猫の世話の仕方を読み通した。
私は振り向いた。子猫は、そこにちょこんと座って首を傾げていた。
「あなたはもう離乳食なのね」
私はホームセンターに行って、キャットフードを買った。家に帰ってポットで沸かしたお湯を入れ、深皿のキャットフードに浸した。浸して柔らかくなったキャットフードを冷まして、子猫に与えた。よく食べた。
私は心中、この子猫の名前をつけないと決めていた。決めた時のことを思うと、亡くしたことを考えると、瞼の裏に泣きじゃくる私がいたから。
玄関を後にする時も、電車に運ばれている時も、会社に居る時も、常にあの子猫のことを考えていた。なぜ、私はあの子のことを考えているのだろうか。
そしてその間中、心の片隅にいる私は、恋焦がれたように、帰る時間を心待ちにしていた。
家に帰ると、子猫は一目散に私を迎えてくれた。私を歓迎してくれてるのは、今の内ね。そう思ったけど、嫌なことではなかった。私は、待っていたご褒美におやつを与えた。猫用のクッキーだった。
子猫は、それを、とても美味しそうに食べていた。私は、それをとても面白いと思って見ていた。
平らげた子猫は、ぴんくの舌で口の周りを舐めて私をもう一度見た。私はパッケージを見て摂取数を確認すると、それを二個ほど与えた。
私は冷蔵庫から、ビールを出して、三回ほど喉に通した。
確実に冷めた感情があった。
子猫はオルガンを弾いている時も鍵盤の上に乗っかった。本を読んでも、その前に割り込んできた。
可愛いと思わなければいけない。わかっていた。怒鳴ってしまった。それ以降、あの子がオルガンに乗るのは一切なかった。
こびりついたフライパンの底の焦げのように、その自分への嫌悪感は拭えなかった。そして、今も拭えないでこびりついているのだ。
猫はトイレも自分で覚えたし、水の場所も、ご飯の場所も、覚えた。猫は、手間のかからないいい子に育っていった。
自分の意地汚さがはっきりと見えた。あの子が成長する中で、私のその汚い感情は日増しに目立つように見えた。今まで隠れていて、見なくても良いものが、きちんと分かってしまうようになっていた。
あの子は、子猫ではなくなった。猫になった。成猫になった。そうなった今でも、あの子は時折、申し訳なさそうな顔をしながらも、私の鼻に自分の鼻をつけたり、体を擦りつけたりしてきた。私はその度に頭を撫でた。その子が離れていくまで、幾度も撫でた。
猫は時々、窓の向こうを見ていた。私はその度に「外は危険よ」と、縛り付けるようなことを言った。猫は時々、外を見てみゃあと鳴いた。「外は、危険よ。あなたなんか、車に引かれて死んじゃうんだから」と言っても、猫は外を時折見ていた。
まるで自分が醜く、怖い奇妙な怪物のように見えた。周りの人も、猫に対する私の掛け声を見聞きすれば奇妙に見えたに違いない。
猫は私が帰ってくると、迎えに来てくれる。やがておばばになっても、迎えに来てくれるのには変わりなかった。
そして―必ずその瞳で私を見上げるのだ。
鬱陶しい。その本質を見た気がした。
私は猫に言った。
「なぜ、私を信じるの?」
猫は、首を傾げた。
「私を、信じるのはやめなさい」
猫は擦り寄ってきた。
「裏切られたら、どうするのよ」
私の頬から水が滴った。猫は心配そうに、私の顔をそのざらざらとした舌で舐めあげた。
翌日、私はベランダを開けるようになった。そのベランダから、猫は出入りするようになった。
洗濯物を取り込み終わって、一段落つき、つい閉めてしまっても、必ずその場で、大きな声で鳴いて、私は直ぐにベランダを開けた。
近所の人にバレるかと思ったけれど、このマンションには三人くらいしかいないし、何せ奥まったところに部屋があるので気付かれなかった。
けれど、やがて猫はベランダを出ないようになった。私は心の底からそれを喜んでしまった。
私は部屋の片隅で、読書をしていた。窓辺の日差しを浴びながら。猫はその私に寄り添うように、いつも目を閉じていた。
猫は長生きで、いつまでも私の部屋に暮らしていた。私も、猫に出会ったその日よりも、歳が増して猫よりあとにおばさんになった。
猫は私の部屋で、臨終を遂げた。猫に寄り添うと、私も横になって目を閉じた。
静かだった。時が止まったように。
「お母さんはいないの?」
話しかけても、その声を聞いても、返事をしないのはわかっていた。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
私は自分が住んでいる自宅に足を向けた。けれど、子猫は鳴きながら追いかけてくる。
「どうしたの?寂しいの?」
労りの心をかけてしまう私。もちろん、返事をしないのはわかっている。
やはり、辺りを見回しても母猫らしき姿は居らず、きっと孤児なのねと一人思う。
周りには家が何件かあったけれど、その一角の家に猫の缶詰が置いてあった。
「あなた、あそこでご飯もらっているのでしょう?あそこに可愛がって貰った方があなたのためよ」
私はそう言って足早に帰ろうとした。が、子猫は着いてくる。鳴きながら。
結局子猫は、私の住むマンションの前まで着いてきてしまった。私は時計を見た。田舎のマンションだから、周りの目はまだ大丈夫だ。
私は困ってしまい、子猫を見つめた。子猫は小さい声で鳴く。喉をごろごろ鳴らしていた。この子は、子猫だからとても小さい。このまま、外に居たら車か何かにぶつかって死んでしまうかもしれない。
私は子猫を抱き上げて、コートの合わせに隠して階段を上った。
部屋の前につき、ドアを開けると、私はせかせかと棚にあった愛猫の事典を取り出した。ページを捲って捲って、猫の世話の仕方を読み通した。
私は振り向いた。子猫は、そこにちょこんと座って首を傾げていた。
「あなたはもう離乳食なのね」
私はホームセンターに行って、キャットフードを買った。家に帰ってポットで沸かしたお湯を入れ、深皿のキャットフードに浸した。浸して柔らかくなったキャットフードを冷まして、子猫に与えた。よく食べた。
私は心中、この子猫の名前をつけないと決めていた。決めた時のことを思うと、亡くしたことを考えると、瞼の裏に泣きじゃくる私がいたから。
玄関を後にする時も、電車に運ばれている時も、会社に居る時も、常にあの子猫のことを考えていた。なぜ、私はあの子のことを考えているのだろうか。
そしてその間中、心の片隅にいる私は、恋焦がれたように、帰る時間を心待ちにしていた。
家に帰ると、子猫は一目散に私を迎えてくれた。私を歓迎してくれてるのは、今の内ね。そう思ったけど、嫌なことではなかった。私は、待っていたご褒美におやつを与えた。猫用のクッキーだった。
子猫は、それを、とても美味しそうに食べていた。私は、それをとても面白いと思って見ていた。
平らげた子猫は、ぴんくの舌で口の周りを舐めて私をもう一度見た。私はパッケージを見て摂取数を確認すると、それを二個ほど与えた。
私は冷蔵庫から、ビールを出して、三回ほど喉に通した。
確実に冷めた感情があった。
子猫はオルガンを弾いている時も鍵盤の上に乗っかった。本を読んでも、その前に割り込んできた。
可愛いと思わなければいけない。わかっていた。怒鳴ってしまった。それ以降、あの子がオルガンに乗るのは一切なかった。
こびりついたフライパンの底の焦げのように、その自分への嫌悪感は拭えなかった。そして、今も拭えないでこびりついているのだ。
猫はトイレも自分で覚えたし、水の場所も、ご飯の場所も、覚えた。猫は、手間のかからないいい子に育っていった。
自分の意地汚さがはっきりと見えた。あの子が成長する中で、私のその汚い感情は日増しに目立つように見えた。今まで隠れていて、見なくても良いものが、きちんと分かってしまうようになっていた。
あの子は、子猫ではなくなった。猫になった。成猫になった。そうなった今でも、あの子は時折、申し訳なさそうな顔をしながらも、私の鼻に自分の鼻をつけたり、体を擦りつけたりしてきた。私はその度に頭を撫でた。その子が離れていくまで、幾度も撫でた。
猫は時々、窓の向こうを見ていた。私はその度に「外は危険よ」と、縛り付けるようなことを言った。猫は時々、外を見てみゃあと鳴いた。「外は、危険よ。あなたなんか、車に引かれて死んじゃうんだから」と言っても、猫は外を時折見ていた。
まるで自分が醜く、怖い奇妙な怪物のように見えた。周りの人も、猫に対する私の掛け声を見聞きすれば奇妙に見えたに違いない。
猫は私が帰ってくると、迎えに来てくれる。やがておばばになっても、迎えに来てくれるのには変わりなかった。
そして―必ずその瞳で私を見上げるのだ。
鬱陶しい。その本質を見た気がした。
私は猫に言った。
「なぜ、私を信じるの?」
猫は、首を傾げた。
「私を、信じるのはやめなさい」
猫は擦り寄ってきた。
「裏切られたら、どうするのよ」
私の頬から水が滴った。猫は心配そうに、私の顔をそのざらざらとした舌で舐めあげた。
翌日、私はベランダを開けるようになった。そのベランダから、猫は出入りするようになった。
洗濯物を取り込み終わって、一段落つき、つい閉めてしまっても、必ずその場で、大きな声で鳴いて、私は直ぐにベランダを開けた。
近所の人にバレるかと思ったけれど、このマンションには三人くらいしかいないし、何せ奥まったところに部屋があるので気付かれなかった。
けれど、やがて猫はベランダを出ないようになった。私は心の底からそれを喜んでしまった。
私は部屋の片隅で、読書をしていた。窓辺の日差しを浴びながら。猫はその私に寄り添うように、いつも目を閉じていた。
猫は長生きで、いつまでも私の部屋に暮らしていた。私も、猫に出会ったその日よりも、歳が増して猫よりあとにおばさんになった。
猫は私の部屋で、臨終を遂げた。猫に寄り添うと、私も横になって目を閉じた。
静かだった。時が止まったように。
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