サーシェ

天山敬法

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第六章 親の願い

60話 封じられた血

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 オーデルの市街で続けられる戦闘の中、一度見失ったクラウスを追うのは、幸い、容易だった。彼の派手な魔法の刃は遠くからでもその光を捉えられる。
 彼が剣を一振りするごとに、上を取っていたはずの味方の足場は吹いて倒れるごとくに破壊され、近接での戦いを挑んだ者もその刃の前では裸も同然だ――斬りあった武器は瞬時に砕け散り、分厚い鎧も紙くずのように切り裂かれていく……。彼の通った道はそのまま、トレンティア軍の勝利の血路になっていく。
 ……まだ市街の最奥まで食い込んでいるわけではない。次から次へと補充される矢の雨はまだ降り止まない。ここで、これ以上魔剣の猛獣を自由にさせるわけにはいかない。
 彼の魔法の刃に巻き込まれることを怖れ、彼の周りには他のトレンティア兵すら近寄らない。その姿を家屋の陰を縫いながら追い、僕の足音に気付いてぎらりとこちらを睨んだ目に向かって、まっすぐ矢を射掛けた。
 それを難なく躱してから、さすがにもう憶えただろう僕の顔を睨み、一瞬にしてそれが深い憎悪を帯びたのが分かった。
「貴様は……! エレアノール様は……」
 その言葉は思わずついて出たのだろう。ああ、その感情が僕には分かってしまった。分かった上で、その悪寒にも似た感情を飲み込んで……、今はただ目的のために、噛み潰すようにして嗤ってやった。
「殺したよ」
 重々しい声で言い渡してやる。そう言えば彼が逆上するだろうことが分かってしまったから。当然、クラウスの目は凍りつくように開かれていく。
 ああ、分かるよ、大事な女なんだよな、なんて同情をかけてやれるほど僕達は仲良くもない。
「貴様あああ!」
 クラウスは怒りの形相に顔を歪め、その魔剣に一層強く魔力を迸らせた。ようやく標的の注意を引いたが、この怒り狂った猛獣をいなすには骨が折れそうだ。
 しかし逆上した彼の奥、破壊されたやぐらの瓦礫の陰に蹲る怪しい影を、僕は見逃さなかった。
 “標的”がこれだけ市街で派手に暴れているのだ、どこにいたって場所は分かっただろう。その相棒の姿を見つけて、嗜虐を演じたその笑みを深めたままに、僕は勇んだ。
 一番近い候補地点は……、皮肉かな、戦いが始まる時に僕達が過ごしていた、あの厳かな神殿だ。そちらに向かって僕は駆け出した。すぐに元いた足場を魔法の刃が削りとっていく。
 いくら僕の足が速いと言っても、所詮は生身の人間に過ぎない。彼が剣を振るたびに飛んでくる風のような刃の、全てを躱し続けることは不可能だ。
 時々は建物の影に隠れてそれをやりすごすが、なにせ威力が高すぎて、盾にした建物もすぐに崩落してくる、一瞬の判断も誤れない逃亡劇だ。
 だが彼が逆上して僕一人に狙いを集中している中、周囲には味方の姿もまだある。今回の戦いの中で最も厄介な敵が紛れもなくこの魔剣士であることは全員が共有している認識のはずだ、他のトレンティア兵との交戦も収まっているわけでは決してないが、それでも上からの援護射撃はあつかった。
 なにせクラウスは魔法の刃による攻撃で、遠距離からでも僕を狙う、上から弓を構えている味方が誤射を気にすることもなく敵だけを狙うのは難しくないだろう。
 その度に彼は降ってくる矢を躱し、時にその剣で叩き落とし、時に防御の魔法陣を空へ張って防ぐ。そうしていると僕への攻撃の頻度は必然落ちてくる。それでも、頭に血が上った獰猛な獣は、ただ一筋に僕の首だけを狙ってくる。
 ああ、凶暴な猛獣には違いない、だが……、獣を狩るのはズミ人のお家芸だ、なんて得意な決め台詞を胸の内で吐きたくもなる。

 なんとか四肢は無事なまま、僕はその神殿の中へと転がり込んだ。必死の逃亡劇の間、息が続いたことを神に感謝しよう。
 そして神殿の中に安置されている神像の……、それを収めた厳かな装飾の籠の上に、ああ、なんて罰当たりなことだろう、のっしと座り込んでいる人影が既にある。
 それはフードを目深に被って顔を隠した怪しい魔術師。そしてその籠の脇には、しんと佇む美しい魔道人形の姿もあった。
 僕の姿を見てパウルは宮籠の上に立ち上がった。その高い位置から神殿の中を見渡すようにして。そして僕を追ってきたクラウスは堂々とその神殿の中へと立ち入ってくる。
 ずっと逃げ回っていた僕の息は、既に相当に上がっている。苦し紛れに逃げ込んだ先で袋の鼠、というていだろうか。ぎらりと光るその魔剣を構えて僕を睨みつけてくる。
 しかしその奥の高い位置に、堂々と立って見せた魔術師の姿をも当然捉えただろう。神殿の中へ逃げ込み、そこで足を止めた僕。そしてそれを待ち構えるように見下ろした魔術師の姿。その光景に一筋の疑惑を覚えるほどの冷静さは、残っていただろうか。
 クラウスは怪しんで僕達を見つめ、すぐに攻撃はしてこなかった。
「ようやくお出ましか、フォス・カディアルの騎士様。よくやったヨハン、あとは俺様が……、こいつを倒す」
 パウルは高くから堂々と言い渡した。それは当然、その猛獣を挑発する意図があっただろう。クラウスは剣を構えたままパウルと……、その近くに控えているフェリアとを睨んだ。
「また魔道人形か……、やはりズミ人は趣味が悪いな。そのようなガラクタ、私の剣の前では無意味であることも分からないのか」
 クラウスは怒りを滾らせた表情のままそう語った。しかしパウルは答えることもなく、両手を高く広げて、この神殿全体に張り巡らせた魔術をやっと発動した。
 円形になっている床にぴったりと嵌めたように、金色の光を帯びた魔法陣が浮かび上がる。そこに浮かぶ術式は、少し基礎を触っただけの初心者には見たこともなければ到底読めることもない、複雑奇っ怪な文字……。
 クラウスもハッとして足元を見たが……パウルが事前に言っていた話を頼りにするなら、彼とてそれを読むことはできないはずだ。ただ何かの術式が発動している、ということしか。
「こんな狭い場所で大掛かりな魔術を撃てば味方も巻き込むぞ」
 クラウスの苦々しい声が響く。僕は上がった息を整えるため、神殿の壁際に寄って少し体の力を緩めた。もちろん休憩というわけにもいかないが、あとはパウルとフェリアが主となって戦うだろう……、そう思った。
 クラウスはエレアノールの仇である僕への殺意と警戒を緩めはしないが、しかしこの状況で警戒するべきは明らかに高位な魔術を放とうとしている魔術師、そして超人的な怪力を誇る魔道人形だ。その注視は分散する。
 そんな中、その魔道人形が突如、糸が切れたようにその場に倒れた。蹲った、なんてものじゃない、根本から力を失った様子で、死んだのと同じようにただ倒れた。
 その頭が石の床にがつんとぶつかったその音で、ぎょっとして僕も視線を上げた。……フェリアが倒れた? そんな話は事前の打ち合わせでは聞いていない。
 パウルはというと、フードを被っていてその表情は分からないが、同じく倒れたフェリアに視線を落としているようだった。あまりに突然の事態に、それを隙と取ることもできなかったのか、クラウスも怪訝な顔をしている。
 やがてパウルはフードの上から仕方なさそうに頭を掻いて見せた。
「……すまんヨハン、人形が故障したみたいだ。やっぱりお前が戦って」
 気の抜けた声で、そんな間抜けな言葉を言ってきた。思わず、「は」なんて呆けた声が僕の喉からも漏れる。いや、聞いていないぞ。
「この魔術が作用したのか……、想定外だな。まあいいや、俺も補佐はする。お前なら勝てる」
 パウルはまるで敵を目前にしてるとは思えないほど悠長な調子でそう言って、まだ煌々と光る魔法陣へと魔力を流し続けた。どうやら何かのハッタリというわけでもないのか……、とにかく僕も、今は彼の言葉に従うしかない。
 そんな僕達を見てとうとうクラウスも激昂した。
「ふざけた茶番を!」
 そう叫ぶように言って魔剣を振りかざす。やや離れた場所にいる僕ではなく、真正面にいるパウルへと。しかしパウルはどこ吹く風とばかりに突っ立ったまま、身構えることすらしない。
 そんな彼へ方向を向けたまま、魔剣が空を切り裂く。……切り裂いただけだ。
 すぐにクラウスの目が驚きに見開かれた。その顔が見たかった、とばかりにパウルの下半分だけ見えた顔に深い笑みが浮かぶ。魔剣が放つはずの魔法の刃は、すでにこの空間では発動しない。
 当然その隙を見逃す僕ではない。風のように彼の元へ駆け、迷わず短剣を振っていた。相手も咄嗟に剣をこちらに構えた、その刀身が僕の太刀筋にぶつかって激しく衝突の金属音を上げた。
 刃同士を混じえて、クラウスの顔を初めて至近に迎える。その魔剣の刀身は既に白い光を失い、そこに迸っていた魔力がかき消えているのが僕にも分かる。
 クラウスは戸惑い、剣を振り切って僕の攻撃をいなした後に後退った。彼がいくらその手の平に魔力を込めようとも、魔剣の刀身にその力は流れない、そのことをようやく悟ったらしい。
「何だ、破壊魔法……? いや馬鹿な、こんな局地的な……」
 混乱しきった呟きが聞こえる。だが彼がこの場に張られた魔術を理解することはないだろう。……その実、僕にだってこれが何なのか理解しているわけではない。
 ただパウルから与えられた情報はひとつ……、この陣の上では決して“血門術けつもんじゅつ”を発動することができなくなる。それは魔剣に施された魔術も同様らしい。そうなれば魔剣士はただの剣士に成り下がる。彼は既に罠に嵌まって牙を封じられた獣だ。
 フェリアが動かなくなったのは拍子抜けなほど想定外の事態だが、ならば僕が戦うしかない。パウルも補佐をすると言うが、彼は常に血門封じの陣に魔力を割かなければいけないから、あまり当てにはできないだろう。こうなれば剣士同士の一騎打ちだ。
 魔剣を封じられたクラウスへ、僕はその隙を確実に狙って猛攻を繰り出す。魔法さえなければ生身の人間だ、鎧の隙間をついて急所さえ刺せばそれだけで終わる。その一瞬の隙を……、見出せ!
 しかしクラウスは残念ながら、魔力に頼り切っているだけのボンクラ兵士とは違った。ただの剣同士を交えても、その身のこなしは息を呑むほどに素早く、確実だった。剣の長さも、その体格も自分より勝る手練れの剣士だ――ただでさえ、分が悪い。それに僕は打ち勝たねばいけなかった。
 確実に急所を穿ったはずの攻撃は、まるで未来を読んでいるかのような正確な足運びで、その度防具や剣で防がれる。
 だがどうしても、魔剣による大振りの癖が身に染み付いているのも分かった。その装備の重さの分もあって、速さだけなら僕の方が上……、その太刀筋を確実に目で捉え、一瞬の判断さえ誤らなければこちらにも敵の刃は届かない。
 次第にクラウスの顔には苛立ったような色が浮かんだが、しかし一度がちと剣同士を交えた瞬間に、深く笑った。
「……面白い、面白いぞ、ヨン! 魔法を使わぬ斬り合いなどいつぶりだろうな! ……貴様は必ず俺が殺す! 必ずだっ!」
 剣を握るその腕に、目に、闘争の愉悦が滲み出し、その口は僕の名前さえ呼んで見せた。その気迫に嫌な味を覚えて、僕はぎりと奥歯を噛み締めた。
 血に飢えた獣の相手などしていて気分のいいものではない。……早く終わらせたい。早くこの敵を殺して……。そう気合いを入れてみたものの、相手は思うように攻撃を受けてはくれない。次第に僕の戦意も焦らされるように加熱していった。
 背後から魔法の気配を感じた。パウルか? いや、違う。パウルは視界の中、変わらずミュロスの神像の籠を踏みつけている。
 次の瞬間、背中側で爆炎が起こった。しかし直接的な熱の痛みは感じない。攻撃を受けたわけではない。
 起こった爆風に煽られ、僅かに立ち込めた黒煙から逃れるように、僕はとにかくクラウスから一度体を離した。何が起こったのか、状況を把握しなければならなかった。
 ……それは相手も同じだったらしい。驚いた顔になって距離をとって姿勢を整え、背後……神殿の入口の方を振り向いていた。
 そこには神殿の扉を蹴破る勢いで開けて中へ入ってきた、人影……、一人。その息は荒く、その小さな体を震わせ、左手で自らの右肩を庇うように抱き込んでいる……一人の女。
 その顔を見て、僕もクラウスも驚嘆した。なんでここに、という馬鹿みたいな嘆きが再び胸中に満ちていく。……急ぎ仕立ての拘束が緩かったか。
「エレアノール様!? 生きて……、いや、なぜここに!」
 クラウスの不気味なほどの戦意が唐突に消え、その声は悲痛なまでに彼女の名前を呼ぶ。あの怪我で、ここまで這いずってきたというのだろうか。
 僕は彼女のその決死にも見える姿に、それは皮肉ではなく本当に慄いた。その体で、この戦闘の中に入り込んで、一体何ができるというのだ。
 しかし息が上がりつつあるのは僕も、そしてクラウスも同じだった。彼女の唐突な訪れが何かの合図のように、振り続けていた剣を止めてその場で体力を温存する。
「生きておられたならすぐに退いて……ください! 何を考えているのですか!」
 クラウスの嘆きはもっともだ。だがエレアノールはきりと強めた視線で僕達を睨んで、荒く乱れた息まじりに、掠れた声を上げる。
「自軍の中に……、どさくさに紛れて私を暗殺しようとする奴がいるものでね……、どこにいたってどうせ死ぬ……どうせ死ぬなら戦って死にたいの。ジャック、あなたと共に……、刺し違えてでも!」
 そこに据えられた覚悟は、本当に文字通りの決死のものだった。その言葉が語った内容を、疲労した思考でも、僕には拾うことができた。
 ……彼女が暗殺の危険に晒されている心当たりなどいくらでもあったのだ。初めて会った時もそう、そして先程の弓矢を持ったトレンティア兵もそう……。弓矢をわざわざ使ったのは、ズミ人の攻撃による殺害に見せかけるため……、そんな想像は容易についた。
 エレアノールの決死の叫びを前に、誰も動けないでいた。目を見開いたまま凍りつくクラウス、まだ息が上がっていて踏み出せないでいる僕、そして神殿の奥で変わらず立っているパウル……。
 その光景をぐるりと見渡して、エレアノールは苦痛の顔のまま叫ぶ。
「状況を説明して! こんな所で何を……、何、この……、この魔法陣は何!?」
 そして彼女が視線を落としたのは、神殿の床いっぱいを金色に光る、奇っ怪な魔法陣だ。
 何と聞かれても、その正体を知るものは仕掛け人であるパウルだけである。誰も答えない中、その主はぽつりと、零すようにその名前を呼んだ。
「……エレアノール? グロリア・エレアノール……なのか」
 フードの奥に隠れた顔は見えない。しかしその声は、まるで力の抜けた……、夢でも見ているように、呆けた声色だった。
 そのパウルの姿を真正面に捉え、次第にエレアノールの声も震えていく。
「……ねえ、嘘でしょう? あなたは誰なの……? この陣……、私が見間違うはずないわよね……、こんなもの書ける人間、なんて……」
「黙れ!」
 パウルが突然激昂し、その言葉を遮った。そしてそれと同時に両手を正面に突き出して、ソル・サークルを浮かべた。それまで陣の維持に徹していた彼が突然出た攻勢、それへの咄嗟の反応は、クラウスさえも、遅かった。
 次の瞬間に放たれた火の玉はエレアノールの方へ突進し、しかしその体を直撃することはなく、近くにあったガラス戸の棚を粉砕して破片を撒き散らした。その衝撃にエレアノールは身を庇いながらよろける。
「ヨ……、ヨン! その女を黙らせておけ! クラウスは俺がやる!」
 パウルはそう叫び、籠の上から飛び込むように床へと降り立った。
 僕はぎょっとして、パウルとエレアノールとを交互に見た。俺がやるって言ったって、この術式を維持したまま戦うなんて、さすがのパウルだって無茶だろう。
 しかしパウルは止まらない。クラウスに向かって突進するように駆ける、その手が躊躇いなく、腰に挿した彼の魔剣を抜くのを確かに見た。
 状況を掴めないまま、しかし襲いかかられてはクラウスも剣でそれを迎え撃つ。パウルとクラウス、二人の魔剣同士が激しく交差してその場に食い留まった。
「無茶するな馬鹿、術が切れる……!」
 僕は苦しげにそう叫んだ。剣なんかに力を入れるから魔力の集中が乱れている。足元に光る魔法陣が不安定にゆらめいた。
 この術が途切れてしまえば途端にクラウスは魔剣の猛威を振るい、たとえ同じ武器を持っていたとしてもパウルだって危うい。
 僕は咄嗟の判断で、その揺らめいた魔法陣に手を触れ、魔力を流し込んでそれを繋いだ。発動のさせ方は事前に……、僕が“代打”をすることを想定して教わっていた。今はエレアノールを黙らせろなんて命令よりもそれを優先するべきだった。
 手負いのエレアノールは放っておいたってろくに戦えはしない。それでも残った左手だけで魔術を撃つことはできたようだが……、今彼女は、放心したような顔で剣を交わす男達を見ているだけだった。
「この、術……、嘘……? 本物……?」
 その口が呟いたうわ言にはただならぬ予感を感じたが、今はそれどころではない。僕は血門封じの術を維持するのに精一杯で、他のことに頭は回ってなかった。
 二人の切り合いは、しかしどうやらクラウスの方が、剣においては力も技も勝っている。すぐにパウルは押し切られ、クラウスの攻勢が始まる。
「待ってジャック! 殺さないで!」
 その気配を察知してか、エレアノールが叫んだ。彼女の声を聞けばクラウスもびくりとしてそれを躊躇う。押しのけられたパウルは、剣を構えたまま荒く息をついているようだった。
「……黙れと言ってるだろう」
 彼はそう押し殺したような声で言うが、しかしエレアノールは止まらなかった。
「こんな……血門封じの術なんて、書ける人間他にいないわよね……。生きて……いたの、パウル……イグノール!」
 そしてとうとう彼女は彼の本名を言い当ててしまった。僕とて驚いたが、やっぱり、手元の術を弄るのにそれどころではない。ただ、パウルのその全身には、緊張とも憤りともつかない覇気が滾っていくのが、分かった。
「はっ……、人違いって奴じゃねえか? パウル・イグノールはとうの昔に死んだ男だ……、俺は、違う……俺はもうイグノールじゃない!」
 やけくそのように叫んで、パウルはまた剣を振りかざす。その剣をクラウスは難なく受け止め、再び二人は斬り合う。クラウスが帯びる戦意は、やがて冷たく鋭く、研ぎ澄まされていく。
「……イグノール。そうか、生きていたのか。しかもこんな所で祖国に仇なして戦っているとは見損なったぞ。敵に魂を売り渡した汚らわしい売国奴が! いい機会だ、ここで斬り捨ててやる!」
 そう重たい声で叫び、その攻撃の手にも一層力が入る。パウルの剣を押し切り、その首を狙った一撃を、かろうじてパウルは身を引いて躱した、その剣の風圧に煽られて、彼の顔を隠していたフードがはらりと降りていく。その奥から現れた青い瞳はやがて、同じように深い殺意に染まっていった。
「……神聖なるトレント。汝が子に力を……、愚かにもあるじに噛みついた駄犬に躾を施したまえ」
 重たく冷え切ったその祈りに応じて、パウルの握った魔剣に眩く魔力が迸る。そんな有り様を眺め、エレアノールは悲痛なまでに叫ぶ。
「やめ……やめなさいって言ってんのよ! 二人とも剣を収めて……!」
 泣き叫ぶような女の声に、しかし男達は聞く耳を持たない。二人は魔剣を構えて、ただ互いにその首を見据えていた。
「あなたは黙っていてください! こいつは紛うことなきトレンティアの仇敵、何かの手違いで死刑を免れていたというのなら……、私が騎士としてこの場で執行せねばなりません!」
 そうはっきりと怒鳴る、この時すらも視線はエレアノールには向いていない。ただクラウスは目の前のパウルを睨んでいた。
「……トレントの魔剣か、どうやら本物らしいな。貴様は俺が斬る……、この場で間違いなく!」
「分かってんのかジャック、ここではお前の血門は封じられている、今魔剣を使えるのは俺だけだ……、そのただの棒切れで勝てるとでも……」
「笑わせるなよイグノール。忘れたのか? ガキの頃から……、俺はお前に一度も剣で負けたことはない!」
「ほざけ! 魔法では一度も勝ったことないくせによ!」
 真剣を交わさんとする男二人は、きっと在りし日の少年時代を思い起こしているのだろう、その顔はまるで戦場に似つかわしくもない、楽しそうな笑みで。
 ただの剣同士で交われば勝負は明白だった。しかし今は、パウルの剣だけに強烈な魔力が迸っている。全て溶かすように切り裂いてく破壊力を帯びた、その刀身には触っただけでクラウスの負けだ。
 パウルの太刀筋をクラウスは全て躱し、その隙を狙って真剣を突き出す。クラウスを斬らんと振られたパウルの剣は神殿の石壁をバターのように削り、時に空に爆炎を迸らせて壁に寄せてあった祭具を粉々に粉砕する。ああ、なんて罰当たりな。
 そしてその剣の隙間を狙うクラウスの攻撃は、しかしパウルが剣の柄から左手だけを離して張った防御の魔法陣に容易く弾かれる。
 剣を振り回しながら、パウルの片手の上に連なる魔法陣は、まるで水面を虫が走った波紋のようで……その戦いぶりは状況を忘れて見とれてしまうぐらいに見事だった。
「ああ、くそ……、お前だけには知られたくなかったな、ジャック。可愛い弟分をこの手で殺さなきゃいけないなんて悲しいよ!」
「祖国に……、同胞に剣を向けている貴様がどの口で言う! お前が……、お前のせいでエレアノール様がどんな思いで! どれほどの苦しみを背負ったのか分かっているのか!」
 二人はきっと、彼らにしかわからない思い出話にその殺意を咲かせている。そこにどんな思いの積み重ねがあったことだろう、なんて、他人の僕が想像を馳せることすら不毛だった。
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「うるさい黙れっ! 貴様に言われる筋合いはない! 貴様が……、貴様が全部壊していったんだろうが! もう問答はたくさんだ、死ねっ……、イグノール……!」
 魔剣の魔力が迸る、そのたびに傷つく神殿は次第に廃墟の風体を現していく。ミュロスの像を収めた宮籠さえすでに半壊して傾いていた。それでも二人の攻防はなかなかに決着がつかない。
 クラウスはこれまでの戦闘でも相当に消耗しているはずだ、それなのに全く鈍った様子を感じさせない足運びで、跳び、身を捩り、そして穿つように剣を突き出しながら敵の命を追う。
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「おい、やめとけ。あんなのに巻き込まれたら死ぬぞ」
 しかしエレアノールはまるで上の空のようで、それを聞きもしない。
 そしてその視線の先で、パウルの剣が放った爆炎の魔法がひときわ大きく炸裂した。その威力はついに神殿の石壁を吹き飛ばし、崩れた石材が雪崩れるように中へと転がってきた。その石のつぶてにクラウスの体が打たれ、怯んだのが分かった。
「……なあ、もう終わりにしようジャック。これが最初で最期の、私の一勝目だ」
 パウルはそう静かに言って、クラウスへと魔剣をびたりと構え、石に埋もれて動けないでいる彼に向けてまっすぐと突き出す……。
 それはそのまま彼の喉を突き刺しただろう……、そう思われた矢先に、剣の切っ先とクラウスの体の間に、エレアノールが立った。
 その……息子を庇うように背を向け、目は正面から真っ直ぐパウルを睨む。その額の一寸もないような手前で、びたと剣は止まった。
 パウルは刺突の構えで突き出した剣をそのままにして、静かに目を細める。
「……どけ、グロリア。お前も一緒に死にたいのか」
 その低く凄んだ声を前に、エレアノールは既に取り乱した様子もない。やつれきった顔で彼を見つめ、静かに唇を動かす。
「もう……、やめてください、兄様」
 そうパウルを呼んだ。彼の表情は動かない。
「やめてくださいはギルバートに言うべきだ。パウル・イグノールを殺し、ズミを侵略し、他でもないお前とその男をこの死地に追いやっているのは奴だろう。奴に尻尾を振って付き従っている限り、私はジャックを生かしてはおけない。でないとこちらが殺される……、分かるだろう、グロリア」
 エレアノールは力なく首を振った。
「分からないわ……。なぜ兄様とジャックが殺し合わなければいけないの……? こんなのおかしいわよ! あなたはそんなことができる人ではないはずよ、目を覚ましてください、パウル兄様!」
「人違いだと言っただろう、私は……、俺には、もう名前なんてない。お前の兄はとうに死んだんだ、諦めろ」
 吐き捨てるように言ったパウルの言葉に、エレアノールは儚げに、笑いさえ浮かべた。
「そう……、人違いか。それなら仕方がないわね。それなら……、私を殺すことにだって躊躇はないはずよ。名もなきズミのレジスタンス、この騎士を殺したければまず私から殺しなさい」
 パウルはすぐに返事をしなかった。次第にその目が見開かれていき、しかしその剣は進むことなく、その場に留まっていて……、やがて、小さく震え始めた。
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 飛び出そうとする僕を押さえるように、その体の前に片腕を横に突き出している。……こちらに視線も向けず、何を言うでもなく。
 やがて砂煙の向こう、崩れた神殿の床から滑り落ちるようにして、クラウスとエレアノールの体が遠のいていく。騎士が、その母の体を両腕に抱きかかえて……。
 そんな彼らに、パウルは叫んだ。
「ジャックてめえ! グロリアに二度と怪我なんかさせてみろ、次こそぶっ殺すからな!」
 それが彼らに届いたかどうかは分からない。すぐにパウルは、まるで神を仰ぐみたいに、神殿の壁にあいた穴から夕焼け色の空を見上げ、大きく息を吸い込み……、砂煙を吸って派手に咳き込み始めた。
「くそ、逃がした」
 やがて白々しくそんなことを呟いた。
 外の空気を取り巻くのは、からくも勝利を収め、その喜びに湧くズミの戦士たちの歓声。僕達が神殿に篭っている間にも、戦況はめまぐるしく動いていたようだった。トレンティア軍は全滅……ということもないだろうが、恐らく撤退を始めているのだろう。
 そんな中を、クラウスが手負いのエレアノールを抱えて逃げ切れるのかは分からない。パウルはそれを追うことも、また庇うこともできないで……、ただ美しい勝利の空を見上げていた。
「……殺せると、思ったんだがな」
 パウルはそう独り言のように言った。僕からかけてやるような言葉は上手く見つからない。だけどその寂しげな背中を見ていると、何も言わないでいるのも気が引けた。
「……まあ、妹にあそこまで止められたんじゃしょうがないだろ」
 そう庇うようなことを言ったが、彼はがりがりと頭を掻きながら、「妹なんていねえよ」と悪態をついていた。
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