サーシェ

天山敬法

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第六章 親の願い

59話 オーデル防衛戦

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 長い戦準備の休憩時間が訪れたのは、街の中央付近にある神殿の中でのことだった。
 床を円形に作られた筒状の部屋の中、礼拝のためにとられた広間と壁際に並べられている椅子の上に、今は僕達以外の姿はない。
 神官も礼拝中の市民も、無骨に武器を持って追い出してしまったことに少し心苦しい思いをしながら、僕はその静かな空間で座っていた。
 パウルはというと、長椅子の上に寝そべって寝息を立て始めた。僕は先ほど仮眠をとるタイミングもあったが、パウルはその間に別の場所の魔法陣を弄りに行っていたようで、今になって疲れが出てきたらしい。
 戦いが始まる時になって寝不足で動けないとなると話にならない、休める時に休ませたほうがいいだろう。かといってこんな民間の施設の中、トレンティア人一人を寝たまま放っておけば騒ぎにもなりかねないし、仕方がなく僕はそれを見守る任に徹した。
 せめて家か本部に戻ってから寝ればいいものを、なんて思いはしたが、こんな所で寝落ちるほど疲れを溜めていた彼を起こすのも躊躇われた。
 今しがた、この神殿でも戦闘の発生を想定して魔法陣を仕掛けたばかりだ。そしてそんな空間を、入口から向かって正面の最奥に今は硬く閉じられた宮籠きゅうろうの中から、ミュロスの神像が静かに見守っている。
 一時の休息を神のみもとで取ろうなんてガラにもなく情緒的じゃないか、なんて皮肉が頭をよぎった。たぶん、実際そんなつもりはなくて、たまたまそこに椅子があったからだろうけど。
 パウルが寝ている間、退屈を募らせて僕は神殿の壁を眺めていた。そこにはズミの神々を讃える神話や絵が彫り込まれている。
 中には庶民的な歌になっているような有名な詩文も入っていて、厳かな雰囲気ながらにどこか懐かしい気分にもなる。
 このような神殿はある程度大きな町に行かないとないし、兵士の身分には特に縁もなかったものだから、改めて眺めていると新鮮な思いもした。
 目で追っていく彫刻の文字、そのまま頭に入ってくる神々の詩。その重々しい言葉ひとつひとつを、何を考えるでもなくただ吸い込んでいる、そんな静かな時間。
 その背景にはパウルの寝息が聞こえてくる。今までも同じ部屋で寝ることが多かったから知っているが、彼は寝ている時は意外に静かである。
 晩春の穏やかな気候の日、他に誰もいない静かな神殿で、神々の詩とパウルの寝息に包まれる静寂の時間……どれほどそれが続いただろうか。時刻は正午を過ぎて久しく、夕方の手前。

 やがてその時間を破る音は、パウルが自分で起きるよりも早く訪れた。
 建物の外、遠くで早鐘が鳴る音。ハッとして振り向く。すぐに足元から頭の先へ上がってくるみたいに、緊張感が満ちていく。僕は寝ているパウルを小突いた。
「ん……ヨハン? 何」
 寝ぼけてそんなことを言ったパウルも、鐘が鳴っているのに気付いてすぐに体を起こした。まだ寝足りないのに、なんて文句を言いたげに大きなため息をつく。
 僕達はそれ以上は何を言うでもなく足早に神殿の外に出た。早鐘を聞いて慌ただしく道行く人の姿の中は、市民も兵士もいる。
 正確な状況の確認は必要だが、兵士の動きを見るに戦闘準備をしている……、恐らくトレンティア軍が到着したのだろう。
「俺はフェリアを回収してそのまま持ち場につく。お前は一旦本部に確認を……、いやまあ、動きは任せる。標的を見つけたら合流だ、いいな?」
 パウルは真剣な顔で確認を向けてくる。当然頷いた。
「ああ、上手く釣れればいいがな」
「上手くやるのがお前の仕事だ、頼んだぜ。俺はなるべく姿は出さん、遅れてそうだったら魔術で合図を送れ、魔力の加減を間違うなよ」
「分かってるよ」
 少し皮肉った声で言い合って、僕達は分かれて駆け出した。ひとまず状況を確認するため、足早に本部の方角へと向かう。
 しかし本部に到着するまでもなく、途中でその方向から持ち場に向かう兵隊にすれ違ったのでそれを適当に捕まえた。
「サーシェ、休憩から戻ったところだ、敵襲か?」
「そうだ、北東から軍団がきている。真正面からの攻防戦になる」
「了解」
 短く連絡を交わし、僕はすぐに本部へ向かっていた足を、北東の方角へと切り返した。途中で軍の倉庫に立ち寄り、背負えるだけの矢をたっぷりと補充していく。
 向かう道中には避難する住民の姿と、家屋の屋上ややぐらの上に上って射撃の準備をする兵士達とで賑わっている。
 坂上に陣取った大量の射撃部隊による防衛戦……、しかし僕はその中に混ざらず、愛用の短弓を握りしめて、前へ。
 やがて坂の上から、確かに北東の方角に暗い灰色の群れが流れてきている様子が目に入る。それに向かって、市街の最前に張った防衛線から、矢が放たれていく。
 対して敵が構えるのは当然魔法だ。空中に大きく張られる防御魔法陣がちかちかと点滅するように光り、そこに矢がぶつかって落ちていく様が見えた。その合間合間に、炎による遠距離攻撃も始まる……。
 僕は下の道を走り、できるだけ物陰や木々の合間に身を隠せるように道を選びながら、ひそかに前線へと切り込んでいく。周りには他にも、同じ立ち回りの射手が身を屈めながら獣のように進んでいく様子が窺えた。
 上からの矢の雨を主な攻撃にしながら、その対応のために前に出ている敵へと一人ずつ狙撃を行う。相手はほとんどが鎧を着込んでいる、なかなか一撃で致命傷を与えることは難しいが、それでも敵の前進を鈍らせるために。
 声を上げることもなく、まるで森で獣を狩る時と同じ呼吸で。慣れた手つきで矢をつがえ、最初の一発を研ぎ澄ませた精神とともに、放った。
 手から放たれて行けば、後は見守っても仕方がない。すぐに敵からの迎撃を逃れて身を隠しながら退く。
 敵の魔法攻撃の陣形は、大きな面をとって高圧力での攻撃を可能にする。正面からの激突は激しいようだが、少数で狙撃をしてくる短弓部隊への対応は苦手らしい。何発か矢をけしかけても、こちらに集中して反撃が寄ってくる様子はなかった。
 それでも何人かの頭を射ち抜くとさすがに敵も憤り、数人がかりでこちらを追ってくる者が出てくる。
 足元の感覚を確かめながら、僕はこれみよがしに広めにとられた十字路へと転がり込む。敵が遠距離から魔法攻撃をしかけてくる、空中にソル・サークルを浮かべる仕草とそこに流れる魔力……、それを“見る”ことに慣れてしまえば、躱すのはそう難しいことではない。
 敵の一発目を躱しながら器用に弓を操り、二発目を準備している別の敵の手の平の真ん中めがけて矢を放ってやった。思わず魔法陣を作るのを中断して敵は顔をかばう。矢は腕の防具に当たってそれを砕くことはなかったが……、その一瞬の隙だけで十分だ。
 僕は彼らの足元に隠されていた魔法陣へと魔力を放った。迅速に、正確にと研ぎ澄ます集中力は、矢を射つ時とそう変わりはしない。
 隠術の施されていない爆炎の魔法陣は使ったもの勝ち……、そこを踏んだ方の負けだ。途端に陣が浮かび上がり、その上にいた敵兵らを爆炎が激しく焼いた。
 こちらに魔道士がいて、防衛の魔法陣を仕掛けていることが相手にとって想定の内か外か……、分からないが、上手く引っかかってくれたようで幸いだった。
 その敵兵達にとどめをさす時間も惜しく、僕はまたすぐに別の方面へと身を隠しながら走る。再び前線へ。
 次第に戦線は街の奥へと進んできているようだ……、さすがに第一線だけで食い止められる勢いではない。時々逃げ遅れた様子の市民の叫び声を耳に引っ掛けながらも、市街の中を縫うように駆け、敵の姿を探す。
 少数で浮いている敵などが僕達にとっての獲物だ。上にいる弓兵に向かって必死に魔法陣を向けている所なども狙って、しかし焦らず、何よりも正確に狙い射っていく。
 そうして戦っているところに、横から怒号が飛んできた。
「おい、混血の! お前らの標的を見つけた! 西の端の最前線だ、行け!」
 顔をちらりとだけ見返す。誰かは分からないが、ズミ人の仲間だと分かればそれだけで十分だ。
「了解」
 僕は短く返事をして西へと駆け出した。僕にとって、これまでの立ち回りは副次的なものに過ぎない……ようやく本目的が現れたらしい。

 北東からなだれ込んできた敵の中、一番西の端は東側と比べれば敵の進行がやや遅い。
 その戦線を繰り上げんとして猛進する敵部隊は……精鋭なのだろう。その先陣を文字通り切り裂いていく、怪物がごとき剣士を、確かにこの目でも捉えた。
 魔術師とその補佐官である僕が“標的”と据えるのは、トレンティア最強と謳われる魔剣士、一騎当千の化け物……、名前はジャック・クラウス・フォス・カディアルだ。
 彼の振る剣からは、白く光る魔法の刃が飛び出して空を裂いていく。その風刃がごとき衝撃波は剣による攻撃でありながら遠く、広く攻撃の対象を捉え、しかも普通の魔法攻撃で放たれる爆炎よりもはるかに直接的な殺傷力を持っている。
 魔法の刃が通り過ぎた後には石畳さえも抉れ、やぐらがおもちゃのように崩れ、そして不運にもその軌道上にいた者はその一撃で四肢を吹き飛ばされる。至近で高く味方の血飛沫が上がったのを目にし、思わず奥歯を噛み締めた。
「勇猛なるフォス! 吼えろ、その牙で敵の全てを喰らい尽くせ!」
 クラウスは剣を振るいながら猛々しく咆哮を上げる。ああ、その言葉と気迫だけで分かる……、彼はその縦横無尽に振るう牙で、獲物を蹂躙していく猛獣にほかならない。
 そしてそこに満ちていくのは気迫だけではない。その光り輝く刀身に、確かに太く激しい魔力のうねりが絡みついているのが、少し離れた場所からでもありありと分かる。
 彼の姿をのんびりと観察している暇もない。僕はすぐに家屋の脇に立ってそちらに矢を射掛けた。その魔剣の攻撃は大振りになる、隙間を狙ってくるような狙撃への反応は遅い。しかしそれでもさすがの剣士だ、その体に到達するまでには反射的に察知をしたらしく、腕の防具でがちりをそれを受け止めて見せた。
 その目がこちらを向く。今度はすぐに隠れはせず、僕は同じ色の瞳でしっかりと彼を睨み据えた。この目の色を彼は憶えているだろうか……、戦闘のさなかでは分からない。
 何を言うでもなく殺意が向いてくる。僕はまた足元の感覚を確かめながら位置を調整する。魔剣相手に真正面から挑んでも勝ち目はない、広く幅のある魔法の刃を相手に、僕がとれる行動は基本的に回避と防御だけだ。それも武器で防げるものでもない。
 やはりクラウスは何気もなく、空に剣を振ってその刃を飛ばしてくる。太刀筋がそのまま刃となるその魔法は、振った方向には幅広いが、太刀筋と同じく垂直の方向には細い。読めさえすれば躱すのはやはり難しくない……のは、一撃目だけだ。
 彼は僕の動きの素早さにいちいち戸惑ってくれるほど素人でもない。最初の一振りを避けている間に、間髪を入れずに二振り目が飛んでくる。その速度を前に避け続けることは不可能のようだ。
 躱した姿勢で屈んだついでに、足元の魔法陣を触れる。爆炎と破壊、二種の術式を組み合わせたもののうち、彼に対応するのは破壊魔法――敵の魔力に対して衝突させるように魔力を絡ませ、分解して魔法そのものを無効化する術式だ。
 魔力を流したその陣の上でお互いの魔力同士が激しくぶつかる、その手応えに思わず歯を食いしばった。魔剣から放たれる魔力は当然のごとくひどく高圧で、それを破壊するにはこちらも相当の力を注がなければいけなかった。……そう気安く使える防御方法でもないな、と最初の一回で悟る。
 さすがにこちらが破壊魔法を使ったことには彼も驚いたらしい。目をかっと見開いて、一度姿勢を静止してきた。
「……魔道士。いや待て、貴様、その目の色……」
 そこでやっと僕の顔を思い出したらしい。だけど当然そこで交わされる挨拶は友好的なものにはならない。
 彼の母の恩人だからといって見逃してくれるような場面でもないだろう……、もっとも見逃してもらっても困る。この男は僕達の獲物だから。僕はすっと人差し指を向けてやった。
「しばらくぶりだな、ジャック・クラウス。トレンティア随一の剣士であるあなたと戦場でまみえたこと、光栄に思うよ。……お前はこの場で僕が倒す。覚悟するんだな」
 そうわざわざ口に出して宣戦を告げるのは、彼を挑発するためだ。
 彼はこの手の“果たし合い”に弱いのだ、きっと食いついてくる……というのはパウルからの情報だが、そんな単純なことでいいんだろうか、なんて少し呆れた気持ちすら起こってくる。
「私の名を知っているのか、面白い……。貴様も名乗れ!」
 そう勇ましく聞いてきた。どうやら本当に食いついてくるらしい。
「ズミのレジスタンス……、名前は、ヨン」
 僕はあまりにも短いその名前を名乗り、息をつく暇も与えない心持ちで素早く弓を構えた。真正面から放った矢を、彼は避けるのも容易かったはずだろうに、わざわざその魔剣を振って空中での矢落としをして見せた。深く、彼の口角が吊り上がる……。
 次の瞬間にまた交戦が始まる、かと思われたその瞬間、別の方面から魔力を感知した。それを目視するより早く、魔法陣を踏まないようにだけ気を配って身を翻した。
 僕がいた位置のほど近くに炎の玉が着弾し、その場で爆発する。避け終わってからそちらに素早く視線を移すと、左手に盛り上がった岩場の上に凛と立つ魔道兵の姿があった――しかし、他の者と兵装が違う。
 その体格、そして顔を見て思わず息を呑んだ。……なぜここに、なんて言葉が思わず脳裏をよぎる……、知った姿がそこにあった。
 彼、いや彼女は一撃目の爆炎を撃った後は攻撃を続けることもなくそこに立って、鋭い視線で僕を睨んでいた。
 しかし驚いた声で、先に彼女を呼んだのは存外に敵の方であった。
「エレアノール様! なぜここに……すぐ退いてください!」
 クラウスがその母に向かって怒鳴る。しかしエレナ……もといエレアノールは力強い表情のまま僕から視線を逸らさない。
「クラウス、あなたは中央の制圧に向かいなさい。こんな子ネズミ一匹に構っている場合ではないはずよ。この子は私が相手をする」
 言うやいなや、エレアノールは腰からすらりと剣を抜き、こちらに飛びかかるように猛進してきた。まだ距離が離れているうちに、矢を……つがえる手が、躊躇した。情けない話だろうか、僕は女を射ったことがなかった。
 迷っている間に距離を詰められ、振られる剣はただ避けることしかできない。僕は軽やかに足を動かして後ろへ退いた。至近に詰められては弓矢は射てない、素早く背中の籠にしまい、代わりに胸元から短剣を抜くしかなかった。
「エレアノール様……! お前ら撃つなよ、母上に当たる!」
 向こうから、苦しげなクラウスの声が聞こえる。撃つな、と言ったのは周囲のトレンティア兵に声をかけたのだろう。
 確かに、こうまでエレアノールが至近にいれば、敵兵も、もちろんクラウスも魔法の刃を下手には飛ばせないだろう。防戦という意味でいえば、彼女が少ない筋力で剣を振るってきている状況は好都合だった。
 次に真正面から振られた剣を、短剣の刃でがちりと受け止めた。そこに込められた力はやはり女のものだ、僕の大きくはない体格でも押されはしない。……剣士は不向きだからやめておけと言ったのに。
 エレアノールはその鋭い視線で間近から僕を睨み、そして、小さく言った。
「……お願い、退いて、ヨン。あなたと戦いたくない。クラウスには勝てない、あなたに死んでほしくない!」
 その時やっと彼女の真意を聞いて、僕は見開いていた目を思わず細めた。ぐっと奥歯を噛んでから、腹の底から湧いてくるような怒りとともに息を吐く。
「ふざけるな、攻めてきたのはお前達だろ! なぜお前が軍にいるんだ、さっさと退け、死にたいのか!」
 そう叫んだ勢いのまま剣を押し返した。エレアノールは他の兵士と違って、鎧も着ていない。僕達と別れたその時のままで……、ああ、彼女に飛びかかってその柔らかい胸元に短剣を突き立てるのは簡単だ。だが……。
「行きなさい、クラウス! 立ち止まるな!」
 エレアノールはそう叫んだ。クラウスも苦渋の選択になっただろうか……しかし母のその気迫に満ちた命令を聞いて、いつまでもたじろいでいる訳にもいかなかっただろう。
 言われたままに彼は僕を無視して市街の中央の方角へ走っていく。思わず僕はその背に怒鳴り声を投げた。
「待てクラウス! 女を盾にして逃げるのか……」
「黙れっ!」
 そう被せるように激昂したのはエレアノールだ。その形相も気迫も、まるで女とは思えないほど激しく、しかしその手つきは、そう……優しく、剣での猛攻を続けてくる。
 だが僕だってこんな所で足止めをくらっている場合じゃない。焦るほどに手段は選べなくなっていく。その痛みに抗うように……、僕はまだ口を開いた。
「頼むから退けと言うのはこちらのセリフだ。これ以上邪魔をするならお前相手でも手加減できない……こっちだって退くわけにはいかないのは分かるだろう! 通せ、エレナ!」
 エレアノールは苦しげに汗を飛ばしながら剣を振るう。
「あんたなんかがクラウスに立ち向かったって無駄死にするだけよ! あんたはあいつの恐ろしさを……」
「分かっている! フォスの血門術とその魔剣だろ? お前が教えてくれたんじゃないか。分かったうえで……、僕はあいつを倒す! この戦いに勝つ! お前を傷付けてでも……!」
 彼女の言葉を遮って僕も激昂した。もっともフォスの血門術というものを教えてくれたのはパウルだが……エレアノールもその言葉を聞いて息を呑んだようだ。
「そう……、クラウスを倒すっていうの……、なら尚更ここは通せない! 舐めてくれるじゃないの、私になら勝てるって? ふざけるな! そう言うのならお望み通り……、クラウスの手を煩わせるまでもない、私がお前を倒す!」
 その気迫に、彼女の本気を感じ取る。ああ、そうだよな、なんて頭の奥で相槌を打った。
 女だろうと武器をとった戦士には違いない。そしてトレンティアとズミ、敵対する国の者同士である以上、譲れないこともあるだろう。奇妙な縁ながらも短い旅を共にした、僕達の結末は結局刃の応酬でしかないというのか。
 ならばもう、躊躇ってもいられない。そう心に決めて、胸の奥に燻る痛みを噛み殺して、ぐっと強く短剣の柄を握る。
 その戦意を敵も感じ取ったようだ。さすがに筋力で劣る相手に剣で切り合うのは分が悪いと理解しているのだろう、彼女は素早く身を翻して距離をとってきた。剣はもはや投げ捨て、その両手の上に魔法陣を浮かべる、それよりも速く、僕は地面を蹴って猛進する。
 相手も素早い、一瞬でも躊躇えば速さの勝負で負けそうだった。空中に浮かんだ回路に魔力が流れきる前に辛うじて、それを切り裂くように刃が届く。
 思わず身を引いたエレアノールの集中がとぎれてソル・サークルは散った。距離を詰めるほどに魔法は撃てなくなるだろう、一騎打ちの近接戦で僕が負ける理由はない。
 次の一撃で狙うは彼女の急所ではなく、せめて致命傷にはならない位置を。ここに至っても非情になりきれない自分が少しだけ嫌になった。
 しかしその短剣を振る直前に、ひゅっと風を切るものがあった。……魔法攻撃なら気付けただろうが、僕達が至近で切り合うところを突然襲ったのは、一本の矢。ちょうどそれは僕とエレアノールが向かい合った胸同士の隙間を通り過ぎていった。
 トレンティア軍に弓兵を見ることはほとんどない。矢で射ってきたということはズミ軍側の者か。そう悟って僕は思わず飛んできた方角を見た。
 援護射撃はありがたいが、あわや僕に当たるとこだ、気を付けろ、なんて叫びたくなったのだ。
 しかしその視線の先を見て、一瞬思考が固まった。確かにこちらに向けて弓を構えている兵士が一人……、だが、ズミ人じゃない。紛うことなくトレンティア兵の鎧を着た、金髪の見知らぬ男が弓を持っていた。
 なんだあいつは、なんて疑問をのんびり噛み締めてる暇はなく、その一瞬の隙に攻撃が訪れる。目の前にいた、エレアノールから。
 正面にいた至近から……、彼女が繰り出してきたのは足技だった。その膝が正面からずしりと僕の軽装の腹を打つ。
 さすがに不意をつかれたその一撃は重たかった……思わず僕は息をつまらせて怯んだ。そして僅かにできたその隙間の距離に、……それでもまだ至近だ、爆発を起こせば自分だって巻き込まれるだろうに……、そこに魔力がぐるりと流れ出す。
 既に剣を捨てた彼女に他に武器はない、どうせ負けるならと、相討ち覚悟だったのかもしれない。
 まずい、なんとか身を捩って躱さないと……、そう焦る脳に、四肢をめぐる神経は到底追いつかない。この距離で、今から回避なんて不可能だ。
 こんな所で、なんて言葉と共に敗北を覚悟した……しかしその瞬間、同じ兵士からだろうか、また矢がこちらに飛んできた。
 そしてそれは、恐らく彼にとっては敵だっただろう僕の体ではなく、目の前で今にも魔術を完成させようとしていたエレアノールの元へと到達する。……狙いを外したのか?
 真横から射掛けられた矢は彼女の、防具も付けていない右肩にマントの上から深く突き立った。その衝撃で彼女の体は揺れ、痛みのあまりに集中は途切れ、魔術の爆発は未遂に終わる。たまたま敵の失敗に助けられたか、そんなことを思いながら僕は体を退いて、敵の弓兵へ視線を向けた。
 しかしその視界に映ったものを見てまたも僕は混乱する。弓を持つトレンティア兵、彼は次の矢をつがえている……、それは今度こそは外さないようにと、エレアノールから体を離した僕をめがけているはずだった。
 しかしその矢じりの先と視線の向きは、どう見ても味方であるはずの彼女へと狙いを定めているではないか。
 混乱する頭で、ほとんど冷静には考えていなかった。何者かは分からない、だがトレンティア兵には違いない。僕は短剣を胸元にしまうと同時に、再び左手で弓を持ち、既に負傷した女戦士ではなくその弓兵へ向かって矢をつがえていた。
 彼は僕の攻撃の予感に気付いたらしく、エレアノールを狙っていた手を引っ込めて素早く身を翻した。そのまま一目散へと市街の奥へ逃げていく。その背に矢は放ったが、既に逃げの体勢をとっていた敵の体には当たらず、近くを通り過ぎていった。
 気が付けば、クラウスが率いてた兵士達も彼に伴って奥へと進んでいた。この場に残されたのは、僕と、手負いのエレアノールだけだ。苦しげな表情で地面に蹲る彼女は、しかしなんとか足を踏ん張ってその場に立とうとしていた。
 僕は左手に弓を提げたまま、右手ですらりと短剣を抜いてその元へと歩いた。冷めた目で見下ろしてやる。
 ハッとして顔を上げた彼女の目は、すぐに恐怖と怒りとに染まっていく。……適当にもうひとつふたつ傷をつけておけば、殺さずとも戦えなくなるだろうか。そう考えて、一瞬だけ短剣を迷わせた。
 その時脳裏に閃くようによぎった思考が、ぴたりと僕の手を止める。
 グロリア・エレアノール……彼女はトレンティア王国の……、先王の血筋とはいえ、王族には違いない。ただの兵士とは違って、殺せばいいというものではない。こういうことを考えるのは苦手だが、もしかすると……政治的な利用価値があるのではないかと。
 のんびりと迷っている暇はない。僕はすぐ弓をしまい、思い付きのままにエレアノールに近付いて、その肩に刺さった矢を引っこ抜いた。
 矢じりが再び彼女の肉を抉り、聞くにも耐えない痛々しい悲鳴が上がった。その腕にもはや力は入らないだろう。
 僕は彼女の大きなマントの布を短剣で切り裂き、その場で作った布でその両腕を背中に固めて縛り上げ、もののついでに、血に濡れた肩も縛り込んだ。
「何を……」
 エレアノールは苦しげに呻く。僕は極力表情をそのままにしておく。
「鎧も着ないで参戦するなんて、馬鹿な真似をしたな。お前は捕虜にする。大人しくしておけ」
 僕はそうとだけ言うと、敵軍の女の体を荒っぽく引いて、崩れた家屋の壁に押し付けた。手元に捕らえておきたいのはやまやまだが、僕にはまだ本来の任務が残っている。
 そうしてからやっと僕は駆け出した。そこに放置したエレアノールが、ただ力無く僕の名前を呼んだのが聞こえたが、立ち止まってはいられない。
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