サーシェ

天山敬法

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第六章 親の願い

58話 戦準備

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 ルベルからオーデルへ移って間もないうちに、状況はめまぐるしく動いていく。数日の内、突貫で働くフェリアのおかげで建物の片付け自体は思いのほか早く進んだ。
 ルベルに残してきたアルドの道具なども早めに運び入れてもいいのではないか、という話にもなったが、村は近いとは言え荷物を持って往復するとなると重労働である。そこでパウルは馬を使うことを提案した。
 オーデルには馬を使う者は多くなかったが、町中を探せば貸してもらえる当てはあるようだ。
 乗馬の経験のない僕は眉を寄せてその話を聞いていた。アルドの方を振り向くと、彼も首を横に振る。
「馬なんてほとんど乗ったこともない。不安だ」
 正直にそう言うアルドに、パウルは力強く笑った。
「俺に任せてください。子どもの頃から乗り慣れてますよ」
 そう得意げに言う顔は、得意以上に楽しそうだ。へえ、と気の抜けた相槌を打った僕に対して、パウルは鼻歌でも歌い出しそうな調子で言う。
「馬はいいぞ、乗って歩いているだけで楽しい。そうだヨハン、お前にもそのうち乗馬を教えてやろう。ズミの西の方では馬上から弓矢で狩りをする者も多いらしいぞ、お前もできるようになったら絶対にかっこいい」
 うきうきとそんなことを喋る様子を見るに、馬に乗るのが相当に楽しみらしい。僕は呆れたように息をついて、その嬉しそうな顔を見た。
「子どもの頃からって……、トレンティア人は皆そんなに乗馬が好きなのか」
 なんとなくそう聞くと、どこか照れくさそうな顔でむずむずと笑っていた。
「いや、別に皆が皆ってわけじゃないと思うが……。ま、貴族の男と軍人にとっては基礎教養みたいなもんだ。グリスも乗れるはずだぜ、あいつに手伝わせ……、いや、さすがに町の外まで連れ出すのはまずいか。荷物かっぱらって逃げるかもしれんしな……」
 そう呟きながら馬を借りに行く準備をし始める。そんなに乗り気なら、というぐらいの気持ちで僕もアルドも彼を見守っていた。
 しかしそんな矢先、家の軒先でたむろしていた僕達の元へ早足で訪ねてくるものがあった。振り向くと緊張した面持ちのティガルがいた。
「おい、話のあったモルズとかいう人の部隊が到着したようだ。すぐに打ち合わせをするから、魔術師、あんたも来てくれって話だ」
 挨拶もなしに口早にされた報告に、僕はすぐに気を引き締める。そのご指名は当然魔術師宛てだ。
 当のパウルはというと、今から乗馬に行こうというつもりを挫かれたのが不服らしく、落胆した顔でため息をついたようだ。
「僕の同席は必要か?」
 僕がそう聞いたのはパウルにだ。パウルもしょんぼりとした顔を引っ込めて、少しだけ真面目な表情を浮かべた。
「そうだな、まあ一応来てくれ」
 そうして戦いの空気を帯び始めた兵士達を見て、扉の近くに立っていたアルドも動き出した。
「戦いが近いかもしれないな……。私も一応、施療所に顔を出して連絡事項を確認しに行ってくる」
 施療所と言ったのは、オーデルに滞在している兵士らの手当てのために設けられた、軍の施設だ。僕などは特に覗いてもいないが、アルドはオーデルに来てから時々顔を出しているようだった。
 それを聞いて、そう言えばと思い出して、僕は前から考えていたことを……、ジュリに向き直って言った。
「ああそうだ、ジュリ。嫌じゃなければ君も施療所の仕事に携わってもらえないか?」
 僕がそんなことを言い出したのに、驚いたのはジュリ本人だけではなかった。パウルもアルドも僕に視線を向けてきたが……、特に口を挟んでくる様子はない。
 ジュリは目を丸くしてこちらを見たが、数秒の後、深く考える様子もなくやがて頷いた。
「分かりました」
 その声も存外にしっかりとしていて、不安の色もないようだ。
「ごめん父さん、急だけどジュリのことも頼んだ」
 そうアルドの方にも言葉をかけると、彼もただ頷いた。
 のんびりと挨拶をしている暇もない。すぐに歩き出したティガルを追うようにして、僕とパウルも軍の本部へ向かう。ジュリとアルドは別で施療所で向かうだろう。
 回復魔術が治療の技術として特に有用なことは言うまでもない。それにどうせ市街が戦場になる可能性も高いのだ、家で一人でいるより他の者と纏まって行動した方が安全でもあるだろう。ジュリにその任務につかせるのは合理的な判断だった。

 レジスタンスの本部に近付くにつれ、景色の中に増える兵士の姿を見て僕は思わず唾を飲み込んだ。武装の程度は様々で統一されている様子もないが、その数が思った以上に多い。
 彼らはルヴァークが構える本部を取り囲むようにゆるやかに集まっている……、目視だけで数は把握できないが、ゆうに百はいるのではないだろうかという様子だ。
「サーシェ、モルズ殿から呼び出しを受けている。すまんが通してくれ」
 ティガルはそう挨拶をしながら兵士らを掻き分けて、本部の中へと入っていく。パウルは例のごとくフードを被り込んで顔を隠しているが、ティガルが引率しているので特に呼び止められることはなかった。
 対して僕は目をむき出しにしているから、それに気付いた者から怪しむような視線が向けられることはあったが……、構いはしない。
 やがて入った本部の一階にも、既に兵士らが複数入っている。中心には当然ルヴァークと……、そして久しぶりに見る隻腕の男の姿がある。僕達が入っきてきたことに気付き、モルズが振り向いた。
「これは魔術師殿、久しぶりですな。アルティヴァ・サーシェ、同志との出会いに感謝を」
 そして力強く微笑んで、残った左手をパウルへと差し出す。パウルはどこかだるそうに息をはいて、渋々といった仕草でその手をとったようだ。
「サーシェ、お互い悪運尽きなかったことを喜ぼう」
「はは、貴殿は相変わらずだな。トレンティア軍の動向をいち早く掴み、パーティル周辺に留まっていた我々に早馬を飛ばしたのは貴殿だと聞いたが」
「それは違いない。ここまで大勢の軍団を連れてきてくれるとは期待以上だ、感謝してるさ」
 その言葉とは裏腹に、パウルは変わらず怠そうだ。そんな彼を見てモルズは苦笑いを浮かべた。
「失礼ながら意外だったぞ。貴殿はその日暮らしの傭兵、報酬がなければ動かないものとばかり思っていたから」
 パウルはゆっくりとモルズから手を離し、少しだけ顎を上げてフードの下から青い瞳を光らせる。
「この見てくれだ、信頼が得られるとはハナから思ってねえ。だがあえて表明しておこう……俺も今やれっきとしたトレンティアの敵だ。トレンティア軍をこの国から根絶し……、この戦争に勝つ。そのために命を懸けたっていい。ヒューグ隊……もとい、もうモルズ隊か? 自慢の戦略を今回もとくと期待してるぜ。この魔術師の腕をせいぜい上手く使え」
 その気迫に満ちた声色を聞き、モルズは思わずと言う風に笑みを消した。その奥に立っていたルヴァークまできりと表情を引き締める。
 亡きヒューグとは打って変わったように、モルズは穏やかささえ感じさせる物腰の男だ。聞いた話に間違いがなければ、彼はヒューグが率いていた兵をそのまま引き継いでいると思われるが……、それを離散させずにいるばかりか、いつの間にか、今度は人形ではない、人間の兵士をこうも多く抱えているとは正直僕も驚いた。僕達がトレンティアに行っている間にも、彼らも彼らなりの前進をしていたということか。
 僕の記憶の限りではパーティルの作戦会議でも、このモルズも作戦についていろいろと提言を出していたように思う。今回はルヴァークの部隊との協力のもと、どんな戦略が立つのか……。
 いや、そこに単純な関心はあるが……それが何であるにせよ今回の僕の役目は戦場に置かれる一つの駒である。ただ確実に任務を遂行する。
 トレンティアへの潜入作戦を、敵軍の動きに合わせる形でとはいえ僕の私的な理由で中断したことにわだかまりがないわけではない。しかし後悔をするべきでもない。
 そして他でもないパウルもそれに合わせて既にこの戦いに目標を据えている。今は目前の勝利を。そう心に決めて、余計な感情を今は捨て去っていく。


 ヨンの父、アルドに連れられて訪れた、施療所という施設は屋根と壁があるだけの大広間の建物だった。
 その広くとられた床に、寝台と治療台を兼ねているらしいものが並んでいるが、その数は全体を占める割合で言えば少ない。よほどの事情なければ怪我人も床に寝かせて治療をするような想定のようだ。
 そしてその中で忙しなく働く者の姿は、その多くが女性のものだった。男には武器を握らせている分、こうした後方の支援には町の女性達が携わっているらしい。
 当然その中に、アルドのように本業で医療者をやっている者はほとんどいないだろう。彼女らと細かくやりとりをしながら、アルドは薬や包帯の位置を丁寧に確認していた。
 しかし戦いが近付いてもなお、町で暮らす女達の意気は揚々としていて、気心知れた者同士がほとんどなのだろう、まるで日常の延長のような様子で談笑している光景すらある。
 そんな空気感に気圧けおされるような思いをしながらも、しかし私とて突っ立っているわけにはいかない、最大限自分の仕事をするために、気を奮い起こす。
 見知らぬ娘である私に好奇心を寄せて話しかけてくる仲間は後を絶たないが、その相手をするのもなあなあに、私はきびきびと働き始めた。
「私はジュリと言います。国軍で魔道衛生兵をしていました。他に魔道士の方は……、いない、ですか。分かりました。ではすみませんが、魔道治療に関しては私の方針を聞いていただけると助かります。とにかく魔法陣を用意しますので布と木炭をいただけたら……」
 若輩の身でそう上から指示をするのは気が引けたが、他に魔道士がいないのでは仕方がない。アルドの口利きを今は利用して、私は精一杯強がった。
 ……戦いが始まれば、ここも傷付いた兵士達の姿で埋まるのだろうか。それを想像すると嫌な記憶が蘇る。ああ、嫌だな、という思いを噛み締めながらも……、逃げるわけにもいかない。
 仲間の中には魔法治療というものを見たこともないという者もいるらしく、興味深げに私の作業を覗き込んでくる。ちょうど訓練中に擦り傷を負ったという兵士がいたから、試しに彼に施術してみろなんて言われた。
「回復魔法は、傷を負ってから時間が経つほど効きにくくなります。今から施術をしてもそう変わらないとは思いますが……」
 既に手当てをされた様子の彼の擦り傷に、ともかく言われるままに魔術を施した。
 あとやはり、ここではいちいち説明もしないが、回復魔法が至らせる癒やしの力は術者の心に依存する。……ヨン達のような仲間とは違って、見ず知らずの相手への施術はどうしても効能が落ちてしまうという側面もあった。
 しかしそれでも痛みが引くぐらいの効果はあったらしく、治療を受けた兵士はその目にした魔法の光への驚きも相まって、大仰に喜んでいた。その様子を見ると周りの者も魔法の効能を認めたらしく、各々感嘆の声を上げて私に熱い視線を送った。
 ……なんだか見かけだけで騙したような気分になって、素直に得意がる気にもならなかったが……。
「応急的な処置として致命を食い止める手段にはすごくいいんですけど……、術者の体力を直接的に消耗するので乱用はできませんし、複数人への同時的、継続的な治療は魔力コストとのバランスの面から不向きです。ですので基本的にはアルド先生やみなさんの治療をベースに、私の魔法は初動の対応と緊急時に使うぐらいのつもりでいてもらったほうがいいと思います」
 私はそう説明を加えた。すごいすごいと言って当てにされっぱなしになってはすぐに魔力が切れて倒れてしまう……。
 そんな中、薬の確認をしていたらしいアルドは静かに、しかし興味深そうに私の施術を見ていた。
「なるほど……、魔法の治療にも特性があるんだな。便利な技術があると言っても、トレンティアでも薬での治療がないというわけでもないのだろうな」
「トレンティアでの医学がどうなのかは私も分かりませんが、きっとそうでしょうね。王都が焼ける前……、私はまだ子どもだったのでちゃんと仕事に携わっていたわけではないですけど、王都ではズミの伝統的な薬学と魔術を組み合わせたような医療が研究されていたと聞きます」
「ほほう、それは興味深い。そんなことが可能なら私もぜひ勉強していみたいな。……いや、今はそれどころではないか。とにかく準備をしっかりやっておこう」
 アルドと私はそんな会話を交わしながら、それぞれの仕事に勤しむ。確かに今はそれどころではないが、私がほとんど触っとこのないズミの伝統的な薬学や医学と魔法を組み合わせるような技術があるのなら私だって研究をしてみたい。
 アルドがいるのなら、戦闘が落ち着いた後にはなるだろうけど……そんな話も現実的になるのかと、今更期待と驚きが湧いてくる。
 医者なんてただでさえ稀有だけど、それが見ず知らずの他人ではなくヨンの父というところにいるのだから私にとってそんな幸運な話はなかった。それだけで、やっぱりズミに戻ってきて良かった、なんて思ってしまう。
 いや当然、今はそれどころではない。……戦争は嫌だ、傷付いた人を見るのも、その治療のために魔力を絞るのも、嫌だ。何回経験したって嫌なものは嫌だ。
 だけど他でもないこの町で、目の前で戦闘がもう起ころうとしているのを止めることは当然できない。
 そしてヨンも、パウルも、アルドも……、皆戦っている。私だって、せめて自分にできることは頑張らなくちゃいけない……。


 斥候の報告によると、トレンティア軍は既にオーデルを攻めるべく、その軍団をサダナムから出発させている。僕達はそれを町で迎え撃つことになる。
 各々が戦いの予感に戦意を奮わせる中、元トレンティア軍人である捕虜、グリスは弱々しい顔で恐怖に震えていた。
「あんまり強そうじゃないけど、トレンティア兵だったってことは魔法の扱いには慣れてるんだろ。こいつはあんたの補佐につかせようか?」
 ティガルがグリスの肩を掴んでパウルに聞いた。グリスはばっと顔を上げて全力で首を振る。
「む、無理だ、そんなの! 嫌だよ、俺もう戦いなんてしたくない……、後方の補佐とか雑用ならいくらでもするから、本隊と交戦するのだけは……!」
 今にも泣きそうな様子でグリスは必死に訴える。しかし彼は所詮、敵に命を握られた哀れな捕虜である。ティガルが険悪な表情で彼を睨んだ。
「お前に意見する権利があると思うな。死にたくなけりゃ言う事を聞け」
 そう一喝されて返す言葉もなくなってしまったようだ。その視線が縋るように向いた先で、パウルが仕方なさそうにため息をついた。
「そんな弱腰の奴を連れてたって役には立たんから俺の補佐にはいらん。だがグリス、お前が適任の任務もある。こちらは市街へ立てこもっての防衛戦になる、敵がその足場を崩すために火攻めにしてくる可能性がある。そうなった時に消火に回れ。消火の陣ぐらい自分で書けるな?」
 グリスは震えながら小さく頷いた。
「い、一応は書けるけど、でも俺隠術あんまり得意じゃないし……、もし逆に盗られたら……」
「どうせ火攻めにされるなら同じことだ、リスクは除ききれんがやれ。時間はあまりない、自分で目星をつけて仕掛けて、置いた位置を記録しとけ。俺も余裕があれば後で見てやる」
「は、はい……」
 パウルに言いつけられ、グリスは震えながらも健気な声で返事をした。二人のやりとりをティガルはじっと睨むように眺めている。トレンティア人の扱いはトレンティア人に決めさせた方がいいだろう。
 しかしパウルはグリスの扱いだけに留まらず、既にモルズの信用を得て堂々と作戦の取り決めに携わっていた。ティガルの眼差しはやや不機嫌そうである。
 パウルの振る舞いに思うところがある者は他にもいくらでもいるだろうが……、彼はどこ吹く風という調子だ。さすが肝が据わっているな、なんて呆れ半分の感嘆を胸中でしてやった。
「だが魔道士の補佐が欲しいのは山々でもある。ヨハン、今回は肉弾戦だけじゃなく、状況に応じて俺の補佐にも回ってほしい。事前に陣は用意しておく」
 パウルは続けて僕に声を掛けてきた。
 ヨハンと呼ばれて……兵士として同席している作戦会議の場でその名前を呼ばれるのは少し引っかかるものがあるが……、今は細かいことに突っかかっている場合でもない。
「補佐って、魔道士として? 僕にお前が仕掛けた陣で魔法を使えと?」
 そう聞き返すとパウルは曖昧にも頷いた。
「必要があればそういう想定もしておけというぐらいだ。なるべくは俺が自分でやるが、今回仕掛ける魔術は少し特殊だ。代打が必要になる場合がある……それを任せられるのはお前しかいない」
 何か強い思いを滲ませたような、低い声でそう言った。
 どんな思惑をどこまで巡らせているのかは分からないが、今は僕が詮索するべきことじゃない。彼が言うのなら、迷わず従うだけだ。
「場所の目星は……まあ当てずっぽうだがこれでいいか。すぐに仕掛けに入る、付いてこい、ヨハン」
 パウルはそう言って、会議の場を後して歩き出した。奥の方でルヴァークとモルズが地図を睨みながら相談している様子はまだ続きそうである。
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