サーシェ

天山敬法

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第十章 分かたれる道

114話 夫婦両輪

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 刹那に起きた戦闘の後、しかしそれが嘘だったかのようにクスダンの町は穏やかだった。
 ズミ軍で聞いていた事前情報でもトレンティア軍がクスダンに入っているという話はなかったし、実際それらしいものは見えないし、その後カルロスの足取りも掴めなかった。
 ただでさえにわかに活気を見せ始めた町の中で、身元の分からない旅人や商人、あるいは傭兵などいくらでもいる状況なのだ。フードを被った怪しい出で立ちの男、などという目立ちそうな風貌でも、それを見つけることは容易ではない。
 そういった状態の中、カルロスは恐らく個人、もしくはごく少人数で隠密行動をとっていたというのがパウルの推測だ。
 しかしそれが彼個人の判断なのか、はたまた正規軍の命令なのかは判断がつかない。頭を抱えて首を傾げたパウルに、彼の兄であるクラウスも悩ましげに提言をする。
「彼もフォス・カディアル家出身の騎士です。魔剣こそ持たないものの血門術を使った戦闘魔術には熟達しています、単騎の戦力として凡将とは言い難い。軍からの隠密任務を受けている可能性も十分にありますが、しかし正直に言って信義を期待できる人間ではありません。任務外のどんな気まぐれで動いてきたとしても驚きませんね。ええ、はっきり言って読めない」
「はあ……、私の記憶では大人しくて気の弱い坊やという印象だったが、そんな風来坊に育ってしまったのか。ロードとの仲は?」
「良いとも悪いとも聞きません。私自身、ズミに来てからはあまり弟と話すこともなかったので、はっきりしたことは分かりませんが……」
「そもそもお前いつからズミにいるんだ」
「八年前です。時々には帰国もしていますが、顔を出す程度で。カルロスは私に代わってリベル、ガブリエル両殿下の護衛騎士として王都に残っていましたから、私と会うのも年に数回というぐらいで」
「ふーん、嫡男であるお前じゃなくカルロスが王子の護衛を」
「私ではイグノール殿下の仇討ちを考えないとも限らないと……そう心配されて弟が任命されたと聞きます。当初はズミとの戦争もこう長引くとは思われていませんでしたから、私がサダナムの守備隊に就かされたのは事実上の左遷というものですよ」
「そいつは迷惑かけて悪かったな。……だが結局カルロスもズミへと……。ガブリエルが死んだからか」
 二人は淡々と話していたが、そこでクラウスは重たいため息をついた。
「はい、ガブリエル殿下が亡くなられた後……、ちょうど本軍がラズミルへ進軍するタイミングで彼も加わっています。仕えるべきあるじを失って余計に様子がおかしくなったと聞きます」
 パウルの調子は変わらない。
「ガブリエルには息子がいただろう。ブライアンと言ったか、あれの騎士にはならないのか」
「ブライアン殿下の騎士となるのは、順番で言えばロイ・ハルク……ああ、えっと、私の長男ですが……彼になるでしょう。カルロスは既に自由騎士です」
 トレンティアの王族の話で盛り上がっているところは、僕は話半分に聞き流す。名前が覚えられない。
 やがてパウルも諦めたように大きなため息をついた。
「考えても分からんな。まあ今のところカルロスも見つからないし、続けて襲撃の準備をしている様子も確認できていない。ロードからのコンタクトも無し……。とりあえずは予定通り、会合に臨むつもりでいとこうかね。行けそうか? ティファ」
 ようやく起こせるようになった体をほぐしている女へパウルは声を掛ける。ええ、と気の抜けた相槌が返ってきた。
「これからロードと連絡をとって判断を仰ぐわ。イグノールは予定通り会合に臨むつもり、と伝えて大丈夫ね」
「ああ。私達から離れた途端またカルロスの襲撃が……なんてこともあるかもしれないからな、念の為お前の護衛を雇っておいた。カルロス相手じゃ気休めにしかならないかもしれないが、相手は隠密行動だ、人目があるだけでも抑止力になるだろう。……まだ怪我は全治とは言い難い。痛みが完全にとれるまで男と寝たりするなよ、くれぐれも」
 パウルが渋い顔で念を押すと、ティファはため息をついた。
「何から何まで甲斐甲斐しくしてくれて悪いわね。……ほんとにロードに踏み倒されても知らないからね?」
「こちらとしてはロード・レイン・クラネルト様との会合にはそこまでの価値がある、ということさ。それに、例の引き出しの中身……、対価としてはこれだけでも十分なぐらいだ。感謝するよ」
 そうにやりと笑いながら言ってパウルは丸めた紙を弄ぶ。
 ティファから伝えられたそれを、パウルは自身で回収をしに行ったらしいが……、その中身を僕は知らされていない。尋ねてもパウルから明確な答えは返ってこなかった。
「来てすぐにこの怪我を負ったんだ、私達への罠として仕込まれたわけじゃないことは分かるが……、内容の吟味はしなきゃいけない。はっきりとしたことが言えるまでは伏せておく。まあ内容の確認が済めば私からモルズへ相談するさ、お前は気にするな」
 そんなことを言って僕のこともあしらうので、それ以上問い詰めることもしなかった。
「さてロード様はどう出てくるか……。あとは臨機応変に、だな。とにかく、そろそろお前はラズミルへ戻れ」
 そして端的に指示を飛ばしてくる。僕は無表情のままそれをじっと見つめ返したが、ややもせず頷いた。
 これ以上僕が聞きただすようなことは……今更何も無いだろう。
 ロードの意思もカルロスの目的も不透明なままだ、また戦闘が起こる可能性だってある。だけど、もし危険があるのなら……なんて考え始めると前には進めない。
 僕はフォス・カディアルの騎士に視線をやった。
「クラウス」
「はい」
 何気もなく返事をしてくる。僕は少しだけ言葉に迷って、彼にだけ聞こえるように言った。
「父のことを頼むよ」
「お任せを」
 クラウスは躊躇も動揺もなく端的に答えた。
 それだけの会話を最後に、僕はラズミルへの帰路についた。一人では運転に心許なかったので、馬には乗らず。

 ラズミルへ着いたのはまだ夕方前だった。まず部隊長であるモルズの元へ……行くのが正しかったのかもしれないが、少しぐらいはと気を緩めて衛生兵の幕舎を訪ねた。
「おおヨハン、戻ったのか」
 僕を見つけてアルドがそう声をかけてくる。ぐるりと周りを見回しても、愛しい妻の姿が見当たらない。
「ジュリは?」
「ああ、たぶん王宮にいるんじゃないかな。こっちの仕事に余裕がある時はエレアノールさんの手伝いをしているみたいだ」
 へえ、なんて相槌を打って僕は王宮の方を振り向く。だけどすぐには向かわず、せっかくだからアルドとも話をする。
「父さんは特に変わりない?」
「ああ、回復魔術の腕が上がったぐらいだな。ジュリさんの指導は本当に分かりやすくて助かる」
「……医者に言うのもなんだけど、体に気を付けて。毎日暑いし」
 もう若くもないんだし、とは言わないでおいた。もうすぐ六十にさしかかる年齢だったはずだ。アルドは目を丸くして僕の顔を見つめてきた。
「……ヨハンお前、大人になったなあ。やっぱり結婚したからか」
 驚いた様子で言ってきた。僕は思わず変な顔になってしまうが、すぐにアルドは乾いた笑いを上げた。
「はは、いや頼もしくなって嬉しい限りだ。私も歳を取るわけだよ」
 余計なことは言わなかったはずだが、まるで胸の内を見透かされたみたいだ。僕は結局、はあ、と力の抜けた相槌を打って呆れ顔を浮かべた。
 ジュリは王宮にいるらしいが、そこへ向かう途中には軍の本部施設がある。さすがに素通りすることはないだろうと思って、結局ジュリに会う前にそちらに立ち寄った。
 モルズに会うと、当然部隊長に報告しないわけにはいかない、僕はクスダンでの出来事をつまびらかに話すことになる。
 しかしイグノールにトレンティアの貴族と密会の約束があることなどは当然機密中の機密である。人払いを頼み、二人きりになってから話す。
「先方の使者がトレンティア兵の襲撃を受けた……? 大丈夫なのか、その会合」
 眉をひそめてそんなことを言う、モルズの反応はもっともだろう。僕は淡々と答えるだけだ。
「会合の予定地や周辺に魔法陣の罠が仕掛けられている様子はなかったし、基本的には機密性が守られる施設だから危険は少ない。もし当日現場で襲撃を受けるようなことがあったとしても……イグノール自身が強兵だし、護衛に魔剣士クラウスもついているから、よほどじゃなければやられることはないだろう。先方の貴族は知らないが」
 ティファが襲われた以上、カルロスはロードにとっても……義兄であるとは言え、敵である可能性も高い。パウル達が平気でもロードに危険が及ぶことも彼は視野には入れていた。
 ロードの協力を取り付けられるならそれに越したことはないから、その場合は彼の救援を目指すらしいが……、最悪それに失敗したとしても、有り体に言ってこちらに失うものはない。「そこはロード様の腕次第だな」だそうだ。
 モルズは手で顎を撫でながら難しそうに首を傾げた。
「そうか……。だがヨン、お前はイグノールにとっても重要戦力だろう、こちらとしてはありがたいがよくその状況で手放してもらえたな」
「僕が会合当日に同席すれば、ズミ軍の関与を事実以上に疑われて先方の貴族の警戒心を煽る可能性がある。長居は却って危険だ」
 それはパウルの受け売りで、どれほど重要なことなのかは今いち分からないが……、ともかく聞いたままに説明した。
 モルズは余計に難しそうな表情になった。貴族たちの駆け引きは本当に考えることが多い。
 まあ、ロード・レイン・クラネルトとの心理戦は、トレンティア貴族の気風をよく知っているイグノールの判断に任せた方がいいだろう。
 モルズは難しそうに眉に皺を寄せたままだったが、やがて振り切るように頷く。
「報告は分かった。それじゃあ次はお前の任務について伝えよう」
 そしてクスダンの話は終わったとばかりに、払っていた護衛達を呼び戻す。
「我が軍はここに拠点を置いて戦っていく姿勢でいるが、ズミの各地にはまだ散発的な抵抗活動をしている部隊も残っている。できるだけ多くの同志が我が軍に連なってもらえるよう、今はそれらに使者を出している段階だ」
 その説明を聞いて、改めて僕は緊張を高める。……本当にモルズは、この国のレジスタンスを全てひと纏めにするほどのつもりなのだろう。
「だが東部から南部にかけてはまだトレンティア軍の支配下に置かれている町もあって、それらを解放しないことには合流もままならない、という事情があるようだ。それで本軍からも地方各都市の解放のために遠征部隊を出すことに決めた。しかし当然、まだラズミル東部に敵軍が控えている状況で多くの兵は割けない。少数先鋭で、隠密かつ迅速に動ける者の配置が必要だ」
 僕はじっとその話を耳に入れる。つまり僕の任務はトレンティア兵に支配されている地方都市の解放、ということらしい。地方都市での任務となると、当然遠征になるだろう。
「お前に出征を頼みたい先は……我々の因縁の都市、パーティルだ」
 その町の名前を聞いて、僕はゆっくりと視線を上げた。
「あの町の経緯についてはお前も知っているだろう。レジスタンスとトレンティア軍の交戦のすえ、トレンティアの外交官と町商会の重役ジェス・ドク・ストダル氏との間で講和が結ばれ、表向きにはトレンティア軍とズミ人組織による共同自治が行われた町だ」
 聞きながら僕はパーティルでの戦いを思い起こした。……そうだ、あの町で僕達は……モルズとも、そしてロードとも初めて出会ったのであった。
「トレンティア軍もあの後ラズミルへ侵攻の方向を変えたからな、今やパーティルに残っているトレンティア軍はそう多くないはずだが……、パーティルの仲間へ送った書簡への返事は芳しくなかった。はっきりと講和を結んだ以上、表立ってトレンティア軍へ反抗する姿勢は見せづらいのだと……」
 あの戦いで僕達はトレンティア軍との交渉の場を引き出し、ズミ人とトレンティア兵との間で不戦の約束が結ばれた。
 その協定に当たってトレンティア側の代表を務めたのが、今クスダンで話題になっているロードなのだから、奇妙な因縁もあったものだ。
 彼とて既にパーティルから去って時間が経っているはずだ、因縁の場所で感動の再会、ということにはならないだろうが……。
 モルズはその片腕を腰に当て、力強い声で凄む。
「パーティルは産業と流通業の盛んな商業都市だ。こちらの兵站の確保という点では町ごと押さえておきたい要所になる。……あの場は勝利の証として引き出した講和だが、こちらから反故にさせてもらおう。あの町からトレンティア軍を一人残らず排斥すること……、それがお前の任務だ」
「了解した」
 僕は端的に答える。任務と言われれば遂行する、それだけの単純な判断は、駆け引きに頭を回さなければならない貴族の相手よりずっと気楽だ。
「現地の仲間は……、お前も面識があったはずだ、バルドという者と連携をとれ。古くから活動しているレジスタンスであり、商会にも顔が通る男だ。それと、ここからお前に同行させる者として、前もってイグノールから頼まれていた通りグリスと、お前とは馴染みも深いだろうティガルを考えている。多くの人数は割けない事情は言った通りだが、隠密かつ迅速にな」
「ティガルが……」
 僕はその幼馴染みの名前を呟いた。
 そう言えばティガルとはパーティルのやや南の森の中でも一度会っている。あちこちを放浪していたらしい彼は南部の地理にも多少明るいだろう。
「まあ、もしお前が他に連れていきたい者がいるのなら希望は聞くが……」
 そう言われて僕は少し視線を上に上げて心当たりを探した。改めて連れていきたい者がいるか、と言われると分からないものだ。
 なんとなく思い浮かんだのは家族の顔だが、当然道楽の旅に出るわけではない。妻と離れるのは寂しい、なんて情けないことを言っている場合ではないだろう。
 隠密の遠征にパウルやクラウスを連れていけるわけもないし……。
「……特には」
 僕はそう短く答えた。
「ではティガル、グリスと準備が整い次第出発してくれ。パーティルのトレンティア軍はそう多く残っていない、守備隊の名目でも十数名が駐在している程度と見当がついている。魔剣士にとっては役不足かもしれないが……油断はするな。もし想定外の事態があって困難と判断したなら無理をせずその旨を報告してくれ。現場での細かい判断はお前に一任する」
 モルズはそう重たい声で言った。
 ……現場での判断は一任する。簡単に言ってのけるが、三人とはいえその遠征部隊の指揮官のような役目を僕が負うということらしい。
 今までにない仕事となる……、それはモルズとしては僕という“単なる強兵”を、ゆくゆくは将校として教育しようとしている、そんな意図があるのかもしれない。
 期待をかけられているのは喜ぶべきことかもしれないが、いくらなんでも若輩が過ぎるのではないか。ティガルの方が歳上なのに……なんて文句は、今は言うべきでないのだろう。
「了解した」
 僕は任務を遂行するだけだ。

 モルズとの話はそこで終えて、続いて僕は王宮跡を訪ねた。
 しかし任務を受けてすっかり気分が引き締まってしまった僕は、妻の姿を見つけてもその場で彼女に微笑みかけるような気分にはならなかった。
 王宮のいつもの部屋で、エレアノールとジュリは何やら本を広げて魔法の話をしているようだった。
 傍らには静かな佇まいでルヴァークもいる。どうやらパウルが心配したような喧嘩はしていないようだ。
 ジュリは僕の顔を見て、それはもうあからさまに表情を明るくした。その顔を見るとやっぱり引き締まったはずの気持ちが緩む思いをするが、浮かれてはいられない。
「ヨハン、戻ったのね。どうだった?」
 先に僕に声をかけてきたのはエレアノールだ。クスダンの出来事については当然、モルズにした報告を再度彼女にもすることになる。
 その時エレアノールにぱっと手を払われ、ルヴァークは静かに退室した。その仕草を見るとやはり王族なのだな、なんて思ってしまう。ジュリは構わないらしい。
「リック・カルロスがクスダンに……?」
 僕の話を聞いて、エレアノールも当然驚いたようだ。すらりとカルロスの名前を口にするのを見るに、面識は深いらしい……いや、考えてみればそれも当然だ。
「そういえばお前にとっては……クラウスもカルロスも同じ息子か」
 そう言うと、エレアノールは難しそうな顔で目を逸らして頷いた。
「……ええ。カルロスは、クラウスとはあまり仲が良くなかったけど、ベルタスにいる間この継母のことを重んじてくれた……私にとっては大事な家族よ。いえ、家を捨てたのは私の方だものね、敵対するのも当然よ、分かってる、覚悟は決めているわ」
 それはほとんど独り言のようだった。僕はなんとも言えずに、クスダンで交戦した、かの騎士の姿を思い出していた。兄弟なだけあってクラウスとそっくりな顔をしていた。
 しかしそれでいて、戦えない女を盾にとって逃げようとした、戦士として卑劣極まりない男……、僕にとってはその印象しかない。
 だがそんな男にも当然家族があって、その継母との間には信頼関係もあるというのだろうか。いまいち想像はつかないが……そういうものなのかもしれない。
「彼の妻には会わなかったの?」
 エレアノールは続けてそう聞いてきた。思わず怪訝な顔をしてそれを見つめ返した。
 当然女の影など見もしなかった。そう答えると、エレアノールは淡々と言う。
「カルロスがズミへ渡ったタイミングには、私もジャックと共に正規軍にいたから聞いたのよ。彼は戦地であるズミへ、妻を伴って移動してきているはずよ。トレンティアの軍人でもそんなことをする者は珍しいから話題になっていた」
 それを聞いて僕は目を瞬かせる。妻を戦地に連れてくる軍人なんて、確かに珍しい話に思える。
「彼の妻……リナ・オルエッタとは姑として会うことが何度もあったけど、気が強くて聡明な女性だわ。カルロスとはただの夫婦と言う以上に、仕事上の仲間として信頼関係があるようだった」
「妻が……仕事仲間? カルロスというのは騎士だろう、その妻も戦うのか」
 僕がそう聞くと、そういうわけではないけど、と言ってエレアノールは首を傾げた。
「オルエッタはロードの姉よ、あの血筋と言えば想像がつくかしら? 女性ながらに情報の整理や交渉術に長けていて、政治上の振る舞いについてよく提言をしているみたいだった。私から見た印象だとロードほどあくどい感じはしなかったけど、敵となる以上油断はできないわね。いわば女版ロードよ」
 そんな言葉を聞いて、思わず僕は眉をひそめた。……女版ロード。これ以上になく分かりやすい紹介だ。
「妻を連れてきたのはクラネルト家からの希望なのか、はたまたカルロス自身の判断なのかはいまいち分からないけど……、トレンティアにいた頃から、やり手の妻と二人三脚で奔走する姿は……、男女や家族の情を超えた変な華やかさがあったわよね。ある意味理想の夫婦像の一つなのかも」
 エレアノールの目はどこか遠くを見つめていた。
 確かにロードも軍人ではないはずなのに、この戦争に巧みに関与して見せている。あれにカルロスほどの戦闘力を持ったパートナーがいたのなら、と想像すればそれはまさしく戦車の両輪のたいを成すだろう。
 きっとそういう感じの夫婦なのだ。……理想の夫婦像、と言われるとどうなのかよく分からないが。
 エレアノールは手元に開いていた魔法の本をぱたりと閉じて息を吐いた。
「まあ、詳しい話は兄様が帰ってきてからするわ。ヨハン、あなたはこれからグリスと共に任務に出るのよね」
 そう聞かれ、モルズから聞いた任務のことも軽く説明をする。
「地方のレジスタンスの合流を促すため、パーティルという町まで遠征してトレンティア軍を殲滅する。グリスと、それから僕の同郷の兵士、ティガルという奴との三人で」
 そこで存外に、黙って聞いていたジュリがぎょっとして声を上げた。
「パーティルまで!? すごく遠いじゃないですか!」
 僕は無表情のままジュリに視線をやった。
「ああ、だから遠征だと」
「え……、じゃあまた何日もいないんですか」
 どこか青ざめた顔が聞いてくる。
 せっかくクスダンから帰ってきたのにまた離れるのかと……、そう嘆いてくれているのだろう。そんな妻の顔を見ると僕も困ってしまう。
「悪いとは思うけど、任務だから」
 そう言い訳じみた言い方をすると、なんだか酷く冷たい扱いをしているように思えて余計に心が苦しくなってきた。
 ジュリはしゅんとして顔を俯けてしまったが、しかし何やらハッと息を呑んですぐに顔を上げた。
「私も行きます!」
「は」
 思わず僕は呆気にとられて変な相槌を打った。そんな僕達をエレアノールはただきょとんとした顔で見ているようだった。
「いや、遊びに行くわけじゃないんだから」
 諭すように言うと、ジュリはかっと顔を赤くして怒り出した。
「そんなこと分かってますよ! 私だって兵士です、治療師として同行すると言ってるんです! ……だめですか?」
 そんな彼女の言葉には、僕は呆気にとられて言葉を失ってしまった。
 兵士として、ジュリを連れていく……? 言葉にしてみればなんだかそれっぽく聞こえてしまうが、しかし任務に妻を連れていくなんて許されるのだろうか。
「え、ええ、もちろんモルズさんの許可はとらないといけないでしょうけど、ヨンは……?」
 ジュリはどこか奮い立った様子でそう聞いてくる。そんなの、妻が傍にいてくれるというのに嬉しくないわけはないが……、当然遊びに行くわけではない。少人数とはいえ戦闘も想定される任務だ、危険に晒されるようなこともあるかもしれない。
 だが危険と言えば、ラズミルにいたって敵が攻めてくる可能性はあるし、戦争中である以上どこにいたって安全とは限らない。そう言えばいつかパウルもそんなことを言っていたな、なんて思い出す。
 それなら自分の傍にいてもらったまだ安心というものだろうか。結局そんな考えに至って、僕は頷いた。
「僕は構わないが……、まあ、隊長に言ってみるよ」
 平静を装って言った。
 ……そう、兵士として、治療師として連れていくんだから。妻と離れるのは寂しいとか、そんな理由ではないのだから、と自分に言い聞かせて。
「私も、女だからって……、待ってるだけなのは嫌なんです。戦えなくても、その、オルエッタさんという人みたいに軍人の夫と一緒に仕事する人もいるんですよね。男女や家族の情を超えた……!」
 ジュリは興奮した面持ちでそう語った。思わぬところでエレアノールの話が刺激になってしまったらしい。
 僕は目を丸くしてジュリを見ていたが、エレアノールは少しだけ切なそうに、しかし微笑んでいた。
「そうね。夫婦とひとくちに言っても、意外といろんな人がいるものよ。あなた達はまだ若いんだしいくらでもやりようがあるでしょう。ありたい関係を二人で探していけばいいと思う」
 それはまるで我が子を見る母親のような顔と言葉であった。
 ……結婚をしたとはいえまだ若い、と言われればそれまでだ。子ども扱いされているようにも感じたが、反論する気にはならなくて僕は力の抜けた相槌を打った。ジュリは興奮した様子のまま強く頷いていた。
 その後グリスとティガルを探して打ち合わせをしようというところで、再びモルズの元を訪ねてその旨を伝えに言った。彼は平然として頷いた。
「ああ、ジュリを連れて行くのか? お前がそれでいいのならそうするといい」
 妻を連れていきたいなんて言ったら甘えていると思われるのではないか……、そんな危惧を持って切り出したというのに、拍子抜けなほどその反応は呆気なかった。
 変な顔をしている僕に、モルズも不思議そうな顔をしている。
「なんだその顔は。妻のことは夫が決めるものだ、自信を持て」
 ……そういうものだろうか。なんとなく変な心地になりながら、僕は本部を後にした。
 そう言えば、もともとパウルに「結婚をしろ」なんて言われたのも、妻だからと言えばどこに連れていくにも口実になる、なんて理由だったことを今更思い出した。
 そうだ、どうせ僕は兵士だ、戦闘や任務のためにあちこちへと出かけていくことになるだろう。なのにジュリをずっと基地に置いておくようでは何のために結婚したのだか分からない。
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