サーシェ

天山敬法

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第十章 分かたれる道

127話 騎士の最期

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 捕虜たちは解き放たれた。その数は多く、考えてみればドミニクが交渉を仕掛けてこなくとも、彼らをずっと食わせてやるだけの余裕はこちらにもなかっただろう。どのみち敵軍へ返還するか、纏めて処刑するかは選ばねばならなかった。
 その際にドミニクほどの将を無傷で落とせる機会が向こうからもたらされたというのなら、確かにそれを飲むのは妥当な判断に思われた。
 その身柄の交換はナートの門の前でつつがなく行われ、私達の目の前にはやがて、厳格な顔立ちの初老の騎士が堂々と歩を進めてきた。
 彼は自ら首を差し出すと言って来たはずだ。今がこの世を見る最期という時を迎え、それでも当然のごとく威風堂々たる佇まいを崩しはしない……国で騎士中の騎士と謳われたあのドミニク・フォス・カディアルが、確かに武器も持たない丸腰の姿で私達に迎えられた。
 こちらから解放された捕虜の列も、それとすれ違う形でシュナートの方へ進んでいく。その列の後ろの方に、カルロスも連なっていた。
 彼は父親であるドミニクとすれ違うその瞬間だけ足を止めた。ドミニクも合わせるようにして立ち止まったのが分かった。間近で警戒を張っていた私にも、その二人の応酬がはっきりと見えてしまった。
「後のことは頼むよ、リック」
 あまりにも軽い口調で言った父に、カルロスは少しだけ目を伏せるようにして頷いた。
「はい、父上。必ずや……」
 答えた声は落ち着いていた。「必ずや」の続きの言葉は、きっと私が聞いている前では言えないものなのだろう。それだけの言葉を交わして、父と息子はそれぞれの前へ進み始めた。

 ドミニクはナートの砦の中に入り、やがて奥にある一室へと迎え入れられた。トレンティア軍が使っていた時は集会所として利用されたらしい、長机が向かい合うように二列並べられた広い部屋だ。
 ズミの兵士らは部屋の前の警備だけに周り、部屋の中にはイグノールと私エレアノール、そしてそれぞれの護衛騎士であるクラウスとルヴァークだけがドミニクを取り囲んでいた。
 ドミニクにとっては妻や息子の顔を前にしていることになる。それでも彼は、正面に立っているパウルだけを真っ直ぐ見つめたまま、そこから視線を微動だにも動かさなかった。パウルも真剣な顔でそれを受け止めている。
 睨み合っているかのような沈黙はいやに長かった。その沈黙を破るのは、パウルとドミニクのどちらかであるべきだった、私達は黙ってその二人の間を見つめている。
 やがて先に口を動かしたのはドミニクだった。彼は皺の寄った口元を吊り上げて、ふっと軽く笑ったのだ。
「……今更、何の建前も必要ありませんか。随分と……お久しぶりです、イグノール殿下。こうして生きて再びまみえたこと、心より喜び申し上げます」
 そう語って、恭しくその場に跪いた。その頭を見下ろしてパウルは少しだけ目を細めたようだ。
「ああ、本当に……久しぶりだな、ドミニク。随分と歳を取ったな」
「それはお互い様でしょう。随分ご立派になられた……と言いたいところですが、正直言ってやさぐれられましたな」
 跪いたままドミニクは顔を上げ、不敵に笑って見せた。パウルは僅かにだけ眉に皺を寄せる。
「劣悪な環境で戦わされているものでね。ベルタスの王城が恋しいよ、まったく」
「あなた様があの城へ凱旋なさる、その瞬間をこの目で見られないことを惜しく思いますよ」
 そう笑い飛ばしたドミニクの言葉に、パウルは返事をしなかった。彼はここに死にに来ているのだ。
 やがて降りた沈黙の中で、ドミニクはゆったりと首を回した。パウルの隣に立っているジャックは、既に腰の魔剣の柄に手を添えている。その凍りついたような無表情にドミニクは視線を向けた。
「ジャック、お前には礼を言わねばならない。ここまでイグノール殿下をお守りし、導いてくれたことを心から感謝する。私にはできなかったことを、どうかお前の手で成し遂げてほしい」
 がちりと魔剣の柄が音が鳴らしたのは、ジャックが身震いをしたからのようだった。
 凍りついていたはずの顔の上で、その青い目がみるうちに見開かれていく。ぐっと苦しそうに噛んだ奥歯は、やがて震えた声と共に開かれた。
「父上! ……やはり、やはりあなたの心はイグノール殿下と共にあると……、そうおっしゃってくださるのですね……。カルロスはそうではないと言った、あれは嘘だった! 私はフォスの騎士として何も間違ってはいなかったと……、そう、思ってよいのですね……?」
 彼らしくもない、縋るようなその言葉をしかし、父は突き放すように笑う。
「馬鹿者が、己の奉じる正義ぐらい自分で決めろ。私は愚かな騎士だ、心の在り処など語ったところで栓はない。……私はディアノール陛下のお心にも応えられず、イグノール殿下のお側にいることも叶わなかった……無力で愚かな騎士だよ。だからこそ私はここに来た。これ以上義を曲げることも、愛する者達を傷付ける結果をも招かないために……、ここを死に場所を選んだのだ」
 彼の言葉は……それが語った心は、私にはよく分からなかった。
 なぜ心がイグノールと共にありながら、それでも彼は命を捨てるという選択をせねばならないのか。義を曲げることとは何なのか、愛する者達を守るために必要なことは一体何なのか……、何もかもが分からない。
 だけどそれを問うことを許さない、その厳然たる決意が既にそこにはあった。
 そしてドミニクは次に私を振り向いたのだ。きっと何の表情も浮かべられないでいる妻を。
「エレアノール様、あなた様にはどれほど頭を下げても許されることはないでしょうね。あなたを幸せにできなかった、それどころかお守りすることさえできなかったこの愚かな男を、どうか顧みないで生きてください」
 その言葉に誘われるように、私は思わず彼の元へ歩を進めていた。
「私は……、私があなたの元から勝手に逃げ出したのです。あなたは何も悪くありません」
 そう答えた声は震えていた。彼の元へ駆け寄って一緒に跪き、その手を握る。頭の中では何も考えられなかった。
 ……愛していたか、なんてことは分からない。だけど、でも、その手のぬくもりは何も間違いではなくて、この手が、この言葉が私のこれまでの歩みをどれほど支えていたかなんて、言葉を尽くしても尽くしきれない。
 分かっている、全部分かっているはずだ、既に覚悟は決めたはずだ、だけどいくら言ったところで……、そう、心は、どうすることもできない。
「どうしてあなたが死ななければいけないのですか? こんなのおかしいわ、心がイグノールと共にあると言うのなら……、ねえ、兄様!」
 縋るようにパウルの顔を見上げる。彼は苦しそうに眉を寄せながら、しかし冷めた表情を崩しはしなかった。
 言葉には迷っているようだった。しかし私の訴えに応じたのは他でもないドミニクだ。
「どうかご容赦ください、エレアノール様。私に情けをかけてくださると言うのなら、どうかここで死なせてください。それが私のただ一つの望みなのです」
 その絞り出すような願いを聞いて、しかし私は何も言えなかった、涙さえ流すことは許されない、そんな気がした。
 そんな私達を見下ろして、やがてパウルがぐっと両手の拳を握ったのが分かった。
「……駄目だ! やっぱり駄目だ、ドミニク! お前を殺すことなんてできない! グロリアの言う通りだ、なぜお前が死なねばならないんだ!? お前も……父上への忠義があるならばそれを最期まで生き抜いてみせろよ! この私に仕えて働け! 死ぬことなんて許さない!」
 パウルは激昂するようにして言葉を吐き出した。びくりとして顔を上げたのは私もジャックも同じだった。だけど当のドミニクはやはり動じない、彼はきっぱりと首を横に振った。
「なりません、殿下! それはできないのです、私は既にギルバート陛下に忠誠を誓った身、それを翻すこともまたできないのです!」
「ギルバートが何だ、トレンティアの正当な王はこの私だ、あんなならず者に誓った忠誠なんぞ犬にでも食わせてやれ! あんな奴のためにお前が死ぬことなんてない!」
「なればこそ、あなたが本当の王として冠をいただく、その道を歩まれるために私はここで死なねばなりません! 殿下、どうかご決断を! 甘えたことを言って勝てる戦争ではないのです、目をお覚ましください!」
 男達は怒鳴り合い、そこでパウルはぐっと歯を噛んだが、それでもまだ言葉は飲み込まなかった。
「いや許さんね! ジャック、この男を拘束しろ! 舌噛んで死なないように布を噛ませて……」
 その命令の言葉で、我に返ったようにジャックは息を呑んだ。しかしその手は魔剣の柄を握ったまま迷いを見せる。
 その瞬間にドミニクは寄り添っていた私を突き放して立ち上がった。
「私を殺さぬと言うのならば! ギルバート陛下の騎士として、私はあなた様と戦わねばなりません! 勇猛なるフォスの血にかけて!」
 その猛々しい叫びは彼の腹の底から放たれ、口にした誓いはそのまま彼の血門を大きく開く。
 ……武器を持っていなくとも、拘束はされていない。血門を開いたフォス・カディアルの騎士はそれだけで魔獣が如き猛威を振るう存在に違いなかった。
「勇猛なるフォス! 汝が子に力を!」
 応えるようにその仔が叫んで魔剣を抜く。既にドミニクが両手を突き出して浮かべた魔法陣からフォスの息吹が雪崩れるようにパウルに襲いかかっていた、その間に割り込んでジャックがそれを切り裂く。
 激しい斬撃の嵐が散っていく、かろうじてパウルもジャックも傷を負うことはなかった。
 その一瞬に交えられた爆ぜるほどの魔力の圧を肌で感じ、私はただ愕然と目を震わせた。
 ……手加減なんてしていない。一瞬でもジャックが遅れれば、本当にパウルが死んでいたかもしれない、そんな一瞬の攻防だった。
 それだけでは終わらない、ドミニクはなおも攻勢を止めなかった。
 既に死を覚悟した魔道士は、血門から流れ出ていく血を惜しむこともない。再び展開された魔法陣からは、霧が形を持ったような、銀色の魔力の刃が溢れ出しては正面にいるジャックとパウルを猛襲する。
 ジャックとて魔剣でそれを切り裂いていくが、その魔力の衝突に走る電撃の激しさは、尋常ではない量の魔力が交えられてることを物語る。
 フォス同士の牙のぶつけ合い、先手を取ったドミニクの攻勢一方で戦況は絡まるようにして動かない。
「やめて……、やめてください! どうしてこうなるのよ!? どうしてあなた達が殺し合わねばならないというの!?」
 激情はそのまま私の喉から飛び出ていく。……ああ、前にも同じようなことがあった。あの時はパウルとジャックが殺し合っていて、何が何だか分からないまま、私はただ、泣いて縋るようにしてそれを止めることしかできなかった……。
 何故同じことを繰り返すのか、どうして男というのはこうもどうしようもない生き物なのだ?
「殿下! この男に対話など不可能です、討たねばなりません! もう……私達はとうに分かたれているのです! どうか、どうかご命令を……殿下っ!」
 魔術同士が激しく吹き荒れる攻防の中、ただパウルを守るための破壊魔法にだけ専念しているジャックがそう叫んだ。
 ここでジャックが主人の命令を待たずしてドミニクを討つこともまた、そう難しいことではなかったかもしれない。同じ血門術同士といえど、そこにある魔剣の差は歴然としている。
 しかしジャックは“命令を”と乞う。そこにある願いが何であるのかは、私にはやっぱりよく分からない。
「レオン・ドミニク・フォス・カディアルの名において! 我が国トレンティアに栄光あれ!」
 いっそう強く彼が叫んだ……、それは血門の最奥を開ける呪文。途端にドミニクの体の中から溢れ出す魔力の圧は一層に強まっていくのが傍目にも分かった。
 ほとんど無我夢中で私は部屋の隅に逃げるようにして身を寄せていた。
 ……まずい。あの騎士が血門を全部開けたら、壁や天井すらも打ち砕いて、この部屋全体を崩壊させるほどの威力の魔術だって撃ててしまえるだろう。
 部屋に充満していくように膨れ上がるフォスの威圧を前にして、もう迷っている余裕なんて、ないはずだった。
「兄様……!」
 張り上げたつもりの声は、しかしそう大きくは出なかったかもしれない。
 ドミニクの体の一番奥の門が開く、その鼓動の強さが私達全てを包みこんでいるようでさえあった。その魔力が響いていく中で、人の声などかき消えていたかもしれない。
 まるでそれに応えたかのように一筋空を切るものがあった。それは激しくうねる魔力の流れを切り裂くようにして浮く、一本の棒切れだった。ひゅっと鳴った音もかき消えていた、まるで音もなく、静かに。
 尖った鉄の破片を頭につけた棒切れは、当然魔力を纏うことすらなく、鎧を身に纏ってもいないドミニクの背中にずしと突き立つ。
 ……呆気なくもその瞬間にドミニクの魔力の波は揺らぎ、途切れさえした。たった一本の矢を受けて。
 私は息を呑んで、その矢のあるじを振り向いた。ただじっと男達の応酬を見ていた……ズミ人の女が、凛とした佇まいで弓を構えていた。
「……そろそろ茶番は終わらせていただけませんか、殿下」
 いつも通りの静かな声色だった。しかしそれはまるで響くみたいに重々しくその部屋にもたらされた。
 誰も返事をできないでいる中、ルヴァークはつがえていた矢をもう一発放つ。それは迷いなくドミニクの脇腹を突く、彼はその衝撃と痛みによろめいて魔力を乱し、やがてその場にまた跪いた。
 ルヴァークに迷いはない、更にもう一本の矢を彼女は流れるような動きで構える、その時にやっと、我に返ったジャックが声を上げた。
「待てルヴァーク! まだだ! まだ……!」
 その制止の声を受けてルヴァークは弓矢を構えたままぴたりと止まり、その黒い瞳で刺すようにパウルとジャックの方を見つめた。
「早く、ご命令を」
 ただ立ち尽くしていたパウルはやや顔を俯け、虚ろにさえ見える表情を浮かべていた。
 ルヴァークが射った弓矢、そして焦ったジャックの声、部屋中に充満していたフォスの魔力はすうと凪ぐように消えていく、その中で立って、やっとパウルは頷いた。
「ああ、よく分かったよ。……殺せ、ドミニクを」
 その言葉と同時にルヴァークは矢を放った、しかし前に歩み出ていたジャックが魔剣を一振りし、その矢を空中で叩き落とす。
「俺がやる」
 そう短く言ったジャックに、ルヴァークは小さく嘆息したようだ。
 ジャックはゆっくりとドミニクの元に歩み寄った。既に弓矢を受けて負傷した彼は、それでもまだ魔術を撃つだけの力はあったかもしれない。しかし抵抗する姿勢は少しも見せなかった。
「父上、言い残すことは」
 跪いたドミニクに視線を合わせてクラウスも床に膝をついた、魔剣は抜き身で持ったままだ。ドミニクは穏やかに微笑みさえ浮かべた。
「……迷うな、必ず勝て。お前と殿下ならきっと叶う」
「分かりました。……では、父上。どうかこれをお受け取りください」
 ジャックはそう静かに言って懐から何かを取り出した。遠目に見る、その手の中にきらりと光ったのは……薬瓶?
「毒薬です。痛みも苦しみもなく、眠るように逝けるのだとか。私が持っていても仕方がありませんので」
 ドミニクは苦しそうな顔のまま、小さく微笑んだ。
「そんなおもちゃを弄んでいたのか、まだまだ子どもだな、お前は。……だがまあ、かわいい息子からの手向けだ、ありがたく受け取っておこう」
 静かに、言葉と、そしてその薬を取り交わす親子を見下ろして、パウルは静かに語った。
「なあ、ドミニク、知ってるか? 私にも息子がいて……ヨハンと言うんだ。十六歳になるやんちゃの盛りでな……、お前にも会わせたかったな。馬鹿で無鉄砲で意地っ張りで……“父上”なんて一度たりとも呼んでくれなくてな、でも、芯は本当に真っ直ぐで健気で、これがかわいいんだ……」
 うっすらと微笑みながら言ったその言葉を、ドミニクはどこまで聞いただろうか。まるで何も聞こえていないかのように彼はその薬を呷り、ものの数拍のうちに目を閉じていた。
「……リョーの薬か? 粋な送り方だな。アミュテュス・サーシェ」
 パウルは仕方がなさそうに笑って言った。
 力をなくして倒れた父の腕を取って、ジャックはその脈を確かめていたらしい。やがて何も言わずに、彼も祈るように目を瞑った。どうやら毒薬だというのは本当なのだろう。
 そこに確かに人生の幕を下ろした騎士の姿を目に収めて、私もゆっくりと瞼を閉じた。
 ……なぜ彼が死ななければいけなかったのかは、分からない。私は彼と生涯の伴侶となることを誓った妻だった。だけど彼は、彼が自分の命よりも重んじて求めたものを私に語ることはなかった。
 分からないけど、彼自身が出した答えがそうだと言うのなら、今更私が手向ける言葉もない。
 でもきっとそれはお互い様で……どこまでも私達は、お互いの道を歩く人間同士でしかないのだろう。その屍を踏み越えて……、私達は進んでいかなければいけない。


「シュナートに滞在していた敵兵も撤退しました。恐らくサダナムまで退くのでしょう。ドミニク殿の戦死と戦線の後退を受けて、敵軍は姿勢を変えるでしょうか……」
 再び偵察に駆けていたルヴァークが戻ってきてそう報告をした。すっかり寝そびれた私は重たい瞼を擦ってそれを聞き、どっとため息をついた。
「……随分お疲れのようですね、そろそろ休まれては」
 ルヴァークがいつもの仏頂面のままそう気遣ってくる。ああ、と私は力の抜けた相槌を打った。
「敵兵が近くにいないならもういいか……、そうするよ。悪いがルヴァーク、砦の物資の整理とズミ軍との細かい打ち合わせは任せるよ。お前もオーデルでは大将張ってたんだ、その辺は慣れてるだろう」
 そう指示をした声はつい投げやりになってしまう。ルヴァークは呆れたように小さくため息をついた。
 そのまま仕事を投げ出して立ち去りたい、そんな思いを、しかし今一度ぐっと飲み込んで足を止める。
「ああ、そうだ……、ルヴァーク。改めて礼を言うよ。あの時お前が矢を放ってくれなければ……私はドミニクを殺せなかった。……本当に、自分の至らなさにはうんざりとするばかりさ。お前がいてくれてよかった。ありがとう」
 言葉ひとつひとつを間違えないように、それでも嘘もつかないように。
 はっきりと言った言葉を受け止めて、ルヴァークは目を伏せるようにして僅かに頷いただけだった。
 ……まだまだ甘い王子だと、彼女には侮られたかもしれない。だけどそれだけが今の私に言える精一杯の言葉だった。
 ドミニクは死んだ。最期の最期まで……その本心を言葉にして私達に明かすことはなかった。それはギルバートに仕えた騎士としてどうしても譲れない意地だったとでもいうのだろうか。
 それでも確かに彼は私と、ジャックのことを愛していた。その想いは一枚の紙切れに託され、亡くなった彼の懐から取り上げられ……今は私の胸の中にある。受け取って、飲み込んで、進まねばならない。
 今はまだ全てを明かす時ではない。今はただ、この戦いの余韻に区切りをつけなければいけなかった。
「あと、三階の部屋は触らないでくれ、俺達の住居にするから、後でいろいろ考える。それじゃよろしく」
 そうひらひらと手を振って適当に休める場所を探しに出かける。砦の中の地図は大方頭に入っているから、だいたいベッドがある部屋も憶えている。
 そのうちの一つに、ズミ人の警備が幾人がついている部屋があった。
「中でおたくの部隊員が休んでいるようだから念のため見張ってる」
 警備兵がそう親切に教えてくれたので、ついでに一緒することにする。
 ジャックはドミニクが来るまでは寝ていて、今は元気らしい。何を言うでもなくきびきびと私の後ろについてくる。父親を看取ったばかりだと言うのに、まったく痛々しいほどに健気だ。
 部屋の中に入ると、机に向かって所在なさそうに頬杖をついているアルドと、ベッドの上で布団に丸まっている黒髪はリョドルだろうか、の姿があった。
「ああ、パウルさ……殿下。闘いは無事に終わったのでしょうか」
 アルドがそうきりとした声色で言ってくる。
 一応建前上、私の部下になったからにはと殿下と呼べと言い渡しているのだが、やはりアルドなどにそう呼ばれるのはむずかゆくて仕方がないな。
「はい、シュナートの戦は終わりました。先生と皆のおかげで、誰一人失うことなく……。改めて、ありがとうございます」
 私は力なく項垂れて礼を言った。私達の足音と会話の声を聞いたのだろう、ベッドの上でむくりとリョドルが起き上がったのが見えた。それにも労いの声を掛ける。
「リョー、お前もありがとう。お前の魔術のおかげでここまでほとんど無傷で来れたわけだからな。民間人であるお前をこんなとこまで巻き込んでしまって悪かった」
 眠たそうに目を擦るリョドルはやっぱりどこか呑気だ。魔術の反動を受けたという眠気はまだ取れないのだろうか、無防備にあくびをしながら頷いた。
「ああ、うん、勝ったのなら何よりだ。たっぷり見返りを期待しているよ」
 寝ぼけた様子の顔でちゃっかり報酬の話をしてくる、さすががめつい薬師だ。
 そんな彼女へ、私の後ろに控えていたジャックも口を開いた。
「リョドル、例の“アミュテュスの薬”は使ってしまった。代金を支払おう」
「ええ……? ピンピンしてるじゃん、他の誰かに飲ませたのかい」
 ジャックとリョドルは硬貨をやりとりしながらそう静かに話した。……まったく、私に無断であんな薬を隠し持っていたなんて、恐ろしい部下達だ。
 私はまた、ドミニクの最期の顔を思い出していた。主君のためを思ってこそ立派に死んで見せるのも、騎士としては誉れ高い最期というものだろうか。
「ああ、父に」
 ジャックがさらりと言った言葉を聞いて、さすがのリョドルも動揺したらしい。受け取った銀貨を手に持ったまま目を丸くしてジャックの顔を見つめ返していた。
「私の家系は代々近衛騎士を務めていてな……、父は敵方の王に仕える騎士だった。いずれは敵対せねばならない相手だった」
「っ……、だからって、そんな……、親子で……殺し合ったって言うのか」
 リョドルの怯えた声に、アルドも表情を張り詰めて聞き入っていた。しかし今更、私もジャックも言い足すことはない。
「最期は楽に……逝かせてやれてよかった。感謝する」
 ジャックがそう言うと、リョドルはやがてゆっくりと目を伏せて、受け取った銀貨を財布の中へとしまった。
「そうか……、幸せな使い方をしてもらえたのなら何よりだよ。アミュテュス・サーシェ」
 その一言だけで飲み込んでいく、彼女もまた、多くの死をあまりにも身近に見てきたのだろう。この戦時下において、民間人も軍人もその差は大きくもない。
 私はやがて、上着と靴を脱いで、いくつかあるベッドのうちの一つにさっさと上がり込んだ。何はともあれ戦いは終わったのだ、とにかく寝たい。
 だけど私が寝ている間も部下達は所在なく過ごすわけで、その指示だけはしてやらねばならなかった。
「ジャック、お前も休め。体は元気かもしれんが、父親を見送ったんだから気持ちの整理ぐらい……」
「不要です」
 私の言葉を遮って、きっぱりとジャックは言い切った。ここに至ってまで強がるその姿はきっと、そうしていないと保てないものがあるのだろう。
「お前が不要でも……、グロリアは思い詰めているだろう。彼女の側にいてやってくれないか」
 そう言うと反論はしてこなかった。グロリアは何も言わずに一人でふらりとどこかへ行ってしまった、きっとまたドミニクを葬った場所に座り込んでいるだろう。
 ジャックは何も言わずに小さく頷き、さっさと部屋から出て行く。
「私は……ずっと休ませてもらっていたから手持ち無沙汰なんですが、何かやることはあるでしょうか」
 そう聞いてきたのはアルドの方からだった。眠くてあまりはっきりと動かない頭で私はなあなあに頷く。
「ああ、じゃあルヴァークを手伝ってもらえませんか。資材の整理とか、いろいろ任せてるんで……」
「分かりました、行ってきます」
 そう言ってアルドも部屋から出ていく。
 残ったリョドルの方を振り向くと、どうやら彼女はまだ働きたくない様子で、耳をふさぐような素振りをしてすぐにベッドの上にまた転がってしまった。まったく、他と違って怠け者な部下だ。
「お前もう散々寝ただろ、働けよ」
「やだ、動きたくない」
 そう駄々をこねて布団に丸まる様子はまるで子どもだ。俺より歳上のくせに、なんて嫌味は言わないでおいてやろう。
「じゃあ俺はここで休むんで、よく眠れるように子守唄でも歌ってもらおうか」
 冗談めかして言いながら、私もごろりとベッドの上に寝そべった。ベッド同士はほとんどくっつけて置かれているから、位置で言えばリョドルのすぐ隣だ。
「しょうがない奴だな。ほら、膝枕してやろうか」
 彼女も負けじと悪ふざけを言って、布団から起き上がって畳んだ太ももを叩いている。
 私はふっと暗い笑みをひとつ浮かべて、その膝の上に頭を投げ出した。本当に乗ってくるとは思わなかったのだろう、うわ、と間抜けな声を上げてリョドルはよろめいた。
 痩せた男の太ももは肉も薄く、あまり寝心地は良くないが、それでも人肌の温かさだけでどこか安らかな気分にもなった。
 そのまま目を瞑っても、リョドルは本当に仕方なさそうなため息をつくだけで私を振り落とそうとはしない。
「ほんとにしょうがない男だな。……ねえパウル?」
「うるさいな、俺は疲れたんだ、とりあえず寝させろ」
 そうぼやくように返した声は、ほとんど眠気で掠れていた。一度目を瞑ると本当に眠い、どっと波のように眠気が押し寄せてくる。
 やがて下ろしたままの髪をリョドルの指が弄ってくるのを感じたが、もう意識を向ける気にもならなかった。
 瞼の裏ではまだ、ドミニクの最期の姿がちらついていた。十五年ぶりに会ったかと思えば最期の別れなんてあんまりだ。
 彼は幼い頃から私に武芸を教えてくれた師であり、いつでも力強く私達を導いてくれた先達の一人だった。実の親子であるジャックや夫婦であったグロリアとは比べ物にはならないだろう、それでもその最期には、どうしようもなくわだかまった感情を抱いてしまう。
 それぞれが、その耐え難い別れを胸に刻んで苦しみ、それでも飲み込んでいくしかない、今日はそんな日なのだ。
 迷いを見せるわけにはいかない。それでもどうしようもなく痛む心をきっと誰もが、ひっそりと涙を流す夜で覆い隠して行かなければならないのだろう。
 その時に縋り合って慰めてくれる誰かを求めてしまう、そんな弱い存在であることからも私達はきっと逃れられない。これからはきっと、これまで以上に。
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ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

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