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第十一章 ラズミル武闘大会
132話 ラズミルの食卓
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パウルに連れられて入ったのは、店というよりも、軍人のための食堂という風情の場所だった。
パウルも仕事でラズミルに来る時はよく使っているらしく、その顔は既に食堂の料理人達に通っているようだ。彼らと必要最低限だけのやりとりだけをして、僕達は衝立てで仕切られた一角の大机に一同で座った。
わけがわからない内に連れてこられたアザルは、目を白黒させてただ流されるままになっている。
「へえ、あの時の孤児がラズミルまで来てたのか。再会を喜ぼう、ミュロス・サーシェ」
すっかりズミ人らしい祈りの文句が板について見えるのは、たぶんアルドを近くに置くようになったせいだろう……パウルはそう軽く言ってアザルに微笑を向けた。
席につくなりフードを下ろしたパウルとクラウスの顔を見て、アザルは強張った表情のまますぐに返事もできないようだった。
「あの時は名乗りもしなかったな。私はパウル・イグノール、トレンティアの王族だ。まあいろいろ訳あってズミに味方をして軍人として戦っているが……、とにかくアザル、お前の故郷と家族を蹂躙して奪ったこと……トレンティア人の一人として謝罪させてくれ」
パウルは滑らかながらに神妙な声色でそう語り、椅子から立ち上がってまて深く頭を垂れた。
その謝罪の仕草を、僕の知らない所で今までどれほど多くのズミ人に向けてきたのだろう……クラウスも慣れた様子で同じように頭を下げていた。
アザルはそれを見てもただ戸惑い、やっぱり何も言えないでいるようだった。その緊張をほぐすように、僕がアザルの隣に座って気遣いの視線だけを送った。
僕とて先ほど再会したばかりだが、川で洗濯をした分少しは打ち解けている、だろう、たぶん。
「まあとにかく飯を食おう。たまにはラズミルで会食するのも悪くない……シュナートで調達すると干物ばかりで味気ないからな」
パウルは軽い口調になってそう言った。確か彼らは会議のためにラズミルへ来ていたという話だったが、それはもう終わったのだろう、すっかり気が抜けているような様子だ。
そう言えばナートを発つ時にはリョドルも伴っていたはずだが、今は彼の姿がない。先にナートへ戻ったのだろうか。なんとなく勘繰ると、パウルは疲れたようなため息をついた。
「ああ、あいつはラズミルの王宮神殿とかいうところに攫われた。当分は神官の仕事に縛り付けられるらしい」
僕は飄々としたリョドルの顔を思い出した。神官だということは知っていたつもりだが、結婚式以来それらしい仕事をしているところを全く見ないものだから想像すると変な感じがした。
ジュリも同じことを思ったらしい。
「そういえばあの人神官でしたね」
「ああ、私もモルズから聞いて初めて知ったが、前から王宮で結構有名な神官だったらしいぞ。これからは教官長っていう役職になるらしい」
「教官長!? ええ、教団のトップじゃないですか! あの人が……!?」
ジュリが面食らった顔でそう驚きの声を上げている。
神官の肩書きについては、田舎育ちの僕には全く分からない。パウルもぼんやりとした調子で言った。
「私もズミの国史については浅学だが……、時によっては国王以上の権力を持っていた役職らしいな。若い頃に王子として顔を出した親善の挨拶の席にもいちいちいた」
外国人であっても、王子として外交に関わっていたパウルの方が僕などよりはよっぽど詳しそうだ。
ジュリはしみじみと驚くように、ため息とともに首を振った。
「まあ、バルダム家の人ですもんね。性格はともかく、教養の程がすっごく高いのも確かですし、妥当なんでしょうねえ……」
「考えてみればこちらの部下からそれだけ重要な国の柱を差し出すんだ、あいつの分の身代金も請求しとかないといかんな……」
パウルの呟きはどうにも不穏だが、誰も追求しようとはしなかった。やがて食堂の者達によって料理が運ばれつつあった。
申し訳程度に敷かれた葉野菜の上にどしりと焼いた鶏肉が乗せられた皿と、細かい肉と潰した豆を団子にして煮詰めたものと、これでもかというほど乱暴に盛られた小魚の煮干し……。
妙に茶色い料理ばかりなのが気にはなるが……、この際アザルにとっては喜ばしいことだろう。案の定彼はその料理の数々を見て、目を爛々と輝かせていた。
「好きなだけ食べろよ」
始めはそれに手を伸ばすことにも遠慮をしたような様子があったが、そうひと言を言うとアザルは勢いよく肉にかぶりつき始めた。空腹の子どもにとってその瞬間は、何にも例えがたい幸福の瞬間だったに違いない。
僕も小魚を噛みながらその少年の姿を見ていた。その姿にいちいち、昔も自分はこんな感じだったんだろうな、なんて己の幼い頃のことを重ねてしまう。やっぱりどうしても、他人事とは思えなかった。
あまりにも勢いよく食べるものだから、汁や食べ零しがぽろぽろと彼の口元や机の上に落ちていく、それを見てジュリは仕方なさそうに肩を竦めた。
「ああ、せっかく洗ったのに。もうちょっと落ち着いて食べないと喉に詰まらせますよ。お腹にもよくないですからちゃんと噛んで」
そんな小言を言う様は……微笑ましいというのは皮肉だろうか、まるで絵に書いた平和な家族みたいな光景だ。
ジュリの子ども……と言うには歳が近すぎるな。例えるならきょうだいというところかな、なんて栓のないことを考えてしまう。
パウルも好きに料理をつまみながら、目を細めてアザルの様子を見ているようだった。
「生活は苦しいようだが、ここでヨハンと再会できたのは幸いだったな」
そう声をかけられて、アザルはハッとして顔を上げた。頬張った肉を一生懸命噛み、飲み込んでから潤んだ瞳を僕に向けてくる。
「あ……、うん、ありがとう。こんなに飯が食えるなんて俺ほんとに嬉しい……。えっと、ごめん、名前ちゃんと聞いてなかったけど……ヨハン? ヨン?」
そういえば一度もきちんと名乗っていなかった。
「本名はヨハンだけど、軍ではヨンっていう通称で通ってる。別にどっちで呼んでもいいよ。それから彼女はジュリだ、僕の妻」
「ヨハン……さんに、ジュリさん。あの……ほんとにありがとう」
アザルはそうしみじみと、文字通り肉を噛み締めながら言う。
そうまで健気に言われるとこちらも嬉しい気持ちになってしまうが……、彼が経験した悲劇を思えば、たった一度の食事で釣り合いがとれるはずもないこともまた明白だった。
「兵士になりたいって言ってたな」
そう言うと、アザルは切なそうに俯いた。
「う、うん。俺だって家族の仇をとりたい。ヨハンさん達みたいに……戦いたい。けど、俺まだ子どもだし……」
その望みがただちに現実的ではないことは彼自身も分かっているのだろう。
今ズミ軍は軍備や兵員の増強に力を入れている。十歳程度の少年であっても、やる気さえあれば下働きぐらいにはとってくれる可能性はあるかもしれないが……彼は施しを受けることすら叱責されるという雇い主の元にいる。アザルが幼いのをいいことに、まるで家畜のように使い潰されているのだろう。
そこからまた僕が将軍だの英雄だのという権威を利用して彼を救い出し、ズミ軍で雇い入れることはあるいは簡単なことなのかもしれない。そうしてやることが、たった一度の食事では終わらせない彼への親切となるだろうか。
しかし当然、この若さで軍に入るという選択は易しい道ではない。十一歳で兵士になった僕と似たような苦労を、きっと彼もすることになるだろう。
その小さな体ではまともな兵士は務まらない、成長するまでの何年もの間を、ほとんど下働きで過ごす傍らで戦闘技術を磨き、敵よりも先輩達に散々殴られ、時には無茶な作戦に放り出されて泥を啜る思いで生き延びなければならない。
混血ではない分多少僕よりはマシかもしれないが、その環境は、下手をすれば今以上に過酷になる。あまり勇んで勧める気持ちにもならなかった。
しかしそれなら、僕が今彼にしてやれることは何があるのか……そう考えても、そう多くの答えは見つからなかった。
「……戦い方を、教えてやろうか」
僕は呟くようにそう言った。驚いて目を丸くしたのはアザルだけではない。パウルもジュリも同じような顔をしたし、黙って食事をしていたクラウスまで何やらすうと鋭い視線を向けてきていた。
「え……、そんなの、いいの……!? いや、でも……」
アザルは驚き戸惑い、肉料理で口元を汚したままで、しどろもどろにそう慌てた。あまりに突然の提案だ、戸惑うのも無理はないだろう。
なんとなく、僕が初めてパウルと話した時のことを思い出した。最初はパウルが突然「魔法を教えてやる」なんて言い出したんだった。
同じことでも思ったのだろうか、パウルがどこか楽しそうな顔になって頷いた。
「ほう、ヨハンが弟子をとるのか? すっかり一人前だな」
そう言われてみれば、弟子……ということにもなるのだろうか。
ほかでもない僕の師であるパウルとクラウスの両者の目の前だ。なんだか無性に気恥ずかしくなってきた。
アザルは半ば混乱したような顔になって、無意識のようにまた料理を口に運び出した。
「ヨハンさんの……弟子? あ、でも、ヨハンさんってさっき言ってたけど、魔法使いなんだよな?」
「ああ……、まあ、そうだけど剣士でもある。もともと剣の方が得意だったし、君にも教えるなら剣を……」
そう答えると、パウルが呆れた顔で口を挟んできた。
「いや、そこはせっかくなんだから魔法も教えろよ。これからの時代、ズミ人だから魔法はやらない、なんて先入観は捨てるべきだ。その歳からやり始めるなら可能性は何だってある」
そんなことを言うのも確かにもっともらしいが……、ただ単に僕が魔道士の経験が浅く、ほとんど感覚頼みでやっているから、教えられる自信がなかった。
「もちろん私が開設している魔道兵養成所に来てくれても歓迎するぞ。まあ他の生徒も多いしみんなレベルがバラバラだから個別指導まではなかなか行き届かないが……。まずお前、字の読み書きはできるのか」
パウルはすっかり得意そうになって言う……こいつはもともと教え好きなのだ。
しかしアザルはしょんぼりと肩を落としてしまった。
「できない……」
「あー……じゃあまずはそこからだな。ヨハンお前、武芸よりまず読み書きから教えてやれよ。仮に戦争がなくなって兵士で食いっぱぐれても、教養があれば仕事の幅も広がるぞ」
そんなことを言ってくるのを見て僕は思わず眉を寄せた。……兵士になりたいと言うから戦い方を教えようと思ったのに、話が全然違う方向へ進んでいくではないか。
いや、考えてみればアザルが立派に戦える年齢になる頃に戦争があるのかどうかは確かに分からないが……。
「そうかあ……ヨハンに弟子ねえ……。と言ってもその歳の子どもは育つのが早いからな。アザル今いくつだ?」
「ちょうど十……」
「六歳差か。それぐらいならあっという間に追いつかれるぞ。師弟っていうより兄弟って感じで……見てて微笑ましいよ」
パウルはそう笑いながら僕達をからかってくる。僕もアザルもむずむずとしながらなんとなく視線を合わせた。
兄弟、と言われても当然ピンとこない。アルドの実子と会ったことは幼い頃にあるが、記憶も曖昧だし今は全く交流もない。兄弟なんてものの存在を考えたことはほとんどなかった。
そう思いを巡らせている時に、兄弟と聞いてふと思い出してしまうことがあった。……もし、パウルがトレンティアの国王になるとしたら、という話だ。
僕は真顔になって、楽しそうにパンを齧っているパウルを見つめた。
「パウルお前……、再婚とかしないのか」
そう言い出した僕の言葉は、彼にとってはあまりに突飛に感じたらしい。途端に咳き込んで、唇からパンくずを零してしまった。
慌てて水を飲んで息を整えてから、パウルは驚嘆した顔で僕を見返してくる。
「い、いきなり何の話!」
「いや、いきなりで悪いけど……お前トレンティアの国王になったら、跡継ぎ……いないだろ?」
ぐっと念を押すようにしてそう睨んだ。パウルは頭を押さえて苦しそうに顔をしかめる。
「お前までモルズみたいなこと言うなよ……。それ、その話なんだけどさあ……、お前にも言おうとは思ってたとこなんだよ。まあ今度、いろいろ決まってから改めてからするけど……」
言いづらそうにそんな返事をしたのを聞いて、僕は思わず目を丸くしてしまった。
その口ぶりから推して測るにもしかして、今日モルズと行った会議というもので議題に上がっていたのだろうか。……まさか既に再婚の話が進んでいたりするのだろうか。
そう勘繰って眉をひそめていると、ずっと黙っていたクラウスがきりと眉を吊り上げて口を開いた。
「恐れながら殿下!」
「ああ、分かった、分かってる! お前の小言も後で聞くから! 今はほら、肉食え、な!」
パウルは焦ったようにクラウスの言葉を遮り、こんがりと焼けた鶏の脚を丸ごとクラウスの目の前へと突き出した。クラウスは不服そうにしながらも黙ってそれを受け取って齧り始める。
パウルはその飼い犬に肉を与えて黙らせると、疲れた顔になって頬杖をついた。
「そういえば……これはどうせすぐにモルズから告知があるだろうから話すが、近々ズミ軍の主催で武闘大会を開くそうで……」
力の抜けた声色だが、また飛躍した話題が出てきた。
「ヨハン、たぶんお前は強制出場だし絶対優勝しろとか言われるぞ。弟子をとるのも構わんが、そっちにもちゃんと集中しろよ」
なぜそんな話になるのか、全くついていけない。
僕は返事もできず、変な顔をしながらただ小魚を噛んでいた。パウルは勝手にまた頭を抱えて悩み出した。
「……いや正直どうなんだろうな。まあモルズからの正式発表はとりあえず待つが、クラウス、お前の動き方もこっちで考えなきゃならんな……」
そう話を振られて、結局クラウスは鶏肉を齧るのを一旦中断した。彼も難しそうに眉を寄せてうーんと唸り出す。
「武闘大会、ですか。規模ややり方にもよりますが、率直に申し上げるとヨハン様が優勝、というのはかなり難しいのでは……」
本当に率直な奴だな、なんて嫌味が口から出そうになった。
突然話題に出てきた武闘大会なんてものの詳しい経緯や内容はさっぱり分からないが……、剣術の師であるクラウスからそうもずばりと評価を言い渡されると、思わず噛んでいた小魚を口から取りこぼしそうなほどは衝撃を受けてしまう。
「お前なかなか厳しいこと言うな。ズミ軍の中じゃ最強の剣士であることには違いない……というのは私の贔屓目というやつなのかね?」
「試合で魔剣は使えませんよ、死人が出ますから。それにヨハン様の剣は……実戦だと確かに凄まじいんですけど、試合となると、途端に、その……」
「あー……」
クラウスの濁った言葉から、パウルも何かを察してしまったらしい。二人して難しそうに眉を寄せた顔で僕の方を見つめてきた。
僕は咥えていた煮干しをなんとか口の中で噛み潰して彼らから視線を逸らした。二人は僕をよそにしてまだ勝手に話を続ける。
「じゃあクラウス、ちょっと短期集中でも試合用の武芸の稽古をだな……」
「いえ、それはそれで……せっかく実戦では凄まじいヨハン様の剣を殺してしまう気もして惜しい気はしますね。あの気迫と迷いの無さ、最短で命を奪うことだけに特化した太刀運び……」
クラウスは重たく語る。……あまり褒められているようには感じなかった。
「それに、いくら集中しても短期で詰め込める分には限界がありますよ。そもそもですねヨハン様、武術の基礎は言わずともがな体作りです。だというのにあなたは食が細すぎます。さっきから煮干しばっかり齧って……肉をお食べなさい、肉を!」
クラウスは唐突に僕に言葉を向けてそう説教を始めた。その語気の強さに思わずたじろいで、噛んでいる途中の煮干しをごくりと喉に落としてしまった。
そうしてからなんとか弁明を口に出す。
「そ、そうは言ったって……、これでも魔剣を使うようになってからは意識して食事の量は増やしてるんだけど……」
「それでもですか? それでは伸びるものも伸びませんよ。まったく、若い内から食が細いところまで父君に似なくてもよいでしょうに」
クラウスは追求するような言葉を弱めない。
ああ、剣を指導している時と同じ顔だ。慌てて僕はクラウスに突き出された皿から鶏肉を口に入れ始めた。パウルは呆れた様子でため息をつく。
「お前と比べたら誰だって少食だよ……」
パウルの言葉を聞いて、見やると確かに黙々と食事をとっていたクラウスの傍らには綺麗に平らげられた皿がいくつも積み重なっていた。
五人で食べているというのに、数えてみると運ばれてきた料理の半数ほどが彼一人の胃袋に収まっている。……いくら何でも食べ過ぎではないか?
「本来、魔剣士ならばこの程度の量は当然です」
そうきっぱりと言い切って見せた、クラウスの顔はいたって真剣だ。
本当かよそれ、なんて言いたい気持ちは非常に強かったが、他でもないトレンティア最強の魔剣士クラウス・フォス・カディアルが言っているとさすがに迫真だ。
師の教えは真摯に受け止めるべきだ、僕は努めて肉料理を口の中へ押し込む。
そんな男達の姿をこわごわと眺めていたジュリが、その時になってそっと声をあげた。
「あの……、お言葉ですが、肉だけではよくありません。野菜や果物も食べないと体を壊しやすくなりますよ」
それは確か、僕が子どもの頃からアルドによく言いつけられていた教えでもあった。医者が言うのだから間違いないことだろう。
しかしクラウスはすぐ仏頂面になって、ただ肉を口に運び続けた。
「いえ、肉です、何よりも肉ですよ」
「やっぱり好きなものを好きなだけ食ってるだけじゃねえか」
パウルが苦い顔になって言ったのに、クラウスは反論をしなかった。途端に信憑性が怪しくなってきた気がする。
しかしふと見やると、隣には僕に負けじという勢いで肉料理をかき込むアザルの姿もあった。
その真剣な面持ちを見るに、ただ空腹を満たす幸福のあまりにがっついているだけでなく、おそらく彼も彼でクラウスの言葉を真面目に受け止めているのだろう。
そんなアザルの姿を見つめて、僕も肉を噛みながらぼんやりと目を細めた。
「やっぱり僕の弟子になるなんてやめた方がいいかもしれないな。人殺ししか上手くならない」
そう言った言葉は思わず自虐っぽくなってしまった。えっ、なんて無邪気な驚きの声を上げてアザルが振り向いた。
「なんで? 俺、家族の仇を討ちたいんだ。だから……トレンティア兵を殺せるようになりたい!」
その真剣でひたむきそのものの声が、今はどこか痛々しく感じられた。
だけどかける言葉は分からなくて、黙っているとパウルが呆れた顔のまま小さくため息をついた。
「だから戦い方より先に読み書きとか魔法を教えてやれって。……どれだけ焦ったってその年齢じゃどうせすぐに戦いには出られないんだから」
そう言われて、アザルももどかしそうに口を噤んで俯いてしまった。
年齢や体の大きさばかりはすぐにどうこうできるものではない……その思いは僕だってまだ抱え続けているものだった。
「なんだっけ、雇い主がケチな商人なんだったか? まあモルズに一筆書かせりゃどうにでもなるだろ。もののついでだ、今から一緒に軍の本部に行こう」
パウルの提案によって、食事の後はそのままの顔ぶれで本部を訪れることになった。残った料理を僕とアザルとクラウスとで競い合うように平らげる。
アザルには僕が奢ってやる、なんて言ったものの、その食堂はやはり軍の施設だったのだろう、金銭の支払いすら発生しなかった。
パウル達と共に本部を訪れると、「ちょうどよかった」なんて言葉とともにモルズが僕に声をかけてくる。しかし僕に続けて何かを言う前に、すぐにパウルと睨み合って何やら怪しげなやりとりをし始めた。
「イグノール、例の話を……」
「……いや、まだだ。しばらくは考える時間をくれ。今はちょっと別件で」
「はあ、貴殿もなかなか煮えきらない男だな。では取り急ぎ武闘大会のことだけ……」
僕は目を細めて大将同士の会話を眺めていた。まったく、この大人達は今度は一体何を企んでいると言うのだろう。
ともかく、なんて切り替えの言葉と共に、僕はモルズに別室へ呼び出された。
「イグノールからも話をしてくれたらしいが、武闘大会を開催することになった。あくまで進軍の準備が整うまでの間の、鍛錬の促進を兼ねた息抜きのようなものだ……そう大掛かりにするつもりはないのだが、剣と弓と魔法の三部門に分けて技を競い合う。その全部門に出て、特に剣部門……ここで優勝を飾るのがお前の任務だ」
「任務?」
僕は目を丸くしてそう言った。強制出場で絶対優勝しろと言われるだろう、なんてのはパウルの予想通りだったが、任務なんて形にされるのはさすがにおかしな話だった。
「ああ、絶対勝て」
モルズは真顔でただそれだけを言った。
……任務、と上官から言われれば、兵がその意図をいちいち詮索する必要はない。言われた通りに遂行するだけだ……というのが基本ではあるが。
僕は呆気にとられた顔のまま、返事もできずに突っ立っていた。
「それから……、アザルと言ったか、あの孤児を部下として雇いたいと聞いた。もちろんお前がそう望むのならその通りにしよう。本来なら一部隊を直属でつけたいところだが……確かにお前はまだ若いからな、アザルに身の回りの手伝いをさせて、人の上に立つ練習を今からするといいだろう」
その話もいたって呆気なく決まったらしい。人の上に立つ練習、なんて言われてもやっぱりいまいちピンと来ないが……。
ともかく話が決まったことをアザルとジュリにも話すと、彼もあまりにも素早く決まった自分の身の上の変化に唖然としているようだった。
「そうと決まればナートの中にアザル用の居室も取らないとな。ああ、まだ余らせてる部屋はいくらかあるからそう難しい話じゃない……」
パウルもそう言ってまた考え事を始めた。
あの時見捨ててきた孤児と、偶然再会できたものだから今度こそは少しぐらい何かをしてやりたい。そう思ったその場の思いつきのような提案だったのだが、それがこうも容易く決まって、たちまちに人を動かしてしまう……奇妙な感覚だった。
人の上に立つというのはそういうことなのだろう、なんてまだ実感の伴わないことをぼんやりと思いながら、僕達はその日のうちにアザルを連れて、ナートの家への帰路についた。
パウルも仕事でラズミルに来る時はよく使っているらしく、その顔は既に食堂の料理人達に通っているようだ。彼らと必要最低限だけのやりとりだけをして、僕達は衝立てで仕切られた一角の大机に一同で座った。
わけがわからない内に連れてこられたアザルは、目を白黒させてただ流されるままになっている。
「へえ、あの時の孤児がラズミルまで来てたのか。再会を喜ぼう、ミュロス・サーシェ」
すっかりズミ人らしい祈りの文句が板について見えるのは、たぶんアルドを近くに置くようになったせいだろう……パウルはそう軽く言ってアザルに微笑を向けた。
席につくなりフードを下ろしたパウルとクラウスの顔を見て、アザルは強張った表情のまますぐに返事もできないようだった。
「あの時は名乗りもしなかったな。私はパウル・イグノール、トレンティアの王族だ。まあいろいろ訳あってズミに味方をして軍人として戦っているが……、とにかくアザル、お前の故郷と家族を蹂躙して奪ったこと……トレンティア人の一人として謝罪させてくれ」
パウルは滑らかながらに神妙な声色でそう語り、椅子から立ち上がってまて深く頭を垂れた。
その謝罪の仕草を、僕の知らない所で今までどれほど多くのズミ人に向けてきたのだろう……クラウスも慣れた様子で同じように頭を下げていた。
アザルはそれを見てもただ戸惑い、やっぱり何も言えないでいるようだった。その緊張をほぐすように、僕がアザルの隣に座って気遣いの視線だけを送った。
僕とて先ほど再会したばかりだが、川で洗濯をした分少しは打ち解けている、だろう、たぶん。
「まあとにかく飯を食おう。たまにはラズミルで会食するのも悪くない……シュナートで調達すると干物ばかりで味気ないからな」
パウルは軽い口調になってそう言った。確か彼らは会議のためにラズミルへ来ていたという話だったが、それはもう終わったのだろう、すっかり気が抜けているような様子だ。
そう言えばナートを発つ時にはリョドルも伴っていたはずだが、今は彼の姿がない。先にナートへ戻ったのだろうか。なんとなく勘繰ると、パウルは疲れたようなため息をついた。
「ああ、あいつはラズミルの王宮神殿とかいうところに攫われた。当分は神官の仕事に縛り付けられるらしい」
僕は飄々としたリョドルの顔を思い出した。神官だということは知っていたつもりだが、結婚式以来それらしい仕事をしているところを全く見ないものだから想像すると変な感じがした。
ジュリも同じことを思ったらしい。
「そういえばあの人神官でしたね」
「ああ、私もモルズから聞いて初めて知ったが、前から王宮で結構有名な神官だったらしいぞ。これからは教官長っていう役職になるらしい」
「教官長!? ええ、教団のトップじゃないですか! あの人が……!?」
ジュリが面食らった顔でそう驚きの声を上げている。
神官の肩書きについては、田舎育ちの僕には全く分からない。パウルもぼんやりとした調子で言った。
「私もズミの国史については浅学だが……、時によっては国王以上の権力を持っていた役職らしいな。若い頃に王子として顔を出した親善の挨拶の席にもいちいちいた」
外国人であっても、王子として外交に関わっていたパウルの方が僕などよりはよっぽど詳しそうだ。
ジュリはしみじみと驚くように、ため息とともに首を振った。
「まあ、バルダム家の人ですもんね。性格はともかく、教養の程がすっごく高いのも確かですし、妥当なんでしょうねえ……」
「考えてみればこちらの部下からそれだけ重要な国の柱を差し出すんだ、あいつの分の身代金も請求しとかないといかんな……」
パウルの呟きはどうにも不穏だが、誰も追求しようとはしなかった。やがて食堂の者達によって料理が運ばれつつあった。
申し訳程度に敷かれた葉野菜の上にどしりと焼いた鶏肉が乗せられた皿と、細かい肉と潰した豆を団子にして煮詰めたものと、これでもかというほど乱暴に盛られた小魚の煮干し……。
妙に茶色い料理ばかりなのが気にはなるが……、この際アザルにとっては喜ばしいことだろう。案の定彼はその料理の数々を見て、目を爛々と輝かせていた。
「好きなだけ食べろよ」
始めはそれに手を伸ばすことにも遠慮をしたような様子があったが、そうひと言を言うとアザルは勢いよく肉にかぶりつき始めた。空腹の子どもにとってその瞬間は、何にも例えがたい幸福の瞬間だったに違いない。
僕も小魚を噛みながらその少年の姿を見ていた。その姿にいちいち、昔も自分はこんな感じだったんだろうな、なんて己の幼い頃のことを重ねてしまう。やっぱりどうしても、他人事とは思えなかった。
あまりにも勢いよく食べるものだから、汁や食べ零しがぽろぽろと彼の口元や机の上に落ちていく、それを見てジュリは仕方なさそうに肩を竦めた。
「ああ、せっかく洗ったのに。もうちょっと落ち着いて食べないと喉に詰まらせますよ。お腹にもよくないですからちゃんと噛んで」
そんな小言を言う様は……微笑ましいというのは皮肉だろうか、まるで絵に書いた平和な家族みたいな光景だ。
ジュリの子ども……と言うには歳が近すぎるな。例えるならきょうだいというところかな、なんて栓のないことを考えてしまう。
パウルも好きに料理をつまみながら、目を細めてアザルの様子を見ているようだった。
「生活は苦しいようだが、ここでヨハンと再会できたのは幸いだったな」
そう声をかけられて、アザルはハッとして顔を上げた。頬張った肉を一生懸命噛み、飲み込んでから潤んだ瞳を僕に向けてくる。
「あ……、うん、ありがとう。こんなに飯が食えるなんて俺ほんとに嬉しい……。えっと、ごめん、名前ちゃんと聞いてなかったけど……ヨハン? ヨン?」
そういえば一度もきちんと名乗っていなかった。
「本名はヨハンだけど、軍ではヨンっていう通称で通ってる。別にどっちで呼んでもいいよ。それから彼女はジュリだ、僕の妻」
「ヨハン……さんに、ジュリさん。あの……ほんとにありがとう」
アザルはそうしみじみと、文字通り肉を噛み締めながら言う。
そうまで健気に言われるとこちらも嬉しい気持ちになってしまうが……、彼が経験した悲劇を思えば、たった一度の食事で釣り合いがとれるはずもないこともまた明白だった。
「兵士になりたいって言ってたな」
そう言うと、アザルは切なそうに俯いた。
「う、うん。俺だって家族の仇をとりたい。ヨハンさん達みたいに……戦いたい。けど、俺まだ子どもだし……」
その望みがただちに現実的ではないことは彼自身も分かっているのだろう。
今ズミ軍は軍備や兵員の増強に力を入れている。十歳程度の少年であっても、やる気さえあれば下働きぐらいにはとってくれる可能性はあるかもしれないが……彼は施しを受けることすら叱責されるという雇い主の元にいる。アザルが幼いのをいいことに、まるで家畜のように使い潰されているのだろう。
そこからまた僕が将軍だの英雄だのという権威を利用して彼を救い出し、ズミ軍で雇い入れることはあるいは簡単なことなのかもしれない。そうしてやることが、たった一度の食事では終わらせない彼への親切となるだろうか。
しかし当然、この若さで軍に入るという選択は易しい道ではない。十一歳で兵士になった僕と似たような苦労を、きっと彼もすることになるだろう。
その小さな体ではまともな兵士は務まらない、成長するまでの何年もの間を、ほとんど下働きで過ごす傍らで戦闘技術を磨き、敵よりも先輩達に散々殴られ、時には無茶な作戦に放り出されて泥を啜る思いで生き延びなければならない。
混血ではない分多少僕よりはマシかもしれないが、その環境は、下手をすれば今以上に過酷になる。あまり勇んで勧める気持ちにもならなかった。
しかしそれなら、僕が今彼にしてやれることは何があるのか……そう考えても、そう多くの答えは見つからなかった。
「……戦い方を、教えてやろうか」
僕は呟くようにそう言った。驚いて目を丸くしたのはアザルだけではない。パウルもジュリも同じような顔をしたし、黙って食事をしていたクラウスまで何やらすうと鋭い視線を向けてきていた。
「え……、そんなの、いいの……!? いや、でも……」
アザルは驚き戸惑い、肉料理で口元を汚したままで、しどろもどろにそう慌てた。あまりに突然の提案だ、戸惑うのも無理はないだろう。
なんとなく、僕が初めてパウルと話した時のことを思い出した。最初はパウルが突然「魔法を教えてやる」なんて言い出したんだった。
同じことでも思ったのだろうか、パウルがどこか楽しそうな顔になって頷いた。
「ほう、ヨハンが弟子をとるのか? すっかり一人前だな」
そう言われてみれば、弟子……ということにもなるのだろうか。
ほかでもない僕の師であるパウルとクラウスの両者の目の前だ。なんだか無性に気恥ずかしくなってきた。
アザルは半ば混乱したような顔になって、無意識のようにまた料理を口に運び出した。
「ヨハンさんの……弟子? あ、でも、ヨハンさんってさっき言ってたけど、魔法使いなんだよな?」
「ああ……、まあ、そうだけど剣士でもある。もともと剣の方が得意だったし、君にも教えるなら剣を……」
そう答えると、パウルが呆れた顔で口を挟んできた。
「いや、そこはせっかくなんだから魔法も教えろよ。これからの時代、ズミ人だから魔法はやらない、なんて先入観は捨てるべきだ。その歳からやり始めるなら可能性は何だってある」
そんなことを言うのも確かにもっともらしいが……、ただ単に僕が魔道士の経験が浅く、ほとんど感覚頼みでやっているから、教えられる自信がなかった。
「もちろん私が開設している魔道兵養成所に来てくれても歓迎するぞ。まあ他の生徒も多いしみんなレベルがバラバラだから個別指導まではなかなか行き届かないが……。まずお前、字の読み書きはできるのか」
パウルはすっかり得意そうになって言う……こいつはもともと教え好きなのだ。
しかしアザルはしょんぼりと肩を落としてしまった。
「できない……」
「あー……じゃあまずはそこからだな。ヨハンお前、武芸よりまず読み書きから教えてやれよ。仮に戦争がなくなって兵士で食いっぱぐれても、教養があれば仕事の幅も広がるぞ」
そんなことを言ってくるのを見て僕は思わず眉を寄せた。……兵士になりたいと言うから戦い方を教えようと思ったのに、話が全然違う方向へ進んでいくではないか。
いや、考えてみればアザルが立派に戦える年齢になる頃に戦争があるのかどうかは確かに分からないが……。
「そうかあ……ヨハンに弟子ねえ……。と言ってもその歳の子どもは育つのが早いからな。アザル今いくつだ?」
「ちょうど十……」
「六歳差か。それぐらいならあっという間に追いつかれるぞ。師弟っていうより兄弟って感じで……見てて微笑ましいよ」
パウルはそう笑いながら僕達をからかってくる。僕もアザルもむずむずとしながらなんとなく視線を合わせた。
兄弟、と言われても当然ピンとこない。アルドの実子と会ったことは幼い頃にあるが、記憶も曖昧だし今は全く交流もない。兄弟なんてものの存在を考えたことはほとんどなかった。
そう思いを巡らせている時に、兄弟と聞いてふと思い出してしまうことがあった。……もし、パウルがトレンティアの国王になるとしたら、という話だ。
僕は真顔になって、楽しそうにパンを齧っているパウルを見つめた。
「パウルお前……、再婚とかしないのか」
そう言い出した僕の言葉は、彼にとってはあまりに突飛に感じたらしい。途端に咳き込んで、唇からパンくずを零してしまった。
慌てて水を飲んで息を整えてから、パウルは驚嘆した顔で僕を見返してくる。
「い、いきなり何の話!」
「いや、いきなりで悪いけど……お前トレンティアの国王になったら、跡継ぎ……いないだろ?」
ぐっと念を押すようにしてそう睨んだ。パウルは頭を押さえて苦しそうに顔をしかめる。
「お前までモルズみたいなこと言うなよ……。それ、その話なんだけどさあ……、お前にも言おうとは思ってたとこなんだよ。まあ今度、いろいろ決まってから改めてからするけど……」
言いづらそうにそんな返事をしたのを聞いて、僕は思わず目を丸くしてしまった。
その口ぶりから推して測るにもしかして、今日モルズと行った会議というもので議題に上がっていたのだろうか。……まさか既に再婚の話が進んでいたりするのだろうか。
そう勘繰って眉をひそめていると、ずっと黙っていたクラウスがきりと眉を吊り上げて口を開いた。
「恐れながら殿下!」
「ああ、分かった、分かってる! お前の小言も後で聞くから! 今はほら、肉食え、な!」
パウルは焦ったようにクラウスの言葉を遮り、こんがりと焼けた鶏の脚を丸ごとクラウスの目の前へと突き出した。クラウスは不服そうにしながらも黙ってそれを受け取って齧り始める。
パウルはその飼い犬に肉を与えて黙らせると、疲れた顔になって頬杖をついた。
「そういえば……これはどうせすぐにモルズから告知があるだろうから話すが、近々ズミ軍の主催で武闘大会を開くそうで……」
力の抜けた声色だが、また飛躍した話題が出てきた。
「ヨハン、たぶんお前は強制出場だし絶対優勝しろとか言われるぞ。弟子をとるのも構わんが、そっちにもちゃんと集中しろよ」
なぜそんな話になるのか、全くついていけない。
僕は返事もできず、変な顔をしながらただ小魚を噛んでいた。パウルは勝手にまた頭を抱えて悩み出した。
「……いや正直どうなんだろうな。まあモルズからの正式発表はとりあえず待つが、クラウス、お前の動き方もこっちで考えなきゃならんな……」
そう話を振られて、結局クラウスは鶏肉を齧るのを一旦中断した。彼も難しそうに眉を寄せてうーんと唸り出す。
「武闘大会、ですか。規模ややり方にもよりますが、率直に申し上げるとヨハン様が優勝、というのはかなり難しいのでは……」
本当に率直な奴だな、なんて嫌味が口から出そうになった。
突然話題に出てきた武闘大会なんてものの詳しい経緯や内容はさっぱり分からないが……、剣術の師であるクラウスからそうもずばりと評価を言い渡されると、思わず噛んでいた小魚を口から取りこぼしそうなほどは衝撃を受けてしまう。
「お前なかなか厳しいこと言うな。ズミ軍の中じゃ最強の剣士であることには違いない……というのは私の贔屓目というやつなのかね?」
「試合で魔剣は使えませんよ、死人が出ますから。それにヨハン様の剣は……実戦だと確かに凄まじいんですけど、試合となると、途端に、その……」
「あー……」
クラウスの濁った言葉から、パウルも何かを察してしまったらしい。二人して難しそうに眉を寄せた顔で僕の方を見つめてきた。
僕は咥えていた煮干しをなんとか口の中で噛み潰して彼らから視線を逸らした。二人は僕をよそにしてまだ勝手に話を続ける。
「じゃあクラウス、ちょっと短期集中でも試合用の武芸の稽古をだな……」
「いえ、それはそれで……せっかく実戦では凄まじいヨハン様の剣を殺してしまう気もして惜しい気はしますね。あの気迫と迷いの無さ、最短で命を奪うことだけに特化した太刀運び……」
クラウスは重たく語る。……あまり褒められているようには感じなかった。
「それに、いくら集中しても短期で詰め込める分には限界がありますよ。そもそもですねヨハン様、武術の基礎は言わずともがな体作りです。だというのにあなたは食が細すぎます。さっきから煮干しばっかり齧って……肉をお食べなさい、肉を!」
クラウスは唐突に僕に言葉を向けてそう説教を始めた。その語気の強さに思わずたじろいで、噛んでいる途中の煮干しをごくりと喉に落としてしまった。
そうしてからなんとか弁明を口に出す。
「そ、そうは言ったって……、これでも魔剣を使うようになってからは意識して食事の量は増やしてるんだけど……」
「それでもですか? それでは伸びるものも伸びませんよ。まったく、若い内から食が細いところまで父君に似なくてもよいでしょうに」
クラウスは追求するような言葉を弱めない。
ああ、剣を指導している時と同じ顔だ。慌てて僕はクラウスに突き出された皿から鶏肉を口に入れ始めた。パウルは呆れた様子でため息をつく。
「お前と比べたら誰だって少食だよ……」
パウルの言葉を聞いて、見やると確かに黙々と食事をとっていたクラウスの傍らには綺麗に平らげられた皿がいくつも積み重なっていた。
五人で食べているというのに、数えてみると運ばれてきた料理の半数ほどが彼一人の胃袋に収まっている。……いくら何でも食べ過ぎではないか?
「本来、魔剣士ならばこの程度の量は当然です」
そうきっぱりと言い切って見せた、クラウスの顔はいたって真剣だ。
本当かよそれ、なんて言いたい気持ちは非常に強かったが、他でもないトレンティア最強の魔剣士クラウス・フォス・カディアルが言っているとさすがに迫真だ。
師の教えは真摯に受け止めるべきだ、僕は努めて肉料理を口の中へ押し込む。
そんな男達の姿をこわごわと眺めていたジュリが、その時になってそっと声をあげた。
「あの……、お言葉ですが、肉だけではよくありません。野菜や果物も食べないと体を壊しやすくなりますよ」
それは確か、僕が子どもの頃からアルドによく言いつけられていた教えでもあった。医者が言うのだから間違いないことだろう。
しかしクラウスはすぐ仏頂面になって、ただ肉を口に運び続けた。
「いえ、肉です、何よりも肉ですよ」
「やっぱり好きなものを好きなだけ食ってるだけじゃねえか」
パウルが苦い顔になって言ったのに、クラウスは反論をしなかった。途端に信憑性が怪しくなってきた気がする。
しかしふと見やると、隣には僕に負けじという勢いで肉料理をかき込むアザルの姿もあった。
その真剣な面持ちを見るに、ただ空腹を満たす幸福のあまりにがっついているだけでなく、おそらく彼も彼でクラウスの言葉を真面目に受け止めているのだろう。
そんなアザルの姿を見つめて、僕も肉を噛みながらぼんやりと目を細めた。
「やっぱり僕の弟子になるなんてやめた方がいいかもしれないな。人殺ししか上手くならない」
そう言った言葉は思わず自虐っぽくなってしまった。えっ、なんて無邪気な驚きの声を上げてアザルが振り向いた。
「なんで? 俺、家族の仇を討ちたいんだ。だから……トレンティア兵を殺せるようになりたい!」
その真剣でひたむきそのものの声が、今はどこか痛々しく感じられた。
だけどかける言葉は分からなくて、黙っているとパウルが呆れた顔のまま小さくため息をついた。
「だから戦い方より先に読み書きとか魔法を教えてやれって。……どれだけ焦ったってその年齢じゃどうせすぐに戦いには出られないんだから」
そう言われて、アザルももどかしそうに口を噤んで俯いてしまった。
年齢や体の大きさばかりはすぐにどうこうできるものではない……その思いは僕だってまだ抱え続けているものだった。
「なんだっけ、雇い主がケチな商人なんだったか? まあモルズに一筆書かせりゃどうにでもなるだろ。もののついでだ、今から一緒に軍の本部に行こう」
パウルの提案によって、食事の後はそのままの顔ぶれで本部を訪れることになった。残った料理を僕とアザルとクラウスとで競い合うように平らげる。
アザルには僕が奢ってやる、なんて言ったものの、その食堂はやはり軍の施設だったのだろう、金銭の支払いすら発生しなかった。
パウル達と共に本部を訪れると、「ちょうどよかった」なんて言葉とともにモルズが僕に声をかけてくる。しかし僕に続けて何かを言う前に、すぐにパウルと睨み合って何やら怪しげなやりとりをし始めた。
「イグノール、例の話を……」
「……いや、まだだ。しばらくは考える時間をくれ。今はちょっと別件で」
「はあ、貴殿もなかなか煮えきらない男だな。では取り急ぎ武闘大会のことだけ……」
僕は目を細めて大将同士の会話を眺めていた。まったく、この大人達は今度は一体何を企んでいると言うのだろう。
ともかく、なんて切り替えの言葉と共に、僕はモルズに別室へ呼び出された。
「イグノールからも話をしてくれたらしいが、武闘大会を開催することになった。あくまで進軍の準備が整うまでの間の、鍛錬の促進を兼ねた息抜きのようなものだ……そう大掛かりにするつもりはないのだが、剣と弓と魔法の三部門に分けて技を競い合う。その全部門に出て、特に剣部門……ここで優勝を飾るのがお前の任務だ」
「任務?」
僕は目を丸くしてそう言った。強制出場で絶対優勝しろと言われるだろう、なんてのはパウルの予想通りだったが、任務なんて形にされるのはさすがにおかしな話だった。
「ああ、絶対勝て」
モルズは真顔でただそれだけを言った。
……任務、と上官から言われれば、兵がその意図をいちいち詮索する必要はない。言われた通りに遂行するだけだ……というのが基本ではあるが。
僕は呆気にとられた顔のまま、返事もできずに突っ立っていた。
「それから……、アザルと言ったか、あの孤児を部下として雇いたいと聞いた。もちろんお前がそう望むのならその通りにしよう。本来なら一部隊を直属でつけたいところだが……確かにお前はまだ若いからな、アザルに身の回りの手伝いをさせて、人の上に立つ練習を今からするといいだろう」
その話もいたって呆気なく決まったらしい。人の上に立つ練習、なんて言われてもやっぱりいまいちピンと来ないが……。
ともかく話が決まったことをアザルとジュリにも話すと、彼もあまりにも素早く決まった自分の身の上の変化に唖然としているようだった。
「そうと決まればナートの中にアザル用の居室も取らないとな。ああ、まだ余らせてる部屋はいくらかあるからそう難しい話じゃない……」
パウルもそう言ってまた考え事を始めた。
あの時見捨ててきた孤児と、偶然再会できたものだから今度こそは少しぐらい何かをしてやりたい。そう思ったその場の思いつきのような提案だったのだが、それがこうも容易く決まって、たちまちに人を動かしてしまう……奇妙な感覚だった。
人の上に立つというのはそういうことなのだろう、なんてまだ実感の伴わないことをぼんやりと思いながら、僕達はその日のうちにアザルを連れて、ナートの家への帰路についた。
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