サーシェ

天山敬法

文字の大きさ
151 / 172
第十二章 私達の愛の形

151話 命運の濁流

しおりを挟む
 サダナムの空を包む雨は、夜が深くなるごとに強くなっていくようだった。いつの間にか石畳を踏む靴の中まで水が染み込み、草地を走れば、ぬかるんだ泥が服の裾まで飛び跳ねてくる。
 雨除けに被っていた布も無我夢中で走っているとほとんど用を成さなくて、次第に鬱陶しくなって頭の上から下ろして腰に巻き付けた。雨はただ髪を濡らし、肌をつたって体を冷やしていく。
 ……どこかから、ズミ軍襲来の報は漏れ出していたのだろう。それはまたたく間に街に広まり、日々の鬱憤を溜めた民衆達は怒りに煽られ、その蜂起は私が想像していた以上にずっと激しく、後を絶たず次々と勃発していく。
 既に壁の向こうでは戦闘が起こっているようで、雨音の中に混ざって多くの人間の怒号がうねり上がっている。
 しかしサダナムに多く詰めていたトレンティア軍のうち、全てが壁の外の迎撃に出ているわけでもないようだ。まだ壁の内側に残っている兵士達が、次々と暴れ始める暴徒の対応に駆け回っている。
 不運にもトレンティア兵に捕捉された暴徒達は容赦のない武力に鎮圧され、拘束して投獄する手間も惜しいのだろう、彼らはその場で動けなくなるまで痛めつけられた。
 命を落としてる者も少なくない……既にサダナムの市街は惨状を喫していると言ってよかった。
 私はその喧騒の中を必死に駆け回る。まだトレンティア兵の手が回っていない場所を先立って発見し、逐一仲間に報告するのが私の任務だった。
 幸いにもズミ人で構成されているクラネルト家の私兵団がそれを先に押さえることができたなら、その興奮の程度に応じて彼らは説得を試み、初期段階で収まっていく者達もあった。
 聞かないようであればやむなく拘束にかかるから多少の暴力騒動は避けられないが、それでもトレンティア兵に斬り殺されるよりかははるかに幸運だ。
「ええ? 六番通りでまた勃発? 本当にキリがありませんわね! 蜂起するならするでもう少し計画的に、組織的にやりなさいよ、まったく……ズミ人は血の気が多すぎて困りますわ!」
 私兵団を取り仕切るオルエッタは、私を含めた部下の報告を聞いて、苛立った声で怒鳴った。
 ……蜂起のための組織をことごとく炙り出して解体してしまったのはトレンティア軍ではないか、なんて反論を言う余裕は私にも既に無かった。ずっと走り回っているせいで息が上がっている。
 当然慌ただしく走り回っているのは私だけではない、他にも複数の偵察兵が駆け回ってはオルエッタの元に来て矢継ぎ早に報告をする。
 鎮圧に向かった部隊が戻ってきてその報告と次に向かう場所の指示を受けるやりとりも慌ただしく、とにかく彼女の周りは連絡のために出入りする兵士達でてんやわんやであった。
 しかしその騒ぎの中でもひときわ騒がしく、大声で叫ぶような報告が突然飛んできた。
「オ、オルエッタ様! すぐに来てください! カルロス様がお呼びです!」
 その声にはオルエッタも、苛立っていただけの顔を驚嘆のそれに変えて飛び上がった。
「カルロス様が!? どういうこと……あの方は外に迎撃に出たはずですわ、まさか何か……!」
「敵軍との交戦で負傷された模様です! 今は基地で治療を受けておられますが……、オルエッタ様を呼べとしきりに仰っていて……」
「分かりました、すぐに参りますわ!」
 お互いに叫ぶような強い声色で言葉を交わし、その通りにオルエッタはスカートの裾を摘み上げてばたばたと走り出した。
 私はちょうど次の偵察場所の指示を受けてそこから向かおうとしていた所だった。
 しかしその予定を一旦は留めて、じりとオルエッタの動向を睨む。……カルロスが負傷した? それはズミ人としては喜ぶべき報せかもしれない。
 今まで見聞きした情報を頼りにするなら、カルロスはトレンティア軍の中でも相当に階級の高い軍人だったはずだ。それが負傷して撤退まで追い込まれたということは、ズミ軍は優勢か、悪くとも大敗を喫しているわけではないのだろう。
 そして負傷した将校がオルエッタを呼びつける理由は何だ? 二日前にも見たカルロスとオルエッタの関係から察して、単なる慰めのために妻に見舞いをさせるという意図ではないだろう。
 クラネルト家の私兵団を動員しての彼女の任務に変更が出るのか……。そこまで推測して、私は更なる情報を欲した。
 大慌てで移動していくオルエッタを、喧騒に沸く雨夜の中で隠密に尾行することも容易いだろう。
 すぐにその実行に移ったが、しかしオルエッタが向かった場所を見て私は困惑してしまった。彼女は馬車停に向かい、当然のごとく、そこから従者の引く馬車に乗って行ってしまったのだ。……自分の足で走って追いかけるのは無理がある。
 しかしただ困って立ち尽くしていてはすぐにそれを見失ってしまう、そう焦って私は、馬車亭に繋いであった馬を勝手に拝借することにした。幸い街の暴動騒ぎに追われて、普段の従業員は誰もいなかった。
 今までもロードにこき使われる中で、馬に乗って移動することは多かったのだ。私だって馬を走らせるぐらいのことはできる。
 意を決して、携行していたナイフを手に握り、私は足首まで丈のある自分のスカートの横面を、縦一線に切り裂いた。今更守るべき貞淑などとうに無い! 私は自由なのだから!
 太ももの素肌の上にまで雨粒が当たってくる、それにも構わず私はその足でスカートの布をたなびかせ、すぐに馬の背に飛び乗って走り出した。
 大急ぎで移動していく馬車はすぐに視界の中で小さくなる、それを馬で追いかける……自分で走っている時よりも一層雨粒が強く顔に当たってきて、目を開けているのもやっとだった。
 しかし馬の足は早く、目的地に辿り着くのもあっという間だ。戦闘任務に出ている兵士が大半なのだろう、その建物には普段と違って見張り兵の姿さえほとんど無い。
 オルエッタが入っていったのを確かめてから、離れた場所で馬を降りる。さすがに中まで入り込むのは難しいだろうか……とも思ったが、しかしここでただ待っていては追いかけてきた意味がない。
 考えたのは一瞬の間だけだった。空から降りしきる大雨が、ひたすらに私を鼓舞している……雨は、私を自由にしてくれる。初めて自分の足で立った、自由を知ったあの日を思い出すから。
 腰に巻き付けていた雨除けの布を体の前の方に回して垂らし、破れているスカートの隙間を覆い隠す……多少不格好だが、どうせズミ人の服装なんてトレンティア兵はほとんど気にしない。そしてその正面の入口から建物の中へずんずんと乗り込んだ。
 中へ入ると、慌ただしく動いている兵士の姿が複数ある。突然入ってきたズミ人の女にぎょっとしたようだが、私は必死の表情で騒ぎ立てた。
「わたくしはオルエッタ・カディアル様の従者です! ここへ来るようにと言いつけられました! 通してくださいませ!」
 そう訴えると、幸いにして期待通りに兵士は頷き、すぐに私から関心を失って自分の仕事に戻っていった。
 ……クラネルト家の者がズミの現地人を好んで雇っていることは、トレンティア兵達にもよく知られたことなのだ。なにせ、今はそのズミ人で構成された私兵団をカルロスの認可の元で作戦に使ってさえいる。
 その建物は、もともとズミ人の商会か何かだったのを利用しているものなのだろう、造りだけを見れば軍事基地という風情ではない。
 オルエッタの姿は既に見えなかったが、もののついでに近くの兵士から聞き出して奥へと進んだ。
 しかし狭い廊下を挟んでいくつもある部屋のうちの一つに彼女は入ったらしい……さすがに部屋の中まで堂々と踏み込んでもつまみ出されるだけだろう、どうにか壁越しに中の様子が分かりはしないだろうか……、自由に任せて頭を捻るが、壁の向こうを見通す技術は思い浮かばなかった。
 仕方ない、一度出直して外から忍び込む場所を探すか……なんて考え始めた頃、ふいに目の前の扉が開いてしまった。あっと驚いている間もなく、奥から出てきた見知らぬ兵士とばちりと目が合う。
「な、なんだ、お前は!? なぜこんなところにズミ人が!」
 兵士は驚いて声を上げた……ここでは従者設定は叫べない……扉の奥にいるだろうオルエッタ達に聞こえてしまうだろうから。
 しかし他に上手く躱す方法も思い付かなかった。……さすがに調子に乗りすぎたか、なんて冷えた思考と共にさっと血の気が引いていくのを感じた。
「何ですって? ズミ人が?」
 兵士の声を聞いて、よりによってオルエッタが反応してしまった。……これはもう、逃げられそうにない。
 すぐに兵士の向こう側からオルエッタが歩いてきて、私の顔を睨みつけて険悪な表情を浮かべた。
「なんであなたがここにいるの!? ああもう、とにかく来なさい!」
 そう苛立った声で言って、私の腕を掴んで引っ張ってくる。彼女の細い腕を振り払うことはできるだろうが、周辺にはトレンティア兵が多くうろついている、そこから逃げ出すのは得策ではないだろう。私は為す術なくオルエッタに捕まるしかなかった。
 連れ込まれた部屋の中はどうやら救護室らしい……等間隔にベッドが十ほども並べられ、他の兵士と違って鎧を着ていない――治療師なのだろうトレンティア人が何人か、回復魔術の魔法陣を弄って動き回っている。
 そしてそのベッドのうちの一つに、治療のために裸にされたカルロスが確かに倒れていた。
 腹から腰にかけては上に布を被せられているが、目を引いたのはその足……、膝から下に、細く穴を開けられたような断裂の痕がいくつも、生々しく見えている。
 しかし上半身は無傷らしく、両腕を後ろについて自身の体を支えながら、腰から上をがばりと起こしてこちらを睨んできた。そこに浮かんだ表情は緊張と戦意に張り詰めた、紛うことなく戦場の兵士そのものだった。
「カルロス様! 起きて大丈夫ですの!?」
 私の腕をむずと掴んで引っ張りながらも、オルエッタが強張った声を上げて、カルロスのベッドの脇へと駆け寄った。
「怪我は足だけだ、早く処置をしろ! 俺はすぐに戦線に復帰しなきゃならん! 応急処置はもう済んでるから包帯で巻くだけでいい!」
 カルロスもどうやら余裕はないらしい。私の存在について口出しするよりも早く、そう怒鳴り声を上げた。
「それから状況の報告を! こちらの被害はどれほど確認できている!? ズミ軍の動向も分かる限り全て教えろ! 城門はまだ破られてないな!? 早く連絡兵を寄越せ!」
 矢継ぎ早に怒鳴り散らすその迫力から、まだ戦場の興奮が全く引いていないことがありありと分かった。
 命令を受けて走り回り始める兵士の足音が、更にその場の緊張を高めていくようだ……その時、部屋の中には確かに戦争の空気が充満していた。
 すぐに衛生兵が包帯を手に持ってすっ飛んでくる。彼もカルロスの気迫が怖いのだろう、すぐ近くで立ち尽くしている私などに注意を向ける余裕もないようだった。ただ慌てふためいた様子でカルロスのふくらはぎに包帯を巻く作業に取り掛かっている。
 手負いながらに、戦意を火の粉のように撒き散らしているカルロスの迫力を前には、オルエッタも愕然とした表情で固まっていた。
 それをカルロスは同じ顔で睨みつけ、しかし今度は怒鳴ることなく、押し殺すような声で言う。
「リナ、お前は第四作戦の準備をしろ」
「だ、第四ですって!? 嘘でしょう、そんな気配はまだ……」
 オルエッタは更にぎょっとしたようだ。
 彼らが話す作戦とやらはもちろん私には分からない……捕らえられたまま、私は奇妙に無視をされてその場に取り残されていた。
「まだ準備だけだ。武器庫の近くに民衆を誘導して閉じ込めておけ。いつでも作戦を始められるようにな」
 カルロスはよほど余裕がないのか、私が聞いている目の前で作戦の内容まで喋り始めた。
 オルエッタもそれには驚いたらしく、慌てた顔でカルロスと私の顔とを交互に見たが、やはりカルロスは全く気にもしていない……まるで私などその場にいないかのように言葉を続ける。
「決行の合図は俺かロードがする。西側の空をよく見ておけ。おい衛生兵! 早く巻け! まだか!」
 そして自分の足元に屈み込んでせっせと包帯を巻いている衛生兵にまた怒鳴った。
 包帯を巻かせるために両膝を立てた姿勢で、腰にかけていた布も下腹のとこまでずり落ちて太ももの素肌まで丸見えの状態だが……全く気にする様子はなさそうだ。
 少し視線を低くすればその奥の尻までしっかり見えてしまいそうだ、なんて助平心を起こしている余裕も今はないが……。
「い、いけませんカルロス殿。この傷の深さでは……応急処置はしたとはいえ、痛みもすぐに出てきます。戦線に復帰どころか歩くこともできません!」
 衛生兵は強張った顔ながらにそう必死で訴えた。カルロスの剣幕にたじろいでいる様子ではあったが、さすがに患者への指示も彼の任務だ、怠るわけにもいかないのだろう。
 しかしやっぱりカルロスは猛々しいまでの気迫を全く弱めなかった。
「馬を蹴られればそれでいい! 俺の服どこだ! 鎧はもういらん、軍服だけ持って来い! あと馬の準備も! 早く! 連絡兵は!?」
 そして包帯を巻き終わったのを確かめると、腰の上にかかっていた布切れを自ら放り投げ、私が覗き込むまでもなく全裸を曝け出して暴れ始めた。
 慌てて衛生兵が彼の衣服を取りに部屋の脇の棚の元まで駆けていく。
 全く落ち着く気配のないカルロスを前にして、オルエッタも私と揃ったように立ち尽くしてしまっていた。
 彼と言葉を交わすことも諦めたのか、その時やっとオルエッタが私を再び睨んできた。何となしに私もそちらを振り向く。
「それで、どうしてあなたがここにいるんですの? わたくしを尾けてきたのですよね?」
 ぎろりと睨む目には限りなく敵意に近いものが浮かんでいる。私は頬を引きつらせるようにして、不敵に笑うことぐらいしかできなかった。
「まったく……優秀な密偵だというのはどうやら本当のようですね。やはり生かしておくのは危ないかしら……?」
 そしてすうと目を細め、冷めた鋭い視線で刺してくる。私はまだ、何も答えられない。
 これが男だったなら色仕掛けで挑むこともできたかもしれないが、どうにもこの隙の少ない女相手ではやりづらい……どう出るべきかが分からなかった。
 そうして炙られるような沈黙に立っている中、しかし予想外に突然割り込んでくる声があった。
「おい待てリナ、お前ここまではどうやって……馬車で来たんじゃないのか?」
 兵士が持ってきた服をせっせと身に付けながら、カルロスがぎろりと鋭い視線を向けてきていた。驚いてそちらを振り向いたのは私もオルエッタも同じだ。
「え、ええ、そうですけど……」
 たじろぐようにオルエッタが答える。カルロスは重たく暗い目で私を見つめていた。
「それを尾けた? ってことは馬でか? お前、女のくせに馬に乗れるのか」
 どうやら彼も頭の回転は早いらしい……その予想は当たっていたが……、しかし、何故そんなことを聞くのかは分からなかった。
「そうだけど……、それがどうしたのよ」
 やっと私は口を開いてそう返事をした。下手をすればこのまま殺されるかもしれない……そんな緊張の中で、どうしても声も強張ってしまう。
 しかしカルロスの調子は変わらなかった。
「よし、ちょうどいい。お前俺と一緒に来い。馬の操縦をしろ」
 忙しなくそう指示をしてくるのを聞いて、私もオルエッタもやっぱり愕然としてすぐに答えられなかった。
 ……何だって? 馬の操縦? しかしカルロスは当然のごとく私の返事など待ちはしない。
「おい! 馬だ! 早く持って来いって! ええと、ああ、ティタンをだ! 防具を軽くして二人乗り用の鞍つけろ!」
 また部下に怒鳴って命令し始める。素早く服を着、既に包帯を巻いた足も軍靴の中に隠れていた。
 そしてベッドの上に座り込んでいた状態から躊躇いなく床の上に立とうとする。足に体重をかけるとさすがに傷が痛むのか、途端に苦しげに呻き声を上げてふらついた。それは咄嗟にオルエッタが支えたようだ。
 その妻の肩に寄り掛かりながらカルロスは立ち、痛みを噛み殺した顔で、しかし少しも気迫を弱めはしない。
 その時、鎧を着たトレンティア兵が扉を開けて飛び込んできた。
「カルロス殿! 報告……、うわっ!?」
 何かを叫ぶように報告をしようとしたようだが、私とオルエッタの姿を見てつんのめるように言葉を詰まらせた。
 なぜここに女などがいるんだと、混乱した顔が言葉にせずとも訴えている。カルロスはなおも、構わない。
「この女達は俺の部下だ! 構うな、早く報告!」
 その切迫した様子の怒鳴り声に追い立てられて、兵士は目を白黒させながら報告をするしかなかったようだ。
「じ、城門はまだ破られていません! 敵本隊とは依然壁外で激突中、こちらの被害はまだ大きくありませんが敵の勢いも思いのほか強く、雨が強まったせいで範囲魔法も効きづらく、前線は膠着している模様です! 敵の魔剣士はロード殿が食い止めており、併せてレインの魔術で広範囲に迎撃体勢を張り、有り体に言えば敵全軍を相手どってロード殿が一人で戦っているような……そういう状況です」
 その報告の言葉は、びりと肌を震わせるような重みを持って私の耳にも届く。ロードが……一人でズミ軍の全部を相手取っている……?
 そんな人間離れした所業が可能なのか、この大雨に包まれた戦場は、既に彼の独壇場だとでも言うのか。
「なんだそれは、ロードがやられたら終わるじゃないか! 相手の魔剣士は倒せてないのか!? 勝てるのかそれ!」
 カルロスは喚くように兵士を責め立てる。言われた兵士はただ困惑を強めて目を回すだけだ。
「わ、分かりません。レインの魔術が激しすぎて近付くことも叶わず……」
「くそっ、とりあえず分かった……俺はもう出る! 肩貸せ!」
 カルロスは寄り掛かる相手をオルエッタから困惑している兵士に変え、すぐにオルエッタの方を振り向いた。
「リナ、お前もすぐ準備にかかってくれ」
 再度カルロスに言いつけられ、オルエッタはびしりと背筋を伸ばした。
 ずっと圧倒されるままだった彼女も、そこでやっときりと視線を強めてカルロスを睨みつける。
「ど……、どういうことですの、カルロス様! 本当に第四作戦なのですか!?」
 カルロスも負けじと激しい剣幕を浮かべてオルエッタを睨み返した。二人の間にある空気は、夫婦と言うにはあまりにも激しい……。
「間違いなく第四だ! 今説明している時間はない! 俺を信じろ!」
 しかしそれは決して険悪なものでも、なかった。
 力強く言い切ったカルロスに対し、オルエッタも決意を固めた様子で、その表情に込めた力を強めた。
「分かりましたわ。ご武運を」
 そうひと言だけ言って、オルエッタはまた颯爽とした仕草で歩き出し、部屋の外へと出ていった。カルロスも寄り掛かっている兵士を急かして歩き出した。
「行くぞティファ! ついてこい!」
 その足取りは怪我のためによろめいているが、それでもやっぱり気迫は強い。その声に引かれて、私は何が何やら分からないままその後に続いた。
「な、何を考えているのよ? 行くってどこに……」
 やっとそう尋ねたが、落ち着いた説明が返ってくるとは最初から期待できなかった。
「うるさい、殺されたくなければ黙って言う事を聞け!」
 そう怒鳴られて私は返事もできなくなってしまった。
 軍の高官というのはそういうものなのだろうか……つくづく、なんて強引で乱暴な男なのだろう。一人で歩くこともままならない怪我で戦場に出て、しかもこんな女を連れて一体何をするつもりだと言うのだろう。
 建物から出ると、既に見るからに逞しい体つきの軍馬が入口に用意されていた。大雨に打たれて不機嫌そうだが、当然カルロスは馬の機嫌にも気を払いはしない。
「乗せてくれ」
 鞍にしがみついて上半身だけでその背中に乗り上げようとするので、慌てて脇の兵士がそれを引っ張ったり下から押したりしてなんとか彼をその背の上に持ち上げる。
 一人では難しい様子だったので、仕方なく私も馬の反対側から彼の足を引っ張って跨がらせるのを手伝った。
 そうして部下に介助されてようやく馬の背に這い上がる彼は、騎士というにはあまりにも不格好だ。それでもその目に燃えた戦意は何一つ曇りもなくて、奇妙なことに、その姿はどこか気高くさえあった。
 そして馬の上に跨った状態で、しかし足は鐙から外してぶらりと空に遊ばせ、私に手を差し出してきた。
「お前も早く乗れ、俺の後ろだ」
 ……馬の操縦をしろ、なんて確かに言っていたが、本気なのか。私はただ目を白黒させてをそれを見上げる。
 なぜ私なんだ、そこに部下の兵士がいるじゃないか。足の怪我のために介助者が必要だとしても、わざわざズミ人の女などにそれをさせる意図はやっぱり分からない。
 しかし黙って言う事を聞かないと殺すとまで言われているのだ、口答えできる状況にはない。
 彼がまた怒り出す前にと焦って、私はすぐに腰に垂らしていた布を背中側に回し、鐙に足をかけた。差し出してきたカルロスの手を掴み、切り裂いたスカートの隙間から素足を翻してその上に跨る。
 今更カルロスも私の足になど微塵も関心はなさそうだ。傍らにいたトレンティア兵はぎょっと目を剥いているような様子だったが、やっぱり構っていられる状況でもない。
 カルロスの背中にぴたりとくっついて跨り、手綱を握らされて姿勢を整えた。
「それでどこ行くのよ。あと前見えないからちょっと屈んで」
 そう言うとカルロスは怒ることもなく頭を下げ、馬の首に這うような姿勢になって端的に答える。
「北西の門から壁の外に出る。急げ!」
「壁の外って……ええ!?」
 思わず私は素っ頓狂な声を上げたが、明らかに急いでいるカルロスを前に、問答をしている余裕もないだろう。とにかく馬の腹を蹴って走り出した。
 カルロスを介助していたトレンティア兵は唖然としてその場に立ち尽くしたまま取り残されていった。
 言われるがままに北西の門を目指して街道を駆けるが……壁の外ではズミ軍とトレンティア軍が激突しているという話ではないか。
 戦線に復帰する、と息巻いていたカルロスがそこへ向かうのは当然だったかもしれないが、戦う力を持たない私などからすればたまったものじゃない。
「壁の外になんか連れてってどうするつもりなのよ!? なんでわたし!?」
 走りながら、また怒鳴られる気はしたが、思わず不平を叫んでいた。吹き付けてくる雨風を体に浴びていると私も少し気が強くなる。
 しかし興奮しっぱなしなのは相手も同じだ。
「ズミ軍に合流するんだよ! トレンティア兵を連れて行くわけにいかんだろうが!」
「ズミ軍に……ええ!? なんて!?」
「やかましい! 説明は後だ、とにかく急げ! ロードの野郎をぶん殴ってでも止めるぞ!」
 強い雨の中で怒鳴り合う声は全く会話を成していなかった。
 なぜカルロスがズミ軍に合流するのか、なぜロードをぶん殴るのか、状況はさっぱり分からないが、考えたところで仕方がないしその余裕もない。
 今はただ、この荒れ狂う雨に身を任せて……この戦いを走り抜けなければいけない。強まっていく雨音とカルロスから伝播してくる熱に煽られて、既に私は無敵ですらあった。
 傷付くことも、死ぬかもしれないという思考さえ何も怖くはない。私は、自由だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

最弱パーティのナイト・ガイ

フランジュ
ファンタジー
"ファンタジー × バトル × サスペンス" 数百年前、六大英雄と呼ばれる強者達の戦いによって魔王は倒された。 だが魔王の置き土産とも言うべき魔物達は今もなお生き続ける。 ガイ・ガラードと妹のメイアは行方不明になっている兄を探すため旅に出た。 そんな中、ガイはある青年と出会う。 青年の名はクロード。 それは六大英雄の一人と同じ名前だった。 魔王が倒されたはずの世界は、なぜか平和ではない。 このクロードの出会いによって"世界の真実"と"六大英雄"の秘密が明かされていく。 ある章のラストから急激に展開が一変する考察型ファンタジー。

時き継幻想フララジカ

日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。 なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。 銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。 時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。 【概要】 主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。 現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~

ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。 玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。 「きゅう、痩せたか?それに元気もない」 ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。 だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。 「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」 この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...