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第十三章 戦いの終わり
159話 繋がっているもの
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会議の後の食事の会場は、今度は温泉というわけではなく基地の建物の中だった。格式も……温泉ほど砕けてはないが、一応は私的な時間という扱いになるらしい。
「急なことだから、そんな頑張らなくていい。毒が入ってなけりゃなんでもいいから。ゆっくりでいいし」
そんな言葉を添えてパウルは部下に料理の準備を言いつけていた。そうは言ったって王族同士の食事だ、部下達は緊張して張り切ってしまうことだろう……少し不憫だった。
部屋には僕達四人と、あとは僕の護衛騎士ジルが置き物みたいになって壁に張り付いているほか、二人ほどのトレンティア兵が給仕のために控えているだけだ。
急に言いつけたからすぐに料理は出てこないが、それを待っている間にも僕達はゆるりと談笑をすることになる……。
しかし真っ先に口を開いたのはカルロスだった。
「ついでと言ってはなんですがアルティーヴァ陛下、実は頼みたいことがありましてね。いえ、きわめて個人的な用事です」
そんなことを言い出すのは本当に個人的なことなのだろう。パウルもクラウスも不思議そうに彼を振り向いた。
「ティファという女をご存知でしょう。サダナムの戦闘中、何やら妻の部下の中に潜り込んでましてね……、成り行きで仕事を手伝わせたんですが」
突然出てきたその女の名前は、僕には随分と懐かしく感じられた。クスダンで別れて以来見ていなかったが……。
それにはパウルも思い出したように呑気な声を上げた。
「ああ、そういえばロードをぶん殴った時になんかいたな。あの女の神出鬼没もここまで極まるかと私もたまげたよ」
「ええ、それがもう娼婦は嫌になったとか言ってぶらぶらしてましてね」
「なんだそれは。だけどあいつ家族もみんな死んだって……身寄りなんてロードぐらいしかいないんじゃないか?」
「ええ、そのロードとも縁を切ったとか何とかで、私が見つけた時は食うにも困って乞食になってましてねえ」
気の抜けた声で言うカルロスに、僕もパウルも思わず眉をひそめた。
「なんだ、とうとう痴話喧嘩を起こしたのか。いやそれにしても乞食になってるってのは酷い話だな」
「まったくですよ、一度自分の女にしたのなら生活の面倒ぐらい見やがれってもんです。俺はあの野郎とは違って情け深いたちなんでね、雇ってやろうかとも思ったんですが、もう娼婦はやりたくないって言うんで何か他の仕事をあてがってやりたいんですよ。俺達はもうトレンティアに行っちまうんで、何か陛下からズミでの仕事を見つけてやれませんか」
変わらない調子で言うカルロスに、思わず一同はじっとりとした視線を向けた。そのティファを……こともあろうに戦闘中の盾にして死なせようとした男も、自認としては情け深いたちらしい。
まあ確かに、食いっぱぐれている彼女に仕事を与えたい、なんて言うのは情け深いと言えるのかもしれない。もしかすると彼なりの罪滅ぼしのつもりがあったりするのか……本心からのことだとしたら、見かけによらず情け深い。
それにカルロスがどうであれ、ティファは確かに僕達と協力関係にあったレジスタンスの女だ、それが乞食になっているというのなら僕とて助けてやるのはやぶさかではない。
「まあ、とりあえず分かった。これから僕はラズミルに帰るし、一緒に連れて行って何か仕事を探させよう。サダナムはまだ復興途上だから女が就ける仕事も少ないだろう」
そう答えると、カルロスは何の感動もなさそうに、変わらず無気力な顔でだらりと頭を下げた。
「感謝します。一応私の仕事を手伝った功績ということで少しは金を持たせましたが……」
それにはパウルも横からぼんやりと口を挟む。
「功績と言えば、ナートを陥落させられたのもひとえにあいつの仕事のおかげだからな……、私からも礼をしないといけなかったな」
「はあ?」
カルロスはそこで初めて顔色を変えた。気の抜けたような驚いたような、いや、どうにもその額に血管が浮いている。何やら声も凄み始めた。
「あのクソの如き屈辱の戦い……あの女が一枚噛んでたんです?」
その気迫は……やっぱり到底主人に向けるものではない。パウルもどこか青ざめた顔で目を泳がせ始めた。
「お、怒るなよ。あの時お前は敵方にいたんだからしょうがないだろ……」
「ええ、結果良ければ全て良しと言いますからねえ、怒ってなんかいませんよ……。まあしかし気に入りませんねえ……、あの女、やっぱり俺の元でもう一回ぐらい躾けてやるか……」
そんなことを激しい怒りの形相で呟き始めたのには、クラウスが同じような顔になって声を荒げた。
「口を慎まないかカルロス! 何度言えば分かる、それが主君に対する態度か!?」
「あなたは相変わらずうるさいですね。俺はもともと自由騎士なんですよ、それがあなたがトンズラこくから、代わりにこんな役目を負わされたんでしょうが。態度を改めてほしけりゃ真っ先にあんたが俺に頭を下げるのが筋ってモンでしょう?」
「ふざけたことを抜かすな! それ以上無駄口を叩くようならその口、魔剣の刃で縫い付けてやろうか!」
ぎゃんぎゃんと吠え始めた二匹を、しかし飼い主であるパウルは呆れた表情で眺めていた。
「いつものことなんだ。もう手に負えん」
そうぼやいたのを聞いたのだろう、兄弟はぎっと怒りの表情を浮かべたまま、しかしさすがに主君の目を気にしてそこから黙り始めた。
僕も呆れて肩を落とした。
「トレンティアでの戦いは……フォス・カディアル家が指揮を執ると言っていたよな。この二人が主戦力になるんだろう。こんな調子で大丈夫なのか」
「カルロスも……態度に難はあるがサダナムの仕事ぶりを見ていれば信用はできる。ぎゃんぎゃん言いながらお互い仕事はしっかりしてくれると信じてるよ。まあ、母親がいると大人しくなるから、困ったらエレアノールを戦場にだな……」
そんなことを言うのは嫌味というものだろう……途端に顔を青くした二匹に、パウルはまた荒っぽくため息をついた。
それにしても、どう見ても悪いのはカルロスの態度なのに、そんなことで大事な女性を巻き込まれるクラウスが気の毒だ……いや、母を守るためならこの兄弟も一致団結するのだろうか……。
兄弟喧嘩を眺めている間に、少しずつ料理が運ばれ始めた。準備ができたものから出しているのだろう、まずはパン、果物、野菜を盛った皿が並んでいく。
一緒に出てきた血のように赤い酒はグラスに注がれ、それは食卓に向かった各々の前にひとつずつ置かれた。
「神聖なるトレントの名のもとに、気高き騎士の武運を祈って」
パウルがそう言って酒を入れたグラスを空に掲げるのはトレンティアの作法なのだろう。クラウスとカルロスもそれに倣うので、僕も見様見真似でグラスを手に持つだけは付き合ってやった。
カルロスという邪魔者はいるものの、これは僕やパウルとさえ離れて戦場へ向かうというクラウスへの餞別である。
「クラウス、お前ともしばらくの別れになるか。……よく剣の稽古をつけてくれて、ありがたかった。礼を言う……」
僕がそう話を切り出す。クラウスは酒を一口だけ飲んでから、ふっと微笑んだ。
「お心遣いを……ありがたく思います。あなた様がトレンティアの王家をお継ぎにならないことが個人的には残念ですが……短い間でも、あなた様にお仕えできたことは身に余る幸福でした」
そんな仰々しい社交辞令を滑らかに言って見せるのは、やっぱりなんだかんだ貴族の育ちなんだな、なんてぼんやりと思う。幸福、なんて言葉をそんな簡単に口にできる感覚が羨ましくさえある。
「もうヨハン様、などと気軽にお呼びできないのも寂しく感じますよ。あなたと交えた剣は、本当に……幸せでした……」
そして噛み締めるように言うのだ。……剣の話を持ち出されると確信してしまう。ああ、本当なんだな、と。真剣での命のやりとりを愉しむ彼は、僕などとは比べようもないほど、血の気の多い獣だ。
その迫力には気圧されるばかりだったが、まあ……少なくとも練習で手合わせをしている時間は、僕も楽しかった。
最初は様をつけて呼ばれることにさえ戸惑いがあったのに、今となっては“陛下”だ、確かにヨハン様、なんて呼び名も今となっては懐かしくさえ感じる。
「駄目ですね、これからも戦いの日々が続くというのに辛気臭くなってしまっては。陛下もそんな顔をなさらないでください。別に今生の別れというわけではないのですから。生きていればまた会えますよ」
少しだけ切なそうに笑いながらクラウスは言う。
「……生きていられるかどうかが分からないのが戦争というものだろう」
そう答えた声は思わず不機嫌な声色になった。しかしクラウスは、今度は力強く不敵に笑う。
「私は負けませんよ。神聖なるトレントと、父の名に誓って」
勇猛に言い切る騎士の言葉は……その真っ直ぐな決意の色は、ただ気高かった。
そして彼は騎士とし何よりも重んじて仕えた……その主人とさえこれから別れていくというのだ。
「こう改めて餞別と言うと私も少し物悲しくなるよ。本当に今までよく仕えてくれてありがとう、ジャック」
パウルもそう優雅に笑って酒を飲んだ。クラウスは穏やかに笑いながら頷く。
「やめてくださいよ殿下まで。これからもお仕えしますよ。ただほんの一時だけ、別の任務に当たるだけです。差し出がましいことを申しますが、私がいないからと言ってあまり羽目を外されないよう……」
「ああ、小うるさい従者がいないうちにたっぷり羽を伸ばすことにしよう」
パウルはそう皮肉って笑う。クラウスも一瞬だけ呆れた顔をしたが、すぐに仕方なさそうに笑った。そうしているうちに次第に卓上に並ぶ料理も増えてきた。
野菜をミルクで煮込んだスープと、燻製肉を切って並べて上から野菜を散らした料理は、見た目にも華やかだ。
それと同時に入ってきた兵士が何やらカルロスに小声で報告をした。彼は軽く頷いてからパウルを振り向く。
「殿下、ちょうど新しくお仕えする小うるさい従者が到着したようで。せっかくですから食事を一緒に」
そんなことを言うので一同はカルロスを振り向いた。そういえば食事に行こうと言い出した時にそんなことを言っていた気がする。クラウスの代わりに入るというパウルの護衛騎士が何とか……。
その話は当然クラウスも知っているところだったのだろうか、何やらクラウスの表情が、その瞬間にあからさまに曇った。パウルは呑気な顔で首を傾げる。
「ああ……、なんか言ってたな。私はまだサダナムに残るんだ、警護なんてグリスだけで十分だと思うけどな」
「まあそれはそうでしょうけど、一応王太子の体面としてですね……グリスでは騎士とは名乗れませんから」
クラウスが曇った表情のまま言った。どうにも彼は渋そうだ……また仲の悪い者なのだろうか。
すぐにカルロスの部下によって案内され、その騎士は重い扉をくぐってきた……その姿を見て、僕もパウルも目を丸くした。
それは僕よりも頭ひとつ分ほども背の低い……金髪の、少年。
トレンティアの貴族らしい、美しい装飾の入った軍服に身を包み、腰には小ぶりの剣を挿してもいるが……その顔立ちも幼く、見るからに張り詰めた様子で僕達の姿を捉えていた。
彼は部屋に入るなり立ち止まって、しかし緊張のあまりなのか何も言わずに固まっていた。その目と唇とが見るうちに大きく見開かれ、やがて震えた声を上げる。
「父上……」
そう、呟いた。その眼差しの先に座っていた男は、しかし荒っぽくため息をつく。
「私語は慎め。イグノール殿下、アルティーヴァ陛下の御前だぞ。まず名乗り!」
クラウスは苛立ったような声で少年を叱りつける。僕もすぐに、彼が何者なのかは察せてしまえた。
少年はびくりとして肩を竦め、慌てて片手を胸に当てて敬礼の姿勢をとった。
「し、失礼しました。ロイ・ハルク・フォス・カディアルです。本日より、イグノール殿下の護衛騎士を務めさせていただきます!」
そう堂々と名乗った声も、緊張の裏返しなのかやたらと気合の入った大声だった。その可愛らしい気迫には思わず頬が緩む……。
パウルも驚いていた顔をすぐにだらしなく笑みに変えて、楽しそうに足を組んだ。
「そう堅苦しくするなよ、今はいたって私的な食事の時間だ。ジャック、お前の息子か?」
クラウスが渋い顔をするわけだ。確か家族とはもう二度と会わない覚悟で捨ててきた、という話だったが……既にクラウスもフォス・カディアル家の当主として正式に復帰しているのだ。家族との絶縁も解けた、ということだろう。
「ええ、まあ。今やフォス・カディアル家は一族郎党纏めてギルバートに宣戦を表明しています。ベルタスに置いておくわけにもいかなくてですね……」
仕方なさそうに言うクラウスをよそに、パウルは上機嫌そうだ。料理から手を離して椅子から立ち上がり、その少年騎士に向かってとゆったりと両手を差し向けた。
「パウル・イグノール・トレント・エルフィンズだ。始めまして、ロイ・ハルク。貴殿のごとき頼もしい騎士に護られるとは、私も心強いばかりだよ。神聖なるトレントと勇猛なるフォスの盟約に心より感謝を」
パウルが放つ、優雅な王の威厳を前に、ハルクは余計に緊張したようだ。見るからに混乱して、慌ててその場に跪いてしまった。
「見ての通り不出来な者ですので、護衛騎士どころかご面倒をかけるばかりかとは存じますが……すみませんが少しの間、付き合ってやってください」
クラウスもパウルに合わせて立ち上がり、その小さな息子の背中を見下ろして言った。
カルロスは机を挟んだ正面で相変わらず肉を口に運びながらからからと笑う。
「久しぶりに会う息子だと言うのに冷たいもんですね。あなたが勝手にトンズラこいた後、彼がベルタスでどれほど肩身の狭く寂しい思いをしたことか、少しぐらい想像してやりなさいよ」
カルロスにそんな嫌味を言われ、案の定クラウスはまた暗い顔に怒りを露わにする。
「甘えたことを言うな。フォス・カディアルの騎士なら他の何を差し置いてでも主君に身命を賭するべきだ……それはこいつも同じことだ。騎士を名乗るのなら重々に理解しろ」
その言葉は重く、確かに騎士としての気高い魂がこもっていたのだろう。それを他でもない父の口から受け止めて、小さな騎士ハルクはただ静かに主君へ跪いている。
しかし当の主君は呆れた顔になってため息をついた。
「そうは言ったって久しぶりに会う息子なんだろ。今までは家を裏切ってる状態だったんだ、ロイも酷く心細い思いをしただろう、少しぐらい慰めてやれよ」
パウルにそんな小言を言われ、途端にクラウスは苦しげに眉を寄せた。それにはハルクも驚いたように顔を上げた。
もののついでに、椅子の上から僕も口を挟んでやる。
「そうだぞクラウス。親に捨てられた子が……どんな思いをして過ごすことになることか……分かっているのか」
それはいつか、彼が家族を捨てたなどと言い切った時に言いたかった小言だった。
何やら身につまされたらしいパウルまで合わせて渋い顔になったが、クラウスも僕にまで言われてはさすがにバツが悪いらしい。仕方なさそうにため息をついた。
パウルは跪いたハルクの元に屈みこんでまで少年の手を取り、彼を立ち上がらせる。そしてその手をクラウスの方へ差し向けて、ほら、なんて小さく促した。
クラウスはすうと表情を消して、ぎこちなくその両手を広げた。その父の胸に、少年は耐えきれない様子で、迷いなく飛びついた。
「父上……!」
そう叫んだ声には涙が滲んでいた。クラウスは膝をついて彼に目線の高さを合わせ、その体をしかと抱きしめる……。
「見ない内に……背が伸びたな」
「はい……まだ、伸びます。俺も父上のように強くなります」
「訓練は怠っていないか? 将来は魔剣士になるんだ、魔道の研鑽も欠かすなよ」
「はい……はい。学校には……しばらく行けていませんでした、けど、家でも勉強をしていました。叔父上が稽古をつけてくださいました。もう、血門術だって使えます」
「そうか……マリナに……母に変わりはなかったか?」
「はい、母上もお元気で……今はシドリンにおられます。リオンも一緒です」
「リオンと喧嘩はしていないか」
「……リオンと喧嘩は、いっぱいしてます……すみません」
「馬鹿者が……」
ぽつりぽつりと言葉を交わす父と子を、パウルも僕も、カルロスも今は黙って眺めていた。
この戦争のさなかだ、家族と引き裂かれた境遇の者は僕だけじゃない、それはありふれた悲劇だ。しかしその中にはこうして再会を果たす家族もいる。
ズミ人とトレンティア人、どちらがどれほど苦しい思いをしているかなんて比べるようなことじゃない、そのひとつひとつが、きっとそれぞれにかけがえがないものなのだ。
涙ながらに父に縋り付く少年を見ていると、なんだかそんなことを思った。
まだ戦争は続く、けど、まあ……一時の涙に辛気臭くなるぐらいは許されたっていいだろう。
パウルはひと目ですっかりハルクを気に入ったらしく、その後の食事はずっと彼を隣に座らせてうきうきと眺めていた。
僕も同席した成り行きでハルクと挨拶はしたものの、異国の地で見知らぬ王族に囲まれたハルクはすっかり緊張しきっていて節々を強張らせていた。
そんな様もまた余計に微笑ましくて眺めてしまう……すっかりその会食の主役は小さな騎士だった。
順番に出てくる料理を五人でめいめいに腹に収め、ゆっくりと時間をかけた会食がお開きになるのは、もう夕刻に近い時間だった。
存外に時間をとってしまった分、今日は執務室に帰ってからの仕事は夜中までかかりそうだ……なんて憂鬱な思いを懐きながらも、クラウス達との貴重な時間はしっかり噛み締めておく。
会議で決まった以上、僕は急いで仕事を整えてラズミルに戻ることになる。イグノール軍への援軍の準備はとにかく早く進めなければならない……サダナムの復興処理に当たっては、心苦しいが現地の駐在兵達にほとんど任せることとなるだろう。
パウルはサダナムに……まだズミの国内には残ると言うが、ラズミルに戻る僕とはこちらも一旦の別れを告げることとなる。
お互いに役目があるのだ、離れた場所でそれぞれの仕事に当たるのも当然の成り行きだろうが、サダナムに来る前は同じ砦の中で寝泊まりしていたのだ。それと比べるとやっぱり距離の遠さは感じてしまう。
これからの戦いにも改めて気合いを入れて、なんて思って、僕は別れ際にパウルと向き直った。
「それじゃあ僕はラズミルに戻るから……次に会うのはトレンティアへの進軍の時かもしれない」
「ああ、忙しいのは変わらないだろうが、せっかく王都に帰るんだ、ジュリとの時間もしっかり大事にしろよ。教官長にもよろしく」
そんな挨拶を交わして……僕は胸に引っかかる思いを、その時ふと口に、する気になってしまった。
「一度だけ……」
そう呟いた僕を振り向いて、パウルは何気ない顔で目を瞬かせる。
「ん?」
「いつか……一度だけでいいから呼んでみろって言ってたよな」
「はい?」
パウルは何の話か分からないようで首を傾げた。できるだけさりげなく……なんて思ったけど、さすがにそうはいかないようだ。だけど言いかけたからにはと、僕は、最後までそれを言う。
「……お元気で、父上」
投げつけるように言ったその言葉を、パウルは耳に入れて、面食らったように目を丸くして……そこまで見届けて僕はすぐに視線を逸らして歩き出した。
「えっ……ちょ、もう一回! もう一回だけ……ヨハン!」
後ろから慌てふためいた間抜けな声が届いたが、僕はもう振り返らない。
「急なことだから、そんな頑張らなくていい。毒が入ってなけりゃなんでもいいから。ゆっくりでいいし」
そんな言葉を添えてパウルは部下に料理の準備を言いつけていた。そうは言ったって王族同士の食事だ、部下達は緊張して張り切ってしまうことだろう……少し不憫だった。
部屋には僕達四人と、あとは僕の護衛騎士ジルが置き物みたいになって壁に張り付いているほか、二人ほどのトレンティア兵が給仕のために控えているだけだ。
急に言いつけたからすぐに料理は出てこないが、それを待っている間にも僕達はゆるりと談笑をすることになる……。
しかし真っ先に口を開いたのはカルロスだった。
「ついでと言ってはなんですがアルティーヴァ陛下、実は頼みたいことがありましてね。いえ、きわめて個人的な用事です」
そんなことを言い出すのは本当に個人的なことなのだろう。パウルもクラウスも不思議そうに彼を振り向いた。
「ティファという女をご存知でしょう。サダナムの戦闘中、何やら妻の部下の中に潜り込んでましてね……、成り行きで仕事を手伝わせたんですが」
突然出てきたその女の名前は、僕には随分と懐かしく感じられた。クスダンで別れて以来見ていなかったが……。
それにはパウルも思い出したように呑気な声を上げた。
「ああ、そういえばロードをぶん殴った時になんかいたな。あの女の神出鬼没もここまで極まるかと私もたまげたよ」
「ええ、それがもう娼婦は嫌になったとか言ってぶらぶらしてましてね」
「なんだそれは。だけどあいつ家族もみんな死んだって……身寄りなんてロードぐらいしかいないんじゃないか?」
「ええ、そのロードとも縁を切ったとか何とかで、私が見つけた時は食うにも困って乞食になってましてねえ」
気の抜けた声で言うカルロスに、僕もパウルも思わず眉をひそめた。
「なんだ、とうとう痴話喧嘩を起こしたのか。いやそれにしても乞食になってるってのは酷い話だな」
「まったくですよ、一度自分の女にしたのなら生活の面倒ぐらい見やがれってもんです。俺はあの野郎とは違って情け深いたちなんでね、雇ってやろうかとも思ったんですが、もう娼婦はやりたくないって言うんで何か他の仕事をあてがってやりたいんですよ。俺達はもうトレンティアに行っちまうんで、何か陛下からズミでの仕事を見つけてやれませんか」
変わらない調子で言うカルロスに、思わず一同はじっとりとした視線を向けた。そのティファを……こともあろうに戦闘中の盾にして死なせようとした男も、自認としては情け深いたちらしい。
まあ確かに、食いっぱぐれている彼女に仕事を与えたい、なんて言うのは情け深いと言えるのかもしれない。もしかすると彼なりの罪滅ぼしのつもりがあったりするのか……本心からのことだとしたら、見かけによらず情け深い。
それにカルロスがどうであれ、ティファは確かに僕達と協力関係にあったレジスタンスの女だ、それが乞食になっているというのなら僕とて助けてやるのはやぶさかではない。
「まあ、とりあえず分かった。これから僕はラズミルに帰るし、一緒に連れて行って何か仕事を探させよう。サダナムはまだ復興途上だから女が就ける仕事も少ないだろう」
そう答えると、カルロスは何の感動もなさそうに、変わらず無気力な顔でだらりと頭を下げた。
「感謝します。一応私の仕事を手伝った功績ということで少しは金を持たせましたが……」
それにはパウルも横からぼんやりと口を挟む。
「功績と言えば、ナートを陥落させられたのもひとえにあいつの仕事のおかげだからな……、私からも礼をしないといけなかったな」
「はあ?」
カルロスはそこで初めて顔色を変えた。気の抜けたような驚いたような、いや、どうにもその額に血管が浮いている。何やら声も凄み始めた。
「あのクソの如き屈辱の戦い……あの女が一枚噛んでたんです?」
その気迫は……やっぱり到底主人に向けるものではない。パウルもどこか青ざめた顔で目を泳がせ始めた。
「お、怒るなよ。あの時お前は敵方にいたんだからしょうがないだろ……」
「ええ、結果良ければ全て良しと言いますからねえ、怒ってなんかいませんよ……。まあしかし気に入りませんねえ……、あの女、やっぱり俺の元でもう一回ぐらい躾けてやるか……」
そんなことを激しい怒りの形相で呟き始めたのには、クラウスが同じような顔になって声を荒げた。
「口を慎まないかカルロス! 何度言えば分かる、それが主君に対する態度か!?」
「あなたは相変わらずうるさいですね。俺はもともと自由騎士なんですよ、それがあなたがトンズラこくから、代わりにこんな役目を負わされたんでしょうが。態度を改めてほしけりゃ真っ先にあんたが俺に頭を下げるのが筋ってモンでしょう?」
「ふざけたことを抜かすな! それ以上無駄口を叩くようならその口、魔剣の刃で縫い付けてやろうか!」
ぎゃんぎゃんと吠え始めた二匹を、しかし飼い主であるパウルは呆れた表情で眺めていた。
「いつものことなんだ。もう手に負えん」
そうぼやいたのを聞いたのだろう、兄弟はぎっと怒りの表情を浮かべたまま、しかしさすがに主君の目を気にしてそこから黙り始めた。
僕も呆れて肩を落とした。
「トレンティアでの戦いは……フォス・カディアル家が指揮を執ると言っていたよな。この二人が主戦力になるんだろう。こんな調子で大丈夫なのか」
「カルロスも……態度に難はあるがサダナムの仕事ぶりを見ていれば信用はできる。ぎゃんぎゃん言いながらお互い仕事はしっかりしてくれると信じてるよ。まあ、母親がいると大人しくなるから、困ったらエレアノールを戦場にだな……」
そんなことを言うのは嫌味というものだろう……途端に顔を青くした二匹に、パウルはまた荒っぽくため息をついた。
それにしても、どう見ても悪いのはカルロスの態度なのに、そんなことで大事な女性を巻き込まれるクラウスが気の毒だ……いや、母を守るためならこの兄弟も一致団結するのだろうか……。
兄弟喧嘩を眺めている間に、少しずつ料理が運ばれ始めた。準備ができたものから出しているのだろう、まずはパン、果物、野菜を盛った皿が並んでいく。
一緒に出てきた血のように赤い酒はグラスに注がれ、それは食卓に向かった各々の前にひとつずつ置かれた。
「神聖なるトレントの名のもとに、気高き騎士の武運を祈って」
パウルがそう言って酒を入れたグラスを空に掲げるのはトレンティアの作法なのだろう。クラウスとカルロスもそれに倣うので、僕も見様見真似でグラスを手に持つだけは付き合ってやった。
カルロスという邪魔者はいるものの、これは僕やパウルとさえ離れて戦場へ向かうというクラウスへの餞別である。
「クラウス、お前ともしばらくの別れになるか。……よく剣の稽古をつけてくれて、ありがたかった。礼を言う……」
僕がそう話を切り出す。クラウスは酒を一口だけ飲んでから、ふっと微笑んだ。
「お心遣いを……ありがたく思います。あなた様がトレンティアの王家をお継ぎにならないことが個人的には残念ですが……短い間でも、あなた様にお仕えできたことは身に余る幸福でした」
そんな仰々しい社交辞令を滑らかに言って見せるのは、やっぱりなんだかんだ貴族の育ちなんだな、なんてぼんやりと思う。幸福、なんて言葉をそんな簡単に口にできる感覚が羨ましくさえある。
「もうヨハン様、などと気軽にお呼びできないのも寂しく感じますよ。あなたと交えた剣は、本当に……幸せでした……」
そして噛み締めるように言うのだ。……剣の話を持ち出されると確信してしまう。ああ、本当なんだな、と。真剣での命のやりとりを愉しむ彼は、僕などとは比べようもないほど、血の気の多い獣だ。
その迫力には気圧されるばかりだったが、まあ……少なくとも練習で手合わせをしている時間は、僕も楽しかった。
最初は様をつけて呼ばれることにさえ戸惑いがあったのに、今となっては“陛下”だ、確かにヨハン様、なんて呼び名も今となっては懐かしくさえ感じる。
「駄目ですね、これからも戦いの日々が続くというのに辛気臭くなってしまっては。陛下もそんな顔をなさらないでください。別に今生の別れというわけではないのですから。生きていればまた会えますよ」
少しだけ切なそうに笑いながらクラウスは言う。
「……生きていられるかどうかが分からないのが戦争というものだろう」
そう答えた声は思わず不機嫌な声色になった。しかしクラウスは、今度は力強く不敵に笑う。
「私は負けませんよ。神聖なるトレントと、父の名に誓って」
勇猛に言い切る騎士の言葉は……その真っ直ぐな決意の色は、ただ気高かった。
そして彼は騎士とし何よりも重んじて仕えた……その主人とさえこれから別れていくというのだ。
「こう改めて餞別と言うと私も少し物悲しくなるよ。本当に今までよく仕えてくれてありがとう、ジャック」
パウルもそう優雅に笑って酒を飲んだ。クラウスは穏やかに笑いながら頷く。
「やめてくださいよ殿下まで。これからもお仕えしますよ。ただほんの一時だけ、別の任務に当たるだけです。差し出がましいことを申しますが、私がいないからと言ってあまり羽目を外されないよう……」
「ああ、小うるさい従者がいないうちにたっぷり羽を伸ばすことにしよう」
パウルはそう皮肉って笑う。クラウスも一瞬だけ呆れた顔をしたが、すぐに仕方なさそうに笑った。そうしているうちに次第に卓上に並ぶ料理も増えてきた。
野菜をミルクで煮込んだスープと、燻製肉を切って並べて上から野菜を散らした料理は、見た目にも華やかだ。
それと同時に入ってきた兵士が何やらカルロスに小声で報告をした。彼は軽く頷いてからパウルを振り向く。
「殿下、ちょうど新しくお仕えする小うるさい従者が到着したようで。せっかくですから食事を一緒に」
そんなことを言うので一同はカルロスを振り向いた。そういえば食事に行こうと言い出した時にそんなことを言っていた気がする。クラウスの代わりに入るというパウルの護衛騎士が何とか……。
その話は当然クラウスも知っているところだったのだろうか、何やらクラウスの表情が、その瞬間にあからさまに曇った。パウルは呑気な顔で首を傾げる。
「ああ……、なんか言ってたな。私はまだサダナムに残るんだ、警護なんてグリスだけで十分だと思うけどな」
「まあそれはそうでしょうけど、一応王太子の体面としてですね……グリスでは騎士とは名乗れませんから」
クラウスが曇った表情のまま言った。どうにも彼は渋そうだ……また仲の悪い者なのだろうか。
すぐにカルロスの部下によって案内され、その騎士は重い扉をくぐってきた……その姿を見て、僕もパウルも目を丸くした。
それは僕よりも頭ひとつ分ほども背の低い……金髪の、少年。
トレンティアの貴族らしい、美しい装飾の入った軍服に身を包み、腰には小ぶりの剣を挿してもいるが……その顔立ちも幼く、見るからに張り詰めた様子で僕達の姿を捉えていた。
彼は部屋に入るなり立ち止まって、しかし緊張のあまりなのか何も言わずに固まっていた。その目と唇とが見るうちに大きく見開かれ、やがて震えた声を上げる。
「父上……」
そう、呟いた。その眼差しの先に座っていた男は、しかし荒っぽくため息をつく。
「私語は慎め。イグノール殿下、アルティーヴァ陛下の御前だぞ。まず名乗り!」
クラウスは苛立ったような声で少年を叱りつける。僕もすぐに、彼が何者なのかは察せてしまえた。
少年はびくりとして肩を竦め、慌てて片手を胸に当てて敬礼の姿勢をとった。
「し、失礼しました。ロイ・ハルク・フォス・カディアルです。本日より、イグノール殿下の護衛騎士を務めさせていただきます!」
そう堂々と名乗った声も、緊張の裏返しなのかやたらと気合の入った大声だった。その可愛らしい気迫には思わず頬が緩む……。
パウルも驚いていた顔をすぐにだらしなく笑みに変えて、楽しそうに足を組んだ。
「そう堅苦しくするなよ、今はいたって私的な食事の時間だ。ジャック、お前の息子か?」
クラウスが渋い顔をするわけだ。確か家族とはもう二度と会わない覚悟で捨ててきた、という話だったが……既にクラウスもフォス・カディアル家の当主として正式に復帰しているのだ。家族との絶縁も解けた、ということだろう。
「ええ、まあ。今やフォス・カディアル家は一族郎党纏めてギルバートに宣戦を表明しています。ベルタスに置いておくわけにもいかなくてですね……」
仕方なさそうに言うクラウスをよそに、パウルは上機嫌そうだ。料理から手を離して椅子から立ち上がり、その少年騎士に向かってとゆったりと両手を差し向けた。
「パウル・イグノール・トレント・エルフィンズだ。始めまして、ロイ・ハルク。貴殿のごとき頼もしい騎士に護られるとは、私も心強いばかりだよ。神聖なるトレントと勇猛なるフォスの盟約に心より感謝を」
パウルが放つ、優雅な王の威厳を前に、ハルクは余計に緊張したようだ。見るからに混乱して、慌ててその場に跪いてしまった。
「見ての通り不出来な者ですので、護衛騎士どころかご面倒をかけるばかりかとは存じますが……すみませんが少しの間、付き合ってやってください」
クラウスもパウルに合わせて立ち上がり、その小さな息子の背中を見下ろして言った。
カルロスは机を挟んだ正面で相変わらず肉を口に運びながらからからと笑う。
「久しぶりに会う息子だと言うのに冷たいもんですね。あなたが勝手にトンズラこいた後、彼がベルタスでどれほど肩身の狭く寂しい思いをしたことか、少しぐらい想像してやりなさいよ」
カルロスにそんな嫌味を言われ、案の定クラウスはまた暗い顔に怒りを露わにする。
「甘えたことを言うな。フォス・カディアルの騎士なら他の何を差し置いてでも主君に身命を賭するべきだ……それはこいつも同じことだ。騎士を名乗るのなら重々に理解しろ」
その言葉は重く、確かに騎士としての気高い魂がこもっていたのだろう。それを他でもない父の口から受け止めて、小さな騎士ハルクはただ静かに主君へ跪いている。
しかし当の主君は呆れた顔になってため息をついた。
「そうは言ったって久しぶりに会う息子なんだろ。今までは家を裏切ってる状態だったんだ、ロイも酷く心細い思いをしただろう、少しぐらい慰めてやれよ」
パウルにそんな小言を言われ、途端にクラウスは苦しげに眉を寄せた。それにはハルクも驚いたように顔を上げた。
もののついでに、椅子の上から僕も口を挟んでやる。
「そうだぞクラウス。親に捨てられた子が……どんな思いをして過ごすことになることか……分かっているのか」
それはいつか、彼が家族を捨てたなどと言い切った時に言いたかった小言だった。
何やら身につまされたらしいパウルまで合わせて渋い顔になったが、クラウスも僕にまで言われてはさすがにバツが悪いらしい。仕方なさそうにため息をついた。
パウルは跪いたハルクの元に屈みこんでまで少年の手を取り、彼を立ち上がらせる。そしてその手をクラウスの方へ差し向けて、ほら、なんて小さく促した。
クラウスはすうと表情を消して、ぎこちなくその両手を広げた。その父の胸に、少年は耐えきれない様子で、迷いなく飛びついた。
「父上……!」
そう叫んだ声には涙が滲んでいた。クラウスは膝をついて彼に目線の高さを合わせ、その体をしかと抱きしめる……。
「見ない内に……背が伸びたな」
「はい……まだ、伸びます。俺も父上のように強くなります」
「訓練は怠っていないか? 将来は魔剣士になるんだ、魔道の研鑽も欠かすなよ」
「はい……はい。学校には……しばらく行けていませんでした、けど、家でも勉強をしていました。叔父上が稽古をつけてくださいました。もう、血門術だって使えます」
「そうか……マリナに……母に変わりはなかったか?」
「はい、母上もお元気で……今はシドリンにおられます。リオンも一緒です」
「リオンと喧嘩はしていないか」
「……リオンと喧嘩は、いっぱいしてます……すみません」
「馬鹿者が……」
ぽつりぽつりと言葉を交わす父と子を、パウルも僕も、カルロスも今は黙って眺めていた。
この戦争のさなかだ、家族と引き裂かれた境遇の者は僕だけじゃない、それはありふれた悲劇だ。しかしその中にはこうして再会を果たす家族もいる。
ズミ人とトレンティア人、どちらがどれほど苦しい思いをしているかなんて比べるようなことじゃない、そのひとつひとつが、きっとそれぞれにかけがえがないものなのだ。
涙ながらに父に縋り付く少年を見ていると、なんだかそんなことを思った。
まだ戦争は続く、けど、まあ……一時の涙に辛気臭くなるぐらいは許されたっていいだろう。
パウルはひと目ですっかりハルクを気に入ったらしく、その後の食事はずっと彼を隣に座らせてうきうきと眺めていた。
僕も同席した成り行きでハルクと挨拶はしたものの、異国の地で見知らぬ王族に囲まれたハルクはすっかり緊張しきっていて節々を強張らせていた。
そんな様もまた余計に微笑ましくて眺めてしまう……すっかりその会食の主役は小さな騎士だった。
順番に出てくる料理を五人でめいめいに腹に収め、ゆっくりと時間をかけた会食がお開きになるのは、もう夕刻に近い時間だった。
存外に時間をとってしまった分、今日は執務室に帰ってからの仕事は夜中までかかりそうだ……なんて憂鬱な思いを懐きながらも、クラウス達との貴重な時間はしっかり噛み締めておく。
会議で決まった以上、僕は急いで仕事を整えてラズミルに戻ることになる。イグノール軍への援軍の準備はとにかく早く進めなければならない……サダナムの復興処理に当たっては、心苦しいが現地の駐在兵達にほとんど任せることとなるだろう。
パウルはサダナムに……まだズミの国内には残ると言うが、ラズミルに戻る僕とはこちらも一旦の別れを告げることとなる。
お互いに役目があるのだ、離れた場所でそれぞれの仕事に当たるのも当然の成り行きだろうが、サダナムに来る前は同じ砦の中で寝泊まりしていたのだ。それと比べるとやっぱり距離の遠さは感じてしまう。
これからの戦いにも改めて気合いを入れて、なんて思って、僕は別れ際にパウルと向き直った。
「それじゃあ僕はラズミルに戻るから……次に会うのはトレンティアへの進軍の時かもしれない」
「ああ、忙しいのは変わらないだろうが、せっかく王都に帰るんだ、ジュリとの時間もしっかり大事にしろよ。教官長にもよろしく」
そんな挨拶を交わして……僕は胸に引っかかる思いを、その時ふと口に、する気になってしまった。
「一度だけ……」
そう呟いた僕を振り向いて、パウルは何気ない顔で目を瞬かせる。
「ん?」
「いつか……一度だけでいいから呼んでみろって言ってたよな」
「はい?」
パウルは何の話か分からないようで首を傾げた。できるだけさりげなく……なんて思ったけど、さすがにそうはいかないようだ。だけど言いかけたからにはと、僕は、最後までそれを言う。
「……お元気で、父上」
投げつけるように言ったその言葉を、パウルは耳に入れて、面食らったように目を丸くして……そこまで見届けて僕はすぐに視線を逸らして歩き出した。
「えっ……ちょ、もう一回! もう一回だけ……ヨハン!」
後ろから慌てふためいた間抜けな声が届いたが、僕はもう振り返らない。
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