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第十三章 戦いの終わり
162話 約束の葉
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ズミに森が多いというのは確かで、サダナムの城壁の内側でも端の方にはこんもりとした山があり、そこは木々が生え放題になっている。
後からトレンティア軍が建設した城壁に区切られている形にはなるが、それも元はサダナムの北側の山脈に連なっていく森の出っ張りのようなものだった。
そこへ入ることになったアザルが、武器と言って携行してきたのは弓矢だった。
トレンティアの王都育ちのロイには物珍しい……どころか見るのも初めてだったらしく、目を丸くしてそれを見ていた。
「な、何だそれ」
「えっ、弓矢を知らないの? トレンティアには無いのか……」
「弓? えっ、本物? 本で読んだことはある。本当に矢が飛ぶのか」
少年二人はお互いの文化の違いに目を白黒させながら、仲良く森の中へ入っていく。そして当然そこに広がる景色も、王都の屋敷でぬくぬくと育ったロイなどには物珍しいようだった。
まあ、その境遇は私もそう変わらない。初めてズミの森の中へ入った時の神秘的なまでの驚きは共感できた……それが幼い少年の目には尚更のことだっただろう。
しかしアザルにとっては当然面白くもない日常の一部であり、見慣れない異国の景色に驚いて目を輝かせるばかりのロイを放って、彼は一生懸命に周囲に茂っている草木の葉を観察していた。
晩秋を迎えて色濃く染まる木々は、既に落葉しているものも多い。空を覆うように茂る紅葉や常緑樹の葉や、地面から生える高低様々な草花、土の上に散っている色鮮やかな落葉……それらをまじまじと見つめながら歩いていると、やっぱりどこか神秘的な気分になる。
アザル曰くその葉っぱは白い色をしているということだが……恐らく造り物ではないかということだ。私達の目的は、せいぜい似たような葉を探すことになるだろう。
しかしどの程度白かったら似ていると言えるのか……実物を見ていない私ではよく分からない。
とにかく森を探して回るアザルと、目に入る景色に爛々と目を輝かせるロイの二人をただ見守る役回りに落ち着くことにする……。
時折木々の奥でがさりと獣が動く音がする。ロイなどは驚き喜んでそれを指差すが、アザルは何せ自分の首がかかっているのだ、それどころではないらしい。
「おい、今、なんかいた! 鹿か!?」
「鹿じゃない? そんなの今はいいよ、狩りに来てるわけじゃないんだし……」
ロイの方が歳上ではあるが、さすがにズミの森の中ではアザルの方が大人びて見える……。
しかしすっかり興奮しているロイはアザルの素っ気ない態度を気にする余裕もないらしい。また近くでがさがさと鳴った獣の足音を聞いて嬉しそうに振り向き、興味津々の様子でそちらに近付いていく。
「わっ……、えっ、あれなに!?」
ロイの戸惑った声が上がったのを聞いて、私もアザルも振り向いた。
今度は何を見つけたのだろうか……そう思って向けた視線の先にあったものを見て、思わず私も目を丸くした。
そこには確かに毛に覆われたずんぐりとした獣が一頭……しかしロイと向き合っても逃げることなく、じりと警戒心を張りながら興奮しているようにも見えた。
「ハルク! それ危ない!」
アザルが叫んだ。それが危ないものだということに気付くのは……ズミの森に慣れたアザルが誰よりも早かった。
自分は彼らと違って大人だから、なんて胸のどこかで油断していた……その一瞬に身の程を知る。
ロイなどには余計に分からなかった。え? と間の抜けた声を上げながら彼が振り向いた、その瞬間に獣は走り出したのだ……ロイの小さな体に向かって真っ直ぐに。
私とて人間に対する警戒なら慣れていたのだが、獣の動きは読めなかった。驚いて一瞬でも固まった私の傍らで……しかし、アザルが矢をつがえたその動きは、息を呑むほどに素早かった。
ぱしと乾いた音を上げて放たれた矢はその獣の鼻先に突き立つ。……素早く正確な射撃、それが十歳の少年のものだなんて今目の前で見せつけられてもなお、にわかに信じ難かった。ズミ人というのは何と恐ろしい民族なのだ!
しかしその少年の手が扱う弓は軽く、至近からの射撃とはいえ、それだけで獣が絶命するような威力のものではない。
顔面に矢を突き立てた獣は横殴りを受けたような衝撃によろめくが、それでも倒れはしなかった。猛々しい鳴き声をその牙の隙間から上げて余計に暴れる様子を見せる。
アザルが次の矢を腰の筒から抜く、その頃には私も我に返っていた。驚きのあまり固まっているロイの外套の襟首を掴んで思いっきり引っ張る。
苦しげな悲鳴を上げた彼を構わず後ろの地面に放り投げ、私は片足を前に踏み出して攻勢に出た。
両手の平を前に突き出し、その空に魔力をぐるりと巡らせる、それだけの動きは、ドレスを着ていてもなお、アザルの矢を放つ動作と同じぐらい速い。
二本目の矢が獣の前足の付け根に突き立ったのを見届けたのとほとんど同時に、そこに強い爆炎魔法をぶつけてやった。
その火力に呑まれて、さすがに獣はその場の地面にどすんと倒れた。外側から一瞬包んだだけの炎では即死までは至らないが、苦しげにもがく獣は既に起き上がって突進してくる力はないようだった。
「うひゃあ……、やっぱり魔法ってすごいですね」
三本目の矢をつがえようとしていたアザルはその手を止めて、驚いた顔で私を見上げていた。
「そっちこそ……まさかあなたみたいな子どもがそんな正確に矢が射てるなんて思ってなかったわ。驚いた」
正直にそう言うと、アザルは一瞬だけ目を丸くして、すぐに照れくさそうに目を泳がせて頭を掻いた。
ロイはと言うと、呆気にとられて後ろの地面にへたり込んでいるだけだ。
すぐに我に返ったらしく、慌てて気丈に表情を引き締めて立ち上がったが……まだ、目の前の獣は荒々しい息を吐きながら藻掻いている……その様が恐ろしいらしく、びくびくと腰を引くようにしながら私のところへ近付いてきた。
「ま、まだ生きてる。殺さなくていいのか」
「イノシシだもん、殺すのも大変だよ。もう動けないみたいだし放っといてもそのうち死ぬだろうけど……」
イノシシ……うん、名前は聞いたことがある。おぼろげな知識の中からその獣の名称を当てはめる。
犬というよりも大ぶりでずんぐりとした体は、確かに確実に仕留めようとなるとそれなりの刃物と筋力が要りそうだ。女と子ども三人だけで森に入った私達には、不可能ではなくとも重労働だろう。
「でも……もうお昼も過ぎたしお腹減ったな。男の人がいたら捌いてもらって食べてもよかったけど」
アザルがそう名残惜しそうに、もがくイノシシを眺める。ロイや私にとってはなおも暴れている危険な獣にしか見えないが、彼の目にはすでにそれは食肉として見えているようだ。やっぱりズミ人って恐ろしい。
「殺すだけなら簡単だぞ。俺フォスの牙使えるし」
ロイがむっとして言う。見事に弓矢を扱って見せたアザルに、対抗心のようなものを覚えたのかもしれない。
私はああ、と頷いた。そういえば彼はフォスの血門術の使い手である。
当然アザルには何のことか分からない。彼は訝しげに眉を寄せてロイの威張った顔を見つめる。
「簡単? ホントに?」
「ああ、見てろよ。勇猛なるフォス、汝が子に力を!」
ロイは迷いなく血門を開き、そこにふわとソル・サークルを浮かべて牙を放って見せた。
その魔力回路の安定性、魔道文字の正確さ……これもまた十二歳とは思えないほど確かな腕だ。さすがフォス・カディアル家の男……。
そこから飛び出た銀色の刃はジャックが魔剣で飛ばすほど大ぶりなものではない、一筋の風……しかしそれは犬よりも少し大きいだけの獣一頭の肉を切り裂くのには十分だった。
暴れているとは言えその場所から動かない獣の首を、その分厚い肉と骨ごとフォスの牙がざくりと断ち切る。首を落とされてやっとイノシシは力尽きた。
「うわあ、すご! やっぱ魔法ってすごいな……」
アザルも素直に感嘆したらしく、ロイは名誉挽回とばかりに得意げな顔で胸を張った。
「じゃあ……あ、ハルクその剣貸してくれない? 俺弓しか持ってきてなくて……」
イノシシの死体にウキウキとして歩み寄り、アザルはロイを振り向く。彼の腰には子どもの体格に合わせて作った騎士の剣が携えられている……。
死んでもなお、その大きさの獣の体には迫力がある。おずおずとロイは近付いて、気圧されるように剣をアザルに差し出した。
「俺もドミニク様やカルロス様と鹿狩りに行ったことはあるけど、捌くとこをこんな近くで見たことはないな……」
「狩るのに捌かないの? どうやって食べるんだ」
「え、いや、家臣が捌いてくれるんだよ」
「ふうん……」
アザルは呑気な声で言いながら、受け取った剣でざくざくとイノシシの皮を切り開いていく。その奥からは当然血が流れ出てくるが、気にも留めないようだ。
「ちょっと重たくて……大変だから適当でいっか……。ハルク、もうちょっとこれ細かく切ってくれない? 足と、胴体はこう開く感じで二つに……」
「お、お前よくそんなの平気だな……うぇ、血がいっぱいだ……」
ロイの顔はすっかり青ざめている。
私も軍人のはしくれである、血が怖いということはない……が、獣の死体をてきぱきと扱う少年にはただただ感嘆させられる。
獣の扱いはズミの狩人にまかせて、食べるという話なので私は焚き火の準備をし始めた。……いつか、前もこんなことをしたな、と思い出す。ヨハンと初めて会った時に……。
やがて少年二人が協力して切り分けた獣肉を焼いて、私達は野性味あふれる食事会で一息をつくことになった。座席もめいめいに地べたに座るだけだ。
「ちょっと臭いけど、まあいっか……。血門術を使ったんだからちゃんと血肉入れなさいよ、ロイ」
肉を噛みながら私達はだらりと談笑を始める。
「は、はい。でも凄いな、森の動物を狩ってその場で食べるなんて初めてだ……」
「ハルクは俺と随分暮らし方が違うんだな。着てる服とかも綺麗だし、トレンティアの貴族なのか?」
「え? そりゃそうだけど、アザルお前だって貴族は貴族だろ? 国王の従者なんだから」
「俺は違うよ……。陛下だって平民だし」
「嘘つけ! 王様が平民なわけないだろ!」
「ほんとだよ! 僕は平民だって自分で言ってたもん!」
……ヨハンの境遇を思えば、その説明は少しややこしいことになる。
「まあ……いろいろ事情があるのよ。よその国のことをあれこれ決めつけるのはよくないわよ」
私がそう言うと、ロイも難しそうな顔で黙った。
身分の感覚だけではない、森の景色も、狩猟文化も、使う道具も……、ロイにとっては何もかもが新鮮な経験だ。トレンティアの感覚がそのまま通じないことは、幼い彼にももう分かっていることだろう。
その新鮮な経験に満ちた冒険は少年の心を刺激し、異国の者との出会いは彼に多くの新しい世界を見せたことだろう。野生動物に襲撃されるなんて出来事も、将来、騎士として武器を握る彼にとってはあるいは、価値のある経験だったかもしれない。
しかしそれはさておき、私達が森に入った目的はもともとそうではなかったはずである。臭みのある獣肉を噛みながら、次第に落ち着いた空気の中で少年達も我に返り始める。
「……白い葉っぱ、見つからないな」
「うん……やっぱり代わりのもので、なんて無理だよ。もうダメだ……」
アザルもイノシシを捌いて少し上機嫌になったかと思ったが、その嘆きを思い出してまた悲痛な顔になって俯いてしまった。
時刻はもうとっくに正午を過ぎ、日の落ちるのが早い季節にこれ以上森の中にいるのも危ない。
さすがにもういいだろう、なんて諦めの言葉を胸に浮かべて、私はため息をついた。
「大丈夫よ、あの陛下が打ち首にはしないと思うから……ちゃんと探したけど見つからなかったって言って謝ったらきっと許してくれるわ」
アザルは悲痛な顔のまま力なく頷いた。もう大泣きする元気もなさそうだ。
「あんなに、あんなに大事にしてたのに……。陛下、悲しむだろうな……」
そう呟くように言った声は、もう自分の首を心配しているものではないようだった。
どれほど大事にしているものかは私には分からないが、ヨハンのしゅんとした顔をつい思い浮かべてしまって、少しだけ身につまされた。
大きな獣の肉は、三人がかりでも食べ尽くすことはできない。持って帰るような道具の用意もないので、満足が行くまで食べた残りはその場に捨て置いていくことになった。
獣とはいえ、自分たちが食い散らかした遺体をその場に捨てていくことに何とも言えない抵抗を覚える。
「アミュテュス・サーシェ。おいしかったです」
アザルがそれに小さく祈りの言葉を言った。そのひと言で乗り越えていく、ズミ人の生活というのはそういうものなのだろう。
日が暮れる前に森から出よう、と言って私達はとぼとぼと帰り道につく。もうお守りのことは諦める流れとなると、ロイも任務に張り切る様子はない。
しかし却って開放感に包まれているのか、沈鬱なアザルとは対照的なまでにその足取りは楽しそうだった。
「ズミってすごいな。こんなすごい国だと思ってなかった。父上はずっとここでお仕事してたんだな……」
意気消沈したアザルはもう答えることもないが、ロイはそう一人でうきうきと感動に耽っている。そしてその機嫌の良い顔のままふいに振り向いて、肩を落としているアザルに笑顔を向けた。
「アザル、お前もいつかベルタスに来いよ。ズミとは全然違うからきっと驚くぞ。俺が案内してやる」
アザルは少しだけ驚いた顔になって視線を上げた。
「それ、トレンティアの町? 陛下が行くなら俺も行くけど……いや、でも今日でクビになるかもしれないから無理かも……」
答える言葉はやっぱり悲愴だった。ロイは少し不機嫌そうにして首を振る。
「別に王様の従者じゃなくても来れるかもしれないじゃないか。すぐは無理でも、大人になったら来れるだろ。いつかな、いつか」
「うん……」
それはきっと戦争が終わった後のことなのだろう。ロイも騎士と言ってもまだ子どもだ、わけもわからずここへ連れてこられただけで、戦況がどうなっているかは知らされていないだろう。それはただ漠然とした“いつか”……。
子ども達が交わすその約束はあまりに眩しく、温かかった。その“いつか”を実現するのが、きっと大人の役目というものなのだろう……なんて柄にもない感慨を懐く……まあ、私はもう軍からは外されているのでどうしようもないのだが。
「そうだ、約束の証をやるよ。大事なものだからなくすなよ」
そう思いついたように言って、ロイは懐をごそごそとまさぐった。
何か金品を渡すつもりなのかと不安になって私はそれを見守る。家のものを勝手に渡したら彼がジャックから叱られるかもしれない……。
しかしそこから出てきたものを見て、私も、そしてアザルも目を瞬かせて、思わずそこで立ち止まった。
「ベルタスでたまに拾える珍しいものでさ、学校の子どもがよくお守りに……」
そう言って彼が取り出したのは……白い、それは見事に雪のように真っ白な、葉っぱだったのだ。お守り、なんて言った言葉はさすがに聞き覚えがあって、私の中でも何かが繋がり出してしまう。
「こ……これ! これだよハルク!」
途端にアザルは目を見開いて、ロイの手ごとその葉っぱ――トレントの葉を両手で掴んだ。その勢いにはロイも驚いて、思わずびくりとして片足を退いた。
「え?」
「陛下が大事にしてたお守り! これだよ! ほんとにそっくり……同じみたい! これ、くれるのか!?」
「あ、ああ。俺は何枚も持ってるから全然……。えっ、ズミの王様のお守りがトレントの葉? なんで?」
「え? トレンティアの木の葉っぱなのか? なんでだろ……。人からもらったって言ってたから、陛下もトレンティアの人からもらったのかも……」
子ども二人は不思議そうに首を傾げながらも、興奮した様子でその葉のやりとりをした。
「トレンティアの神様の加護が宿ってるんだぜ。だから旅とか引っ越しに出かける友達によく渡すんだ。あなたに、神聖なるトレントの加護がありますようにって……」
紆余曲折を経て主君のお守りを無事取り戻した、アザルの足取りは羽が生えたように軽かった。すっかり興奮した子どもはその喜びを全身で表して駆ける。
いや、子どもというのは意味もなく走る。外套の内側のドレスを引き摺ってそれを追うのはなかなか骨が折れたが、小言を言う気分にはならなかった。私も変な爽快感に包まれていた。
本当ならロイは私の護衛なのだから、貴婦人に森の中を走らせるなど言語道断で、きっちりエスコートをしなければならないはずだが、彼も彼でアザルの喜びに煽られてすっかり羽目を外していた。ああ、こんなところジャックが見たら、きっと彼は殴られるだろうな……。
しかし森を抜けた先で怒りの形相を浮かべて待ち構えていたのは……ジャックではなく、ズミ人の騎士だった。
「アザル殿っ! ど、どこへ行っていたのだ!? 森に入ったなんて噂を聞いてまさかと思って見に来たが……洗濯物を探しに森まで入る奴がいるか!? 陛下がどれほどご心配されたか分かってるのかこの馬鹿者ーっ!」
空まで揺るがさんばかりの大声を張り上げるのは……、ヨハンの護衛騎士、ジルだった。
トレントの葉を手に入れて浮かれている様子のアザルを、すぐにジルのげんこつが問答無用で襲う。
「それで、どうしてエレアノール殿が……えっ、ハルク殿まで!? 一体どういう経緯……、ええい、とにかくただちに基地までお戻りを!」
ジルは私達の姿をも見てすっかり混乱した様子だ。従者一人の粗相ならともかく、友軍の要人まで同行しているとなればげんこつ一発では済ますわけにはいかないだろう……急に冷静になってきた私は、余裕の笑みを取り繕って基地までの道をしずしずと歩いた。
基地の敷地に入ると、そこではマントを付けていない軽装で、国王自らがうろうろと所在なさそうに歩いていた。
私達の姿を見るなり目を丸くして、しかし驚きの声も上げられないという様子で首を傾げて混乱しているようだった。
「へいかあ……ずびばぜん、おれ、へいかのおまもり、みつけなくちゃとおもっで……」
散々ジルに叱咤されたアザルはまた涙でぐずぐずになってその主君の元に跪いた。ヨハンは呆れた顔になってそれと私の顔とを交互に見た。
「いや、無事ならいいんだが……。これは一体どういうことだ、エレアノール」
「飛んでいった洗濯物と一緒に陛下の大事なお守りがあったから、それを見つけ出さなくてはいけないと聞いたわ。私は手が空いてたからイグノールの許可を得てその任務の協力に。それで探し回って、まあ、成り行き森に入って、イノシシを狩って……」
「どうしてそうなるんだ」
ヨハンは真顔で聞いてくる。改めて思うと、確かにどうしてそうなるんだという状況だった。
「というかお守りって……、トレントの葉だろう。あんなの飛んでいったのならもう分からないし、服に入れたままにしてた僕が悪いんだ。そんなの探して森の中にまでなんて……馬鹿なことを」
呆れたため息とともにヨハンが言う……しかしアザルは涙ながらに、苦労して手に入れたそれをびしと主君に示して見せた。
「みつけました! 葉っぱ、これ!」
……見つけたのではなくて新しく入手した、が正しいのだが、アザルとしては見つけたと言いたいらしい。
ヨハンは一瞬呆気にとられたように目を瞬かせて、差し出されたその葉を手に取った。
しかしすぐに何か返事をするわけでもなく、その葉をじっと見つめ、裏返したりして何やら眉を寄せる。
葉は自然のものだ、見た目にそんな変わった特徴はないが、その大きさや形や葉脈のあり方は少しずつ違っていて、全く同じものはひとつとして無い。
「見つけたってこれ……誰からもらったんだ」
ずばりとそう見抜かれ、アザルはぐっと苦しそうに息を詰まらせたが、すぐに経緯を白状した。
ヨハンはすぐに驚いた顔でロイを見つめる。彼は既に騎士の自覚を取り戻して、きりとした顔で私の脇に控えているだけだ。
その顔と、まだ涙に濡れているアザルの顔とを交互に見て、ヨハンは――彼には非常に珍しく、ふっと笑った。
「そうか、ありがとう」
そう言ってその葉を懐にしまった。それ以上は追求や叱責を重ねるつもりもなさそうだ。
「エレアノールも協力を感謝する。どうやら面倒をかけたようで……」
「気にしないでちょうだい。私はもう軍務から外されちゃって退屈で仕方なかったから、楽しかったわ」
そう言ったのは正直なところだった。ヨハンは少しだけ呆れたような顔になったが、すぐにまたアザルの方へ切り替える。
「今日で仕事も一段落ついたから、明朝にはすぐラズミルに出発する。準備を急いでくれ」
そう急かされて、慌ててアザルも飛び上がって仕事に戻るようだ。それを率いるようにして、ヨハンも軽く挨拶だけしてからジルを伴って宿へ引っ込んでいく。私もロイと共にイグノール軍の宿の方へ引き返し始めた。
ちょうど空は茜色に染まる頃、私達の冒険はそうしてあっさりと幕を閉じる……。
ちらりと振り向くと、マントを着ていない国王の背中が見えた。いつの間にか、初めて会った時よりも随分大きくなったような気がする。
なぜ彼がトレントの葉をお守りにしているのか……その経緯は少し気になったが、彼らはやっぱり仕事に追われて急いでいるようだったし、わざわざ呼び止める気にもならなくて聞かなかった。
葉は自然のものだ、ひとつひとつが少しずつ違う……だけどひと目で見ればみな似たようなものでもある。その僅かな違いを、手に取った途端に分かるほど……本当に大事にしていたのだろう。
ともかく私達はイグノールの元へ戻って報告を済ませた。また退屈な部屋に戻ることにはなるが、今日のところは、森の中を歩き回ってイノシシと戦いもして、いい疲労感だ。
そして泥とイノシシの血や脂に汚れたドレスは脱いで、結局軍服を着るようになったことは、任務に駆け回っている小うるさい騎士の耳に入るまでは少し時間がかかったようだった。
後からトレンティア軍が建設した城壁に区切られている形にはなるが、それも元はサダナムの北側の山脈に連なっていく森の出っ張りのようなものだった。
そこへ入ることになったアザルが、武器と言って携行してきたのは弓矢だった。
トレンティアの王都育ちのロイには物珍しい……どころか見るのも初めてだったらしく、目を丸くしてそれを見ていた。
「な、何だそれ」
「えっ、弓矢を知らないの? トレンティアには無いのか……」
「弓? えっ、本物? 本で読んだことはある。本当に矢が飛ぶのか」
少年二人はお互いの文化の違いに目を白黒させながら、仲良く森の中へ入っていく。そして当然そこに広がる景色も、王都の屋敷でぬくぬくと育ったロイなどには物珍しいようだった。
まあ、その境遇は私もそう変わらない。初めてズミの森の中へ入った時の神秘的なまでの驚きは共感できた……それが幼い少年の目には尚更のことだっただろう。
しかしアザルにとっては当然面白くもない日常の一部であり、見慣れない異国の景色に驚いて目を輝かせるばかりのロイを放って、彼は一生懸命に周囲に茂っている草木の葉を観察していた。
晩秋を迎えて色濃く染まる木々は、既に落葉しているものも多い。空を覆うように茂る紅葉や常緑樹の葉や、地面から生える高低様々な草花、土の上に散っている色鮮やかな落葉……それらをまじまじと見つめながら歩いていると、やっぱりどこか神秘的な気分になる。
アザル曰くその葉っぱは白い色をしているということだが……恐らく造り物ではないかということだ。私達の目的は、せいぜい似たような葉を探すことになるだろう。
しかしどの程度白かったら似ていると言えるのか……実物を見ていない私ではよく分からない。
とにかく森を探して回るアザルと、目に入る景色に爛々と目を輝かせるロイの二人をただ見守る役回りに落ち着くことにする……。
時折木々の奥でがさりと獣が動く音がする。ロイなどは驚き喜んでそれを指差すが、アザルは何せ自分の首がかかっているのだ、それどころではないらしい。
「おい、今、なんかいた! 鹿か!?」
「鹿じゃない? そんなの今はいいよ、狩りに来てるわけじゃないんだし……」
ロイの方が歳上ではあるが、さすがにズミの森の中ではアザルの方が大人びて見える……。
しかしすっかり興奮しているロイはアザルの素っ気ない態度を気にする余裕もないらしい。また近くでがさがさと鳴った獣の足音を聞いて嬉しそうに振り向き、興味津々の様子でそちらに近付いていく。
「わっ……、えっ、あれなに!?」
ロイの戸惑った声が上がったのを聞いて、私もアザルも振り向いた。
今度は何を見つけたのだろうか……そう思って向けた視線の先にあったものを見て、思わず私も目を丸くした。
そこには確かに毛に覆われたずんぐりとした獣が一頭……しかしロイと向き合っても逃げることなく、じりと警戒心を張りながら興奮しているようにも見えた。
「ハルク! それ危ない!」
アザルが叫んだ。それが危ないものだということに気付くのは……ズミの森に慣れたアザルが誰よりも早かった。
自分は彼らと違って大人だから、なんて胸のどこかで油断していた……その一瞬に身の程を知る。
ロイなどには余計に分からなかった。え? と間の抜けた声を上げながら彼が振り向いた、その瞬間に獣は走り出したのだ……ロイの小さな体に向かって真っ直ぐに。
私とて人間に対する警戒なら慣れていたのだが、獣の動きは読めなかった。驚いて一瞬でも固まった私の傍らで……しかし、アザルが矢をつがえたその動きは、息を呑むほどに素早かった。
ぱしと乾いた音を上げて放たれた矢はその獣の鼻先に突き立つ。……素早く正確な射撃、それが十歳の少年のものだなんて今目の前で見せつけられてもなお、にわかに信じ難かった。ズミ人というのは何と恐ろしい民族なのだ!
しかしその少年の手が扱う弓は軽く、至近からの射撃とはいえ、それだけで獣が絶命するような威力のものではない。
顔面に矢を突き立てた獣は横殴りを受けたような衝撃によろめくが、それでも倒れはしなかった。猛々しい鳴き声をその牙の隙間から上げて余計に暴れる様子を見せる。
アザルが次の矢を腰の筒から抜く、その頃には私も我に返っていた。驚きのあまり固まっているロイの外套の襟首を掴んで思いっきり引っ張る。
苦しげな悲鳴を上げた彼を構わず後ろの地面に放り投げ、私は片足を前に踏み出して攻勢に出た。
両手の平を前に突き出し、その空に魔力をぐるりと巡らせる、それだけの動きは、ドレスを着ていてもなお、アザルの矢を放つ動作と同じぐらい速い。
二本目の矢が獣の前足の付け根に突き立ったのを見届けたのとほとんど同時に、そこに強い爆炎魔法をぶつけてやった。
その火力に呑まれて、さすがに獣はその場の地面にどすんと倒れた。外側から一瞬包んだだけの炎では即死までは至らないが、苦しげにもがく獣は既に起き上がって突進してくる力はないようだった。
「うひゃあ……、やっぱり魔法ってすごいですね」
三本目の矢をつがえようとしていたアザルはその手を止めて、驚いた顔で私を見上げていた。
「そっちこそ……まさかあなたみたいな子どもがそんな正確に矢が射てるなんて思ってなかったわ。驚いた」
正直にそう言うと、アザルは一瞬だけ目を丸くして、すぐに照れくさそうに目を泳がせて頭を掻いた。
ロイはと言うと、呆気にとられて後ろの地面にへたり込んでいるだけだ。
すぐに我に返ったらしく、慌てて気丈に表情を引き締めて立ち上がったが……まだ、目の前の獣は荒々しい息を吐きながら藻掻いている……その様が恐ろしいらしく、びくびくと腰を引くようにしながら私のところへ近付いてきた。
「ま、まだ生きてる。殺さなくていいのか」
「イノシシだもん、殺すのも大変だよ。もう動けないみたいだし放っといてもそのうち死ぬだろうけど……」
イノシシ……うん、名前は聞いたことがある。おぼろげな知識の中からその獣の名称を当てはめる。
犬というよりも大ぶりでずんぐりとした体は、確かに確実に仕留めようとなるとそれなりの刃物と筋力が要りそうだ。女と子ども三人だけで森に入った私達には、不可能ではなくとも重労働だろう。
「でも……もうお昼も過ぎたしお腹減ったな。男の人がいたら捌いてもらって食べてもよかったけど」
アザルがそう名残惜しそうに、もがくイノシシを眺める。ロイや私にとってはなおも暴れている危険な獣にしか見えないが、彼の目にはすでにそれは食肉として見えているようだ。やっぱりズミ人って恐ろしい。
「殺すだけなら簡単だぞ。俺フォスの牙使えるし」
ロイがむっとして言う。見事に弓矢を扱って見せたアザルに、対抗心のようなものを覚えたのかもしれない。
私はああ、と頷いた。そういえば彼はフォスの血門術の使い手である。
当然アザルには何のことか分からない。彼は訝しげに眉を寄せてロイの威張った顔を見つめる。
「簡単? ホントに?」
「ああ、見てろよ。勇猛なるフォス、汝が子に力を!」
ロイは迷いなく血門を開き、そこにふわとソル・サークルを浮かべて牙を放って見せた。
その魔力回路の安定性、魔道文字の正確さ……これもまた十二歳とは思えないほど確かな腕だ。さすがフォス・カディアル家の男……。
そこから飛び出た銀色の刃はジャックが魔剣で飛ばすほど大ぶりなものではない、一筋の風……しかしそれは犬よりも少し大きいだけの獣一頭の肉を切り裂くのには十分だった。
暴れているとは言えその場所から動かない獣の首を、その分厚い肉と骨ごとフォスの牙がざくりと断ち切る。首を落とされてやっとイノシシは力尽きた。
「うわあ、すご! やっぱ魔法ってすごいな……」
アザルも素直に感嘆したらしく、ロイは名誉挽回とばかりに得意げな顔で胸を張った。
「じゃあ……あ、ハルクその剣貸してくれない? 俺弓しか持ってきてなくて……」
イノシシの死体にウキウキとして歩み寄り、アザルはロイを振り向く。彼の腰には子どもの体格に合わせて作った騎士の剣が携えられている……。
死んでもなお、その大きさの獣の体には迫力がある。おずおずとロイは近付いて、気圧されるように剣をアザルに差し出した。
「俺もドミニク様やカルロス様と鹿狩りに行ったことはあるけど、捌くとこをこんな近くで見たことはないな……」
「狩るのに捌かないの? どうやって食べるんだ」
「え、いや、家臣が捌いてくれるんだよ」
「ふうん……」
アザルは呑気な声で言いながら、受け取った剣でざくざくとイノシシの皮を切り開いていく。その奥からは当然血が流れ出てくるが、気にも留めないようだ。
「ちょっと重たくて……大変だから適当でいっか……。ハルク、もうちょっとこれ細かく切ってくれない? 足と、胴体はこう開く感じで二つに……」
「お、お前よくそんなの平気だな……うぇ、血がいっぱいだ……」
ロイの顔はすっかり青ざめている。
私も軍人のはしくれである、血が怖いということはない……が、獣の死体をてきぱきと扱う少年にはただただ感嘆させられる。
獣の扱いはズミの狩人にまかせて、食べるという話なので私は焚き火の準備をし始めた。……いつか、前もこんなことをしたな、と思い出す。ヨハンと初めて会った時に……。
やがて少年二人が協力して切り分けた獣肉を焼いて、私達は野性味あふれる食事会で一息をつくことになった。座席もめいめいに地べたに座るだけだ。
「ちょっと臭いけど、まあいっか……。血門術を使ったんだからちゃんと血肉入れなさいよ、ロイ」
肉を噛みながら私達はだらりと談笑を始める。
「は、はい。でも凄いな、森の動物を狩ってその場で食べるなんて初めてだ……」
「ハルクは俺と随分暮らし方が違うんだな。着てる服とかも綺麗だし、トレンティアの貴族なのか?」
「え? そりゃそうだけど、アザルお前だって貴族は貴族だろ? 国王の従者なんだから」
「俺は違うよ……。陛下だって平民だし」
「嘘つけ! 王様が平民なわけないだろ!」
「ほんとだよ! 僕は平民だって自分で言ってたもん!」
……ヨハンの境遇を思えば、その説明は少しややこしいことになる。
「まあ……いろいろ事情があるのよ。よその国のことをあれこれ決めつけるのはよくないわよ」
私がそう言うと、ロイも難しそうな顔で黙った。
身分の感覚だけではない、森の景色も、狩猟文化も、使う道具も……、ロイにとっては何もかもが新鮮な経験だ。トレンティアの感覚がそのまま通じないことは、幼い彼にももう分かっていることだろう。
その新鮮な経験に満ちた冒険は少年の心を刺激し、異国の者との出会いは彼に多くの新しい世界を見せたことだろう。野生動物に襲撃されるなんて出来事も、将来、騎士として武器を握る彼にとってはあるいは、価値のある経験だったかもしれない。
しかしそれはさておき、私達が森に入った目的はもともとそうではなかったはずである。臭みのある獣肉を噛みながら、次第に落ち着いた空気の中で少年達も我に返り始める。
「……白い葉っぱ、見つからないな」
「うん……やっぱり代わりのもので、なんて無理だよ。もうダメだ……」
アザルもイノシシを捌いて少し上機嫌になったかと思ったが、その嘆きを思い出してまた悲痛な顔になって俯いてしまった。
時刻はもうとっくに正午を過ぎ、日の落ちるのが早い季節にこれ以上森の中にいるのも危ない。
さすがにもういいだろう、なんて諦めの言葉を胸に浮かべて、私はため息をついた。
「大丈夫よ、あの陛下が打ち首にはしないと思うから……ちゃんと探したけど見つからなかったって言って謝ったらきっと許してくれるわ」
アザルは悲痛な顔のまま力なく頷いた。もう大泣きする元気もなさそうだ。
「あんなに、あんなに大事にしてたのに……。陛下、悲しむだろうな……」
そう呟くように言った声は、もう自分の首を心配しているものではないようだった。
どれほど大事にしているものかは私には分からないが、ヨハンのしゅんとした顔をつい思い浮かべてしまって、少しだけ身につまされた。
大きな獣の肉は、三人がかりでも食べ尽くすことはできない。持って帰るような道具の用意もないので、満足が行くまで食べた残りはその場に捨て置いていくことになった。
獣とはいえ、自分たちが食い散らかした遺体をその場に捨てていくことに何とも言えない抵抗を覚える。
「アミュテュス・サーシェ。おいしかったです」
アザルがそれに小さく祈りの言葉を言った。そのひと言で乗り越えていく、ズミ人の生活というのはそういうものなのだろう。
日が暮れる前に森から出よう、と言って私達はとぼとぼと帰り道につく。もうお守りのことは諦める流れとなると、ロイも任務に張り切る様子はない。
しかし却って開放感に包まれているのか、沈鬱なアザルとは対照的なまでにその足取りは楽しそうだった。
「ズミってすごいな。こんなすごい国だと思ってなかった。父上はずっとここでお仕事してたんだな……」
意気消沈したアザルはもう答えることもないが、ロイはそう一人でうきうきと感動に耽っている。そしてその機嫌の良い顔のままふいに振り向いて、肩を落としているアザルに笑顔を向けた。
「アザル、お前もいつかベルタスに来いよ。ズミとは全然違うからきっと驚くぞ。俺が案内してやる」
アザルは少しだけ驚いた顔になって視線を上げた。
「それ、トレンティアの町? 陛下が行くなら俺も行くけど……いや、でも今日でクビになるかもしれないから無理かも……」
答える言葉はやっぱり悲愴だった。ロイは少し不機嫌そうにして首を振る。
「別に王様の従者じゃなくても来れるかもしれないじゃないか。すぐは無理でも、大人になったら来れるだろ。いつかな、いつか」
「うん……」
それはきっと戦争が終わった後のことなのだろう。ロイも騎士と言ってもまだ子どもだ、わけもわからずここへ連れてこられただけで、戦況がどうなっているかは知らされていないだろう。それはただ漠然とした“いつか”……。
子ども達が交わすその約束はあまりに眩しく、温かかった。その“いつか”を実現するのが、きっと大人の役目というものなのだろう……なんて柄にもない感慨を懐く……まあ、私はもう軍からは外されているのでどうしようもないのだが。
「そうだ、約束の証をやるよ。大事なものだからなくすなよ」
そう思いついたように言って、ロイは懐をごそごそとまさぐった。
何か金品を渡すつもりなのかと不安になって私はそれを見守る。家のものを勝手に渡したら彼がジャックから叱られるかもしれない……。
しかしそこから出てきたものを見て、私も、そしてアザルも目を瞬かせて、思わずそこで立ち止まった。
「ベルタスでたまに拾える珍しいものでさ、学校の子どもがよくお守りに……」
そう言って彼が取り出したのは……白い、それは見事に雪のように真っ白な、葉っぱだったのだ。お守り、なんて言った言葉はさすがに聞き覚えがあって、私の中でも何かが繋がり出してしまう。
「こ……これ! これだよハルク!」
途端にアザルは目を見開いて、ロイの手ごとその葉っぱ――トレントの葉を両手で掴んだ。その勢いにはロイも驚いて、思わずびくりとして片足を退いた。
「え?」
「陛下が大事にしてたお守り! これだよ! ほんとにそっくり……同じみたい! これ、くれるのか!?」
「あ、ああ。俺は何枚も持ってるから全然……。えっ、ズミの王様のお守りがトレントの葉? なんで?」
「え? トレンティアの木の葉っぱなのか? なんでだろ……。人からもらったって言ってたから、陛下もトレンティアの人からもらったのかも……」
子ども二人は不思議そうに首を傾げながらも、興奮した様子でその葉のやりとりをした。
「トレンティアの神様の加護が宿ってるんだぜ。だから旅とか引っ越しに出かける友達によく渡すんだ。あなたに、神聖なるトレントの加護がありますようにって……」
紆余曲折を経て主君のお守りを無事取り戻した、アザルの足取りは羽が生えたように軽かった。すっかり興奮した子どもはその喜びを全身で表して駆ける。
いや、子どもというのは意味もなく走る。外套の内側のドレスを引き摺ってそれを追うのはなかなか骨が折れたが、小言を言う気分にはならなかった。私も変な爽快感に包まれていた。
本当ならロイは私の護衛なのだから、貴婦人に森の中を走らせるなど言語道断で、きっちりエスコートをしなければならないはずだが、彼も彼でアザルの喜びに煽られてすっかり羽目を外していた。ああ、こんなところジャックが見たら、きっと彼は殴られるだろうな……。
しかし森を抜けた先で怒りの形相を浮かべて待ち構えていたのは……ジャックではなく、ズミ人の騎士だった。
「アザル殿っ! ど、どこへ行っていたのだ!? 森に入ったなんて噂を聞いてまさかと思って見に来たが……洗濯物を探しに森まで入る奴がいるか!? 陛下がどれほどご心配されたか分かってるのかこの馬鹿者ーっ!」
空まで揺るがさんばかりの大声を張り上げるのは……、ヨハンの護衛騎士、ジルだった。
トレントの葉を手に入れて浮かれている様子のアザルを、すぐにジルのげんこつが問答無用で襲う。
「それで、どうしてエレアノール殿が……えっ、ハルク殿まで!? 一体どういう経緯……、ええい、とにかくただちに基地までお戻りを!」
ジルは私達の姿をも見てすっかり混乱した様子だ。従者一人の粗相ならともかく、友軍の要人まで同行しているとなればげんこつ一発では済ますわけにはいかないだろう……急に冷静になってきた私は、余裕の笑みを取り繕って基地までの道をしずしずと歩いた。
基地の敷地に入ると、そこではマントを付けていない軽装で、国王自らがうろうろと所在なさそうに歩いていた。
私達の姿を見るなり目を丸くして、しかし驚きの声も上げられないという様子で首を傾げて混乱しているようだった。
「へいかあ……ずびばぜん、おれ、へいかのおまもり、みつけなくちゃとおもっで……」
散々ジルに叱咤されたアザルはまた涙でぐずぐずになってその主君の元に跪いた。ヨハンは呆れた顔になってそれと私の顔とを交互に見た。
「いや、無事ならいいんだが……。これは一体どういうことだ、エレアノール」
「飛んでいった洗濯物と一緒に陛下の大事なお守りがあったから、それを見つけ出さなくてはいけないと聞いたわ。私は手が空いてたからイグノールの許可を得てその任務の協力に。それで探し回って、まあ、成り行き森に入って、イノシシを狩って……」
「どうしてそうなるんだ」
ヨハンは真顔で聞いてくる。改めて思うと、確かにどうしてそうなるんだという状況だった。
「というかお守りって……、トレントの葉だろう。あんなの飛んでいったのならもう分からないし、服に入れたままにしてた僕が悪いんだ。そんなの探して森の中にまでなんて……馬鹿なことを」
呆れたため息とともにヨハンが言う……しかしアザルは涙ながらに、苦労して手に入れたそれをびしと主君に示して見せた。
「みつけました! 葉っぱ、これ!」
……見つけたのではなくて新しく入手した、が正しいのだが、アザルとしては見つけたと言いたいらしい。
ヨハンは一瞬呆気にとられたように目を瞬かせて、差し出されたその葉を手に取った。
しかしすぐに何か返事をするわけでもなく、その葉をじっと見つめ、裏返したりして何やら眉を寄せる。
葉は自然のものだ、見た目にそんな変わった特徴はないが、その大きさや形や葉脈のあり方は少しずつ違っていて、全く同じものはひとつとして無い。
「見つけたってこれ……誰からもらったんだ」
ずばりとそう見抜かれ、アザルはぐっと苦しそうに息を詰まらせたが、すぐに経緯を白状した。
ヨハンはすぐに驚いた顔でロイを見つめる。彼は既に騎士の自覚を取り戻して、きりとした顔で私の脇に控えているだけだ。
その顔と、まだ涙に濡れているアザルの顔とを交互に見て、ヨハンは――彼には非常に珍しく、ふっと笑った。
「そうか、ありがとう」
そう言ってその葉を懐にしまった。それ以上は追求や叱責を重ねるつもりもなさそうだ。
「エレアノールも協力を感謝する。どうやら面倒をかけたようで……」
「気にしないでちょうだい。私はもう軍務から外されちゃって退屈で仕方なかったから、楽しかったわ」
そう言ったのは正直なところだった。ヨハンは少しだけ呆れたような顔になったが、すぐにまたアザルの方へ切り替える。
「今日で仕事も一段落ついたから、明朝にはすぐラズミルに出発する。準備を急いでくれ」
そう急かされて、慌ててアザルも飛び上がって仕事に戻るようだ。それを率いるようにして、ヨハンも軽く挨拶だけしてからジルを伴って宿へ引っ込んでいく。私もロイと共にイグノール軍の宿の方へ引き返し始めた。
ちょうど空は茜色に染まる頃、私達の冒険はそうしてあっさりと幕を閉じる……。
ちらりと振り向くと、マントを着ていない国王の背中が見えた。いつの間にか、初めて会った時よりも随分大きくなったような気がする。
なぜ彼がトレントの葉をお守りにしているのか……その経緯は少し気になったが、彼らはやっぱり仕事に追われて急いでいるようだったし、わざわざ呼び止める気にもならなくて聞かなかった。
葉は自然のものだ、ひとつひとつが少しずつ違う……だけどひと目で見ればみな似たようなものでもある。その僅かな違いを、手に取った途端に分かるほど……本当に大事にしていたのだろう。
ともかく私達はイグノールの元へ戻って報告を済ませた。また退屈な部屋に戻ることにはなるが、今日のところは、森の中を歩き回ってイノシシと戦いもして、いい疲労感だ。
そして泥とイノシシの血や脂に汚れたドレスは脱いで、結局軍服を着るようになったことは、任務に駆け回っている小うるさい騎士の耳に入るまでは少し時間がかかったようだった。
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