結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス

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第4話 エマ、開店準備をする

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 猫耳亭、そして始まりの取引


 サンジャンの町に辿り着いた頃には、空はすでに茜色に染まりはじめていた。
 石畳の通りにはランプの灯が一つ、また一つと入り、人々の声が夕暮れの空気にやわらかく溶け込んでいく。

「ほら、着いたよ。ここが猫耳亭」

 アンナが立ち止まり、親指で示した先にあったのは、木造二階建ての宿だった。
 外壁は年季が入っているが、手入れは行き届いている。看板には、丸い目をした猫がちょこんと座る愛嬌のある絵が描かれていた。

「……猫の宿、ですか」

「そうそう。冒険者に大人気。値段も良心的だよ」

 扉を開けた瞬間、香ばしい煮込みの匂いと、人の熱気が一気に押し寄せてきた。
 一階は食堂兼酒場になっており、革鎧姿の冒険者たちがテーブルを囲み、剣や杖を無造作に立てかけている。笑い声、杯の音、木椅子のきしむ音が混じり合い、町の息遣いそのものだった。

「一泊二食付きで十シルバ。どう? 安いでしょ」

「……安すぎませんか?」

 エマが思わず聞き返すと、アンナは肩をすくめた。

「この町じゃ普通。長期滞在の冒険者が多いからね。回転率重視ってやつ」

 通された二階の部屋は簡素だが清潔で、窓からは通りを見下ろすことができた。
 夕食は具沢山のシチューと黒パン。特別な味ではないが、体の奥にじんわりと染み込む。

(……ちゃんと、生きてる)

 ベッドに横になりながら、エマは静かにそう思った。
 それを実感できたのは、本当に久しぶりだった。

 ◇

 翌朝。
 焼きたてのパンと卵料理を平らげ、エマはアンナに深く頭を下げて宿を出た。

「気をつけてね。何かあったら、また猫耳亭に戻ればいい」

「ありがとうございます」

 目指すは、商業ギルドだった。

 石造りの堂々とした建物の中は、朝から人で溢れていた。
 受付の奥から顔を上げたのは、淡い黄色の髪を結い上げた若い女性だ。

「いらっしゃいませ。商業ギルドへようこそ」

「エマといいます。登録について伺いたいのですが」

「受付のマルゲリータと申します」

 彼女はにこやかに説明を始めた。

「登録料は百シルバ。屋台を借りる場合は、場所と屋台代で一か月二十シルバになります」

「この町で、正式に商売ができるようになる、と」

「ええ。税の優遇もありますよ」

 エマは頷き、さらに問いを重ねた。

「宝石ほど高価でなくても構いません。綺麗な石……カラーストーンを扱いたいのですが」

「ああ、それなら宝石商か道具屋ですね。冒険者ギルドに鉱石採取の依頼を出す方もいますよ」

「穴を空ける道具や、研磨は?」

「鍛冶工房です。紐は布屋か縫製店で」

 マルゲリータは手際よく紙に地図を書き、差し出した。

「助かります。それと……売りたいものが一つ」

 エマは布に包んでいた拳大の石を、そっと取り出した。

「……石、ですか?」

「中身は、エメラルドです」

「えっ!? エ、エメラルド!?」

 マルゲリータは目を見開き、慌てて奥へと駆けていった。

 しばらくして現れたのは、眼鏡をかけた中年の男性だった。

「私はマリナーラ。この件を担当させてもらいます」

 鑑定魔法がかけられ、原石が淡く光を放つ。

「……これは……」

 男の表情が変わる。

「ここでは話せません。応接室へどうぞ」

 ◇

 さらに奥にある応接室で待っていたのは、白髪の老人で商業ギルド長クアトロ=フォルマッジだった。

「入手経路は、どちらで?」

「隣国フランセ王国です。私は元モナコラ伯爵夫人、エマです。現在は離縁し、平民ですが……」

 再度の鑑定結果が告げられる。

「エメラルドを含む原石ですな……ただのエメラルドではない。最上位のノンオイルだ」

「で、いくらになりますか?」

「うーん、百ゴルドでどうじゃ? 手頃なお値段かと」

 エマは即座に首を横に振った。

「安すぎます。別の場所で売ります」

 立ち上がろうとするエマをギルド長が慌てて引き留める。

「待ってくれ! 二百でどうじゃ!」

「三百は最低でもいくでしょう」

 沈黙が落ちる。

「……二百五十。加えて、屋台と場所代を一年間無料で提供する」

「うーん、それではそれで手を打ちましょう」

 エマは悩んだそぶりを見せた後、小さく微笑んだ。

「中身を割れば、価値はもっと明確になりますよ。これでも、エメラルド鉱山で知られたモナコラ伯爵夫人でしたから」

 口座を開設し、金は入金された。
 五十ゴルドは、手元に残した。

 ◇

 次にエマが向かったのは、宝石商ペンネ商会だった。
 店に入ると、店員が現れた。

「いらっしょいませ、ペンネ商会へ、本日はどのようなご用で?」

「マカロニさんをお願いします。エマが来たと言えばわかるかと」

「かしこまりました、少々、お待ちください」

 店員は手慣れた感じで、近くのソファにエマを案内してから、一礼をして奥へと立ち去った。

 言葉の通りに少々、待っていると、奥から見慣れた顔を現れた。

 エマを確認すると、店主マカロニは驚いた顔をした。

「久しぶりです、奥様……いや、今はエマ様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

「もう、貴族ではないので、エマで。それで店長、お願いがあるのですが」

「はい、どのようなご要望でしょうか?」

 店長はにこりと営業用の笑みを浮かべている。

「宝石をカットした後の廃棄石があったら、購入したいかと思いまして」

 そして、ここでエマは加工した後の残りの廃棄石を購入するのだった。

 捨てる物がお金になって満足した店長マカロニに、エマは店を出る時に軽くアドバイスを送る。

「良い取引ができたお礼に、少し助言をしてもいいかしら」

 エマは声を落とす。

「これから、エメラルドの価格が暴落する可能性があります」

「……え、その理由は?」

「市場に、流れます。かなりの量が」

 店主は目を細め、深く息を吐いた。

「貴重な情報ありがとうございます。しばらく仕入れは控えます」

 ◇

 布屋では、糸を前に立ち止まった。

「アクセサリー用に向いた糸は?」

「用途次第ですね」

 若い女性店員は麻糸を手に取る。

「丈夫で安価。普段使いならこちらがおすすめです」

 次に、絹糸を差し出した。

「こちらは高級感があります。肌触りも良いですよ」

「……両方を少量ずつください」

 ◇

 鍛冶工房タパスでは、特注の魔道具を頼んだ。

「鉱石を入れると、自動で粉砕し、一センチほどの玉に整形。研磨して、穴まで空ける……ですか?」

「ええ。一連で」

 中年男の主人タパスは顎を撫で、にやりと笑った。

「面白い。できるとも」

 ◇

 完成まで一週間。
 その間、エマは冒険者ギルドに鉱石の依頼を出し、街を歩き、素材を集めた。

「……ミスリルとか見てみたいわ」

 前世では見たことがない鉱石の名にわくわくする。
 一週間後に、再び鍛冶工房を訪れた。

 完成品が想像以上に大きいことに驚いた。
 馬車ぐらいの大きさはあるのではないだろうか?

「置き場所はどうする? 自分で運ぶか?」

 工房主タパスは嬉しそうににやりと笑った。

「なんならこの工房に置いて使用するか? 場所代は一か月十シルバでな」

 タパスにそう言われ、エマは深く頭を下げた。

 ◇

 それからの日々は、忙しかった。

 魔道具に石を投げ込む作業が続いた。魔道具が石を砕き、磨き、穴を空ける。
 ただ、それだけ。

 だが確かに、積み上がっていく。

 二週間後。
 屋台を開く準備は整った。

 磨き上げられた石を前に、エマは小さく息を吐く。

 ここから――
 静かに、しかし確かに。

 彼女の人生は、再び動き出していた。

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