戦女神の別人生〜戦場で散ったはずなのに、聖女として冷酷王子に溺愛されます!?〜

藤乃 早雪

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プロローグ

朱の花は戦場に散る

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 燃え上がる、鮮烈なアカ

 リアナーレ=アストレイは、荒涼の大地に旗を突き立てる。
 タイミングを見計らったかのように吹いた風は、彼女の短い朱色の髪と、シャレイアン王国の紋が刻まれた軍旗を、炎のようにはためかせた。

 終わったのだ。そう安堵した瞬間、リアナーレの胸部を鋭い異物が貫く。
 声はない。代わりに口から溢れたのは、深紅の液体だった。音もない。痛みも感じない。

 膝から崩れ落ちた戦女神は、意識の残された僅かな時間で、一人の男を思い描く。
 軍人としての仮面の下で、愛し続けた唯一の人。

 険しい表情の想い人が脳裏に浮かぶ。最期まで、彼の笑顔を見ることは叶わなかった。幼い時、確かに向けられていたはずの彼の優しい顔は、色褪せ、記憶からも失われていた。

 リアナーレ=アストレイは戦場に散った。体が壊れ、生が消える。そのはずだった。

◇◆◇

「…、…さま、…ア…様、リアナ様ぁっ!」
「うるさい」

 耳をつんざく甲高い泣き声に、リアナーレは思わず不機嫌な返事をする。あと一時間は寝させてほしい、そんな気怠さが体にあった。

「はえ?」
「え?」

 驚いたのは泣き声の主だけではない。言葉を口にした本人も同様に驚いていた。
 急速に頭が冴えていく。

 がばりと起き上がったリアナーレは、ベッドに伏せて泣く人物に問いかける。

「私、死んだよね」
「はい。今しがた、ご臨終なさいました」

 若いメイドは不思議そうに答えた。彼女が瞬きを繰り返すと、目に溜まった水滴が頬へと零れ落ちていく。
 どこかで見たことのある顔だと思うが、リアナーレは彼女が誰なのか思い出せない。

「私、何で生きてるの? ここは?」
「王宮の、リアナ様のお部屋ですけど…」
「リアナ?」
「はい。星詠みの聖女、リアナ=キュアイス様です」

 リアナーレはベッドから跳ね起き、シーツに足をとられて転びそうになりながら、化粧台へと走る。
 壁に埋め込まれた大きな鏡には、黒髪の、華奢で可愛らしい女性が映った。あどけなさが残る容姿からして、少女と形容した方が良いかもしれない。

「うわぁ」

 リアナーレは口をあんぐりと開け、鏡に映る別人を見つめる。

 星詠みの聖女、リアナ=キュアイスのことはリアナーレも認識している。何なら、戦地へ赴く前にも顔を合わせた。
 聖女様はリアナーレと名前こそ似ているが、見た目と中身は似ても似つかない。

「リアナ様、どうされてしまったのでしょう」
「奇跡だ…聖女様の、奇跡だ…。君、生き返るところを見ただろう? これはまごうことなき奇跡だよ!!」
「ドクターまでおかしくなってしまわれた…」

 感極まって声を張り上げる医者には目もくれず、リアナーレは顔に困惑を浮かべるメイドに尋ねた。

「ねぇ貴女、名前は?」
「忘れてしまわれたのですか?」
「ああ、ええっと、そうみたい。一度死んだショックで色々と思い出せなくて」
「ルーラ。貴女つきのメイド、ルーラ=ホワイトです」

 そうだ。顎のあたりで切りそろえられた茶色の髪に、鼻の上にうっすら浮かぶそばかす。本物のリアナに招かれた際に、一度顔を合わせている。

「ルーラ、セヴィリオはどこ?」
「セヴィリオ様でしたら、執務室にこもりきりのようです」
「はぁ。そんなことってある?」

 セヴィリオ=シャレイアンはリアナーレにとって幼馴染であり、上司にあたる。
 一方、星詠みの聖女にとって、彼は夫だ。嫁の最期を看取りにも来ないなんて。どうしようもなく薄情な男。

「リアナ様!?」

 リアナーレは衝動のまま走り出していた。間違いなく、リアナーレが目覚めたこの場所は、シャレイアン王宮だ。
 良く知るタイル張りの廊下を爆走し、冷酷極まりない軍事総帥様の執務室へと至る。

「聖女様!? 何事ですか!?」

 暇そうに欠伸をしていた衛兵は、ネグリジェ姿のまま駆けてくる聖女様に気づき、声を裏返した。

 王宮への出入りだけでも厳しく制限されているというのに、彼の執務室へ入室できる人物となると更に少ない。
 なにせ、セヴィリオ=シャレイアンは名前が示す通り、ここシャレイアン王国の王族でもあるのだから。

「何でも良いから開けなさい!」

 彫刻の施された荘厳な扉の前で、リアナーレは衛兵に掴みかかった。
 若い彼は、薄っすら肌が透けて見える装いの聖女様から、気まずそうに目を逸らす。

「ご勘弁ください。誰も通さぬようにと仰せつかっております」
「リアナは嫁でしょう? 嫁すら通せないと言うの?」
「そうですが、総帥は今…」

 騒ぎが中まで聞こえたのだろう。中から扉が僅かに押し開かれる。男の姿は見えず、隙間から感情のない声が降ってきた。

「何事だ」
「あら。セヴィリオ様、ご機嫌麗しゅう。嫁を看取りにも来ないだなんて、何様なのでしょう。ああ、名ばかりの第二王子様でしたっけ?」

 リアナーレは腰に手を当て、扉の向こうに立つ男を挑発する。

「リアナ様、いくら貴女でも今の発言は不敬罪にあたります」

 衛兵はセヴィリオの機嫌を損ねないよう慌てて忠告するが、聖女相手に無体を強いることもできず、額に汗を浮かべて狼狽える。
 そうこうしているうちに、勢いよく開かれた扉が衛兵の顔面に激突した。

 ゴンッ、と鈍い音が廊下に響く。

「セヴィー…貴方って本当に最低」

 リアナーレは前髪をかき上げ、もう片方の手を主からの一撃にうずくまる、哀れな衛兵へと差し伸べる。
 事故を引き起こしたセヴィリオは悪びれることなく、ただ真っすぐリアナーレ、いや、リアナを見つめていた。

「リアナ…生きてたの? 体は大丈夫?」
 
 声に光が灯った気がした。いつもの仏頂面からは想像のつかない情けない顔で、冷酷王子は聖女を腕に抱く。
 彼のアイスブルーの瞳には、安堵の色と、うっすら水の膜が浮いている。
 
「うん。生きてるみたい」

 リアナーレは体を硬直させた。好きな男に抱き締められたことへの高揚と共に、胸を抉るような絶望に襲われた。

 ――彼が、望んでいるのは私ではない。

 セヴィリオは、死を目の当たりにするのが堪えられないほど、星詠みの聖女様のことを愛していた。
 その事実に、リアナーレは胸を締め付けられる。

 嫁を看取りに来ない彼の薄情さに怒ったのは建前だ、理由づけだ。本当はただ、リアナーレ自身がセヴィリオの顔を見たかっただけなのだ。

「良かった、リアナ、良かった…」

 生きていてくれて良かった。セヴィリオは震える声で何度も呟く。彼の背にそっと手を回し、リアナーレは無理に笑う。

「もう大丈夫だから。泣かないで、セヴィー」 

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