空からの手紙【完結】

しゅんか

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車内と室内で密談を

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「誠に申し訳ございませんでした……」

「いや……全然いいんだけどよ?近所迷惑っつーもんだけは考えようぜ?」

「はい。全くその、仰る通りです。」


 久原菜々子からの電話を手に深く考える間もなく向かって行ったのは、とある相手の実家だった。着いたら連絡するという手筈をつけ電話を切った後、深夜真っ只中という現状を麗さっぱりすっかりと忘れていた……ため。


『まっきー車出せる!?大至急!』


 さまざまな一軒家が立ち並ぶ住宅街ど真ん中で、【槙本】とある表札の前。正面から見える位置にある2階の部屋、電気が点いていたそこに向かって“大声で叫ぶ”という失態を犯してしまった。それほどまでに焦っていた、という内情は察してほしいのだけれど。周りの状況など何にも見えないくらいには、必死で。


『おい龍!てめえ馬鹿!深夜も深夜だっつうの!』

『あ、そっか。ごめん……って、違う!まっきー!』

『ああ?』

『いんちょーさん家まで、運転してくれない?今すぐ!』

『久原の……?あー……待ってろ。とりあえずそこ行くから。』


 1分もしない内に出てきてくれた担任に、この数分間の事情を説明すれば(本人の許可なしに彼女からの“SOS”を言うのはどうかとも思ったけれど)すぐに動いてくれる結果となり。今に至っている。

 スウェットにモッズコート、黒いマフラーを大雑把に巻いてるという自分の妙な服装に、有名スポーツブランドの上下揃ったジャージにライダースジャケットを羽織った相手のとんちんかんな服装は……うん。中々のものだった。


「それよりも、だ。久原、大丈夫か?なんて言ってた?」

「なんか『頭痛が治まらない』って……いつから、だろう。」

「………………」

「……?まっきー?」


 エンジン音とタイヤが道路に擦れていくだけの僅かな物音だけがBGMとなっている車内で、不自然に押し黙る相手へと視線を伸ばす。運転手の眉間には、助手席からでも分かるくらいの深く深く密集された皺が寄せられていた。


「龍、」

「え?」

「これ、電話してくれ。永谷先生に。」

「分かった。ちょっと待ってね、」


 戸惑う声を出そうとも突然の要求に狼狽えようとも、表情を崩さない相手がライダースジャケットのポケットを探りスマホを差し出してくる。

 羽海ちゃんでもしんしんでもない、もう1人。担任と高校時代からの知り合いで、今現在通っている高校の保健医を務めている者の名を口にしながら。


 どうしてこの状況で“永谷先生”なのか、とか。彼女の頭痛が、そんなにも苦しく思う事柄なのはどうしてか、とか。疑問はいっぱいあったけれど、優しい問題ではないと解れた。“久原菜々子”の事情など知れず終いな俺にだって、すぐに。


「スピーカーにしてくれ」

「うん。ボリューム最大にしとくよ?」

「おお。さんきゅ。てか、起きてんのかあいつ……」


 なにひとつ触れることはしないままスマホを受け取り、電話帳から目的の相手を見つけ発信画面を押す。太陽が輝きを放っている頃よりも遥かに少ない交通量、止まることを知らないまますいすい進んできた道のりは。もうすぐ、彼女の暮らすマンションが姿を現す間際。


『……陽?どうした?』


 直前の信号機に引っ掛かったとき、落ち着きのある低い声がスピーカを伝い車内へと響いた。


「遅くに悪いな」

『大丈夫だけど、珍しいな?』

「いや、久原がよ。頭痛いの止まらないんだと。どうすりゃ治る?」

『……久原?今?』

「ああ」


 前を向いたままに淡々と告げていく担任に対しての保健医は、気心知れた相手との会話そのものだったけれど。彼女の名前が出ると同時に深刻なものに変わる。膝の上で、運転席に通話口を向けながら握っているスマホを握る右手に力が籠った。


 ああ、そうか。俺は、本当に。ほんの少し、たったひとつだって。いんちょーさんの苦しみを、知らなかったんだ。


「さっき龍に電話きたみたいで、今、久原の家行ってる途中。もう目の前。」

『りゅう、って……あ、坂巻な。おい、聞こえるか?』

「あ、はい。聞こえてます。」

『お前に、久原から電話きたんだな?あいつ、から?』

「そう、です……けど、」


 頭を抱えたくなる納得事に、俯いてしまいそうだったけれど。訝しがるよう棘があるよう与えられた物言いに、意味が分からず顔をしかめる。ふと、流れるように担任へと視線だけを伸ばせば、何故かにやにや……ニヒルな笑みを満面に浮かべていて。


「なあ、久原はもう、大丈夫じゃねえか?」

『……そうだな。よかった。』

「え……ちょっとまってストップ。話見えないんだけど。」


 大した会話など今までに積み重ねてきていない保健医まで、安心をたっぷり含めたい息を吐き出していて。夢中で、トランシーバーを使うようスマホを顔のすぐ下まで引き上げていた。聞こえてくる話の流れが変わることも分かることもないけれど、思わずに。


「いやいや、こっちの話……って、ほら龍。ついたぞ。」

『あ、坂巻。たぶん久原、熱も出てんぞ。』

「熱、って……いんちょーさん、そんな素振りなかったよ?」


 結局、うやむやな言葉で誤魔化しを図る大人2人を理解する難事を諦めながら、シートベルトを外す。引き止められるよう教えられた彼女の体調に、不安が募った。目の前には、見覚えのある、大きなマンション。


『まあ……精神的なもん、だろうな。』

「……せいしん、てき……」

『でも、熱は熱だよ、坂巻。頭痛も、頭痛。』

「そう……ですね。確かに。」

『ん。あ、お前今から家来れるか?看病グッズたぶんあるから、取りに来い。ついでに久原のとこまで乗せてくれ』

「おー。了解。一応、診てやってくれよ」


 聞き馴染みのない単語に、動揺して。力強く言い切ってくれる説明に、安心して。彼女を支えようと動いてくれる2人に、彼女を支えようと錯誤している行動を支えてくれる2人に、感謝した。


『坂巻』

「はい」

『それまで、久原のこと、頼むな。』

「………うん。分かりました。まっきー、運転ありがとね?」

「どういたしましてー。いいからほら、さっさと行け。」

「はいはい」

『1時間ぐらいかかるかも知んねえけど、俺も行くから』

「うん。永谷先生も、ありがとう。」


 正直に白状すれば、久原菜々子を助けるために出来る具体的なことなんて、何も思い浮かびやしないけれど。ただ、彼女の、傍に居たい。他の誰かじゃなくて、俺が居たい。


 強く熱く分厚い気持ちが足を急かし、大人たちからの見送りに対する返事もそこそこに車に背を向けマンションへと駆ける。





『……今のが“噂”の従兄弟か?』

「正解。んで、心の弟。」

『確かに口調似てんな。なんつーか……独特のゆったり感?』

「昔のあいつと過ごした時間、心が圧倒的に多いからな。影響されてんだろ。」

『そういや俺、駄菓子屋行ったことねえわ。今度、顔出してみっか。心ともずっと会えてねえし』

「俺も会ってねえな。たぶん、龍も会ってねえんじゃねえかな。最近はなるべく久原の側にいようとしてたし」

『あー……でも、そのお陰で久原はもう大丈夫だな。きっと。苦しいこと、自分から言えたんなら。しかも、坂巻に。』

「……俺、今年になって今の高校赴任になったとき、お前から久原の話聞いてさ。いろいろ様子見て関わってたつもりだったけど……龍が、いてくれてよかったって、素直に思うわ。マジで。うん。」


『それは、確かに……けど、俺だって久原と2年近く関わってきたけど、いっかいもねえからな。自分の気持ちとか、自分を出されたこと。何回も保健室利用しに来てたのに。“頭痛”と“熱”がひどくて』

「……3ヶ月、だ。」

『3ヶ月?』

「龍が久原の【不安定】なとこに気付いて、そばに居るようになってから、今日まで。」

『……あっぱれ、だな。』

「ははっ。確かに、あっぱれだ……まあ、龍にもいろいろあるんだけどな。ぶっちゃけ、そっちのが心配になってきたよ。俺は。」

『……あんまり、無理すんなよ。』

「……おう。さんきゅ。」

『……俺は、10年前に決めた【目標】を、ずっとやっていく。自分の出来る範囲で。』

「ああ。」

『お前も同じように生きてんのは、嫌でも分かるから。俺に出来る事あんなら、すぐに言えよ。同じ【場所】で働いてるし』

「……了解。とりあえず、そっち行くわ。嫁さんは元気?」

『元気元気。ちょうど今、家にあいつら泊まりに来てんだよ。けど、たまに腹立つぞこの2人。俺は旦那なのに、未だに敵意むき出しだからな。』

「なんだその平和な状況……」

『べつに、楽しそうだしいいんだけどな』

「……そうだよな。楽しそうなのが何よりだ。」

『………………』

「……ありがとうな。色々。」

『 ……どういたしまして。』

「そんじゃあ、また後で」

『ん。いろいろ、久原診てやる準備して待ってるぞ』





 真っ暗な夜の帳と同化する車内で<学校>という小さな<世界>の中、たくさんの≪こども≫たちを≪みまもる≫大人2人が、交わす会話。

 それを本人たち以外が知る機会など、決して、訪れない。





 立派な大きさのマンション内へ入り、エレベーターで7の数字を押した。無駄に長く感じる上昇に焦れったさを覚えながら、辿りついた階、いちばん右端の部屋のインターホンへ指を伸ばす。



『……坂巻くん、』

『……大丈夫?』

『うーん。ふふ。微妙。』

『……そんな風に、笑わないで。』

『………………』

『……入っていい?』

『……うん。もちろん。』


 苦しそうに寄せた眉を下げ気味に扉を開けた彼女は、小さく笑った。小さな手のひらを広げて誘導してくれた中へと入り、フローリング状の廊下を進む。

 辿りついた部屋は、淡い茶色な光の豆電球。電気ヒーターのみの辺りは、落ち着いた明るさだった。


「あ……ごめん。暗い、かな。」

「大丈夫だよ」

「明るい光、ちょっと苦手なんだ。今は、とくに。ちょっと、ガンガンする。」

「……頭?」

「うん。でも、だいぶん楽になったよ。」

「そっか……熱は?」

「うん。平気。」


 1メートル前ほどの近い距離にあるオレンジ色の前、ベッドに背中を預けさけてもらいふわふわなカーペットの上に並んで座る。医者でも看護師でもましてや医療知識など皆無に近い筈なのに、真剣に訪ね続けるそれが可笑しかったようで。彼女はまた、口角だけを上げた。


「えっ、と……まず、謝りたいんだけど、」

「え?」

「ここまで、まっきーに車で送ってもらって来た。勝手に、いんちょーさんの体調話したんだ。電話で、永谷先生にも……了承もなく、ごめんね。」


 気なっていた自分本位な判断を白状しても、相手の微笑みは継続される。胡座をかき手持ちぶさたに両腕を下げ眉を下げ顔を向ければ。やんわりと首を横にふる否定の意を込めたそれを貰った。


「坂巻くん、顔、すごい困ってるよ。」

「……だって、そんなの。」

「大丈夫だよ。むしろ、ごめんね。迷惑しかかけてないもん……先生たちは、なにか言ってた?」

「……今からまっきー、永谷先生のとこ行って、2人揃って様子見に来るとかなんとか」

「…………そこまでしてもらっていいのかな…」

「それこそ、大丈夫、だよ。というより、なに言っても来ると思うよ?心配性な大人2人だもん」


 申し訳なさそうに膝を抱え小さくなる彼女に不安を取り除いてほしくて、笑って何度も頷く。


「……ありがとう。」

「……うん。俺も、ありがと。」

「うん」

「うん」

「…………。」

「…………、」


 お互いに庇い合うようなやりとりを終えれば、なんとなく、真正面を向いていた。自然な、気まずくも心地よくもなく流れる沈黙に包まれて。僅かな灯りを頼りに、不躾だと思いつつも彼女が普段生活をしてるらしい部屋に視線を伸ばしてみる。

 室内の家具やインテリアは、本当に必要最低限なものだけで。どれをとってもシンプルで模様はなく、淡々と存在していた。……とても、17歳の女の子住んでいる場所とは、思えない。確認するだけでは、どんな人物が住んでるのかさえ予想もできないここは。掴み所のないこの部屋の住人と、同じ印象を持ってしまう。


 そっと、真横にいる彼女を盗み見た。相変わらず綺麗に整った横顔は今、何処と無く儚げで。


「……いんちょーさん、1人暮らしだったんだね」

「あ……うん。黙ってて、ごめんね。」

「いーよ、そんなの……それに、いんちょーさん今日、謝りすぎ。」

「……そうかな?」

「そうだよ。悪いことなんか、してない」

「………………っ、」


 どうしてか、やたらと自分を下げるような……考えすぎかもしれないけれど、自分を最低だとでも言いたげに謝罪を続けるその様に眉間を寄せる。


 どうしたの、かな。この子には、なにがあるのかな。なにが、あったのかな。


「……いんちょーさん、」

「……っ…ごめ、」

「………………」

 
 知りたくて。久原菜々子の苦しみを、分かりたくて。目を逸らすことなくそこだけを見入っていた体は、硬直した。印象的な2つの瞳から、ほろり、ほろり。ゆっくり、次々に、雫が落ちていく。



「……どうした?」

「わ、たし……っもう、しにたい……っ」


 頭の中心を、重たい鈍器で殴られたような衝撃が走った。

 “しにたい”

 それは。

 “自分をこの世界から消してしまいたい”

 という、そんな。


 強い願いに近い、希望のような、絶望だ。


 けれど、その感情を、その欲望を、知っている。

 彼女の周りにいる誰よりも、理解できる自信があった。


「……うん。」

「……もう、やだ……っ」

「…………うん。」


 息を詰まらせるような泣き声を誤魔化すためか、折り曲げ立てていた膝に額をあて、顔を隠す。いつまで経ってもどこまでも、完全には自分晒さない相手の震える華奢な肩。こと。と、静かに頭を寄せた。


 顔全体に当たるオレンジ色の熱が、少しだけ痛くて。彼女と初めて深く関わった、あの日のようだった。久原菜々子の異変に気付いた、3カ月前の、あの日。



「……そっか…」

「……っ…」

「……悲しいね」

「……っ…え…?」

「いんちょーさんが死んじゃったら、俺、すごい悲しい。」

「………………」

「自分本意な意見だけど……これしか、言えないや。」

「…………、」

「……悲しい。そんなの。」


 伝えるために発したそれらは、たぶん。おかしなモノ、だっただろう。きっと、こういうときには……近くにいる誰かが“死にたい”と訴えてきたときには。“死んだらダメだよ”とか“生きなくちゃ”って、説得するべきなんだろうな。


 胡散臭げでも、
 伝わらなくても、
 形だけでも、
 心からでも、

 それこそ、必死に。


「……でも一応、知ってるつもりだから」

「…………?」

「いんちょーさんが毎日、一生懸命、丁寧に生きてること。勝手に見てたから、知ってる」

「………………」

「……だから、無責任に偉そうに『死なないで』とか『がんばって生きよう』とか、言えないや。」

「………………」

「いんちょーさん、がんばってるから。どうにかして助けたいって思っちゃうぐらいに、がんばってる。」

「………………、」

「ただ、いんちょーさんがいなくなったら、悲しい。」

「…………っ、」

「……悲しいよ、そんなの。悲しいし、嫌だ。」


 何度も何度も繰り返す“悲しい”は、安っぽくなってしまうだろうか。それでも、この感情は。この場所で相手に押し付けていい、唯一のカタチだと思った。


 重い瞼を下ろして、深呼吸をする。けれど、それが誰のものなのかは、分からない。お互いのもの、だったのかもしれない。


「……ごめん。私、今、すごく甘えたこと言ったね。」

「……ううん。」

「やっぱりまだ、頭、朦朧としてるのかな。痛いや。」

「うん」

「だから……それの所為ってことに、しといてほしい」

「分かった。」


 どちらからともなく頭を上げ、顔を見合わせた。時計の針音だけが、鳴るこの部屋で。体育座りのまま、彼女が身体ごとをいそいそと向けてくる。そして。唇を閉じ合わせたまま、意を決したように肩へと両手を伸ばしてきて。


「……ついでに、いいかな?」

「ん?」

「……このまま、目、閉じててもい?」


 全身をあずけてくれてからすぐ、胸板へ顔を埋めてきた。相手の肩は、足は、手のひらは、まだ少し震えていて。そっと抱きしめ返しながら、がんばりすぎてしまった彼女の頭を、優しく撫でる。


「……いいよ。おやすみ。」

「……うん。おやすみ。」


 生きている人間特有の暖かい体温に安堵しながら、再び、瞼を落とした。



 腕の中で、穏やかに繰り返している呼吸。
 ただそれだけが、嬉しくて。

 一生、それだけを守ろうと、決めた。





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