空からの手紙【完結】

しゅんか

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 暖かいぬくもりに包まれ続ける中、頭の奥、どこか遠くの方で響いているチャイム音に瞼を上げた。まだ覚醒しきれていない意識ながらも、ぼんやりと記憶を手繰り寄せる。

 ベッドに背中を預け座る坂巻くんの、すやすやと気持ち良さそうな寝顔を見上げた。


「(……抱きしめてくれたまま、だ。)」


 安心感しかない腕の中にいる自分を理解した刹那、緩む頬。オレンジ色に照らされた顔その全てが、綻んで。熱は、溜まる一方で。


「……坂巻くん、」

「…………ん…あれ……寝てた…?」

「うん」

「うーん……って、電話…………はい、」


 マナーモードにしてくれていたのか、低く唸るようにスマホを期に坂巻くんを呼び起こした。気付いた着信を寝ぼけ眼に受ける姿に大きな愛しさを覚える。どちらからともなく離れても肩が触れ合う距離で、隣に並び座った。


『龍……おい、早く開けろ!凍死させる気か!』

「あ……忘れ、」

「……うん、ごめんまっきー。すぐ開くと思います。」


 そして、電話越しから微かに伝わる槙本先生の苦情に青くなる顔を止めることはないまま急いで立ち上がる。他人事かと思い放置し綺麗さっぱりと忘れていた、呼出音。その様がよほど可笑しかったのか、暢気な坂巻くんは笑いを噛み殺していた。

 足早に玄関に向かい鍵をあけ扉を押せば案の定、見覚えのありすぎる大人2人が立っている。


「ごめんなさい!うとうとしちゃってて、」

「お、久原、元気そうだな」

「あ、はい。そういえば、すっきりしてます頭……」

「そうかそうか。よかった。」


 指摘されて初めて気付いた自分の現状に、少し前までとのギャップに、肩の力が抜けた。嬉しそうに笑った槙本先生は、腕を伸ばし大きな手のひらを広げて、私の頭をぽんぽんと撫でる。


「安心した。よかったな、久原。」


 そして、ここに来て初めて口を開いた……去年からお世話になりっぱなしでもある恩人、兼、保健医。永谷先生も、特徴ある双眸を細め、優しく微笑んだ。


 絶対的に信頼できる先生たちに向かって「……はい。」と、心の底からの笑顔がこぼれる。


「じゃあ、長居してもなんだし、行くか?」

「おー。あ、龍!お前どうする?帰るんなら送るぞ?どうせ、慌てて家飛び出したんだろ。朝、家からいきなり消えてたら驚かれるぞ。」

「あー……そうだよね……うーん、でも、」


 最大限まで押し開けている玄関口では、前と後ろに立っている3人からの視線が集中していた。やってきた坂巻くんは、槇本先生から振られたそれに曖昧に唸りながら心配そうな視線を向けてくる。


「……坂巻くん、私、もう平気だよ。だから、朝、学校で会おう?」

「……ほんとに?」

「うん。嘘ついてるように見える?」

「……見えない。」

「でしょ」

「…………ついてるように見えても、よかったのに。」


 どこまでも……それこそ、きっと。私が本当のだめ人間になったとしても、優しさを向けてくれるような。しなやかで芯の強い男の子である相手の名前を、音にした。

 笑って両手のひらを向けて真実ばかりを伝えれば、拗ねたように坂巻くんの唇が尖る。フランクなやり取りを交わす私たちに「いちゃつくなら中でやれ」と野次を飛ばす槇本先生の口元は、声色と裏腹に愉しく上がっていて。


「中年のやっかみはみっともねえぞ」

「誰が中年だこの野郎」

「とりあえず、帰るか。」

「しかもなんでお前が仕切ってんだよ?運転すんの俺ですけど?」

「あの、」


 知らぬ間に痴話喧嘩のような軽口を交わしあっている大人たちを中断させて、ひとりずつに視線を向けていく。不思議そうに首を傾げるという、見事にシンクロしたリアクションをする3人へ贈る私の表情は、情けないものだっただろう。


「本当に、ごめんなさい……こんな時間に、しかも、大したことなかったのに……申し訳ない、です。」


 真夜中にわざわざ来てもらったのに、結果的に体調など特に緊急を擁するようなものではなかった。その上に、ただ来てもらって、ただ帰らせてしまうという身勝手にも程がある状況に恐縮し頭を下げる。


「……久原、大丈夫だから。気にすんなよ?」

「ああ。お前が元気なら、それが何より……ってか、このぐらいさせてくれよ。一応これでも、お前の担任だし。俺。」

「……らしいよ?いんちょーさん。」


 もう、私は、こどもなんかじゃないのに。なにをしているのだろうか。そんな、自分の不甲斐なさで陥った自己嫌悪も、ひとりも残らず可笑しそうに表情を緩めた3つのそれに取り除かれた。

 不謹慎かもしれないけれど、単純に、嬉しくて。馬鹿みたいに、幸せだった。


「よし。じゃあ2人、先車行ってろ。ちょっと久原に話あっから」

「え、あの、」

「はいはい。あ、車の鍵くれよ」

「ん。」


 そして、なにがなんだかよく分からない展開になってきた流れ、混乱するの私を他所に大人2人は話を進める。ちらりと確認した坂巻くんは、微塵たりとも狼狽える様子などなくとても落ち着いていた。

 じーっと、逸らす選択肢さえないまま姿を見続けてしまえば、気付いた坂巻くんが肩をあげる。多少のふざけを含んだまま、可笑しそうに。それでも、真剣に。


「いんちょーさん、」

「うん?」

「また明日、学校でね?」

「……うん。学校で。」

「ゆっくり、休んでね?」

「ありがとう。坂巻くんも。」


 さりげなく。“あした” も “いつものよう” に “会う”そんな、約束を。

 “あしたも生きて会おうね”今の私たちにとっては、そんな意味になる約束を交わして。隣を通り過ぎ外へと出ていく横顔は、いつも通りの雰囲気を纏う男の子だった。


「じゃあまた、だな。久原。」

「あ、はい。永谷先生も、本当にありがとうございました。」

「ん。明日な?」


 力なく上げた手のひらをひらひらとふってくる永谷先生と、優しい微笑みを最後に背を向けた坂巻くんを、視線だけで見送る。

 角を曲がる坂巻くんの姿が消えたとき、自分でも扱いきれないくらいの淋しさが身体中を被った。表に出すなんてことは、決して、意地でもしなかったけれど。


 切り替えるために、無くすために。少しの間黙りを決め込んでいた槙本先生と向き合う。


「えっ……と、先生、中入りますか?」

「いや、すぐ終わっから」

「………………」

「久原、」

「……はい」

「お前、ここ最近の龍が必死だったこと、分かってるよな?」

「……分かってます。ものすごく。」

「うん。それなら、あいつがお前を助けようとがむしゃらになって頑張ってたこと、忘れんなよ?」


 そこにあった力強く真剣な眼差しに、思わず息を飲んだ。僅かに芽生えた緊張を悟られないように、手のひらをぎゅうっと握る。


 12月。真夜中に外で繰り返す呼吸の残骸は、儚い煙のようで。すぐに、無かったことになるから。今なら、今だけなら。何をどう正直に話しても、許してくれる気がした。

 厳しそうなのに、どこまでも甘やかして包んでくれる大人。槇本先生にならば。きっと。


「…………先生、」

「ん?」

「私、お兄ちゃんがいるんです。それで、今日……正直に言うと、夕方の時点で体調、苦しくて。頭の中、雁字搦めになってて。」

「……そうか。」

「なんかもう、とにかく、助けてほしくて……夜になってすぐ、の頃だったかな?お兄ちゃんに電話したんですけど……全く頼れなくて、縋れなくて。それでも、苦しくて。」

「……龍にかけたのか?」

「はい」


 荒い口調の中なのに、優しさしか隠れていない不思議なそれを操る相手を見上げ、微笑む。1度だけ大きく頷けば、槇本先生だって笑った。


「何時間か、我慢してみたんですけ……」

「いや、我慢しなくていーだろ。」

「……私、坂巻くんのこと、好きみたいです。」

「……なんだよ。寂しい独身男に向かって惚気か。」

「確かに……惚気になっちゃいますね、これ。」


 嬉しそうに悪態つく、という矛盾を全面に押し出してくる相手に肩をすくめる。呆れた息を吐き出しながら、ジャージにライダースジャケットというちぐはぐな格好をしている先生はポケットに両手をしまって。強く同意するサインとして、幾度となく頷いた。


「まあ、いいけどな。あいつも久原のこと好きだし。断言するけど。」

「そうかな……でも、そうなら嬉しいです。」

「でも変わってんな、お前らカップルは。付き合って何ヵ月か後に両思いになんのかよ?」

「……ほんとだ。」


 私は、必ずここから、変わらなければいけない。“しにたい”なんて甘えを吐いた私に、真摯に向き合い受け止めてくれた坂巻くんのためにも。


「……俺はな、久原。」

「はい」

「久原の事情とか、久原の家族の事情とか何も知らねえし、お前が話したくないなら訊くつもりもない……けど、心配はさせてもらう。永谷先生だって、そう思ってる。」

「……はい」

「だから……久原菜々子のことが、心配で堪らない俺らのこと、龍のこと、覚えとけよ?」

「…………はい。」

「頼むから“最悪の形”で、裏切ったりすんな。いいな?」

「絶対、に。約束、します。」

「ん。よし。忘れんなよ?」


 私が何も言わなくたって、毎日の生き方を見てるだけですべてを理解し、見守ってくれていた槙本先生と永谷先生のためにも。私は、今この瞬間から。明るい未来へ、進まなければいけない。


「じゃあ、また。学校でな。」

「……ありがとう、先生。」

「……どういたいしまして。」


 照れくさそうに下へ視線を落とす槇本先生が、滲んで見える。それでも、零れ落ちそうな温かい熱をもつ“なにか”は、懸命に堪えて。

 
 次は、今度こそは、私が。何度も何度も頷き、笑った。





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