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第4章 悪魔の勢力

01 陽菜と美咲と凛

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日曜日の夕方、日が陰り始めた頃…

「ただいまー」
「「おかえりー」なさーい」
凜が実家から持ち帰った重たい荷物と共に陽菜のマンションに戻ったら陽菜と美咲はすでに帰っていた。

「わっ…すごっ…」
凜が玄関のドアを開けたらそこは今朝までとは全く別の空間になっていた。
「日本のハウスクリーニングってここまでやるの?」
玄関に積まれていたゴミ袋は昨日平田の手下が運び出していたが、置きっぱなしになっていたゴミ袋から色々染み出ていた何かが玄関のタイルと廊下の一部を変色させていたのがきれいに『元はこんな色だったんだぁ…』と思える様な色と光沢に変わっていた。
そして壁も天井もそれまで室内で男どもが勝手に吸ったタバコのヤニで茶色っぽく変色していたのがクリーム色のこちらも『最初の色がこんな色だったんだぁ…』などと感じるぐらいにキレイになっていた。

ここまでキャスターで地面の上を引っ張ってきた荷物をそのまま家の中に乗り入れさせるのが何か悪い事のように感じるほどの変わり様に、凜は荷物を抱えて玄関に上がり、そのまま下着部屋に移動した。
「ここもすごっ…」
下着部屋の中もそれまでと違って見違えるほどにキレイになっていた。今までみたいに下着が一枚も落ちてない。しかもそれまで無かったはずの陽菜、美咲、凛、緑のネームプレートの付いた大型のクローゼットの様な箱が壁にコの字になる様に並んで置かれていた。
凜はキャスターを床面に着けないようにそっと置き、いつも皆が居るリビングへ向かった。

ちなみに廊下を移動していてチラッと洗面所が視界に入ったのだが、それまでゴミに埋もれていた洗濯機が全く違う乾燥までできそうな新しい機種に変わっていた。

「ねぇ、ハウスクリーニングって言うかもう改築レベルの事してもらってない?…ってその人だれ?」
陽菜と美咲がリビングでそこだけ変わってないベッドに座り一人の見覚えのない女性に見守られながら何かの資料を熱心に読んでいた。
「おかえりー凜もエイリーンさんに資料もらって内容をしっかり読んでね」
「私そろそろ頭がパンクしそうだからこの資料読む?」
「美咲はそのうち緑みたいなスーパーヘビー級なっちゃうよ?」
「あー…もう少し頑張る」
「凛さんですね、初めまして。私はエイリーン・ブライトマンです。ソフィーと同じ団体に所属していて同団体より派遣されてこちらに来ています。よろしくお願いします」
「あっはい。凛です」
「ソフィーから皆さんの話は伺ってますので自己紹介は必要ありません。一応これから私が皆さんの対応窓口であり、サポートをする事になります」
エイリーンと名乗る女…年の頃は30代より少し上ぐらいで胸は凛と緑に近いサイズ。

フッ…負けてない♪

少しだけマウントが取れた気分になった凜は差し出されている紙面に目を向ける。
「…契約書?」
資料は英語で書かれていて別の紙面に日本語訳が記されていた。

「はい。実はこちらの都合により先日までこちらに赴任していたソフィーの後任として仕事をしてくれる人を急遽探さなければならなくなりました。それとソフィーから現地スタッフの雇用に関しての提案が少し前からされていたので今回彼女から提案のあった候補者の中で、とりあえず仕事内容に適していそうな方達の元に私が直接確認に出向いたと言った次第です」
「ふーん…」
紙面に目を通していくと博之と体の関係を持ったらその都度博之の精液の回収をする事などが仕事内容として書かれていた。
他にも毎日の体調確認及び簡易的な血液検査などをしてその結果の提出。博之以外の人との性的交渉の有無なども報告内容として書かれている。

「ソフィーは…ソフィーさんってこんな仕事をしてたのかぁ…」
思わずアラスカで仕事をしていた頃の呼び方をしてしまいすぐに言い換えたがエイリーンに少しだけ変な顔をされた。

たぶんエイリーンは日本の子供とも見える凛がソフィーを呼び捨てした事に拒否感や嫌悪感を持ったのだろう。
自分もあっちに居る頃は自分よりも裕福な生活をしてそうなアジア人などを見ると、何の根拠も無いのに勝手に『下等人種のくせに』などと思っていた。博之と共に居る様になって人間と自分に差を感じる様になって初めてあの優越感に近い思い込み…実際には劣等感の裏返しでしかない負の感情の理由を知った。

自分の見た目は日本の子供。これを忘れるといろんな場面で軋轢を生じさせる事に今更ながらに気付いた凜は、エイリーンという名の女性の前では少しだけバカな子供を演じる事にした。

「なんかいっぱい英語が書いてあるけど、こっちの紙には同じ内容が日本語で書かれているの?」
凜は日本語訳の方で何ヶ所か若干のニュアンス違いに訳されている事に気付いたが、それには全く触れずにエイリーンに聞いてみた。
「そうです。報酬などの関係で契約内容は文章にしておかなければならないので細かく書かれていますが、それをすべて日本の方に理解しろというのは難しいと思いましたので翻訳した文章を用意しました」
笑顔で答えるエイリーンだが、同族として長年顔色を窺ってきた凜だけが感じ取れる蔑みの感情をうっすらとうかべていた。

はぁ…ヤな感じ。

「あっ…ここって…文章がまったく違ってない?…こんな意味だったかなぁ…ちょっとスマホで翻訳してみようかなぁ…」
凜が契約内容の解約に関する項目の部分で一部翻訳されていない部分を指摘した。
「どちらですか?」
エイリーンが少しめんどくさそうな顔で凜に近付き覗き込んできた。
「ここらへんの文章量と翻訳してる方に書かれてる内容がけっこう違ってる気がするけど…?」
「…あぁ、これは急いで作成したもので翻訳漏れがあったみたいですね。その辺りは後日正確な翻訳資料をお持ちしますので読み飛ばしておいてください」
めんどくさそうな顔で見降ろしながら、他の人が居ない場所であれば悪態でも吐きそうな顔で答えるエイリーン。
日本人の感覚でエイリーンを見れば、その顔は翻訳の仕事をした者の不手際を不快に思う怒りの表情に見えただろうが、凜にはアメリカで何度も見ていたスタッフを採用する管理者が見せる、自分の故意の不手際を指摘した学の無い人を見下す顔に見えていた。

その後もあからさまな誤訳などを幾つか指摘して陽菜達にサインをしない様に言って確認を終えた。

「ではもう一度資料を再確認して来ます」
エイリーンが不快感を隠す事無く部屋から出て行った。

「あの人なんであんなにプリプリしてたの?」
「なんか急に怒り出したね」
「陽菜さんも美咲さんも私との情報共有で英語は読めるよね?」
「あー読めるんだけどねぇ…」
「そのさぁ…英語って目にしてるだけでこう…じんましんが出てきそうって言うか…」
「読んでたら体中が今すぐオナれ!って言ってくるんだよね~長時間読めない体質なんだろうね」
「私もそんな感じ~♪」
「まったく…あのね、あの契約書だけどね、仕事内容に関してはソフィーさんがしていた事を私達が3人でやるって感じに書かれてたけど、報酬に関しては故意か過失か分かんないけど間違って訳されていたの。日本語翻訳された方には報酬は3人で700万円って書かれてたけど、英語の方には報酬は3人それぞれに7万ドルって書かれていたのよ」
「そうなの?でも…1年間に700万円の報酬とかって書かれてたから3人で割っても200万以上でしょ?そこまで悪くないんじゃないの?」
「私らがバイトとかしても時給は1000円ぐらいだからね、月に頑張って働いても10万以内じゃないとめんどくさいとか言われてそれ以上働かせてもらえないし」
「そこらに関してはなんでそんななのかは知らないけどでもあの契約書で書かれていた報酬は7万ドルなの。700万円じゃないの。もう少しそこらを知っておかないと二人ともすごく損しちゃうからね」
「えっと…それってどう違うの?」
「エイリーンさん確か今のドル円れーとってのが大体100円ぐらいだからその金額になりますとか言ってたよ?」
凜がスマホでドル相場を確認したらその日の為替レートが110円=1米ドルだった。
「計算したら今の為替レートで交換したら790万ぐらいになったよ。それと二人とも勘違いしてるのは、英語の方では一人の報酬が7万ドルって書いてあったの。そこ分かって」
「それって一人から90万円もピンハネしようとしてたって事?!」
「信じられない…って言うか790万円の仕事をする女…私らってもしかしたらすごいんじゃない?」
「おーそう言われたら確かにすごいね♪790万…もう800万の女でイイジャン♡」
「それならもうししゃんごにゅーして1000万の女って言っちゃおうよ♡」
「いいねぇ~1000万円の女♡私らそんなすっごい女になっちゃうところだったんだねぇ~やったジャン♪」
「2人ともなんで分かってくれないの?まだもうちょっと勘違いしてるよぉー」

全部で1700万近い金額をだまし取られそうになっていた事を凜が2人に説明して理解させるのに結構な時間がかかった。
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