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5章 交翼の儀式

ネハン

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廊下の行き止まりには、両開きの扉があった。クライヴが取っ手を回し、扉を足で蹴飛ばして開ける。この辺はアンダーグラウンド育ちを感じるところだ。
左右に開かれた扉の奥に、こじんまりとした室内が見える。戦争前過ごしていた、俺の八畳間の部屋と同じ位の広さか。
クライヴの、手の平に灯る炎に照らされた室内には、全身が映る大きな鏡が中央の柱にあるだけの、ガランとした空間だった。
クライヴが柱の脇を通り過ぎ、炎を載せた左手を窓に近づける。ジャンヌがそれにチラリと目をやった後、中央にある柱に近づき、全身が映る鏡をしげしげと眺めた。

「変わった蛇のモチーフだな」

鏡をぐるりと囲む鱗状の縁はブロンズ製で、右上の蛇っぽい頭部には長いヒゲと角があることから、俺には竜に見えた。

「蛇っつうより、竜じゃねえ?」
「りゅう? 何だそれは」
「えーと、じゃあドラゴン、ドラゴンじゃねえ?」
「どらごん? 何だそれは」

マジか、この世界には竜やドラゴンの姿が存在しないのか。しかしまてよ、じゃあこの竜っぽい縁は誰がデザインしたんだ?
外からラッパの音が鳴り響いてきた。
肝試し――もとい、交翼の儀でラブラブフラグ立っちゃうよ~計画は何の成果も無くこれにて終了か。

「帰るぞ」

クライヴがにべもなく扉へ向かう。

「ん!?」

鏡を見たままのジャンヌが、素っ頓狂な声を上げる。

「どうした?」

俺も鏡に目をやる、そして絶句した。
鏡には本来映るべきジャンヌの姿が無く、代わりに見知らぬ女の姿があった。
真っ黒い長髪の、うな垂れている女。白い衣服は、まんま日本映画の幽霊が着ているのと同じだ。

「こ、こ、これは、まさか……ま、ま、魔物では……」

プルプルと体を震わせ、カチカチと歯を鳴らすジャンヌ。

女が糸で引かれたみたいにクイッと顔を持ち上げた。

「ひっ!」
「うおっ!」

俺とジャンヌが同時に情けない声を上げる。
異様に真っ白な顔、漆黒としか表現できないくりくりと大きな瞳、小さな唇は林檎のように真っ赤だ。漆黒の瞳がジャンヌを捉え、次いで俺を捉える。

こいつ……俺が見えてる!?  まさか、俺と同じ幽体? それとも本当に……魔物か?

こちらを見つめたまま女の真っ赤な唇が開く、俺は反射的にトカレフを構えた。

「ヴァロペン来た、わぁーおっ!」

喋った! しかも耳にキンキンくる甲高い声、アニメの幼女みたいな声! 
再び真っ赤な唇が開く。 

「私の名はネハン。ヴァロペン、お前の名は?」

瞬きしない大きな目で俺に尋ねてきた。

「南部……匠。と、ところでそのヴァロペンって何だ?」
「ナンブタクミ、照合確認。ヴァロペンとは流入者という意味だ、ナンブタクミ。銀河系太陽系惑星地球からようこそ。わぁーおっ!」
「……わくせい? ちきゅう?」

ジャンヌが眉間に皺を寄せ、ネハンから俺に目をやる。その話はひとまず置いといて、という意味を込め、俺は右手をジャンヌに小さく上げた。

「えー……と、ネハン、だっけ? あんた何者?」

はて? といった風に首を傾げたネハンが大きく口を開け、キンキンとした声でこう叫んだ。

「言えない、わぁーおっ!」

身も蓋もない答えをされた俺は、質問を変えた。

「地球のことも、俺がそこから来たことも知っていたけど、何でわかるの?」
「私の知識でわかった」
「どこでその知識身につけたの?」

またもや、はて? といった風に首を傾げたネハンが大きく口を開け、再びキンキンとした声で叫ぶ。

「言えない、わぁーおっ!」

何かメッチャ頭くんだけど、この薄気味悪い真っ白女!

「ネハンとやら、お前が不吉な予言をするものだから、この城の者達が怯え、長い間フロアを閉鎖する羽目になったのだぞ。何故そんな事をした?」

さっきまでのビビリっぷりはどうしたのか、腕を組んだジャンヌがネハンを気怠い目で睨んでいる。
俺とのやりとりで、それほど怖くないと判断したに違いない。

「私は不吉な予言などしていない。本来あるべき場所から私を移動させたヨハン・エピメテウス、その妃ヴィクトリアの問い掛けに答えただけです。わぁーおっ!」
「この得体の知れない鏡を持ち込んだのは二代目皇帝か」

低音の効いた声に振り向くと、クライヴが立っていた。
当然、ジャンヌから距離を取って。


 つづく
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