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5章 交翼の儀式

予 言

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「ナンブタクミ?」

クライヴが足を止める。

「俺と勝負した時に使ったお前の偽名だ。この鏡、そんな事も知っているのか」
「そ、そうだな。さすが魔物、千里眼といったところだな」

ちょっとぎこちなく、ジャンヌが答える。
その態度に何か感じたのだろう、クライヴがぞっとするような冷たい目になった。

「しかし、何故その名でお前を呼ぶ?」

――――やはりこいつは不気味なまでに鋭い。信じる信じないは関係なく、俺という存在を微かにでも意識させてはならない。特にこういう奴には。

 違和感は恐ろしいものだ。針の穴ひとつ程の違和感に亀裂が広がり、それが元で何の理由も無く殺されていった歴史上の人物が何人いたか。

「知るか!」

間髪入れずジャンヌが突っぱねた。

さすがジャンヌ! ここでモゴモゴしたり、妙な返答をしたらちょっと面倒な事になるとこだった。それにしてもこのネハンとかいう奴、軽々しく俺の名を口にしやがって。

俺は鏡の正面に移動し
「ばっかやろ! 迂闊に俺の名前言うんじゃねーよ! 窓から落とされるのも可哀想だから、止めてやろうか考え出した所だったのによ!」

心にもない事を言った。

そんな俺に、 
“ナンブタクミ、お前の未来を予言する。だからこれを止めて!”
とネハンが、テレパシーを送ってきた。

「その前にさ、お前って何者なんだ?」

イニシアチブを握った所で、先程の質問を再びする。

“ジンテーゼポイント、主にインフォメーションユニット”
「何それ、意味わかんねー」
“次元間の変化、変動を確認する役割を任されている存在。わぁーおっ! 言っちゃった!”
「つーことは、その、次元間の記録係みたいなもんやってるのか?」
“そうそう”
「そうそうってお前、神の末端機関です、とかいうなよ」
“わぁーおっ! ビンゴォ! そう、私は全次元を統べる存在と繋がっている。だから何でも知っている。わぁーおっ! またまた言っちゃった!”

うへえ! まだ信じるのは危険だが、これが仮に本当だとしたら凄い事だ。神のデータバンク端末を見つけた事になるぞ。 
クライヴが鏡を、廊下の床に立て掛けるよう置き

「どの窓も小さすぎる。ならばこうして破壊する事にしよう」

右足を上げた。

「うおっ、ジャンヌそれ止めろ! こいつ、凄く役に立ちそうなんだ」

俺の言葉に素早く反応したジャンヌがすかさずこう言った。

「待て、クライヴ!」
「……何だ?」
「こ、壊すのはいつでも出来る。それより、この鏡の有効活用を考えないか?」

ゆっくり右足を下ろし、低音の効いた声でこう返した。

「……濁した予言をするような奴だぞ?」
「十年以上ここに居たし、お前になす術も無く抱えられた事を考えると、どうやら物理攻撃は出来ないようだ。なら、これまで通りここに閉じ込めたまま、先程の戯言とは違う、真の予言とやらを引き出すよう試して行こうではないか」

ジャンヌから鏡に目を移したクライヴが背を向け歩き出した。

「……ふん、勝手にしろ」
「グッジョブ!」

親指をびっと立てる俺、それを見たジャンヌが目を丸くする。

「ぐっじょ……? 何だそれは」
「お前最高、よくやった!って意味だよ」

目をパチパチさせたジャンヌが頬を赤くさせた。

「と、ところで、こいつは本当に役に立つのか?」 

クライヴの背中をチラ見しつつ小声で言う。

「それを今から見せてやるよ」

俺は鏡の前に移動した。

「おい、約束通り俺の未来を予言しろよ、ネハン」

うな垂れていたネハンが顔を持ち上げる。

「わかった、ナンブタクミ」
「おい……」

不安げな声を遮るよう、俺はジャンヌに右手を向けた。

「その前に、何で俺はこの世界に来たんだ?」
「地球で命を落とすと同時に、ナンブタクミはこの次元に組み込まれる事になったから」
「何でだよ?」
「そのように、決められているから」
「訳わかんねー」
「例えるなら、壊れたパソコンから取り外され、別なパソコンに刺し込まれたUSBメモリと言えば分かり易いだろうか」
「つまり俺は部屋のパソコンからネットカフェのパソコンに移動された記憶体、てーの?」
「記憶体という言葉は広義において正確ではない」
「メンド臭いのはいいよ。つまり俺は、何でここに送り込まれたんだ?」

はて? といった風に首を傾げるネハン。

「わかった、ナンブタクミ。メンド臭くない様に言うと……」
「言うと?」
「ジャンヌ・パシアルドーファンを運命通りに導く、その為に送り込まれた。言っちゃった、わぁーおっ!」

真っ赤な口をひし形にしたネハンを見たまま、俺は唖然とした。

奇岩砂漠での出会いから、ブローニングとの接触、クライヴとの決闘、そして皇妃になるまで既に決められていて、知らずに俺がそうなるよう導いたってのか?

ジャンヌに目をやると、視線が合った。
ちょっと困ったような、小さな笑みを浮かべている。
唐突に、鈴音との思い出がよみがえる。

小学生の夏休み、扇風機を浴びゴロ寝でテレビを見ている俺の隣に、二つのアイスクリームを置き、鈴音が座り込む。
チョコナッツとイチゴバニラ。
例によって鈴音は選択権を俺に委ねてきた。
鈴音がチョコナッツを好きなのを知っている俺は、当たり前のようにイチゴバニラを取る。
鈴音はそれを見届けた後、おずおずとチョコナッツに手を伸ばし、嬉しいような困ったような顔を俺に向けるのだ――――それと同じ顔。
委ねられる、というのは悪い気分ではない。それも信頼の上で委ねられるなら尚更だ。
だが今の俺はそれを重苦しいとしか捉えられなかった。
アイスクリームを選ぶのとは訳が違う。俺はそれとは知らず、ジャンヌを通して西火帝国の、いやこの世界の軌跡に係わってきたんだ。
困惑が、怯えに変ってきた。
重過ぎねーか? その……下書きのエンピツ線をなぞるペンだとしても――――何で死んだ俺が、こんな重い役目を背負わされんだよ……

「タクミ」

はっ、と顔を上げる。

「私を導く為、この世界に来てきれたのだな。そ、その……お前で嬉しいぞ、私は」

ジャンヌが目を細め、はにかむ。

それを見た途端、俺の重苦しい気分はあっという間に吹き飛んだ。
いや、吹き飛ばしただけじゃない、どしゃぶりの雨がふいに上がり、雲を押しのけ、虹を伴い現れた太陽を目の当たりにしたような気分にさせた。

“重い役目? 何を言ってんだ俺は? こんな面白くて可愛い奴の手を引いて歩く役目を手に入れたんだぞ。あの世に行くより断然楽しいだろうが”

俺の顔が笑っているのに気付く。

「そうだぞ、だから俺の言う事はなんでも聞けよ」
「わかった」

お!? マジか、と思った瞬間、
「……とでも言うと思ったか?」
ジャンヌの顔が、気怠い目付きとニンマリ口になる。そして、

「この鏡の話を聞いて、私を都合よく動かせると思っただろう」とため息まじりに言った。 
「都合よくって何だよ。一度でも俺がそんな事したか?」
「これからはわからんだろう」

ジャンヌが腰に手を当て、プイっと顔を横に向ける。
態度とは裏腹に口元には笑み。

“こいつは俺が導いてやる。絶対にだ”

こんな思いが溢れ出る。
その時、廊下の奥からキンキンとした声が響いてきた。

「トカレフはお前の精神力次第で引き金を引く事が出来る。つまり心を強く持てば持つ程多く撃てる、ナンブタクミ」

へ? トカレフって俺の精神力で撃ってたのか。この世界に介入するのはヤバイ感じがしたんで撃つのを微妙に躊躇ってたんだがそういう訳か。でもまあ撃たないに越した事はないよな。実体の無い体と頭を覗く能力だけで十分ジャンヌの力になる。

俺は廊下の奥へ右手を上げた。

「たまにゃ顔見せにいくからよ、ネハン」

返事は無かった。 


つづく
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