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 白煙が風で揺らめいて、利奈の方へと流れていく。

「おたがいけたわね」
 
 煙を手で追い払ながら、利奈は静かに俺を見ている。

「きみは変わらない」
 本心を口にしたつもりだったが、いった直後に気がついた。
「髪の分け目を変えたかい?」
 顔の左半分を隠すようにして、右から左に流れる黒髪。

「気づいてくれたのね。でもオシャレじゃないの。時の流れには逆らえないわ。真ん中分けだと薄毛が目立つようになっちゃって」

無双むそうのきみから、まさかハゲの悩みを聞くとはね」

「嫌だ、まだハゲてはいないわよ」
 
 たがいの表情が少しだけほぐれた。
 
 彼女の額を汗がつたう。

「暑いのに大変だな」

「いらなくなったキャンバスや家具を少しずつ処分しているの。思い出がいっぱい詰まった品物でしょ? せめて自分の手で始末したくて。過去の思い出と一緒にね。なんて……。じつは町のゴミステーションへ持っていくのが面倒なだけ。リサイクルだなんだと最近はゴミの分別のルールがうるさくて。自分で焼いた方が楽なのよ。暑いけどね」
 
 利奈は右手にぶら下げていたL字の木片を穴に放った。ボッと火力の上がる音がして、透明な火炎が揺らめきを増した。

 利奈の背後で何かが動いた。濃いブラウンの毛に埋もれた黒目がぼんやりと開く。犬だ。ゴールデンレトリーバーだった。

「きみが動物を飼うなんてめずらしいな。優也のリクエスト?」

「ううん。私が飼い始めたの。一人で寂しくなっちゃったから。精神科にも通ってるの。眠れなくて……。睡眠剤を処方してもらっているのよ」
 
 誰にも弱みを見せることのなかった、あの岡滝利奈が……。

「今はこの子に癒してもらっているわ」
 
 俺は、火の立つ穴をまわり込んで、犬のかたわらにしゃがみ込んだ。体は大きいがまだ子犬だ。頭をゆっくり撫でてやると、また気持ちよさそうに目を閉じた。首輪にかかった監察札の日付けは三か月前。すっかり利奈に馴染んでいるようだ。

「男の子よ。名前はプロセ……、いえ、プロフェッサーっていうの」

「へえ、教授さまか。頭いいんだ?」

「全然。大飯喰らいで寝てばかり。番犬にもなりゃしないわ。しかも贅沢。ドッグフードなんか見向きもしないで、私の手料理しか食べようとしないのよ」

「買い出しも大変だな。ここは町から遠い」

「あら忘れたの? あなたもお世話になったでしょ? キッチンに業務用の大きな冷蔵庫があるのよ。みんなでここに寝泊まりしても、一週間は買い出しにいかなくても平気だったじゃない。この子と私の食事くらい、ひと月は楽に買い貯めておけるわ。それに覚えてる? あの例の仮装大会?」
 
 そうだ。そんなことがあったっけ。俺にとっては苦笑と共に脳裏を流れる記憶だった。
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