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第一章 鳳凰霙《ホウオウミゾレ》登場

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「スッキリしました?」
 ミゾレはイスに座ったまま、にこにこしながらライを見あげる。

「うん。おかげでスッキリしたよ」
 ライは清々しい気分で答えた。少しだけ顔が火照っている。頭が熱っぽいけれど。

「じゃあ、決まりですね」
 ミゾレは一人で納得するように、うんうんと頷いた。

「決まり? 何が?」
 ライは聞いた。
「何がって、わたしたちのサークル『ミステリー研究会(仮)カッコカリ』への入会ですよ」
「は?」
 ライはぽかんと口をあけた。
「サークルの勧誘やってたの?」
「当たり前じゃないですかっ! 新入生サークル勧誘会の初日だっていうのに、トイレの脇に長机置いて、一日中ヘラヘラ笑っていたら、その人はきっと変質者ですっ」
 
 そんなことはないだろうが。

「ミステリー研究会?」
「そうです」
「ミステリーを研究するの?」
「そうです」
(仮)カッコカリ?」
「そうです」
「なんで?」
「まだ会員が、わたしと姉の二人しかいないからです。だから正式なサークルとして学校から認可を受けていなくて……。そのためには新入生をたくさん勧誘しなきゃいけないんです」
 
 言いながら、ミゾレは机の端をパシパシ叩いた。そこに横長で、幅広の白い用紙がガムテープで貼りつけてある。美少女に気を取られ、ライは気づいてもいなかったが、そこには確かに、色とりどりのサインペンで「新入生大歓迎 ミステリー研究会」と書いてある。無駄に大きくて派手派手な文字。配色のセンスは正直「?」だ。

「姉が書いたんです。姉のやることには逆らえなくて……」
 
 センスの問題だけではない。その新宿ネオン街のような、けばけばしい文字の並びに、なくてはならない一文字がなかった。

「ん? (仮)カッコカリなんじゃなかったっけ?」
「よーくよーく見てくださいよおっ」
 
 拗ねたようなミゾレの口調に促され、用紙に近々顔を寄せると、確かにミステリー研究会の大きな文字の右下に、極少の文字で(仮)カッコカリと書いてある。小さいだけではない。薄ーい鉛筆書きだったりする。ミジンコのように小さくて、カゲロウのように薄くて儚い(仮)カッコカリ

「これじゃ、サギだよ」
 JAROに投書してもいいレベルだ。

「これも姉のアイデアなんですけど、サギは言いすぎです」
「じゃあインチキだ」
「叙述トリックと言ってください」
 
 ちがうだろ。

「姉も焦っているんです。会員さんを早くたくさん集めなくちゃいけないから……。正式に認可されないと、活動費も出してもらえないんですよ……」
 ミゾレは悲しげに目を伏せた。

「そっかー」
 ライは思わず同情しかけるが、やっぱり人を騙すのはよくない。
「わざわざ新設しなくても推理小説研究会があるよ。あっちじゃダメなの?」
 ミステリーと推理小説。英語か日本語かのちがいだ。

「じつは、そのお……。以前はそちらの研究会に加入してはいたんですけど、会の活動方針をめぐって、姉と会長がバチバチになっちゃって……。果てには部室で大暴れ……。わたしと姉は、二人とも、会を出禁になっちゃったんです……」
 
 ミゾレは気まずそうに肩をすぼめた。文化系のサークルで出禁になるほどの大暴れとは、いったいどんな大暴れだったのか。ミゾレの姉、氷雨(ヒサメ)にはあんまり会いたくないような……。ミゾレもヒサメには頭があがらないようだった。

「仕方ないんです。あのサークルは活動自体が地味で地味で、みんなでたまに、ぼそぼそぼそぼそミステリーの読み会をして、感想を言い合うだけだったんです。まるでお通夜みたい。あの姉がそれで満足するわけがないんです」

「ミステリーを読んだら、せめて犯人当てくらいして盛りあがりたいよね」

「それだって足りないです。もっとアクティブに現実のナゾに挑戦しないと。小説の中のナゾ解きは、小説の中の名探偵にまかせておけばいいんですよ」
 
 彼女はきっと、さっきみたいにナチュラルに、自分自身で現実のナゾを解いていくのが好きなのだろう。机に積まれたクロスワードパズルや数独の問題集が端的にそれを物語っている。

「けど現実に日常のナゾって、そんな簡単に集まるものかな?」
 ライは素朴な疑問を口にした。

 するとミゾレはきりっと目元を引き締めて言った。
「集める前に、集まらないこと考えちゃダメですよ。集めるんです。集めなくちゃいけないんですっ!」
 そして不意に思いつめた表情を見せると、小声でぽつりと呟いた。
「もし集まらなかったらわたしは……。わたしは小雪さんに消されちゃう……」

「え? コユキさん?」
 ライが聞くと、ぶるんぶるん、ミゾレはさらさらの黒髪を激しく揺らして頭を振った。
「ううん、なんでもないんです……」
 なんでもないようには見えなかったが。

「ではさっそくっ!」
 ミゾレは自分の目を覚ますように、パチンと大きく両手を打った。
「ミステリー研究会、記念すべき新入生会員第一号の千丈さんに、いままでに経験した不思議な体験を語っていただきましょう。それでは千丈さん、お願いしますっ!」 
 
 いやいや、無茶ぶりすぎるだろう。それに新入生会員? まだ入会するとはひと言も言っていないのだが……。ライはいつの間にか、その第一号に認定されていた。ちょっ、ちょっ、ちょっと待って……。慌てて胸の中で叫んだが、声に出すことはできなかった。

「では、みなさま、拍手ぅ、ぱちぱちぱちぃ。ぱふっ! ぱふっ!」
 
 ミゾレがその場を盛りあげる。大きな瞳をきらきらさせて、にこにこライを見つめてくる。そんな純粋でつぶらな瞳に見つめられたら「入会しません」とは絶対に言えない。それにこんな美少女と知り合いになれるなら……。
 さらば、推理小説研究会……。ライは心の中で手を振った。

「さあ、どうぞっ!」
 
 ミゾレは机から身を乗り出さんばかりになって、ライに迫る。不思議なナゾ……。うううっ、そんな急に言われても……。どうしよう……。

「すでに解決しているナゾでもかまいませんよ」
 ミゾレがパーカーのフードの下から、ライの顔をのぞき込んでくる。すでに解決しているナゾかあ……。そういえば……。ミゾレの言葉がヒントになった。

 ゆっくりとライの記憶の扉がひらかれる。

 あれはライが高校三年の夏だった。
 七月半ば。梅雨明け。
 待望の夏休みが近づいていた。
 あの日、学校中が大騒ぎになった。授業中、ライのクラスの担任教師が、頭から血を流して、廊下に倒れているのが発見されたのだ。さいわい命に別状はなかったが「見たことのない男に棒のような物で叩かれた」それが男性教師の証言だった。
 しかし、その日、朝から誰も校内で、そんな見知らぬ男を見かけてはいなかった。『男はどうやって校内に侵入し、どうやって校内から抜け出したのか?』

「すでに犯人は自分から名乗り出ているんだけど。どう? コテコテの不可能犯罪だよね」
「うわ~素敵ぃ~。最高のナゾじゃないですか。早く早く、詳しい話を聞かせてくださいっ」
 ミゾレはナゾへの期待と興奮で、ますます瞳を輝かせている。
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