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第五章 逃避行
八
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華族のご令嬢のなかには、外見はとても美しいけれど心は曲がっている人もいると聞く。
お嬢様の付き添いで他家へ行き、その家の女中とおしゃべりする機会があると、よく自分の主人に対する愚痴がでる。
でも、桜子は違う。
決していばったり、意地悪したりしない。
それどころか、まるで仲良しの友達のように接してくれる。
だから美津は本心から、桜子の幸せを願っていた。
そのとき、扉をノックする音が響いた。
「お休みのところ申し訳ございません。桜子様、お変わりはございませんでしょうか。さきほど不審な物音がしたようだと、家丁のひとりが申しておりまして」
心臓が口から飛び出てしまうかと思った。
取り乱してはいけない。しっかりしなきゃ。
美津は深呼吸をひとつすると、扉に向かっていった。
隙間から顔を出すと、ノックしたのは家従の井上だった。
「ああ、美津か。お嬢様は」
美津は、部屋に入ってこられたらどうしようかと、内心びくつきながらも、つとめて冷静な声を出した。
「お静かに。桜子様は御気分が悪いので、もうお休みになっておられますから」
「そうか。それなら良いが。だが念のため、確かめさせてもらう」
「いえ、でも」
美津はなんとか阻止しようとしたが、井上は有無を言わさず部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
そう言うと、桜子の寝所に入っていった。
そして、あるじのいない寝台を目にした途端、大声で美津を呼んだ。
「美津! いったいどういうことだ」
井上に詰め寄られ、美津はわっと泣き出した。
「桜子様はどこだ、答えろ、美津」
「し、知りません」
「では、何故ごまかそうとした」
どう言っても、首を振るだけの美津に業を煮やして、井上は言った。
「お前のことは旦那様に報告する。とにかく今はここを一歩も動くな」
そう言って、井上は大きな音を立てて扉を閉め、鍵をかけた。
ひとり取り残された美津は、額を床に擦りつけんばかりに、必死で祈った。
神様、どうか、桜子様をお守りください、と。
***
「ちょっと、ここで待っていて」
天音はその場に桜子を待たせて、自分一人で暖簾をくぐって店に入っていった。
でも、ここは宿ではないのに。
桜子は不思議に思いながらも、言われたとおり、その場で待った。
天音はすぐに「部屋、空いてるそうだから」と言いながら戻ってきた。
中に入ると、狭い店内は酔客でにぎわっていた。
「ありゃ、えらい別嬪が入ってきおった」
そのうちの一人が声をあげ、赤ら顔の男たちの視線が、一斉に桜子に集まった。
居たたまれず、桜子は天音の陰に隠れた。
無愛想な仲居が「部屋は上だよ」と言い、ぎしぎしと音を立てる古びた木の階段を先に登っていった。
狭い廊下の突き当たりの部屋に通された。
そこは……
六畳ほどの広さの、二つ枕の緋色の敷布団が敷かれている、なまめかしい雰囲気の部屋だった。
お嬢様の付き添いで他家へ行き、その家の女中とおしゃべりする機会があると、よく自分の主人に対する愚痴がでる。
でも、桜子は違う。
決していばったり、意地悪したりしない。
それどころか、まるで仲良しの友達のように接してくれる。
だから美津は本心から、桜子の幸せを願っていた。
そのとき、扉をノックする音が響いた。
「お休みのところ申し訳ございません。桜子様、お変わりはございませんでしょうか。さきほど不審な物音がしたようだと、家丁のひとりが申しておりまして」
心臓が口から飛び出てしまうかと思った。
取り乱してはいけない。しっかりしなきゃ。
美津は深呼吸をひとつすると、扉に向かっていった。
隙間から顔を出すと、ノックしたのは家従の井上だった。
「ああ、美津か。お嬢様は」
美津は、部屋に入ってこられたらどうしようかと、内心びくつきながらも、つとめて冷静な声を出した。
「お静かに。桜子様は御気分が悪いので、もうお休みになっておられますから」
「そうか。それなら良いが。だが念のため、確かめさせてもらう」
「いえ、でも」
美津はなんとか阻止しようとしたが、井上は有無を言わさず部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
そう言うと、桜子の寝所に入っていった。
そして、あるじのいない寝台を目にした途端、大声で美津を呼んだ。
「美津! いったいどういうことだ」
井上に詰め寄られ、美津はわっと泣き出した。
「桜子様はどこだ、答えろ、美津」
「し、知りません」
「では、何故ごまかそうとした」
どう言っても、首を振るだけの美津に業を煮やして、井上は言った。
「お前のことは旦那様に報告する。とにかく今はここを一歩も動くな」
そう言って、井上は大きな音を立てて扉を閉め、鍵をかけた。
ひとり取り残された美津は、額を床に擦りつけんばかりに、必死で祈った。
神様、どうか、桜子様をお守りください、と。
***
「ちょっと、ここで待っていて」
天音はその場に桜子を待たせて、自分一人で暖簾をくぐって店に入っていった。
でも、ここは宿ではないのに。
桜子は不思議に思いながらも、言われたとおり、その場で待った。
天音はすぐに「部屋、空いてるそうだから」と言いながら戻ってきた。
中に入ると、狭い店内は酔客でにぎわっていた。
「ありゃ、えらい別嬪が入ってきおった」
そのうちの一人が声をあげ、赤ら顔の男たちの視線が、一斉に桜子に集まった。
居たたまれず、桜子は天音の陰に隠れた。
無愛想な仲居が「部屋は上だよ」と言い、ぎしぎしと音を立てる古びた木の階段を先に登っていった。
狭い廊下の突き当たりの部屋に通された。
そこは……
六畳ほどの広さの、二つ枕の緋色の敷布団が敷かれている、なまめかしい雰囲気の部屋だった。
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