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第五章 逃避行

十一

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***


 天音は桜子の手から盃を受け取り、脚付きの膳に戻した。

 そして、彼女を軽々と抱き上げ、屏風の向こうの緋色のしとねに連れていった。

 天音は桜子を座らせ、軽い口づけを繰り返しながら、布団の上にゆっくり押し倒そうとした。

「天音……ま、待って」
 
 桜子の声が不安気に揺れているのに気づいた天音は動きを止めた。
 そして後ろに回り、彼女を安心させようと背中から抱きしめた。

 やはり、怯えているのだろう。

 桜子みずから望んだこととはいえ、男性と愛を交わす行為は、彼女にとって、まったく未知のこと。
 戸惑うのはむしろ当たり前だ。

 無論、桜子の不安を無視して、性急に事を進めるような天音ではない。

 このまま一晩、抱きしめているだけでいい。
 会いたくても会えなかった日々を思えば、それだけでも充分すぎる。

 天音は桜子にそう伝えた。

「怯える必要はないよ。桜子が嫌なら、何もしない。こうしているだけでも俺は充分満足だから」
 あやすように優しく、彼女の髪を指で梳き、うなじに口づけながら、そう囁いた。

 桜子は大きく息をつくと、天音の方に顔を向けて言った。
 
「大丈夫です。怯えてなど……いないわ」
 それから、うなじまで真っ赤に染めて、言った。

「天音、この間みたいに……」
「ん?」
「し、印をつけてほしいの。貴方のものだという……あかしの」

 天音は「こうかい?」と言い、彼女の首の後ろを強く吸った。

「う……ん、ねえ、もっと、いろんな……ところに」

 今度は天音が息を呑む番だった。
 そして、いつもより低い声音で桜子の耳元に囁いた。
 
「わかった。じゃあ……数えきれないほど、つけてあげるよ」
 
 天音は片手で彼女の顎を掴み、窮屈な姿勢で唇を合わせ、もう一方の手で、赤い絞りの腰紐を器用にほどきはじめた。

 そうして、ゆるんだ衿元から手を差し入れた。
 
 胸の膨らみを掬いあげた天音の指は、すぐにその頂きを探り当て、二本の指でそっとつまんだ。

「ひっ、あ……」
 
 初めて経験する感触に、思わず声を上げてしまいそうになり、桜子は唇を噛んだ。

「ん? こんなこと、してほしくない?」
 耳朶を唇で挟みながら、天音が甘く囁く。

「だ、大丈夫。あ、で、でも、恥ずかしくて……」

「恥ずかしいことは何もないよ。こうして触れられれば、気持ちよくなって当たり前なんだから」

 天音はその行為を続けながら、さらに声を低めて「我慢せずに声をあげてもいいんだよ」と呟く。

 じわじわとせりあがってくるような快楽に、桜子は息を荒げた。

「あん、もう、や、やめて」

 天音の手が離れ、ほっとしたのもつかの間、彼は桜子を布団にそっと押し倒した。

 そして、襦袢をはだけさせ、指を乳房の辺りで遊ばせながら、首筋に唇を這わせはじめた。

 それから順に鎖骨や肩に口づけの跡を残しながら、色づいて固くなっている桜子の胸の頂きを口に含み、舌で転がしはじめた。

「ん、あっ……天音、やっ」

 ぞくぞくする刺激にびくんと身体をはねさせて、桜子は天音の髪を軽くつかんだ。
 
 天音は彼女の胸から顔を上げた。
 その唇がつややかに光っている。

 ほの暗い灯りの下で見る天音は、ぞくりとするほど凄艶で、桜子は一瞬息をするのも忘れた。
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