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本編

姉と弟①

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ヴィラント侯爵家に居た頃、私はいつも独りだった。
両親は私に対してとても冷たく、使用人達も自分達の雇い主である侯爵夫妻の機嫌を損ねないよう、私を腫れ物のように扱った。

(でも、彼等は仕事をきちんとこなしてくれていたし、何かしてきた訳でもない。極力私に触れないように、親しくならないように、接していただけだもの)

だから、使用人達についてそれ程思う事はない。

幼い頃は、両親からの愛情が欲しかった。
努力して頑張っていれば、いつかは私を認めてくれて、笑いかけてくれると信じていた。

厳しい家庭教師から習う他にも、自ら進んで勉学に励み、貴族令嬢として必要な教養も全て完璧に身につけた。
マナー、ダンス、刺繍、領地や財産の管理。いずれ嫁ぐべき家の、良き妻となれるように。

稀に答えを間違えてしまった時の、教師からの厳しい体罰にも耐えた。

そうして頑張った結果。
身分だけでなく、優れた教養を兼ね揃えていると認められて、私は幼いながらにフェリクス殿下の婚約者となった。

お母様はいつも言っていた。
良い相手を見つけ、嫁ぐ事が貴族の家に生まれた女のさだめ・・・だと。
フェリクス殿下はこの国の王太子。これ以上の良縁など無い。きっと喜んでくれる筈。これまでの私の頑張りだって、きっと認めてくれる。

そう思って、お父様とお母様の元へ喜び勇んで向かったけれど。



『これでやっとアレ・・に価値がついたな』



扉をノックしようとして、中から聞こえてきた言葉。


アレ・・って何かしら?
やっと価値がついたって、何の話?


『王太子の婚約者に選ばれたのなら、アレの存在も無駄では無かったという事か』
『ええ。高いお金を払って厳しく優秀な家庭教師をつけましたもの』
『そうだな。あの者は報酬に見合うだけの働きをしてくれた。あの者が厳しく教え込んでくれたからこそ、このような結果を得る事が出来た』
『本当に良かったですわ』



――――え?



私の心臓がドクドクと鼓動を速め、嫌な汗が背中を伝っていく。

待って。
お父様もお母様も、一体何を言っているの?
嘘でしょう?
まさか、アレ・・って……



……私のこと……?



『だが、アルベールにあの教師は相応しくないな』
『まだ生まれたばかりですのに、もうアルベールの家庭教師の事を考えていらっしゃるの?』
『大事な跡取りなのだから当たり前だろう?国で一番優秀な家庭教師を雇おう。金に糸目はつけん』
『まぁ!ふふっ』
『手を上げる教師なんてもっての外だ。いくらその者が優秀であってもな。慎重に、時間を掛けて探そう。可愛いアルベールの為に』



……私は、ずっと思い違いをしていたんだ。
いつかは認めてくれる。
私が頑張って期待に応えていけば、いつかは……

そう思っていた事自体が、間違っていた。
最初から期待なんてされていなかった。最初から、お父様もお母様も、私を見てなんていなかった。
むしろ、見る気なんて無かったんだ。

私の事はアレ・・と呼んで
生まれたばかりのアルベールの事は、愛情込めて、名前で呼ぶ。

私は、この家の“娘”なんかじゃなかった。
私は、この家の“道具”で、血が繋がっているだけの、ただ所有されているだけの“物”だったんだ。


私は無言のまま踵を返して、足早に自室へと戻った。
身体中が氷のように冷たくて、寒くて寒くて堪らなかった。



(――――私、頑張ったよね?)


この結果は全部、教師が良かったから?

違う。

教師が教えてくれる以上に、沢山の事を自主的に学んできた。
それこそ寝る間も惜しんで、お父様やお母様に認めてもらいたくて、必死に頑張ってきたのは、全部全部私なのに。


『やっと、価値がついた』


それって、今までの私には、生きている価値さえ無かったって事?
これ以上無い程の相手と婚約した事で、私にはやっと息を吸えるだけの価値が出たって事?


フェリクス殿下との婚約は、お父様とお母様にとって、最初からいらない物を、ただ他の人へあげるだけの行為と一緒なんだ。
良い相手見つける、というのは、より高く買い取ってくれる相手を見つけるという事。

手を上げるような者はもっての外?
私は間違えると、何度も教師から叩かれたのに。
お父様とお母様にとって、ただの物である私がいくら叩かれようとも、何か思う筈もない。


お父様とお母様が愛しているのは、弟のアルベールだけ。

もう期待なんてしない。
希望なんて持たない。
あの人達には、もう何も求めない。


幸いにも、私を選んでくれた王太子のフェリクス殿下はとても優しそうな男の子だった。

せめて、この婚約が上手くいきますように。


それから私は学院に入学するまでの数年間、侯爵邸はとても大きく広かったけれど、その殆どを狭い自室だけで過ごした。


……………………
…………


『姉上!』
『……アルベール?』

私が13歳位の頃から、アルベールがこっそりと私に会いに来るようになった。
同じ邸にいても滅多に顔を合わせる事は無かったし、マトモな会話だってした事が無かったのに。

アルベールは何故だか私に懐いてしまっていて、勉強が終わって自由時間になると、メイド達を撒いて会いに来た。

(こんな事があの人達に知られたら……)

特にお母様は、私とアルベールが会う事を極端に嫌っている。知られたら、ただ叱られるだけでは済まないかもしれない。

『……早く戻りなさい。叱られてしまうわ』
『大丈夫です、姉上!僕、足の速さには自信があるんです!ここへ来た事は、絶対に誰にもバレてません!』

そう言いながら、アルベールは可愛らしくにぱっと笑った。
危機感なんて全く感じられない、安心しきった笑顔。優しいお母様しか知らないアルベールは、例えこの事がバレてしまったとしても、軽く叱られる程度だと思っているのだろう。

アルベールは何も悪くない。
だけど、私だって全く何も感じない訳じゃない。

『……どうして、わざわざ私に会いに来るの?』

遊び相手なら他にも沢山いるでしょう?

私の問い掛けに、アルベールは大きな瞳を丸くして、驚いたような顔をした。

『分からないのですか?なら、教えてあげますね!僕は姉上の事が……』

アルベールが最後まで言い切る前に、私の部屋の扉がノックされ、返事をする前にメイドの一人が中へと入ってきてしまった。そうして、中へ入ってきたメイドは私を見て眉間に皺を寄せると、そのまま抗議するアルベールを強引に連れて行ってしまった。

(……アルベールは何て言おうとしたのかしら)

少し気になったけれど、私はホッと安堵した。さっきのメイドは恐らくアルベール専属のメイドだろう。きっとアルベールが叱られないように、取り計らってくれる筈。

思うところはあるけれど、まだ幼いアルベールが叱られるのは可哀相だ。あの子は、ただの好奇心で私に会いに来ただけなのだから。

叱られはしないだろうけど、注意はされる筈。
きっともう、ここには来ないだろう。

そう思っていたのに――――


『姉上!』


それからもアルベールは、度々時間を見つけては私に会いに来た。
私と一緒にいたって面白い事など何も無いだろうに、アルベールはいつも一生懸命話をしてくれて。

どう接したらいいのか、分からなかったけれど、いつしか私は、アルベールが会いに来てくれる事を、ほんの少しだけ、期待してしまうようになっていた。


* * *
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