魔狩人

10月猫っこ

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四の二

血の宴

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「ほんっとに信じらんない!」
「だぁってぇ」
「だってじゃないでしょ!」
 かなりのきつい口調でそれ以上の言い訳を閉ざし、水鳥はきつく祥を睨み付けた。
 あの事件があって数日。
 表面上は学内を平穏に保っているが、かなりきつい箝口令と生徒達の行動を抑止する教師の目線は、息苦しさと学生達を取り巻く雰囲気が険悪なものとするには十分なものだった。
 自殺した生徒の周囲に何かなかったか、というアンケート等も取られたが、元々生徒間の友情など限定された範囲でしかなされないものであり、一つの教室から離れてしまえばそんなものなど分かるわけがない。
 イジメがあったのでは、とマスコミは騒いでいたが、その形跡とてクラスや同学年の者にしか分からないのだから、一般生徒の耳に入る情報などたかがしれている。
 何故、という疑問が残る中でも、人の口に戸が立てられぬ以上は憶測があちこちからあがり、余計に教師達の感覚を刺激するものでしか無かった。
 幾分かは行動の制限を緩められたとはいえ、放課後は以前よりも厳しく生徒達を縛り上げたのは仕方のないことだろう。
 部活動の禁止は当たり前、五時半以降は校舎内に生徒がいないように徹底して教師が巡回し、もしも姿を見かけようものならば金切り声を上げて生徒を追い払っている。
 そんな中だというのに、それを破らざる得ないことをこの友人はやってのけたのだ。
 今にも爆発しそうな雰囲気を漂わせ、水鳥は肩を小さく窄める祥の様子に舌を打ち付けてしまった。
「バカだバカだとは思ってたけど、どうしようもないバカね、あんたは」
「そんな事言ったって」
「バカでしょ!何で明日の朝一で提出するプリント忘れるのよ!」
「しょうがないじゃん。追い出されたんだもん、学校」
「なら今更戻っても同じ事でしょ。明日朝早く学校行けばいいだけじゃない」
 もっともな水鳥の言い分に、ぷくりと祥は頬を膨らませる。
 すでに太陽は地平の彼方へと落ち、宵闇が空を支配している時間帯だ。この時間に校内に入ろうとするならば、教師の目をかいくぐるだけではなく鍵のかかっていない昇降口を見つけなければならないのだから、骨の折れる作業になることは間違いないだろう。
 そんな水鳥の心境を知ってか知らずか、あっけらかんとした口調で祥は話し出す。
「だーいじょうぶだって、なんだかんだ言っても残ってるのいるから。鍵だってそんな連中の為にあいてるって」
「本当なんでしょうね?」
「もちろん。さっき東に連絡取ったらまだ学校、って言ってたし」
「生徒会の連中は仕方ないでしょ」
 クラスメイトの名前に何度目になるか分からない溜息を水鳥はつく。まだ完全には閉ざされていない正面門をくぐれば、すぐに暗闇を背後に従えた校舎の姿が見えた。
 途端に、ブルリ、と水鳥は背筋を振るわせる。
 今にも何かが出てくるのではないか、と思わせるのは、あんな現場を目撃してしまったからだろう。実際の所、見た限りは何事もなさそうに思えるが、放課後特有の寒々とした空気は恐怖心を煽るのには十分すぎた。
 ―怖いと思えば、もっと怖くなるんだから。
 自らを鼓舞するように内心でそう言い聞かせながらも、水鳥の歩調は段々と速度を落としていった。
 大丈夫だと繰り返しつつも、心のどこかで不安が囁く。
 早くこの場から逃げろ、と。
「水鳥?」
 完全に足を止めてしまった水鳥に、祥が訝しげな声をかける。大げさなほど肩を震わせた水鳥は、勢いよく頭を横に振り祥の側へと近寄った。
 早く用件を済ませなければ。その思いだけで校舎内へと入り、せっつくように水鳥は祥よりも先に教室へと向かう。
 静かすぎる廊下には二人分の足音以外なく、居心地の悪さに水鳥は周囲へと視線を走らせる。当たり前のことだが、生徒の気配のない教室は不気味な空間となっており、どこか異様な雰囲気が肌をついて回った。
 水鳥の肌が、小さく粟立つ。
 寒いわけではない。それなのに、嫌な汗がべったりと背筋に張り付き、身体の芯から震えが走る。そんな水鳥をおいて祥は教室へと入っていくと、ガタガタと机を鳴らしながら中を探っている。
 その背中を見つめながら、水鳥は自分を落ち着かせるように自らの腕を何度も摩っていた。
「あったの?」
「あ、うん。あった」
「じゃぁ早く行くわよ」
 急かすように声をかけたのは、静寂に包まれた教室が怖いと思ったからだ。明かりを消した室内を眺めていると、今日何度目か分からない悪寒に身体を震わせる。さっさと校舎から出たいと切に願う水鳥の耳に、とんでもない祥の言葉が入ってきた。
「あ、第二校舎にも用事あるから」
「はぁ!」
 何だそれは、と言わんばかりの剣幕と態度で水鳥は祥に詰め寄る。
 普段はのほほんとしている祥だが、水鳥の雰囲気と態度に慌てて説明を始めた。
「あのね、東から一緒に帰ろって、さっきメールがあって」
 さすがに第二校舎に設置されている生徒会専用の部屋は、校舎全体がおどろおどろしく感じられる為に何人かのグループに分かれて帰宅している。友人である東久留美も、例に漏れず生徒会の面々と帰るはずだ。
 きつくなる水鳥の目線に、祥が些か気圧されたように視線をあちこちに向けた。
「……どうして言わなかったのよ」
「だって、絶対頷かないと思って」
「当たり前でしょ!
 東だって生徒会の誰かと何時も帰ってるじゃない」
「でもぉ」
「行きたきゃ一人で行って。あたしは帰るから」
「ちょ、ちょっとまってよ」
 さすがに冷ややかな水鳥の言葉に狼狽えてしまった祥が、がしりと水鳥の腕を掴む。
 そのまま引きずるように歩き出した祥の態度に、水鳥は邪険にそれを振り払おうとするのだが、力ではやや劣る水鳥が祥の歩調に合わせられずつんのめるように歩き出してしまった。
 高校に入ってからの友人の一人だが、祥は何時も自由気ままに行動しては何らかのアクシデントを呼び込み、水鳥を含めた周りの友人達が頭を痛めるのは何時ものことだ。一応はそれを詫びるが、すぐにそれを忘れたかのような振る舞いで更なる厄介ごとを持ち込んでくるのは常のことだ。
 それは、友人である東もよく分かっているだろうに、何故今日に限ってそんな事をメールで伝えてくるのか。一瞬水鳥が東を恨んでしまったが、それはすぐに疑惑へと取って代わる。
 そのメールを送信したのは、本当に東なのだろうか。水鳥が知る限り、東は責任感が強く、それを買われた形で生徒会に籍を置いている。無論、東がその中で友人を一人も持っていないとは思わない。それどころか、先輩に可愛がられているという噂はよく耳にもしている。その東を一人おいて、生徒会の面々が帰るだろうか。
 疑惑は、やがて不安へと変わった。
 第二校舎に入った途端、酷く空気が重く感じられ、祥の歩みもどこか落ち着かずに恐々と前へと進む。
 何かが、おかしい。
 けれどそれが何かがよく分からない。
 明かりがぽつぽつと灯る中、水鳥の視界に何かがかすめた。
 思わず祥の手を振り解き、水鳥はその場に立ちすくむ。
「水鳥?」
 ネズミ、のはずがない。ただ、漠然とネズミのようだと思ったのは、その素早さと小ささ故だ。
 電灯のついていたい廊下は、酷く不安にさせる。だからこそあれは目の錯覚だと半ば強引に結論づけた水鳥だが、目線は忙しなく周囲に向けられ、生き物の気配はを何とか感じようと努力してみる。
 だが、先程まで感じていた『何か』はすでに気配は消えている。
 気のせいだろうか、と考えるが、何故か背筋に冷たいものが走り続けており、先程のことは錯覚ではないと知らしめる。
 心配そうに身体を水鳥へと向けていた祥が、はぁ、と態とらしい溜息を吐き出した。
 その途端、またしても視線を感じとり、そちらを向いた水鳥が悲鳴を上げる為に口を開いた。
 数歩ほど先に立つ祥の背後に、黒くずんぐりとした影がいつの間にか現れている。この暗闇の中でも分かるのは、異様に青黒い肌と煌々と光る瞳。窮屈そうに身体を丸めてはいるけれど、その瞳に宿る光は、獲物を見つけた獣特有の喜びに溢れている。
 逃げなければ、そう思うのに、一向に身体が動かない。
 祥、と声をかける為に開けた口だが、一瞬早くそれの肩が動く。
 鋭い爪のようなものが見えた、と思った瞬間、だらりとした肩が軟体動物のような動きとともに、爪が鋭い音を立てて上下に動いた。
 小首をかしげていた祥がその音に背後へと顔を動かし、ひっと小さな悲鳴を上げる。それと同時に、ゴトリ、と思い音が廊下から上がり、何が起きたか分からぬままその音の上がった方向へと祥と水鳥は視線を向けた。
「え?」
 右肩から先を失った祥が、頓狂な声が漏らす。
 二人ともに、何が起こったのかが理解出来なかった。いや、理解の範疇を超えていた。 勢いよく吹き出した鮮血が、周辺の天井や壁に塗りつけられる。起きた事態をようやく本能と理性で感知した祥が、絶叫を放ちながらまるで失った右腕を探すように出鱈目に左腕を動かす。
「痛い!痛いぃぃ!」
「し、祥!」
 助けるべきだ、と、頭のどこかで喚いているが、水鳥の足は縫い付けられたようにその場から動けない。ガクガクと身体が震え、あ、あ、と意味のない言葉だけが水鳥の唇から漏れ出る。
 助けを求める祥の視線が、ようやく水鳥へと向けられる。いたい、と小さな呟きを漏らしながら、ふらふらと祥は一歩ずつ水鳥へと歩き出した。
 思わず後ずさった水鳥を嘲笑うかのように、喉を潰したような低い笑い声があたりに響き渡る。声の主を探すまでもない。祥の背後で爪先についた血を舐めていたそれは、再びゆっくりと鋭い爪を持ち上げるたかと思うや、高い音が、次の瞬間響き渡った。
「ぎゃぁぁぁ!」
 再び絶叫が祥の唇から放たれる。足が蹌踉け、祥は床の上に出来た血溜まりの中へと倒れ込む。
 口の端から血の泡を吹き出し、細かく祥の身体は痙攣する。
 その様に水鳥の足からとうとう力が抜け落ち、そのままその場へとへたり込んでしまった。
 二人の様子を眺めながら、切り離された祥の両腕を持ちつつ、べたり、べたり、と水溜まりの中を進むような音を立てて、それは祥の側へと佇んだ。
 止めて、と叫んだような気がする。
 聞こえていたのか、それとも聞こえていなかったのか。それはしなやかな動きで空中で様々な形を作りだしたかと思うや、一本の触手のようなもので祥の太ももを貫いた。
 もはや悲鳴すら上げられないのか、祥は恐怖に駆られて何とか前進しようとする。けれども、それはそれすらも楽しむかのように眺めた後、いつの間に生やしたのか上半身に幾つもの触手を展開して、祥の身体を切り刻み始めた。
 床の上に荒い息で突っ伏していた祥の身体が、一瞬たりとも廊下に打ち付けられることなく空中で嬲られ続ける。真っ赤な花をそこらに咲かせるように、祥の身体からは絶え間なく血が吹き上がり、切り裂かれていく。ひっきりなしに悲鳴を上げる祥に満足したかのよう、満面の笑みがそれに浮かぶ。
 濁った祥の眼が、水鳥を映す。助けてくれという視線ではあったが、知らず知らずのうちに水鳥は首を横に振る。
 凍り付いたように恐怖心で足は動かず、どうしたらよいのかも分からない。ただただ目の前の出来事が夢で会ったならと願うが、いつの間にか自分の側まで広がっていた生温かな血潮が、これは現実なのだと水鳥に突きつけていた。
 けれど、理性は必死になって目の前で行われる行為を否定しようと頭を動かす。
 これは夢だ。
 そうだ、これは全て夢なのだ。
 そうでなくてはならない。
 目の前で起こっているのは、ただの悪夢だ。そうでなければならない!
 けれど、思い込もうとすればするほどに、祥の身体がどんどんと切り刻まれていくのを見つめているしかなかった。
 ベタリとした感触が掌に伝わり、水鳥はゆっくりと視線をそちらに移す。
 真っ赤な色が、掌に付着している。生暖かく、特有の匂いを放つそれは、広がり続ける祥の血だと理解するのに半瞬。そしてそれを頭が分かった途端、水鳥は甲高い悲鳴を上げた。
 まるで子供のように腕や頭を振り回す水鳥に、祥の瞳に絶望と憤怒とがおり混ざった光が宿る。睨み据えるような眼光だが、その光が徐々に弱まり、やがて何も映さない濁ったガラス玉のような瞳となる。
 ぐちゃぐちゃと汚泥を掻き回す音と、引きずり出した内蔵を咀嚼する音があたりに響き渡り、異常で異様な空間をそれは作り出す。やがて、何かに気付いたように水鳥へと視線を向けた。
 ひっ、と短い悲鳴が、水鳥の口から流れる。腰が抜けてしまいその場に座り込んでしまっただけではなく、思うように身体が動かず後ずさりすることも出来ない。
 次は、自分だ。
 近づく巨体を見つめ、水鳥は荒い呼吸を繰り返す。死にたくない。けれど、死は確実に自分へと近づいてくる。
 誰か、と、遠くから自分の声が聞こえる。それを耳にしたのか、それは血で染まった口を引き上げた。
 ひゅん、と、耳朶を通り抜けるような音が聞こえる。反射的に水鳥は目を閉じ、身を固くしてした。
 訪れるだろう痛みを想像していたが、いつまでたってもそれが訪れることはなく、水鳥はゆっくりと瞼を開けた。
 最初に視界に入ったのは、翠色に輝くロープのようなもの。それが爪を綺麗に絡め取り、その動きを止めていた。
 理解は出来ずとも、視線はそれを手繰っているものの姿を確認する為に動き出す。
「榊、くん?」
 ぽつん、と、小さな声がこぼれ落ちた。
 水鳥の背後、さほどの距離を置かずに佇んでいるのは、右の腕に何かを装着した榊里留だ。まっすぐに右腕を伸ばし、光る何かを器用に操りながら距離を測る里留は、静かな声をあげた。
「北斗、早く」
「分かってる」
 すぐ側で聞こえた声に水鳥は悲鳴を上げそうになるが、その口はいち早く塞がれてしまい呼吸すらもが凍り付いてしまう。ガチガチに固まった身体を無理矢理に立たされ、水鳥の腕を力強く掴む人間、すなわち榊北斗の姿を確認した途端、全ての理解を水鳥は放棄した。
 ほとんど力の入っていない水鳥の身体を軽く抱き上げ、北斗は里留の近くへと素早く移動する。それと同時に、里留は軽く右腕を動かす。音もなく翠色の光は里留の右腕をすっぽりと覆っている金属へと戻ってくる。
 水鳥が確実に安全な場所へと確保されるのを見届けてだろう。
 里留の腕が優雅ともとれる仕草で左右に動く。途端に、襲いかかってくる爪が鮮やかな光によって全て叩き落とされた。
 攻撃の手を休めることなく、ひゅん、と空を切る音が断続的に続き、それの胴体に幾本もの筋が入り、次の瞬間にはどす黒い血が吹き上がった。音にならぬ叫びだが、鼓膜を激しく打ち付けるような音が響き渡る。
 それ自体が攻撃と言っても過言ではない音だが、そんなものは聞こえていないような動きで里留は佇んでいる。耳の痛くなる空気の中、里留は感情のこもらぬ口調で北斗に語りかけた。
「結界はこいつが張ったものじゃない。
 これ以外にも、何匹がいる」
「んなこたぁ言われんでも分かってる。
 ここにいるのはランクEの雑魚だ。とっととどうにかして抜けるぞ、亜里沙」
 そんな事は重々承知している、と言わんばかりの視線を投げつけられ、北斗は眉間にしわを寄せながらも水鳥の様子を一瞥する。
 呆けた表情で何が起きたのか今だに分かっていない水鳥の様子に、さして驚いた風でもない北斗は、ちょん、と水鳥の額を突く。
 ガクリと崩れた水鳥の身体を軽々と受け止めた北斗が、開いている掌を何度か握りしめる。たったそれだけの行動でその掌に淡い光を作り上げた北斗は、無造作にその光を背後に投げつけた。
 ギャウン、と、複数の悲鳴が上がる。それを五月蠅そうに聞き流し、北斗は『亜里沙』と呼んだ里留の側へと近づいた。
 ごく当然のように、里留が動き出す。軽く廊下を蹴りつけて眼前の敵に近づくや、右腕から伸びた鞭をしなやかな動作で相手の喉元を縛り上げる。くっ、と指先が光を持ち上げたかと思うや、瞬く間にそれの身体が切り刻まれた。
 それを見てか、周囲の闇に緊張が走る。刺さるような視線を受け、里留は右腕に光を収束させると、鋭利な刃状の光を作り上げた。
亜里沙ありさ!」
 北斗の声と同時に、翠色の光は容赦なく現れた異形の身体を切り裂く。
 躊躇いも何もないその動きに、水鳥の中では現実なのか夢なのかが分からなくなる。見たことのない生物たち、そして目の前で広がる様々な色彩の血潮。理性が限界を超えるのは、さして時間がかからなかった。
 ぶつり、と、水鳥の中で何かがはじけ飛んだ。
「い、いやぁぁぁ!」
 悲鳴とともに暴れ始めた水鳥の姿に、里留と北斗の眉間にしわが寄る。
 当たり前の反応だが、肩の上で必死になって動く水鳥は二人にとっては今は邪魔でしかない。
 小さく舌を打ち付けて、北斗が水鳥の額に手をかざす。途端に、水鳥の意識が白く染まり、瞬時に意識を手放した。
 だらりとぶら下がった水鳥の身体を再び荷物のように肩に担ぎ、北斗は掌に淡い光を作り出す。それを無造作に背後に投げつけるや、耳障りな悲鳴が廊下に響き渡った。
「まずは一匹、と」
「荷物を落とすなよ」
 前をいく里留が、淡々とした口調でそう話しかける。荷物扱いにはしているが、女性に対して少々雑ないい方と言えるのだが、確かにこの場面では水鳥は荷物でしかない。
 小さく溜息をつき、北斗は背後から近づいてきた異形の存在を交わして、開いている右手に意識を集中した。
「古に交わせし盟約の元、白き焔を内に宿せし汝を招来す。
 来い、陽炎」
 言葉と同時に真っ白な光が北斗の右手に収束し、刹那にして一振りの太刀へと変化をした。それを無造作に動かし、空中から襲いかかる異形を難なく切り裂いた。
 ドサリと重い音をに驚いたのか、里留が僅かに目を見開いて北斗の方を振り向いた。たったそれだけのことだが、事の詳細を瞬時に理解したらしく、すぐさま里留は前方の異形を見据える。のったりとした動きで近づいてくるそれらを光の鞭で裁きながら僅かに首をかしげた。
「結界?」
「あぁ」
 独りごちた里留の呟きに、素っ気なく北斗は返事する。一向に出口に辿り着けない理由など、思い当たることは少ない為にすぐに答えは出てきてしまう。
 何時までこの薄暗い廊下で異形の物を切り刻まねばならないのかと、若干の苛つきが里留の中で生まれる。とはいえ、ループ状に張られた結界を解くには、それを行った術者を倒すしか術はない。
 あちこちから複数の気配が自分達を伺い、攻撃を仕掛けてくる。ひたすらそれらを倒しながら進む二人だが、不意に足を止めて周囲を見回した。
「どう思う?」
 眉間に皺を刻みつつ、北斗は里留にそう尋ねてきた。
 無表情にあたりを眺めていた里留だが、腕を覆う手甲に掌を重ねてそれまで張り詰めていた緊張感をいくらかといた。
「……力量判断、だと思う」
「まぁ、そうだろうな」
 妥当な答えだと言いたげな北斗の口調に、里留は一瞬眉を寄せるが、すぐに北斗の肩へと視線を移した。
 まだ意識を取り戻す気配もなく、だらりと身体を北斗に預けている水鳥の姿を幾分か険しい瞳で見つめる里留に、北斗は苦笑を浮かべてその身体を抱え直すべく揺り動かした。
「どうするつもりだ?」
「どうもこうもないだろ。とりあえず、準備室にでも戻るか」
 両手できちんと水鳥の身体を抱え直し、北斗は里留をおいて歩き出した。
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 そんな様を何時までも眺めていることもなく、里留は足早に北斗の背中を追いかける。
「……この臭い、とれるのか?」
「まっ、当分は無理だろうな」
 当然のようにそう言い切った北斗が、人の悪い笑みを浮かべて里留を見遣る。現場慣れしていないことを揶揄されているように感じ取り、里留の顔が僅かに険をはらんだ。
 それすらもが面白いのか、北斗が喉の奥でくつりと笑みを漏らす。
 からかわれていると理解したのだろう。里留の表情が一気に能面のように何の感情も映さない物へと変化すると、北斗を追い抜くように歩調を速めた。
「……分かりやすいっちゃ、分かりやすいな」
 今まで感情という感情を見せたことのない里留だが、戦闘時にはその枷が外れることが分かった。それだけでも十分な成果と言えるだろう。
 苛立ち混じりの足音を追いかけながら、北斗は小さく溜息を吐き出す。
 力量判断だけとは思えないが、今はとにかくこの場から離れるのが先決だ。
 窓ガラスの向こうに広がる暗闇へと一瞬だけ視線を走らせた後、北斗はゆっくりとその場から歩き出した。
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