魔狩人

10月猫っこ

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微睡み

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 『それ』は、ゆったりとした微睡みの中に身を置いていた。
 伝わってくる感情の波はとても心地よく、それだけで腹が膨れるほどの満腹感を与えてくれる。自らが『狩り』を行わずとも、大量の負の感情は枯れる事無くその場に満ち満ちていた。
 不安、畏怖、嫌悪。
 そして最も強い感情は、恐怖。
 じわじわと餌場として身を置いている場所には、それらが収束する事無く一方的に広がりを見せている。狩り場として選んだ場所は、まさに絶好の場所と言えるだろう。
 極上ともいえる食事場所は、共についてきたもの達にもそれなりの食事を与えてくれているため、今の所不満が噴出した気配はない。もっとも、もしも不満を口にしようものならば、即座にその場で殺していたであろうが。
 ほうっ、と、吐息が暗闇を揺らす。
 何と甘く心を蕩けさせるのだろうか、人間の心というものは。
 脆く壊れやすい肉体を持っているというのに、その身も内側の感情も、どんな同族達よりも美しく、煌びやかな輝きと旨みを持っている。それが、幾万、幾億もこの地上に溢れかえっているのだ。どの同族も憧れてやまぬのは、仕方の無い事かもしれない。
 やはり無理矢理にでもこちら側に来て正解だった、と実感しながら『それ』は身体を僅かに動かしてみる。
 ぎちり、とした痛みが走り、顔が歪んでしまう。まだ身体が定着していない証拠の痛みは、苛立ちを覚えさせるのだが、こればかりは仕方の無い事だろう。
 本来ならば開かないはずの『ゲート』を無理矢理にこじ開けた代償は、配下のもの達だけではなく自分の身にも降りかかった。それまでは手数を増やすだけの下級のもの達は、この時のための生け贄だったというのに、大半以上のものを飲み込んだ光の矢はずたずたに自分の身にも降りかかった。
 開いた先で始めて見た色鮮やかな世界は、半分は自分の血に染まって見え、闇を押しのける目映い光が酷く感情を苛立たせた。
 それでも、常に色を変える空や今まで聞いた事のない音、見た事がなかった景色は、余りにも明るく『それ』には見えた。
 こんな世界があったのか……。
 驚きと共に、今までいた世界の事が思い出される。
 あそこには、こんな輝きはなかった。どこまでも暗く、淀んだ空気と暗褐色の空が天井を覆い、空に輝く小さな光すら無かった。
 惨めに地面に這いつくばり、力があっても何時殺されるか分からない状況が隣り合わせの世界。それは、恐怖で構成された世界だ。
 そんな世界を後にし、この世界にやってきたと体感できたのは、恐怖に引きつった人間を喰らったときだ。
 咀嚼するたびに満たされる快楽と多幸感。どんな獲物を喰らっても得られなかったその感情は、骨すら残さずに食らいつくした後もずっと『それ』の中に残り、唾液が地面を梳かすほどに口からあふれ出ていた。
 永い時間を過ごした故郷になど未練も無い。
 この場所こそが、自分が君臨するに相応しい場所だ。その思いは、日に日に強くなり、押さえ込む事が困難なほどだ。
 ふと、配下のもの達が騒いでいる事に気付く。
 何事かと周囲に意識を伸ばせば、自分を殺そうとする意思を感じ取る。
 無駄な事を……。
 そう考え、自分のテリトリーとして選んだ巨大な建物内でゆっくりと息を吐き出す。
 目の前には、『それ』の意思と同化したような塊がある。
 張り巡らせた糸の最終地点であり、全てのエネルギーを内包する塊は、まるで巨大な繭玉のようにも見える。その塊に指を差し込み、するりと一筋の糸を絡め取ってみる。
 細く今にも千切れそうな糸だというのに、感じられるのは膨大なまでの感情、『悲嘆』と『絶望』だ。
 ぺろりと糸を舐め取った『それ』は、本来ならば負の感情だけしかないはずなのに、不快な感触を舌先に感じた。
 それが何を意味するか―。
 ―そうか、これが『魔狩まかり』とやらか。
 まだあちらの世界にいた頃、それとなくその存在の話しは聞いていた。正規のルートを通っていない自分達を、彼等からは『昇魔』と呼ばれるだけではなくランク付けされ、危険とされている存在は彼らに狩られる運命なのだと、風の噂で聞いた事もある。
 だが、そんなもの達に自分が殺されるはずがない。それに、もしも彼等と相対すれば、その時は『魔狩』とやらを殺せばすむ事だと楽観的な考えも持っていたのだ。
 けれど、敵の実態を知らなければ、致命的なミスを犯すかもしれないのも事実だ。
 それ故に、集められるだけの情報は集め、それらの審議をしつつ、彼らの実力を手元に寄せ合わせた。
 その力は個々によって違うが、生身の人間が少ないという。ならば何者が、と探っていく内に、それ元々は死者だったのだという情報が強かった。死して力を見いだされ、人間界に引き戻されたもの達。それが『魔狩』いや『魔狩人(まかりびと)』と言われるもの達だ。
 元が死者故に、そこらにいる人間では太刀打ちできない魔族を殺すが出来うる存在。
 さすがに『それ』も呆気にとられた。そんな事が出来うるのかと考えてみるが、どうやら天界と呼ばれる場所に存在するもの達や、同族の中でも高位に属し、人間側にすり寄るもの達が、『魔狩人』を造りだし、そして使役している事を知ると、唾棄したい思いに駆られた。
 人間は、自分達の餌だ。そんなものに情けをかけるなど、馬鹿らしいとしか言いようがない。だが、高位の存在にそんな事を言えるはずもなく、口を噤んでただ彼らのやり方を見守るしかないのも現状だ。
 とはいえ、今自分は人間界にいるのだから、排除しなければならないものをさっさと排除するに限る。
 そう考え、ぺろりと唇を舐める。
 どうやら配下のものと一戦を交えたらしい。騒ぎの元凶はその為だ。
 その時の騒ぎを糸から読み取れば、それなりに力を持った配下がかなりあっさりと滅せられている。自分同様に侮っていたのは認めなくてはならないが、それでもそれなりの実力を持ったものが消されるとなれば対処を考えなければならない。
 『それ』の喉元に刃を突きつけてきた存在。
 いったんこの場を離れるというのも手ではあるが、せっかくここまで育てた極上の餌場を手放すのも惜しいという気持ちもある。それに、ここを捨てたとしても、ここと同じくらいの餌場があるとは思えない。
 まして、この餌場が乗っ取られる可能性も充分にあり得るのだ。せっかく自分が苦労して作り上げたこの場所が、自分以外の何ものかに土足で踏み荒らされるなどあっていいはずがない。
 苛立ち紛れに糸を噛み砕いていたが、じくりとした痛みに『それ』は自分の指先を見遣る。
 肉を噛み千切り、骨まで露出した指先に、思わず舌打ちが漏らした後、無造作に繭玉に手を突っ込み数十本ほどの糸を無理矢理引きずり出してそれを口の中へと放り込む。と、見る間に血を流していたその指先が元通りに修復されていく。
 その様をうっとりと見つめ、身体に満ちる力に身を浸しながら『それ』は細く長い吐息を吐き出した。
 こんなにも美味なものが手に入る場所を、そう簡単に手放してなるものか。
 たとえ手駒を全て失ったとしても、ここから動くつもりはそうそう簡単に生まれる事はないのだから。
 そう結論づけると、緩慢な動きで『それ』は繭玉にそっと寄りかかる。
 どくん、どくん、と一定の周期で脈打つ様は、まるで心臓のようだ。否、本当にこれは心臓なのだ。
 核となる部分に『それ』は己の心臓を埋め込んだ。たとえどのような形で負けたとしても、心臓さえ無事ならばどうとでもなるのだ。この強固な繭玉の中心を割るのは容易な事ではなく、最も安全な隠し場所だという自負もあるため、『それ』は躊躇いもなく繭玉の中に心臓を入れたのだ。
 さて、と、それは小さく呟く。
 まだ自分が動くには時期尚早と言えるだろう。ならば、手駒に色々と命じなければならないし、やらなければならない事は山のようにある。
 退屈する暇も無い、と嘆息しながらも、頭の中を占めるのは『魔狩人』への対応の仕方ただ。
 自分に危害が及ばないように手駒を配置し、彼らの力を上手く削いでいく方法を考えねばならない。奴等が弱ったところをいたぶり、嬲り殺しにするのはその後だ。
 今の所奴等にこの場所が確定された気配はない。
 もしも確定されたとしても、雑魚と言ってもよい配下を山のようにこの場には配置しているのだから、それに惑わされてくれば御の字というものだ。足止めの意味合いが強い連中だが、彼らと戦っている内に自分はここから心臓を取り出し、最悪の場合ここから立ち退けばいいだけなのだ。どこか楽観的に事に対処していると『それ』に苦言を呈する存在がいないため、敵となる『魔狩人』の力を把握し切れていない現状に気付かずにいる『それ』は、久方ぶりに配下のもの達を呼び出すべく声を上げた。
「誰かおるか」
 慣れない声帯から発せられた声は、幾分かひび割れたようにかすれていたが、この建物内にいるものにはよく聞こえたようだ。
 いくつかの気配が近づいてくるのを肌で感じる。
 どうせ使い潰すだけの駒だ。彼らが首尾よく敵を倒してくれれば良し、もしそれが出来ずとも、敵の気力や戦力を削いでくれれば上等というものだろう。
「お呼びでしょうか」
 聞き取りづらい幾つもの声が空間を震わす。人間では決して出し得ぬ耳障りなそれに応えるべく、『それ』は悠然とした態度で口を開いた。
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