恋を手放したヒーラーは、静かに光を集める

塩塚 和人

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第6章 遠くからの視線

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夕暮れの色が、
街の輪郭を
柔らかく
溶かしていく。

治癒工房《ルーメン》の
窓にも、
橙色の光が
差し込んでいた。

ルーチェは、
包帯を
棚に戻しながら、
小さく
息を整える。

今日も、
忙しかった。

けれど、
嫌な疲れでは
ない。

「……終わり、ね」

そう呟いて、
看板を
片付ける。

外に出た瞬間、
視線を
感じた。

はっきりと、
感じた。

「……また?」

周囲を
見渡す。

通りには、
帰路につく
人々。

商人、
職人、
子ども。

その中に、
特別
目立つ存在は
いない。

けれど。

確かに、
どこかから
見られている。

ルーチェは、
ゆっくりと
店に戻り、
扉を閉めた。

心臓が、
少しだけ
早い。

「気のせい……
じゃないよね」

ここ数日、
同じ感覚が
続いていた。

誰かが、
店の前に
立ち止まる。

こちらを
見ている。

だが、
目を向けると、
必ず
視線は
逸らされる。

それは、
好奇心とも、
警戒とも
違う。

もっと、
静かなもの。

観察。

そんな言葉が、
浮かんだ。

翌日も、
その感覚は
あった。

昼下がり、
治癒を終え、
客を見送った
直後。

通りの向こうに、
立つ影。

背は、
それなりに
高い。

服装は、
地味で、
よく見なければ
印象に残らない。

視線が
合う。

ほんの
一瞬。

次の瞬間、
その人物は
顔を背け、
通りを
歩き去った。

「……変なの」

怖い、
というより。

気になる。

その感覚が、
自分でも
意外だった。

恋を
捨てたはずなのに。

誰かに
見られることを、
意識している
自分がいる。

「違う」

「これは、
警戒心」

そう、
言い聞かせる。

治癒工房は、
一人で
切り盛りしている。

用心するに
越したことは
ない。

夜、
店を閉めたあと、
裏口から
水を汲みに行く。

そのときも、
視線を
感じた。

振り返ると、
路地の奥に
人影。

「……誰?」

声を
かける。

影は、
動かない。

数秒の
沈黙。

やがて、
その影は
ゆっくりと
後ずさりし、
闇に
溶けた。

「……」

追う気には
なれなかった。

足が、
自然と
止まっていた。

怖さより、
戸惑いが
勝っていた。

翌日。

常連の
商人が、
世間話を
持ち込む。

「最近さ、
この辺りで
男が
立ってるの、
見ない?」

ルーチェは、
一瞬
手を止めた。

「……男、ですか」

「そう」

「特に
悪さする
わけじゃ
ないんだけど」

「ぼーっと、
店を
見てるって」

胸が、
小さく
鳴る。

「……どんな
人ですか」

商人は、
顎に手を
当てて
考え込む。

「無口そうな
感じだな」

「目立たない」

「でも、
変な目じゃ
ない」

その言葉に、
少しだけ
安心する。

「ありがとうございます」

そう言って、
治癒を
続ける。

無意識のうちに、
店の外へ
視線が
向いていた。

午後。

また、
見えた。

今度は、
はっきりと。

通りの
向かい側。

壁に
寄りかかり、
こちらを
見ている
男性。

目が
合う。

彼は、
慌てたように
視線を
逸らした。

その仕草が、
妙に
人間らしくて。

「……」

胸の奥が、
わずかに
揺れた。

怖くない。

不快でも
ない。

むしろ。

どこか、
必死な感じ。

ルーチェは、
気づかれない
ふりをして、
作業を
続けた。

けれど、
意識は
どうしても
外へ
向かう。

彼は、
ずっと
そこにいる。

通行人に
紛れながら、
視線だけは
こちらに。

そして、
目が合うと
必ず
逸らす。

「……どうして」

問いは、
宙に
浮かぶ。

夕方。

最後の客を
送り出し、
扉を
閉める。

その瞬間、
外から
視線を
感じた。

今度は、
逃げなかった。

ルーチェは、
扉を開け、
外に出た。

通りの
向こう。

あの
男性が、
立っている。

距離は、
それなりに
ある。

けれど、
確かに
彼女を
見ていた。

目が
合う。

数秒。

彼は、
逃げなかった。

代わりに、
小さく
頭を下げた。

それだけ。

そして、
踵を返し、
歩き去っていく。

「……」

名前も、
目的も
わからない。

それでも、
胸の奥に
残るものが
あった。

それは、
久しく
感じていなかった
感覚。

誰かに
興味を
持たれている
という、
事実。

「……変なの」

小さく
笑ってしまう。

恋は、
しないと
決めた。

それでも、
人の視線に
心が
動くことまで
止められる
わけじゃない。

ルーチェは、
空を
見上げた。

夜の
始まり。

星が、
一つ、
瞬き始めている。

遠くからの
視線は、
まだ
答えを
持たない。

けれど、
確かに。

彼女の日常に、
新しい
気配が
混じり始めていた。

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