地上最弱、深層最強③――深層都市と異端の冒険者

塩塚 和人

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第十話 境界の上で立つ者

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 夜の街は、穏やかだった。

 酒場の灯り。
 笑い声。
 何事もない日常。

 だがジャンは、そのすべてが薄氷の上にあると知っている。

     ◆

 ギルドの屋上で、ガドルは夜空を見上げていた。

「……来ると思っていた」

 足音に、振り返らずに言う。

     ◆

「境界破壊者が、現れました」

 ジャンは、端的に報告した。

     ◆

「だろうな」

 ガドルは、ため息をつく。

「いずれ出る。
 魔素がある限り、必ずだ」

     ◆

 しばし、沈黙。

 街の音が、遠くに聞こえる。

     ◆

「……お前は、どうする」

 ガドルが、静かに問う。

     ◆

 ジャンは、少し考えた。

 考える時間は、もう何度もあった。

     ◆

「冒険者を、降ります」

     ◆

 その言葉に、ガドルは目を細めた。

「理由は?」

     ◆

「冒険者の枠では、
 守れないものが増えた」

     ◆

 嘘は、なかった。

     ◆

「クエストを受け、
 報酬を得て、
 強敵を倒す」

「それは、もう俺の仕事じゃない」

     ◆

 ガドルは、ゆっくりと頷いた。

「……肩書きが、足枷になるか」

     ◆

「はい」

     ◆

「だがな」

 ガドルは、厳しい声で続けた。

「降りれば、
 守られなくなる」

「命令も、支援も、ない」

     ◆

「構いません」

 ジャンは、即答した。

     ◆

「もともと、
 一人でやってきました」

     ◆

 ガドルは、苦く笑った。

「そうだったな」

     ◆

 やがて、彼は懐から一枚の札を取り出した。

「正式なものじゃない」

「だが、持っていけ」

     ◆

 それは、無地に近い札だった。

 紋章も、階級もない。

     ◆

「これは?」

     ◆

「何者でもない証明だ」

 ガドルは言った。

「冒険者でも、
 管理官でも、
 敵でも味方でもない」

「境界の上に立つ者用だ」

     ◆

 ジャンは、札を受け取った。

 不思議と、軽かった。

     ◆

「……ありがとうございます」

     ◆

「礼はいらん」

 ガドルは、夜空を見上げる。

「どうせ、
 名前は残らん仕事だ」

     ◆

 屋上を降りると、
 ポーリンが待っていた。

「……聞いたわ」

     ◆

「ごめん」

 ジャンは、少しだけ目を伏せた。

     ◆

「いいの」

 ポーリンは、微笑んだ。

「ジャンは、
 そういう人だもの」

     ◆

 そして、真剣な目で続ける。

「……戻ってくる?」

     ◆

「戻るよ」

 ジャンは、答えた。

「地上が、
 地上である限り」

     ◆

 ポーリンは、何も言わずに頷いた。

     ◆

 街を出ると、夜風が強くなる。

 ジャンは、立ち止まった。

     ◆

 境界が、感じられる。

 深層と地上の、薄い線。

     ◆

「……ここだな」

 彼は、その上に立つ。

 どちらにも、踏み込まない。

     ◆

 強さを求めれば、壊す。
 守るだけでは、足りない。

 必要なのは、保つこと。

     ◆

 体質改善が、静かに働く。

 どちらにも偏らない、状態へ。

     ◆

 ジャンは、歩き出した。

 冒険者ではない。
 英雄でもない。

 ただ、境界を知り、
 境界を越えず、
 境界を保つ者として。

     ◆

 夜明け前の空が、わずかに白む。

 新しい朝が、始まろうとしていた。

 誰にも知られず、
 誰にも称えられず。

 それでも、世界は今日も壊れない。

 境界の上に立つ者が、いる限り。

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